プロローグ 魔法と埃と、派遣メイドの事情
この世界――魔法王国アストラエアにおいて、人々は残酷なまでに明確な線で区切られている。
生まれつき強大な魔力を持ち、国を守り統治する「貴族」。
そして、魔力を持たぬか、持っていても生活の種火程度にしか過ぎない「平民」。
天と地ほどに違うこの二つの階級を繋ぐ、奇妙な架け橋が存在する。
それが『派遣メイド』だ。
高貴なる貴族たちは、決して掃除用具を手にしない。
それは単なるプライドの問題ではない。彼らの身に宿る高純度の魔力は不安定で、繊細な日常雑務には向かないからだ。彼らが不用意に皿を洗えば皿は砕け散り、洗濯物を干せば強風で彼方へと消し飛ぶ。
ゆえに、彼らが「人間らしい優雅な生活」を送るためには、手先の器用な平民たちの手助けが不可欠なのだ。
だが、単なる平民では務まらない。
気難しく、時に危険な魔力を放つ貴族たちの懐に入り込み、空気のように気配を消し、それでいて完璧な奉仕を提供する。
それはもはや一つの「道」であり、生きるための戦争だ。
「……痛たた。また筋肉痛だわ」
王都の路地裏にある、安アパートの一室。
朝もやの中、狭いベッドの上で私は身体を起こした。
私の名前はファエン。地方の田舎町から「一旗あげてやる!」と息巻いて上京してきた、十九歳の派遣メイドだ
この王都において、夫婦と子供二人の一般的な平民家庭が慎ましく暮らすのに必要な生活費は、月におおよそ銀貨20枚と言われている。
対して、私の部屋の家賃は銀貨3枚。
相場の六分の一以下という破格の安さだが、その分、隙間風は歌い放題だし、階段は歩くたびに悲鳴を上げる。
昨日の残りの硬いパンの耳(銅貨数枚分)を白湯で流し込みながら、私はなけなしの小銭を数える。いただいたお給金の大半は田舎の大家族への仕送りに消え、手元に残るのは生活ギリギリの端した金だけだ。
お世辞にも裕福とは言えない暮らし。けれど、決して悲観はしていない。
私たちメイドの仕事には、夢があるからだ。
貴族たちにとって、平民は「言葉を話す家具」程度の認識であることが多い。「下賤な者が、高貴な我々の視界に入るな」と言われることなど日常茶飯事だ。
私たちの仕事は、決して楽ではない。
だからこそ、『王立メイド派遣ギルド』が存在する。
私たちを守り、ランク付けし、貴族へと「商品」として派遣する組織。
何もできないFランク(見習い)から始まり、雑用をこなすE、D、Cランク。
ここまでは「ただの労働力」だ。
けれど、Bランクからは違う。「技術」が求められる。
そして最高峰のSランクともなれば、国家予算並みの契約金が動き、公爵や王族ですら頭を下げる「至高の奉仕者」となる。
(いつか私も、Sランクになって……運命の相手に見初めてもらうんだから)
ひび割れた姿見の前で、私はパンパンと頬を叩いて気合を入れた。
現実は厳しい。Bランクに上がったばかりの私は、まだまだ半人前。お茶の温度調節魔法だって失敗するし、カーペットの埃と一緒に自分の希望まで吸い取ってしまいそうになることもある。
それでも。
恋に焦がれる夢を見る権利だけは、平民にも平等にあるはずだ。
最高のトキメキと、切なさと、ドラマチックな出会い。
そんな奇跡を信じて、私は今日もギルドの扉を叩く。
――まさかその数時間後に、一生分の絶望と奇跡が同時に降り注ぐことになるとは、知る由もなく。




