表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファエンの婚約協奏曲  作者: ニート主夫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第3話 すれ違う視線、こぼれ落ちる紅茶(前編)

「ただいま、準備いたしました!」


 私が重たいワゴンを押して広間に戻ってきた時も、部屋の空気は変わらず絶対零度だった。

 公爵様は再び本に視線を落とし(ページは進んでいないようだ)、リリアナ様は窓の外の雪を眺めながら小さく身を震わせている。二人の間には、南極大陸よりも分厚い氷の壁が存在していた。


 私の額を冷や汗が流れる。

 この任務、失敗すれば金貨500枚の違約金。成功の鍵は、この凍りついた空気をいかに溶かすかにある。


(まずは基本中の基本。最高のお茶で、ホッと一息ついてもらうこと!)


 私はワゴンの前で気合を入れた。

 本来、Aランク以上のメイドともなれば、厨房で完璧な温度に仕上げたポットを持ってくる。だが、この部屋はあまりに寒すぎる。移動の数十秒で紅茶はぬるま湯になり、テーブルに出す頃にはアイスティーになってしまうだろう。


 ゆえに、この場で行うのは『卓上保温魔法ヒート・キープ』。

 ポータブル魔導コンロを使い、目の前でお湯を再加熱し、最適な温度でサーブする。教官に怒られながらやっと習得した、今の私の切り札だ。


「し、失礼いたします。遠路はるばるお越しになられたリリアナ様に、身体の芯から温まる特製ハーブティーをご用意させていただきますね」


 私は震える手で魔導コンロのスイッチを入れた。

 カチリ、という音が部屋に不自然に響く。

 公爵様がチラリとこちらを見た。「また余計なことを」と言いたげな視線だ。家令のサイラス氏も、「粗相があったら即刻始末する」という冷徹な目で私の手元を凝視している。


(ひぃぃっ! そんなに見ないでください! 手元が狂います!)


 緊張で指先が震えた。

 魔導コンロは、術者の魔力を流し込んで火力を調整する仕組みだ。

 弱すぎればお湯は沸かない。強すぎれば焦げる。


(寒い……なんて寒さなの。普通の出力じゃダメだわ。もっと、もっと強くしないと……!)


 公爵様が発する冷気は凄まじい。私のエプロンの端が少し凍りついているほどだ。

 リリアナ様の青白い顔色が目に入る。早く温めてあげなきゃ。もっと強く、もっと熱く!


 私は焦るあまり、無意識に魔力をドバドバと注ぎ込んでしまった。

 コンロの魔石が、危険な赤色に明滅し始める。

 ポットの中の水が、コポッ……ゴボボッ……と不穏な音を立てた。


「おい、待て。魔力が強すぎ――」

 異変に気づいたサイラス氏が叫ぼうとした、その時だった。


ボシュゥゥゥゥ――ッ!!


 爆発音が、広間に轟いた。


「きゃあぁぁっ!?」

 ポットの蓋が勢いよく吹き飛び、天井のシャンデリアにカーンと命中。

 そして、まるで火山の噴火のごとく、真っ白な蒸気と熱湯がワゴンの周囲に撒き散らされた。


「あつつつつっ!?」

「何事だ!?」


 視界が真っ白な蒸気で埋め尽くされる。

 最高級のペルシャ絨毯に熱湯がぶちまけられ、私の視界も眼鏡も曇って何も見えない。

 

(終わった……!)


 私は真っ白になった頭で、走馬灯を見た。

 金貨500枚の借用書。怒るギルド長。強制労働施設送りの私。

 公爵様の顔に泥を、いや熱湯を塗ってしまった。これはもう、氷漬けの刑にされても文句は言えない。


「も、申し訳ございませぇぇんっ!!」


 私は床にひれ伏そうとした。

 けれど、蒸気の向こうで動く人影に気づき、動きを止めた。


 ガタッ! と椅子が倒れる音がしたのだ。

 それはリリアナ様のものではない。

 公爵様だ。あの絶対零度の彫像のようだった公爵様が、爆発の瞬間に弾かれたように立ち上がってた。


(こ、殺されるっ!)


 とっさに身をすくめる私。

 だが、彼の視線は私に向いていなかった。


「――っ!」


 彼は獣のような俊敏さでテーブルを飛び越え、リリアナ様の元へ駆け寄っていたのだ。

 そして、自分の漆黒のマントをバサリと広げ、降りかかる蒸気や飛沫から彼女を庇うように覆いかぶさっていた。


 一瞬の静寂。

 濛々と立ち込める白い湯気。

 それが晴れていくと、そこには驚きで目を見開くリリアナ様と、彼女を守るように片膝をつき、マントで盾を作っている公爵様の姿があった。


「あ……」

 リリアナ様が小さな声を漏らす。

 公爵様の頬には、私のお茶の飛沫がかかったのか、少し赤くなっていた。熱いはずだ。痛いはずだ。

 けれど彼は、そんなことは気にも止めず、腕の中の少女を、まるで壊れ物を扱うように鋭く観察していた。


「……おい」

 低く、震える声。

「怪我は、ないか」


 その声色は、怒鳴り声のように低かった。けれど、そこには隠しきれない焦燥と、安堵の響きが混じっていた。


 リリアナ様は、自分に向けられたその剣呑な形相に恐怖したのか、小さく首を横に振る。

「は、はい……私は、大丈夫です……っ」

「……そうか」


 彼女の無事を確認した瞬間、公爵様の肩からフッと力が抜けた。

 そして彼は、ハッと我に返ったようにマントを引き、バツが悪そうに顔を背けた。その耳朶が、わずかに赤いのは……きっとお茶の熱さのせいだけではないだろう。


 私は呆然と、手には取れたポットの蓋を握りしめたまま、その光景を見つめていた。


 やらかした。間違いなく大失敗だ。

 絨毯はびしょ濡れ。部屋は湿気だらけ。サイラス氏は鬼の形相でこちらに向かってきている。

 だけど。


(温かい……)


 物理的な蒸気の熱だけではない。

 さっきまでの、肌を刺すようなあの死の世界のような寒さが、少しだけ和らいでいる気がした。


 氷の魔道公爵、ヴァルド様。

 あなたは冷たい人なんかじゃない。

 本当は誰よりも熱いものを、その氷の下に隠しているんですね?


「き、貴様というやつはーーっ!!」

 ついにサイラス氏の雷が落ちた。


「ひぃぃ! ごめんなさいごめんなさい!」

 

 私は現実に引き戻され、再び平謝りの体制に入る。

 けれど、床に頭を擦り付けながら、私はニヤけそうになる口元を必死に抑えていた。


 希望は、ある。

 このミッション、私のドジとお節介で、なんとかなるかもしれない!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ