無限外伝編!物語を超え、概念を超え、存在を超える者
村を出て半日が過ぎた。
空は晴れているはずだったが、どことなく色が薄く、遠景が揺らいで見える。
草原を渡る風の音は遅れ、地面の微かな震えが足の裏に伝わる。
(……また、わずかに歪んでいる)
昨日から続く異常。
光球、裂け目、魔獣の変質。
すべてが散発的でありながら、同じ方向へ導かれているようだった。
雷神の鎧が脈動し、北東を指すように光を放つ。
その脈動に、レオンは小さく息を吐いた。
「……行くべき場所は、あっちか。」
丘を登ると、遠くの平原の端で黒い煙のような影が揺らめいているのが見えた。
普通の煙ではない。輪郭が空気と馴染まず、そこだけ世界が沈み込んだように暗い。
レオンは走った。
地を蹴るたびに鎧の光が草花を揺らし、身体が勝手にその異常へと向かう。
最近は力が身体に馴染みすぎており、その自然さが不気味だった。
煙の元へ着くと、木々が押し潰されたように倒れていた。
焦げてはいない。ただ何か巨大な圧力で押し曲げられた痕跡がある。
その根元に、人影が倒れていた。
「大丈夫か!」
若い男が、息を細く吐きながら地に伏していた。
レオンが近づくと、震える手が森の奥を指した。
「……見たんだ……あれを……
光る獣……いや……獣じゃ……ない……」
「獣じゃない?」
「輪郭が……崩れてる……煙みたいで……
見た瞬間、胸を掴まれたみたいに……苦しくて……」
胸の奥がざわつく。
昨日見た光球とも、井戸の底で見た歪みにも似た気配。
「森の奥に、まだいるのか」
男はかすかに頷いた。
「仲間が……追いかけて……戻らない……頼む……」
レオンは肩に手を置いた。
「必ず連れ戻す。」
言葉を口にすると、自分の声が以前よりずっと落ち着いていることに気付いた。
恐れを感じるはずの状況なのに、心は妙に静かだった。
森に入ると、空気が一瞬で変わった。
獣の声も風もなく、世界が息を止めているように静寂が張り付く。
その中で、金属が擦れるような低い震えが響く。
鎧の脈動と、わずかに同期していた。
森の中心へ進むほど、景色は薄い膜越しのように揺らぎだす。
そして――“それ”がいた。
大きさは狼に近い。
だが、狼ではない。
身体は透明に近く、黒い靄をまとって形が絶えず崩れている。
光を反射するたび、大きさすら変わって見えた。
ただ、眼だけが赤く、確かな意志を宿していた。
「……変質した魔獣の成れの果て、か。」
レオンが一歩踏み込むと、存在は低い唸り声を上げた。
音ではなく、空気の震えが鼓膜を押す。
苦しげな響きだった。
「救えるなら救いたいが……」
獣が崩れるように突進してきた。
レオンは踏み込み、雷光と共に剣を振り抜いた。
靄が爆ぜ、光が森を裂く。
悲鳴とも叫びともつかない歪んだ音が響き、存在は崩れ落ちた。
揺らぎが止まり、風が戻る。
森が呼吸を取り戻すようにざわめき始めた。
レオンは静かに呟いた。
「すまない。
だが、こうした“歪み”を生んだ原因は……必ず突き止める。」
存在の残滓に近づいたとき――何かが胸を刺した。
説明できない空白。
雷神の力とも、この世界のどんな理とも噛み合わない、異質な断片。
レオンは息を呑んだ。
(……これは……整合できない……?)
触れた瞬間、思考が滑った。
収納も創世も反応しない。
世界のどの分類にも当てはまらない。
《整合創世》が発動しかける。
歪みを収納し、因果を繋ぎ直す力。
これまでの異常は、その能力で全て筋道を付けられた。
だが――
(……だめだ。
この断片には……“因果”そのものがない……?)
剣どころか、力の端でも触れられない。
触れれば滑り落ち、理解しようとすれば思考が空回りする。
世界の理から外れている。
この世界の“外側”とも、昨日見た歪みとも違う。
絶対に整合されない矛盾。
この世に属していない欠片。
レオンは震える指で、残滓から距離を取った。
「……これは……俺の力では直せない。」
初めてだった。
収納も創世も、雷神の加護も、何一つ反応しない存在。
世界が静かに軋んだ。
空の端で新たな揺らぎが走る。
「お前は……いったい何なんだ。」
風が吹き、残滓は消えた。
だが、その“矛盾”だけは胸の中で消えずに残った。
整合できない“何か”。
この世の全法則の外側にある“断片”。
レオンは剣を握り直し、静かに歩き出した。
「必ず追いつく。
世界の外でも……その先でも。」
この時のレオンはまだ知らない。
今日出会った“整合不能の断片”こそが、後に全世界を揺るがす最初の鍵になることを。
森の影の奥で、風だけが静かにその事実を知っていた。




