記憶の残滓 ――「正解」という名の呪縛、あるいは魂の去勢
創世の階層を進むレオンの意識が、一瞬だけ揺らぐ。 《永劫記録》が深層の記憶を呼び覚まし、目の前の光景を過去の王都ギルドへと塗り替えていく。それは、彼が「評価システム」という檻の中で、飼い慣らされた英雄を演じていた頃の、ひどく鮮明で忌まわしい断片だった。
(……ああ、この感覚だ。世界がすべて数字で定義されていた、あの息苦しい日々)
ギルドの中は、祝祭のような騒がしさに満ちていた。 「……すごいな、レオン」 誰かが肩を叩く。 「今日だけで、三件も難関依頼を成功させたのか。もはや中堅のトップだな」 その視線の先にいるのは、感情を削ぎ落とし、ただ効率のみを追求していた頃のレオンだった。
「……運がよかっただけだ」 機械的な返答に、周囲からどっと笑いが起きる。 「謙遜するなよ」「評価値、見たか? グラフが垂直跳びしてるぜ」 端末に表示される《評価:上昇中》。 その無機質な数字の羅列が、当時のレオンにとっては唯一の「存在証明」であり、明日を生きるための酸素だった。
「……順調ですね」 受付嬢が、事務的な微笑を浮かべて言う。「このペースなら、上位区分への昇格もすぐですよ。そうすれば、受けられる恩恵(バグ修正)も増えます」
(区分、恩恵、効率……。オレはあの頃、数字を増やすために自分の魂を切り売りしていたんだ)
場面が切り替わる。ある依頼の風景。 小規模な魔獣討伐。同行者は、まだ剣を握る手が震えている新人だった。 魔獣の咆哮が森に響いた瞬間、レオンは新人の襟首を掴んで強引に後方へ放り投げた。
「……下がれ」 「で、でも、俺も戦わないと功績が――」 「死ねば評価はゼロだ。お前がここで傷つけば、オレの指導評価が落ちる」
レオンの声には冷徹な響きしかなかった。新人は反射的に口を噤み、英雄の背中をただ見つめていた。 戦闘は数秒で終わる。圧倒的な効率。無駄のない剣筋。 《討伐成功》 《評価:微増》
村人の拍手。感謝の声。だが、レオンはそれらを受け流し、返り血を拭うことさえせずギルドへ戻る。 その帰路、新人が震える声で呟いた。 「……レオンさん。さっきの判断、正しかったです。俺、あのまま前に出てたら、評価を落として次がなくなるところでした」
レオンは足を止めた。 「……怪我をしてたかもしれないんだぞ。死んでたかもしれないんだぞ」 だが、新人はどこか虚ろな目で笑った。 「ええ。でも……評価が下がることの方が、今のこの世界じゃ死ぬより怖いですよ。正解を教えてくれて、ありがとうございました」
(……あいつは、あの日、何を学んだ?)
怪我をしないこと。数字を守ること。次に残ること。 それは生存戦略としては「正解」だ。だが、その正解を積み重ねるたびに、人間が本来持っていた「恐怖」や「勇気」、そして「誰かを想う心」が、評価システムという巨大な研磨機にかけられ、丸く削り取られていく。
「評価が、人の言葉を先に決める」 その事実に気づいた時の、背筋が凍るような違和感。 それが、後にレオンが管理者へと剣を向けることになる、最初の「不整合」の種だったのだ。
現実の創世層。 レオンは深く息を吐き、過去の幻影を振り払った。 目の前の空間には、当時の自分を縛っていたものとは比較にならない、膨大な概念の奔流が渦巻いている。
「……もう、数字にオレの価値を決めさせはしない」
レオンは、かつての自分という「最も脆弱だった頃の記憶」を《創世収納》の奥底へと封じ込め、再び歩き出した。 他人が用意した「正解」ではなく、自分が選んだ「不合理な真実」を貫くために。




