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幽閉された聖女

【短編】幽閉された聖女は塔の上でネト充する

作者: 水流花

再掲です。

☆☆☆


 魔王が生まれるとき、まるで対のように、必ずどこかで聖女も生まれる。それは世界の理の一つだった。


 魔族はそれを知ってたけれど、人族はそれを知らなかった。


 魔王を倒せる唯一の存在である聖女の命を奪っても、魔王が生きている限り次々と新たな聖女が生まれ出る。それを過去の経験から理解していた魔族は、次の聖女が生まれた際には、人族より先に手中に収め、魔族の世界に監禁してしまおうと考えた。知性を与えず傀儡のように飼い殺せばいいのだと。


 今代の魔王は、歴代の魔王よりも強い魔力と知性を持つ、世界を滅ぼすにも値する器を持っていた。

 人知れず聖女を自らの手で殺した魔王は、次の世代が生まれ落ちることを感知すると、部下を遣わせた。




 そこは人族の小さな村だった。

 都市からも遠い、辺境の、善良な村人の住む土地。


 暖かな日差しを浴びながら日向ぼっこをしていた赤子が魔族に攫われる。気付かれることもなくひっそりと。生まれたばかりの赤子が、人族の世界から姿を消す――――


 その出来事は赤子の肉親を悲しませたけれど、人族の世界からはすぐに忘れ去られた。


 そして、成長したその子すら――それを知らない。


☆☆☆




 ここはどこなのだろうと、目を覚ました「私」は、ふと思う。


 ――目を覚ました、なんて表現は似つかわしくないのかもしれない。


 長い眠りから目覚めたよう。

 頭が痛い!眩暈がするほどの頭痛。肉体の危険しか感じない。

 それでも見慣れぬ景色に、状況を確認したい欲求が沸く。


 ――私は。相田響。日本の会社員。

 確か昨日は、会社の飲み会で幹事をまかされて、へとへとになって家に帰り着いたところまでは覚えている。

 二日酔いで頭が痛いのかもしれない。でもこの場所に見覚えがない。石造りの古びた部屋の中。


 意識を無くして見知らぬ場所で覚醒するなんて女の身としてはとんでもない事態。

 寝かされていただろうベッドから立ち上がると、部屋の隅に置かれている姿身を前にする。


 そこに居たのは子供。まだ10歳くらい。

 白銀色の長い髪を床に引きずっている。幼いながらも整った顔立ちに、まるで宝石みたいな、サファイアブルーの瞳が輝く。天使のように清らかに見えた。……え、天使?


(――いや、誰!?)


 なんて思ったのは一瞬。耐えられない吐き気に襲われる。嘔吐をすると、なぜか床を汚したはずの吐しゃ物が一瞬で消えていく。何度むせこんでも一緒。部屋が汚れない様子を目の当たりにする。最初から何も起こらなかったように、部屋の中と自分が綺麗に整えられていく。


(――なに?まるで魔法……)


 そう思いながらも、まるで毒物にやられたかのような眩暈に起きていられず、私はベッドに倒れ込んだ。





 そうしてこの日から高熱を出し、体を起こせない状態が一月ほど続く。その間に、私は徐々に、ここがどこなのか、自分に何が起こっていたのかを理解していく――


 ちょっと信じられないし、信じたくもないけど、たぶんここ日本じゃない。むしろ地球じゃない。

 部屋の小さな窓から外を見下ろすと――はるか彼方の下の方に、人間ではない生き物たちが動いている。

 体毛に覆われた体を持ち、獣と人間のあいの子のような姿をしている。

 不思議に思う。なぜなら、今の私の姿は、とても綺麗な部類ではあったけれど普通の人間の姿に思えるからだ。


 そしてこの場所に疑問を持つ。

 ここは、この土地一帯を見渡せる、塔のような場所。窓から外は覗けるけれど、窓は開かない。私は、この部屋から決して出られない。


 毎日定時に三回、暖かく美味しそうな食事が、何もない空間に一瞬にして現れる。食べ終わると食器ごと消えていく。その技術の仕組みすら分からない。


 ベッドと机のある小さな部屋の隣に、トイレや風呂もあった。けれど、人がいない。私はきっと、この部屋から出たことがないのだろうと思う。


 なんとなくぼんやりだけれど、目を覚ます前の自分のことを少しだけ覚えていた。

 手づかみで食事をし、部屋を汚し、だけどそれを魔法のように一瞬で綺麗にされていた。人にも異形のものにも、実際には会ったことも話したこともない。そんな記憶がうっすらとあるのだ。

 叫んでみても、どうやら誰にも聞こえていないよう。


 美しい少女の体の中の、現代日本人の魂は、なすすべもなく途方に暮れる。

 分かっているのは、10歳程度のこの少女は恐らくこの部屋から出たことがなく、外には人間とは思えない生き物が動いていること。そしてある日突然、日本人の記憶が蘇ったんだろうってこと。


 ――最後に記憶があるのは飲み会の日だった。上司のセクハラを上手く受け流すことが出来なくて落ち込んでいた。飲み会だったのにろくに飲めなかった私は、帰ってから度数の高いサワーをがぶ飲みして寝た。致死量だったのだろうか。


 正直、会社に行きたくないとは思っていたし。

 辞めて引きこもってしばらく失業保険をもらいながらニート生活をしたいと思わないこともなかったけれど。こんなネットもない場所なんて引きこもってもすることないじゃない!?


「せめてインターネットくれよーーー!」


 そう、叫んだのが、良かったのか、悪かったのか。


 システムメッセージのような声が鳴り響く。

 その言葉を聞き取れたわけではないのだけど、意味が頭の中に浮かんだ。


『――ネットに接続しました』


 ――――はい?


 頭の中に大量の情報が溢れかえるのを感じる。




 ――そうしてその日が、私の長きに渡るネット廃人生活の幕開けとなるのだった――






 人族の間で新たに構築されつつあった、魔法ネットワーク情報社会の、今は黎明期。

 ……ということを、溢れかえる情報を整理ながら知っていく。


 人体に帯びた魔力だけで繋がれるネットの文化は、人の頭の中だけに展開されていた。人々の魔力を繋げ、魔力の底と言われる場所を生み出し、共有の情報を蓄積し、誰でもアクセスすれば見られるようになるという画期的なシステムだった。そしてそこにアクセスしている姿は、頭の中だけなので、傍目には誰にも分からないのだ。


 どうやらはじまったばかりらしいネット文化の、コンテンツは少なかった。


 文字や声だけのデータが大半を占めていたけれど、繋がったその人族のネットに蓄積されている情報で、初めて、この世界の人族の言語を習得することが出来た。なぜかネットに繋がると、読みないはずの言葉も『意味』だけ頭に浮かぶ。……それがなんの仕組みなのか、翻訳がされているのかも分からないけれど、そのおかげで、言語の習得がさほど難しくなかった。

 

 言語は一つではなかったけれど、主流と思える言語を、知識に飢えていた私は片っ端から覚えて行った。

 閉ざされたこの空間で、他に何も出来ることなどなく、時間は山のように余っていた。


 何といっても、インターネットの常時接続が許されているような状態、これが有料のものなら大金が請求されていただろうけれど、魔法ネットワークは基本無料、良心的だ。節約の為に深夜に接続する必要もない。


 文字だけでなく音声が蓄積されているのも、言語の習得に役立った。

 どの程度の時間が掛かったのか、最も主流と思われる言語がなんとなく理解出来るようになったころ、一番に情報が集まっていると思われる、文字データの宝庫と思われる会員制とコンテンツに登録してみた。


 会員制、といっても、自分の魔力にだけ割り振られる魔法番号みたいなものを勝手に登録させられるだけのもので、実質だれでも登録出来る。


 同じ魔法番号で悪さを繰り返さないための措置のよう。


 そのコンテンツには、分かりやすく日本語で説明するなら、趣味趣向ごとのたくさんのフォーラムがあり、そこに付属の掲示板やチャットが付いている。

 簡単に言うと趣味の集まり。のんきにほのぼの情報のやり取りをしているフォーラムがあれば、どこかのお偉いさん方がけんか腰に真剣に話し合うフォーラムまである。 


 そこでまずは……常識を学ぶ。今の私に趣味などないし。この世界が何なのかもわからない。

 

 分かるのは、普通の人が普通に暮らしているらしいということ。科学技術は低く、魔法が発展した世界。私のように一人ぼっちの人なんていない。

 この世界の普通の人の、小さな暮らしの中のなんでもないことを知りたい。


 だけど――知れば知るほど、私は絶望を膨らませて行ったのだ。









 もう分かっていたけど、ここ地球じゃない。


 人族と魔族が生きている世界。二つの種族は長い歴史の中争いを繰り返していたらしい。

 魔族の長は魔王。そして魔王を倒せる聖女は人族から生まれる。

 んで、私の姿かたちは間違いなく、人族。

 窓の外の生き物は、間違いなく、魔族。


 この時点で分かったことは、私は魔族に囚われている人族だろうってことだ。

 だって、魔族と共に生きる人族がいる何て情報はどこにもなかったのだ。


 そして、魔族も人族も、それぞれ魔法が使える。

 生まれながらにその体に帯びた魔力の性質で、使える魔法が異なる。

 火・水・土・風の魔法が存在し、それぞれ帯びた魔力の色で判断が出来る。


 自分にも魔法が使えるのかと掌に力を籠めると、輝くような光が溢れだした。

 それは白の中に虹色が輝く、不思議な色合い。


 これはなんだろうと、魔法フォーラムに入り浸り、蓄積されたデータを読み漁ったけれど、そんな情報がどこにもなかった。

 しばらく、ネットの海をさまよい続け、自分の魔力の質についての疑問を忘れていたころ、ぼんやりと眺めていた魔法フォーラムのチャット機能のログを見ていて、やっと私の知りたいことが分かった。



 『虹色の魔力、それは、言い伝えでは、聖女だけの魔力の色なのだ』と。






 全ての状況が腑に落ちるように思えた。


 魔王によって、聖女が囚われている。

 そうして、人族は聖女を探している。

 私は助け出してもらえるのだと思い、歓喜した。


 私は、早速ハンドルネームを「聖女」と付け、魔法フォーラムに書き込み、助けを求めた。


「私は聖女です。幼い頃からずっと魔族の塔の中に閉じ込められています。助けてください」


 だけど反応は、私の予想とはまるで違うもの。


「また出た」「何人目の聖女?」「聖女なら自分で出て来れるだろうに」「魔族倒せない聖女とか」etc...


 気付いていなかったけれど、そもそも「聖女」というハンドルネームは、「勇者」に並ぶ流行りのハンドルネーム。検索すると何千件も出てくる。


 それでも、何度も何度も、必死に書き込みを続ける。


「魔族の町を見渡せる高い塔の上です。魔族と直接会うこともないので倒して逃げることなど出来ません」


「だからそこどこ」「場所も分からないとか」「通報する?」反応は厳しく、ついには「死んだら次の聖女が生まれるんじゃない?」「出たいなら〇ね」といった言葉が並ぶようになった。


「なんの道具もなく窓からも出られず、簡単に死ぬことも出来ません」


 そうか、人々は、わざわざ閉じ込められている聖女を求める必要もなかったのかと。

 やっと気が付いた頃。


 その文字データの宝庫である巨大コンテンツから……

 アカウントを『停止』されていた。




 

 しばらくすると、ネットの中に様々なコンテンツが増えて行った。

 それまでなかった城や国、公式のコンテンツが増えた。

 様々な場所のお問い合わせフォームからも助けを求めたけれど、半分以上の場所は返信すらなかった。





 だんだんと文字データだけのコンテンツは廃れて行き、より画像や動画データを蓄積したコンテンツに人気が集まるようになっていく。新たな会員制コンテンツに登録し直し、また魔法のコミュニティを覗く。


 ちなみに写真や動画データは、ある特定の魔法を使える人だけが残せるものらしい。


 今度は慎重に、と、情報を収集していく。

 納得出来るだけの情報が無ければ誰も信じないと学んでいる。そうは言ってもネットの世界しか知らないのに、人を納得させる情報なんて持っているわけない。


 誰が載せたのか、先代の聖女の写真というのがアップされていたのを見た。

 私に似てる。髪の色と目の色が同じだ。そうか、と思う。私の姿かたちを見せることが出来るなら、信じてもらえるのではないかと。

 だけれど、写真など残せる手段もなく、それは結局最後まで叶わなかった。


 長い時間、そのコミュニティを見つめていた。

 誰かを納得させられるような新たな情報など何も得られなかった。

 私は、諦めの気持ちを込めながら、コミュティに書き込みを残した。

 ハンドルネーム「聖女」の書き込み。


「私は聖女です。幼い頃からずっと魔族の塔の中に閉じ込められています。助けてください」


 それはあの日、一番最初に書いたものと全く同じもの。

 そうしてその返信は、最初のフォーラムで書いたものと、ほぼ同じもので溢れた。






 私は助けを求めることを諦めた。


 恐らく、危険を冒して救い出すほどには、人族は聖女を求めていないのだろう。

 求めているのなら、とっくに、私の声は誰かに届いているのだから。

 本当に閉じ込められていたとしても、いつか死ぬのを待てばいいだけなのだ。




 まるで、誰にも私の生を求められず、世界に死を望まれているような気持ちになった。


 それでも私は、私という人間の記憶を思い出して、今を生きている。

 足掻けるかぎり、最後まで生きたかった。

 

 だから自分で脱出出来る方法を探る方向へと検索方法を変えた。

 聖女の魔力に当たると、魔族は消失するらしい。偉大な魔王すら例外ではない。


 問題は聖女の魔力に当たる範囲に、誰も近寄って来ないってことだ。

 死ぬほどの目にあったら誰かがやってくるのではないかと考えてみたけれど、一月ほど高熱を出して寝込んだときにも誰もやって来なかったんだから、死んでいいと思われている気がする。


 魔法を鍛えて、自力で塔を壊して抜け出せないかと情報を収集してみたけれど、聖女は使える魔法が他になにもないらしい。攻撃魔法も治癒魔法も使えないそうだ。

 それは不思議なことだ。

 というのも、この世界の人族は皆何種類かの属性魔法が使える。

 社会も魔法が使えることが前提に成り立っているようなのに、聖女の魔法しか使えない人間など……生きていくのも難しそうだ。


(役に立つ魔法など何も使えないんだな……)


 幽閉なんてされていなくても、自然淘汰されそうな生き物じゃないか。


 そうすると、筋トレやサバイバル術や健康のための豆知識くらいしか学ぶものがなく、仕方なく無駄に筋肉を付けて行く日々。ただ途方に暮れた。






 ネットの社会は進化していた。


 人々が普段の日記を書くためのコンテンツが生まれたり、匿名を売りにしていたと思っていたネット文化なのに、あえて本名を記載して自分をアピールするコンテンツが出来たり、日記ともコミュニティとも違う短文を書きっぱなしにするコンテンツが流行ったり、でも正直そんなことより、25チャンネルという掲示板が出来たときに私は確信した。転生者どっかにいるだろうと。どうりでネット用語がいちいち前世とかぶるネーミングになっていると思っていた。


 そう、転生者。私はきっとそうなのだろう。

 そうして、自分以外にもどこかにいるのだろう。もしかしたらこの魔法ネットワークも、転生者が考え出したのかもしれない。

 それでも……。そんな人たちに、自分はきっと会えることもない。ここから出ることは、今ではもう、想像することも出来ないことなのだから。 






 気力を失い、筋トレも辞め、日々ぐったりと寝込み続けるような日々を続けた。

 そんなある日のこと。


 ネットの世界に、3Dアバターが流行する。

 個人の魔力データをネット世界で疑似的に人型にし、作り出された疑似フィールドを好きなように歩き回れるのだ。


 初めは地面に木が生えているだけの簡素な疑似フィールドを歩き回り、簡単なチャットをするだけのものだったけど、疑似フィールドが徐々に作り込まれ、山があれば海もあり、音も匂いもする、本物かと見間違うほどの出来になっていった。疑似的な人型の見た目も進化する。人々の思うがままの姿を形作れるようになっていく。


 私はそこで、本物の自分にそっくりな疑似アバターを作り、聖女、と名前を付けた。

 そう。先代聖女に似ている私の姿で。

 まるで最後の希望のように。




 最新コンテンツ内のアバターを作ったその日、脳内にだけ存在する自然豊かなフィールドを、思う存分走り回った。

 この世界に目覚めてから一度も見たことがない景色と、音と匂いに、全身が震える。

 地面を転げまわるようにして、思い切り笑った。


「……生きてるって感じがする」


 気が付くと、涙が溢れて止まらなかった。

 現実じゃないのに。この体の私は走り回ったこともないのに。

 なのにネットの中で、『生まれて初めて自由に生きる肉体を感じている』。


 決して現実ではないその空間で、私はこの肉体に生を受けて初めて、世界を五感で感じ取れた気持ちになった。





 前世でもまだ有ったわけではないけれど、分かりやすく言うとフルダイブ型VRMMOと言えるようなネットの世界に、私はどっぷりと漬かりきった。


 今ではゲーム性の高いコンテンツが用意され、現実にもあるジョブ――魔法使いや剣士など様々な役割を選んで、ゲームという娯楽を共に楽しめるようになっていた。


 ネット常時接続状態の私は、かなりの廃ゲーマーとして名前が売れた。

 自分を「聖女」だと名乗る、一匹狼の白魔法使い。誰にも相手にされず、煙たがれるために、一人でいるしかなかったのだけど。


 嘘を言うことも希望を持つことも諦め、私は、ただ本当のことを語りながら過ごしていた。


 聖女ちゃん、というあだ名が広がっているのを知っていた。

 なぜなら、ネットの黎明期に流行ったハンドルネーム達は、既に古いものとして誰も使っては居なかったから。かなり目立つのだ。今時聖女を名乗るものも、言い張る人も、とても少なかった。そんな中で、長時間ログイン廃ゲーマーであるニートとしての認識が確定している私が聖女と名乗っていても、ただの痛い子にしか思われなかった。






 

 そんなある日。

 冒険者たちの情報収集の場である「酒場」で夜を過ごしていたところ、向かいの席にハンドルネーム「勇者」が座った。


(今時珍しい……)


 そんなことを考えながら、ぼんやりとその人を見つめる。そのアバターは、鍛えられた体躯と、精悍な美しい顔立ちをしていた。金色の長い髪が後ろで束ねられている。


(モテそうだな)


 どうでもいいことを思う。実際のところ、ネットの中のアバターは、実際の本人と声も姿も変えて作ることが出来るので、性別すら判断出来ない。だからモテとは関係が無さそうに思えるけれど、さすがフルダイブ型と言うべきか、ネットの中だけと割り切って恋愛をする人も多いので、ここではこういう人もモテるのだ。


(うっかり本人そのままで作ってしまった私の容姿も、痛い発言を知らない人にはモテちゃうんだよね)


 この少女の体は、とても美しい姿かたちをしていると、我ながら思うもの。


 私の視線に気づいたのだろう、斜め向かいに座る「勇者」は、青色の瞳を私の頭上に向け、不快なものを見たように眉間に皺を寄せた。


(あー。私の悪評知ってる系の人ね)


 慣れた反応に、関わらないようにしようと視線を外したとき、彼の方が声を掛けて来た。


「お前……その魔法番号、フォーラムに居たやつだろう」

「……はい?」


 懐かしい単語が出て来たな、と思う。ネットの黎明期、私が初めに聖女を名乗り、はじきだされたコンテンツだった。


「よくご存じで?」

「……」


 今時あんなこと覚えている人いるんだな、と思いながらも、すれた冒険者となっている私はヘラヘラと返事を返す。


「俺を覚えていないのか?」

「……」


 誰?勇者なんて居たっけ?と思いながらも魔法番号すら覚えがない。


「どなたです?」

「……」


 首を傾げる私に、勇者はため息をつくようにして言葉を続けた。


「何度も、場所はどこかと聞いただろう」

「ああ。煽られていたのかと……」


 あの当時、返信はろくでもないものが多かったのであまり覚えてもいない。

 へらり、と笑う私を、勇者が観察するように見つめていた。


「それで、場所はどこなんだ?」

「……どこかの塔の上ですよ。石作りの部屋の中で、窓も扉も開かず、眼下には魔族がいる町のようなものが見えます。それだけです。場所は分かりません」


 何度繰り返したのか分からない台詞を、慣れたように言う。信じてくれた人は誰もいなかった。たぶん、これからも。


「ん。なんか面白そうな話してるね~」

「ほんとー」


 勇者の後ろに、「王子」というハンドルネームのチャラそうな黒髪男と、「姫」というハンドルネームの元気そうな猫耳アバターが現れた。


 王子と姫は、勇者の隣に座り込むと、私と勇者の顔を見比べていた。


「ん~いいねいいね。この古臭いネーミングの名前の大集合!」

「今時こんなべたな名前の人集まらないにゃ~」


 黎明期に流行り過ぎたハンドルネームなど確かに今では中々見かけない。


「面白いから僕たちでパーティ組もうよ~」


 それは胡散臭そうな笑顔の王子の台詞。

 勇者は嫌そうな視線を王子に向けて、姫は名案だと言うように手を叩いて喜んでいた。


 私はというと――。


 一人で攻略することに躓いていたところなので『丁度いいから便利に使ってやろう』と思いながら、にへら、と笑顔を浮かべた。






 目覚めてからもう、3年が過ぎていた。

 この時、この後数年に及ぶ、このゲーム世界で有名な廃人パーティーが結成されることになったのだと、その時の私には知る由もなかった――





 私たちパーティは、メンバー共有の家を借りた。

 言ってみればルームシェアするような家で、玄関は一緒だけれど部屋は個別に存在し、リビングでは次の戦闘の打ち合わせをする。共有金庫にはパーティの財産である素材やお金などがしまわれる。


 家を借りることは、固定メンバーでのパーティを数回ほど組み続けたあとに、姫が言い出したことだった。おしゃべりが出来る場所が欲しいよね、と。通常より安く休憩所が使える状態になるため、反対する理由などなかった。





 次のクエストの打ち合わせをし終わった後、離席している王子を待っている間、ソファに座り込んでいる私たちは気持ちばかりの紅茶を飲んでいた。ステータスを微妙に上げる効果が付与される飲み物であったけれど、高レベルの私たちには意味の無いほどの数値しかあがらず、ほとんど趣味で飲んでいるものだった。


 そうして、目の前の席に座る勇者と姫を、ちろりと眺める。


 私たちは「基本設定」に忠実なキャラクター作りをしていた。

 「基本設定」というのは、そのハンドルネームに対して、ということだ。


 「姫」は大国の姫の容姿にとても似ていた。

 愛くるしい顔立ちや表情はネットに出回っている姫そのままの姿かたちであったし、そこに付け加えた猫耳は驚く程あざとく可愛らしかった。

 離席中の「王子」も大国の王子の容姿にそっくりだった。細目で笑顔を絶やさない社交的な性格であるとネットの辞典に書かれていたけれど、胡散臭い笑顔まで似ているように思えた。

 私に関しては、前聖女にそっくりな容姿だし。

 分からないのは「勇者」だけだ。勇者の情報というのがどこにもあがって来ない。裏のネットにも表のネットにもだ。


 私はへらりと笑って言った。


「本物の勇者って、情報出て来ないですよね。どんな人なんですかね~?」


 私の言葉に、姫が勇者を横目に見てから、噴き出すように笑った。


「あはは。きっと、本物もこんな朴念仁じゃないですかね~」


 笑い飛ばす姫は、どうやら目の前の勇者アバターの現実の世界でも知り合いのようだった。


「あ~寡黙系ですか~」


 私たちの会話に、勇者はピクリとも表情を動かさず、私を見つめる青い瞳は冷たく光っているように思えた。勇者は逞しい姿かたちと、整った顔立ちと美しい金色の髪を持つ、このゲーム世界最強の剣士だ。


 そのとき、離席中だった王子の固まっていた体が動き出した。


「あ~ごめんね。落ちないといけなくなっちゃって。また明日でいいかな~」

「私もそろそろ落ちるにゃ~」


 王子と姫の言葉に、明日のクエストの約束時間だけを決めて別れた。

 リビングに残された勇者と私の間に漂う沈黙が重い。


(常時接続状態の私は寝る時間しか落ちないけど、なんでこの人は落ちないんだ?)


 いつになく長居する勇者に、訝し気な視線を送ると、勇者はポツリと言い出した。


「勇者は生まれた村で、強すぎる肉体故に魔族と恐れられ育ったそうだ」

「へ!?」

「勇者の、設定だ」

「ああ……」


 そう言えば、そんな話をしていたような。


「人に疎まれ育ったために、人との会話が苦手だそうだ」

「え?」

「……設定だ」

「はぁ……」


 突然何を言い出してるんだ?と訝しく思いながら勇者を見つめると、勇者は気まずそうに視線を落とした。

 思えば、勇者がこれだけの長い会話をしてくれたことすら初めてなのかもしれない。彼なりに気を使ってくれていたのだろうか。


「聖女は塔の上に囚われている設定ですよ。容姿は前聖女にそっくりで、虹色に輝く魔法が使えますよ?」


 お返しのように言った私を、勇者は何を考えているのか分からない無表情のまま見つめた。


「……そうか」

「そうですよ」


 誰にも伝わらない真実は、もはや本物なのか偽物なのかも、分からない。


「金を稼ぎに行くなら手伝うが」

「うが!?」


 なんだってー!!


 パーティのメンバーが落ちた後に、私は一人でレアモンスターを狩りまくり、出て来た戦利品をさらに生産スキルで加工して日々売って金にしていた。

 まとまった金は、裏ルートでゲーム外ネット通貨に換金し、ネットの裏の情報を手に入れるための資金にしていた。


 生真面目で、不正のふの字も許してくれそうもない勇者に、もはや私の悪行がばれているのだろうかと、冷や汗だらだらになりながら見つめる。

 だけどその青い瞳には、批難の色は浮かんでいるようには思えない。安定の無表情だ。


「……どういった気まぐれで?」

「暇だからだ」


 まぁ、いっか。どうせバレているなら、最強剣士の力を借りれば日頃の数倍の速さで狩りが終わるだろうし。私は勇者を連れていくことにした。





 気軽に連れていったのに、驚いた。勇者ってここまで強かったのかと。フィールドのモンスターを種別問わず一瞬で全滅させていく。勇者が通った後には屍の山が出来ていた。比喩ではなく。


「いやいや、そこまでやらなくていいから」

「そうなのか?」


 力の加減が分からないのだろう。振り下ろした剣からの熱気が収まらず、勇者が顔をしかめている。


「あ~もう!」


 不器用な勇者が歯がゆく思い、つい手を出してしまう。

 魔法使いとしてゲームキャラクターを作った私は、勇者の剣を握る手の上に自分の両手を添えて、白魔法を展開させる。


 癒しの魔法は、傷を治すだけではなく、精神を安定させるときにも多少役に立つのだ。

 重ねた手の部分から白く輝く魔法が広がっていく。勇者が目を見開くようにしてそれを見つめていた。


「……じっとしていて」


 勇者の体からあふれ出る熱気が私の白魔法と重なり合うようにして徐々に小さくなっていく。勇者の精神が落ち着いて来ているんだろう。


「……精神が安定すれば、勇者の力も制御出来る。私の魔法が手助け出来るけれど、慣れだから、そのうち自分で出来るようになるよ」

「……」


 勇者がなぜだか凝視するように私を見下ろす。いつも無表情なやつだけれど、それにしても見つめ過ぎだ。私は怪訝な表情を隠すことなく言う。


「なんだよ?」

「いや……あまりにお前と重なりあうのが気持ちが良かったから」

「……!?」


 手を離して勇者から飛びのくと、自分の体を本能的に抱きしめながら叫んだ。


「……勇者、変態だったのか!?」

「……はっ」


 ははははははっ……と、弾けるように大きな声を出して勇者が笑い出した。


 月明かりだけの森の中で、金色の髪が体が揺れるたびに光り輝く。初めてみる、日頃無表情な彼の心からの笑顔。


「……なんで変態って呼ばれて笑うんだよ」


 そんな勇者の姿は滑稽で、思わずつられて笑ってしまう。すると勇者が笑ったまま顔を上げて、私を見つめて言った。


「やっと笑ったな」


 勇者は何を言っているのだろう。私は毎日笑顔を絶やさず過ごしていると言うのに。










 翌日、パーティメンバーでクエストを消化した。


 うちのパーティは構成バランスが良く強さ的にも最強だ。このゲーム世界最強の、剣士、踊り子、黒魔法使い、白魔法使いが揃っている。

 さっくりとクエストを終わらし、倒したモンスターを解体していた。


 このモンスターというのは獣の姿をしている。

 間違っても魔族などではなく、魔王も出て来ない。そこまで現実をゲームの中に組み入れるような生々しいことはしていなかった。

 それでも、今日倒した獣は少し人型に近い獣で、きっと誰もが魔族のことを心の中に思い描いていた。


「魔族の土地は、位置情報取得出来ないそうですね~」

「へ?」


 位置情報だと!?


 それは裏ネットのトップシークレット情報だった。個別の魔法番号から、魔法の底の管理者達は個人の位置情報を追跡できるという、嘘か本当か分からない、都市伝説に近い情報だった。


「魔族は人族のネットに接続出来ないのですけど、それは魔族の魔法の力が人族の魔法の力と反発しあってしまうからだそうです。同じように、魔族のネットがあったとしても人族は接続出来ないし、また、魔族の土地にいる人族の場所は、魔族の魔力の強さに弾かれて特定出来ないとか」


 王子の語る言葉に、驚きながら彼の表情を伺う。王子は胡散臭い笑みを返した。


「だから例えば、人族のネットワーク自体は魔力の底、この星の大地に沁み込んだ場所にありますから魔族の土地からだってネットに繋がれるんですが、大地の上の我々からはその場所は調べようがないってことですよ」


 こいつ間違いなく、魔族の土地から助けを求めている私の設定のことを言っているんだな、と睨み返しながらも、真実味のある話に納得しそうになってしまった。


「魔族の土地にいるってことは、分かるじゃないか」


 悔しくてそう言い返すも、


「それを悪用する連中もいるんですよね。魔族の土地の近くにわざわざ行ってからネットで悪さをするようなやつ」


 王子の説明に、ゲーム内で違反ギリギリの行為を繰り返し金を貯めて来た自分でも、やりそうな範囲のことだなと納得してしまう。


「きっと囚われの聖女も、もう助け出されることなんて望んでないですよ」

「……なぜだ?」


 私の言葉に、ずっと黙って私たちの会話を聞いていた勇者が口をはさんで来る。


 戦利品を拾いながら振り返ると、勇者は戦闘の後片づけの手を止めて私を見つめていた。


「……人族の中に戻っても、実の家族が誰なのかも分からない。友人も知人もいない。常識もない。もしかしたら今更怖くて人と話すことも出来ないかもしれない。そんな人間なんて、よくて魔王を倒す駒として期待されるだけじゃないです?面倒くさいですよね」

「……」

「という……設定なんですよ」


 苦虫を嚙み潰したような表情で私を見つめる、くそ真面目な勇者を見ていたら、くふふ、と笑い声が漏れてしまう。


 勇者は良い反応をするなぁ。本当にそう思う。


 その反応はとても好ましいものに思えていた。

 王子や姫は何を言ってもふわっと受け流すし、普通の人は拒絶や嫌悪を返してくるというのに、勇者の心にはまるで私の言葉が届いているかのように、打てば響いてくれるから。


 つい、からかってしまいたくなる。


「じゃあ勇者、今日も朝までふたりで過ごしましょうか?」

「……ふざけた言い方をするな!」


 少し顔を赤くして、姫と王子に言い訳をするように叫ぶ勇者はまるで最強の剣士には見えず、純朴な少年のように見えてくるのだ。





 もう長い間、夜を勇者と過ごした。


 この言葉だけだと卑猥な感じが漂うけれど、実際に甘いことは何一つなく、パーティを解散した後の時間を私の金策に付き合ってくれているだけだった。と言っても素材に関しては平等に分配しているので勇者の方もそれなりに稼げているはずだけど。


 慣れたようにモンスターを狩り、解体し、戦利品を回収する私たちは、次第にポツポツと会話をするようになっていた。


「勇者は今、王城で、旅に出るための訓練中だ」


 それはお互いの設定の話だったのだけど、毎日話していると、設定の中の人物が本当に生きているように思えてくるから不思議だ。物語の中に確かに生きているような感じ、と言うのかな。


「訓練?」

「そうだ。国に保護された勇者は、魔王を討伐するための軍隊と共に、魔族領に攻め入る好機を狙っている」

「ふ~ん。魔王は聖女が倒すんじゃないのか?」

「聖女は現れないこともある。そんな時は魔族と戦うのは勇者の役割だ」

「へーー?」

「ああ、人の中で、もっとも魔力の強い者としての役割なのだという」

「おお!勇者ってそういう人なんだ」

「担がれているだけなのだろうが」

「そっか、大変だね……」

「……これだけ長い間聖女が現れないと、さすがに、魔王が囲っているのではないかと国も考え出している」

「……へぇ?」


 誰も信じなかったけど、今になってそういうこともあるんだろうか?それにしてもいちいち真実味があるんだよね。勇者の言うことって。


「というのも今の魔族は、今までになく人族に攻撃的なんだ。争いが絶えず、人々は脅かされている。先代の聖女を殺したのも魔王ではないかと疑われている。魔王と聖女を筆頭にけん制し合い、平和を維持し続けて来た歴史を、自ら壊そうとしているかのようだ。今の魔族なら聖女を攫っていたとしても不思議ではないのだろう」

「ふうん」


 魔族の土地にいたとしても魔族も魔王も会ったこともないし、ネットにも情報が載っていないからなにも分からない。当事者のはずなのに、勇者の話はピンと来なかった。


 そんな私の様子をじっと見つめていた勇者は、少し考えるようにしてから「聖女は今はどうしているんだ?」と言った。


「聖女は、食べて寝てネットしているだけですねぇ。生まれてこの方、ほぼ部屋の中にいて誰にも会ったこともありませんから」

「どうして言葉が分かるんだ?」

「あ~」


 どうしてと言われるとどこから説明したらいいのか悩むなぁ。


「前世の記憶があるんですよ。この世界ではない別の世界に生きていたって言う。その世界にもこのネットと似たような仕組みがあったので、ある日そっくりな仕組みのこのネットに接続出来てからは、ネットで言語や常識や風習を学んだそうですよ。もう四年位前ですかね」

「俺が初めて見かけたころか」

「そうですね」


 一番はじめのネット社会は文字データの宝庫だった。あの頃の勇者のことを私は覚えてはいないけれど。


「……あんなに昔から、か」

「何言ってるんですか、生まれてからずっとの設定ですよ?」


 夜が明けてくる気配を感じながら、私は空を見上げて言った。

 ゲームの世界の空にも朝日が昇って来る。虚構の世界の中にも、脳内では本物と変わらないように思える眩しい空が広がっていくのだ。


「じゃあ、今日もお疲れ様でした!」


 大金となる戦利品を手に、にひひ、と笑いながら言う私に、


「お疲れ……」


 嫌そうな視線を私を向けた後に、疲れたように呟く勇者が居た。





 ある日のクエストのパーティ中、ぼんやりとしていたら、モンスターに襲われてしまった。


「ふぁ……っ」


 単純に回りに意識が向いていなかった為反応が遅れてしまった。

 大型の毛むくじゃらなモンスターの爪が私を串刺しにしようとしていた。


「聖女……!」


 勇者の声と同時に、獣の血が辺りに舞う。勇者の大剣がモンスターを真っ二つに切り裂いていた。

 大剣を振り下ろした勇者の青色の瞳が、まっすぐに私に向けられていた。


「聖女さん、今日口数少ないですよねぇ」


 姫が首を傾げるようにして言った。


「もしかして体調悪いのではないですか?」

「う……」


 思わず言葉に詰まる私の様子に目ざとく気付いた勇者は、私の二の腕を掴んで言った。


「先に帰る。片づけは任せた」

「ほーい」

「了解にゃ」


 ニコニコと笑顔で手を振る王子と姫に見送られる中「ちょ……待っ」と言う私の言葉を聞くこともせず、勇者は帰還魔法を唱え始める。唱え終わったらお家まで一直線だ。


 というか、もう、家に着いた。

 家の玄関を開け中にはいると、勝手に私の部屋の扉を開け、ベッドの上に私を放り投げた。


(おいおい。馬鹿真面目な勇者じゃなかったら襲われるんじゃないかと思うぞ)


 批難がましい視線を勇者に向けと、冷たい目をした勇者が見下すように見ていた。


「寝ろ」

「やだ」

「……」


 私はベッドの上から起き上がると、パンパンっと音を立てて服の皺を伸ばす。


「狩りに行く」

「……」


 勇者は私の手を握ると、もう一度ベッドの前に連れて行き、ベッドの上に座らせた。そして自分もその隣に座った。


「どう具合が悪いんだ」


 有無を言わせぬ言葉の圧と、射るような視線。ゲーム世界最強剣士の迫力をあびせられた私は震えるようにして、答えた。


「熱があるようです……?」

「高熱か?」

「たぶん?」

「……」


 勇者は布団をまくり上げると私をその中に放り込み、身体を隠すように布団をかぶせて、大きな両手で私の身動きを止めた。


「寝てろ」

「……」


(勇者じゃなかったら襲われてると思うのだってばさっ)


 諦めたように身動きを止めた私を確認すると、勇者は体を離し、じっと私を見下ろした。


「病気になったときに、聖女はどうしているんだ?」


 ああ、設定の話ね。


「寝てるだけですね。たぶん死んでもいいと思われているのでしょう。薬も看病も医者もありません」

「……もうログアウトして寝ろ」

「やだ。ねぇ勇者いつもの狩りに行こうよ」

「金が必要なら俺が一人で行っておいてやる」

「違うよ」

「なにがだ」

「一人は嫌だよ」

「……」

「勇者は知らないんだよ。無音の部屋の中で熱に浮かされて、今死ぬのか、死んでも誰にも気付かれないのかって思うんだよ。生きてるのか死んでるのかもう分からない状態なのに、それでも死ぬのが怖いって思うんだよ」


 勇者の腕を強く握りしめながら心からの寂しさを吐き出すように言う。


「今日だけでいいから、一緒に狩りに行こうよ……!」

「……」


 ああ、まるで、誰かの腕に縋りついて懇願しているようだと、自分の手を見つめて思う。そう思うと自嘲するような笑みが自然と浮かんでくる。


「……変な顔で笑うな」

「へ、変!?」

「狩りにはいかないが、寝るまでいよう」

「なんで?」

「一人が寂しいと泣く女を置いていけない」

「泣く……?」


 気が付くと、本物の体と連動するようにアバターの目から涙が零れ落ちていた。ああ、私は泣けたんだ。この体に生まれ直してから、初めてアバターだけじゃなく、生身の体でも涙を流していた。


「そうか勇者は女の涙に弱いのか。君がくそ真面目で良かった。これからも涙を有効活用させてもらおう」

「……」


 軽蔑するような眼差しが上から降って来ていたけれど、気にしない。それに知っている。この頭の固い男は、これしきの戯言では私を放り出したりしないって。

 案の定、ベッドの端に座り込む勇者は、大人しくベッドに沈み込んだ私の頭を撫ではじめた。

 目を瞑り撫でられる感触だけを感じる。


「これは気持ちいいな」

「そうか」

「されたことがないな」

「そうか……」


 涙にたぶらかされた哀れな男は、病気の女に優しくしたい気持ちになっているらしい。

 今なら何を言っても聞いてもらえそうな気持になっていた。


「……勇者は王宮にいるのか?」

「ああ」

「姫は綺麗か?」

「そう言われているな」

「恋人はいるのか?」

「居ないな」

「そうか、つまらん……」

「なにがだ」

「勇者と言えば、女などとっかえひっかえだろうに。なんのもめごともないのか」

「俺のようなつまらない男と一緒にいて楽しそうにするのはお前だけだな」


 楽しそうになんてしてたか?いや、かなりからかって反応を楽しんでいたかも?


「じゃあもっとからかってやろう」

「……そんな話をしてないが」

「勇者は、いつかお前の良さの分かる恋人が出来るから心配するな」

「……してないが」

「お前は良い奴だ。今思えば、最初から私の話を否定せずに耳を傾けてくれたのは、勇者だけだったんだな。今でも、私の設定ごっこに付き合ってくれている。安易に人を肯定も否定もしない、お前の生真面目な性格が、私は好きだ」

「……」

「すぐに、いい女がお前の前に現れるよ……」


 黙ってしまった勇者が気になり薄目を開けると、気難し気な表情をした勇者が私を見下ろしていた。

 その眉根の皺さえなければ、誰よりも綺麗な顔をしているのに、と軽く笑ってしまった。


 そうして、撫でられる頭の暖かさに安心したような気持になった私はそのまま眠りに着いてしまった――





 それからも日々は変わらず過ぎて行った。


 毎日のようにパーティメンバーでクエストやミッションを消化していく。

 勇者は文句も言わずに金策に付き合ってくれ、他愛もない話に付き合ってくれた。

 毎晩私のようなおかしな女と過ごす勇者は現実では本当にモテないやつなんだろうなと、少し同情する気持ちになり、女目線からのモテ講座を指南しようとしたが本気で嫌がられてしまった。なぜだ。


 ネットゲームをはじめてからもう3年が過ぎていた。


 現実の私の姿は、最初は10歳ほどの少女の姿だったけれど、今では胸が膨らみ顔立ちはだいぶ大人びて来ていた。初めてネットに接続したときからは6年ほど経っていた。


 私は、そのうちここで病気にでもなり死んでいくんだろう。それまでを楽しくゲームでもして過ごすのだろう。今ではそう思っていた。もうそれでいいと思った。





 そんなある日王子が言った。


「僕たちしばらくログイン出来なくなるんだよ~」


 しばらくの別れを告げられたのは、その日、クエストを終えてパーティの共有リビングでくつろいでいた時。


 王子は、現実の生活が忙しくなりゲームが出来なくなる旨を説明してくれた。


「うーん。早くて一か月くらい?長かったら数か月?ネットに繋げられない状況になるんだけど、早く戻ってくるつもりだから~」

「聖女さん、待っていてくださいね!」

「体に気を付けて過ごせ」


 三人の言葉に、私は咄嗟に返事が返せなかった。


 この状況には覚えがある。


 今までだって、全く知人が出来なかったわけじゃない。それなりの会話をする親しい人が出来たこともあった。

 最初のフォーラムや他の様々なチャットの場所でだって、そこで会話をしてくれる人がいなかったら、私はもうとっくに狂っていたのだろうと思う。

 本物の人との触れ合いではなかったけれど、それでも、人の声に触れ、想いに寄り添えることは、ほんの少しの救いになっていた。


 だけれど、数年を共に過ごすと、誰もが何かのきっかけで縁が切れて行く。


 就職・結婚・引っ越し、理由は様々だったけど、現実の環境の変化で消えていく人が多い。

 初めは少しログインできない、そう言うだけなのだけど、一度離れてしまえば、心が離れてしまうのはあっという間なのだ。

 数か月もしなかったゲームのことなど、もう思い出すこともないんだろう。

 そうしてゲームの中でしか縁がなかった人物とはもう、この広いネットの中で再び会うこともないんだろう。


 3年の期間、ほぼ毎日を共に過ごしたこの人たちも、きっとここで終わりなのだ。


「あ……気をつけて」


 やっと言葉を紡ぎ出した私は、にへり、と笑顔を張り付けた。

 とたんに勇者が不快そうに顔を顰めた。


(なぜ、最後のときまでそんな顔をするんだ)


 ああ、最後くらいは、時折見せてくれた、心から楽しそうな笑顔が見たかったのに。


 姫が走り寄って来て、両手で私の手を握った。


「お土産話いっぱい持って来ますにゃ!」

「聖女さんもゲームしすぎないで元気にしててね~」

「……まただ」


 三人は笑顔で手を振って、徐々に姿を消すようにしてログアウトして行った。


 シュン、と音がするように消えていく様子を見送った私は、無音の部屋の中で、一人になったことを実感していた。


 さっきまで暖かだったその場所は、今では現実の自分の部屋と何も変わらないものに思えていた。


 あの人たちは設定ごっこに三年も付き合ってくれた。

 こんなに楽しく過ごせた日々は、きっと、もう人生で二度と訪れない。

 感謝しているのに、それでも今は胸が張り裂けそうに苦しい。


「ふ、ふぇ……っ」


 気が付くと止まらない涙が溢れかえり、号泣していた。


(嫌だ、嫌だ、一人は寂しい。出来るならあの人たちと一緒に行きたかった)


 会ったこともない、現実のことなど何もしらない人間に夢を見るような、私は狂った人間だ。


 ああ、夢だ。夢の中の私は、年相応の普通の人間なんだ。

 今はどこかの村か都市に住むただの学生で。

 毎日学校から帰って来てネトゲを楽しんでいたのだ。

 そこで知り合った気の合う仲間と毎日一緒に遊び、そうして誰かが言い出す「そろそろ現実でも遊ぼうよ」出会ってみると、アバターとは全然違う姿の子供たちで、みんなで笑いあうのだ。


 そんなありもしない幸福を頭の中で考えるだけでも、寂しさを紛らわせることが出来てしまうくらい。

 私は彼らのことがとても好きだった。


「うええええええ……」


 誰も居ない部屋の中で奇声のような鳴き声をあげても、もう、誰にも届かない。


「なんだその声は……」


 ――――はずだった。


 顔を上げると、勇者が部屋の中に立っている。


 背の高い引き締まった体の上の整った顔立ちには、今困惑の表情が浮かんでいた。

 勇者はソファに座る私の前に跪くようにしゃがみこんだ。


「変な顔をしていたから戻ってみれば……なんで泣いているんだ?」

「うええ?」


 しゃくりあげる私と会話にならないことを感じたのか、ため息をついた勇者は私の隣に座り込むと、私の頭を抱え込むように抱きしめた。


「ううぇ?」

「泣くな」


 勇者は私が頭を撫でられることを好きなことを知っている。ゆっくりゆっくり大事なものに触れるように撫でてくれた。


「うええ勇者ぁぁぁ」

「なんだ……」


 声にならない声で泣き叫ぶ私をいつまでも呆れることなく抱きしめ頭を撫でる勇者。


「もう二度と会えないと思ったよぉぉぉ」

「……そんなことは言ってない」

「言わなくてもそうなんだよ。生活が忙しくなると皆居なくなっていくんだよ」

「居なくならない」

「勇者だって恋人が出来たら、脳内お花畑になって、もう私のことなんて思い出さないんだよぉぉ」

「居なくならないと言ってるだろう」

「嘘でもそう言ってくれる勇者のぶっきらぼうな声がずっと好きだったんだよ……」


 私の言葉に勇者は体を離すと、深いため息をついた。


「……お前は……」


 諦めたように視線を伏せ、少し考えるようにしてから「ちょっと待っていろ」と移動魔法で姿を消した。


 ログアウトした様子もないので、きょとんとしたままその場で待っていると、しばらくして勇者が手に何かを抱えて戻って来た。

 そうしてソファの隣に座り込むと、有無を言わさず私の手を持ち上げ、その指に箱から出した指輪をはめようとしてきた。私は慌てて手を引っ込めて叫ぶ。


「いやいやいや、何してんの勇者!?」

「恋人になればいいんだろう」

「ちょっとまって、それゲームマスターから直に買うしかない、ゲーム婚アイテムよね?」

「そうだ。これにお前と稼いだ金をほぼ費やした。ああ、恋人ではなく結婚だったか」

「そうだけど……そうじゃなくて!?」


 このゲームの世界には結婚が出来ると言う概念が存在していた。


 と言っても、現実の結婚とはまた違う。例えば現実で結婚している男性が、ゲームの中では女性アバターを作り、ゲームの中だけの関係の男性アバターと結婚することも可能だった。

 だから、強制力はほとんどない、お遊びのような結婚なのだけど。


「なんで急にゲーム婚することになってるんだよ!」

「好きだからだ」

「なにを」

「お前が好きだからだ」

「……」

「側にいると約束をしたいからだ。居なくならないと何度言ってもお前が信じないからだ」


 青い瞳がまっすぐに私を見つめている。

 大人しくなった私を見ると、勇者はもう一度手を握り、私の指にするりと指輪をはめた。


「……いやなら、はずしてくれ」

「嫌じゃない……」


 見つめ合ったまま、何を言ったらいいのか分からず、混乱と動悸が私を襲っていた。


「どこが、好きなの?」

「言っていることも、考えていることも、反応も全部だ」

「ゲームの中のこのキャラが好きなの?」

「それは分からないが、俺の心が、ゲームからログアウトしていても、ずっとお前のことを考えている。人を好きになったこと自体が初めてだ」

「そっか……一緒だね」


 話していない時でも、ログアウトしているときでも、勇者の生真面目な顔を思い出すだけで私は幸せな気持ちになれていた。

 きっと、一生現実で会うこともないのだろうけれど。


 それでも私の心は確かに誰かを好きになることが出来た。

 そうして、かりそめの私を好きだと言ってくれる人に出会えた。


「待っていてくれ。必ず戻る」

「……待ってる」


 それはもしかしたら、残酷なことなのかもしれない。

 ゲームの中だけの恋人を持ち続けることの意味をふと思う。

 

 私は勇者とずっと一緒に居たいと思う気持ちと、彼の為にもう二度と戻って来なければいいという願いを、心の中で同時に持った。


「好きだよ、勇者」


 最初で最後になるかもしれない言葉を紡いだ私に、返事のように、勇者の口づけが落とされた。











 何か月経っても、勇者も王子も姫も、戻っては来なかった。



 たとえば、私は彼らが病気になってしまっても、死んでしまっても、そのことが分かることもない。

 嘘を吐いても本当のことを言っていても何も変わらない、虚構の世界で彼らに出会ったというのはそういうことなんだ。

 幻の彼らに信愛を抱き、幸福な時間を過ごさせてもらった。


 ああ、忙しくなってゲームの中のことを思い出せないだけならいいな、と思った。

 もう二度と会えなくても、最後まで私のことを気にかけてくれた勇者が私は本当に好きだったし、救われたのだ。元気で、幸せでいてくれたらいいと願う。





 長いネット生活で分かったことは。


 そもそもこの場所から助けを求めても、私の居場所は特定出来ないのだ。

 ネットで得た少ない情報からでも、魔族の膨大な領地から私の居場所をなんのヒントもなく特定することなど不可能なことに思えた。人族は、魔族のことも魔族領のこともほとんど知識を持っていないのだ。


 私は無駄な足掻きを何年もして、むやみに傷ついて諦める日々を送っていたのだ。


 それに、聖女だからって助けてもらえるなんて思うのもおかしな話だ。

 何も出来ない、何もしてきていないただの子供など、わざわざ人族が危険を冒してまで助けにくるには値しないだろう。次の聖女を待つ方がよほど現実的だ。


(私が死んだら、次の聖女が閉じ込められるんだろうなぁ……)


 せめてそれだけでも食い止められればいいと思うのだけど。

 自分が生きていることで、次の誰かが閉じ込められるまでの時間稼ぎになっているのなら、それだけでも良かったと思えた。

 けれどそれ以上のことは、自分に出来ることなどなにも思い浮かばなかった。


(なんのために転生してきたんだろう)


 なんのために生まれて来たんだろう、そんな問いと同義のことを考える。

 本当に食べて寝てネットをするだけの人生、だったと思う。


 誰かの心にすら、深く残らなかっただろう。


(ああ、それでもせめて)


 あの愛しい人の心に少しでも残ればいいのに、そう思うだけで涙が出た。


(叶うならば、一度くらい誰かの役に立って死にたかった)


 







 気力を失った私は、よく咳込むようになり寝込みがちになった。


 冬がやって来ていた。窓の外には雪景色が広がっていた。

 吐き出す息が白い。毛布をかぶり暖を取っている私は、もう、ネットにも接続していなかった。


 ネット以外の娯楽でもあればいいと思うのだけど、道具もなにもない部屋では出来ることもない。







 体調が悪く寝込んでいる時に、騒がしい音が響いて来た。

 叫ぶような、物がぶつかるような、尋常ではない物音。


(どこから?)


 窓の外を見下ろすと、眼下の風景が様変わりしていた。


(火事――?)


 煙が町のあちこちから上がっていた。倒れているような魔族の姿が見える。鎧を着ているような影まである。


(いや違う、戦――?)


 それに、この騒音。眼下の町から聞こえているようには思えなかった。

 もっと近くの、扉の外……階段からの音ではないだろうかと思った。


 魔族の争いが起こり、この町が敵に襲われている――?


 魔族に見つかった人族などひとおもいに殺されるだけではないだろうか。


(なんだ、病気にならなくても、殺される運命が待ってたのか)


 もう悲しみも恐怖もない。楽に殺してもらえればいいと願う。


 咳がひどく、ベッドの上で横になったまま、扉が開かれるのを待った。

 熱もあるのかもしれない。意識が朦朧としていて、緊迫感ある状況のはずなのに眠ってしまいそうだ。


 扉が強く叩かれる音で、ビクリと体を震わせて意識を戻す。

 ガタガタと扉が揺れている。きっと外から開けようとしていても動かないのだろう。

 しばらくすると、爆発するように扉が砕け散った。


 さすがにぎょっとしていると、鎧の騎士とローブを着た魔法使い風のいでたちの人たちが部屋の中へと入って来た。


(――?)


 耳もしっぽも体毛もなさそうなその人たちを見つめて、魔族ではないことを悟る。


(人族?)


 こんなところに人族がやってくることがあるのだろうか。


 熱に浮かされるような頭で、夢でも見ているのかもしれないと思いながら見つめる私の前に、一人の鎧の騎士が駆け寄ると、兜を脱ぎ、まっすぐに私を見つめた。


 青い瞳が私を見下ろしていた。金色の長い髪が後ろで束ねられていた。

 整った顔立ちは、かつてよく知っていた人に瓜二つだった。


(――勇者)


 ああ、彼は本物の勇者にそっくりなアバターを作っていたのか。設定にどこまでも忠実に再現していたんだな、そんなことに気付いた私は、思わず笑みを漏らしてしまう。

 もう会うこともなくとも。今になってそんなことを知ることが出来るなんて。


「変な顔で笑うな……」


 本物の勇者は不快そうに眉根を寄せて、言った。

 彼は私の前にひざまずき、私の額に手を当て熱の高さを感じとった。そうして何度も優しく頭を撫でた。まるで、私の勇者とそっくり同じように。

 そうして毛布で私をくるむと、その両腕で私を抱えて持ち上げた。


「待たせた。こんなに時間が掛かると思わなかった」


 持ち上げられている私のすぐ目の前に、勇者の顔があった。

 彼の眉間の皺は、ゲームの中と同じように刻まれていて、なんだかおかしくなってしまった。


「……そっくりな容姿だな。聖女と」


 返事をしようとしたのだけれど、声が出なかった。

 そうか、とやっと気が付いた。私はこの体で実際に誰かと話したことなど一度もなかったのだ。

 ぱくぱくと口を動かしながらも声が出ない私に、勇者も察したのか痛ましいものを見るような表情をした。


「俺が分かるか。長い時間を共に過ごし、指輪の約束を果たした俺を覚えているか」


 頭を撫でられたときに、もしかしてと思った疑問は、彼の言葉で確信に変わった。笑顔で答えた私の返事に、彼は思わずと言ったように、私の頭に彼の頬を寄せた。










 そうしてはじめて、私は魔族の塔を出た。けれどすぐに高熱で意識を失い、次に目を覚ました時には病室の中だった。

 そのまま数か月ほど、助け出された国の王都の病院で過ごすことになった。

 完全看護の個室の部屋の中で、私は徐々に体調を戻して行く。

 





 一月ほどして熱も咳も収まって来たころ、見舞いにやって来たのは、なんと「王子」と「姫」だった。


「聖女さん!お久しぶりです!お会いしたかったですよ~~~!」


 そう元気な声で、まるで姫の口調みたいに言うのは、細い目に可愛らしい笑顔を浮かべる、王子の容姿をもった男の人だった。


「や~。聖女さんまたせてごめんね~もっと早く助け出せるはずだったのに大寒波がやってきちゃってさ~」


 そう胡散臭い笑みを浮かべながらも、王子のような口調で言うのは、姫の外見を持つ女の子だった。


 ぱちくりと二人を見まわす私の視線を受けて、いたずらをした子供のような笑顔で二人は笑った。


「ネットの中では外見と名前を入れ替えてるんだよ~」

「その方が楽しいじゃないですか!」


 王子は、この国の第一王子サイール様、姫はこの国の第三王女ファーラ様だと名乗ってくれた。


「ん~ずっと説明出来なかったけれど、ずいぶんと前から聖女さんのことを気にしていた人たちの声は少しずつ上がってきてたんですよ。勇者もその一人ですが、それであのゲームの中に探しに来てて」

「少し様子を見るので私たちも一緒に過ごしていたら普通に楽しくなって遊んじゃいました!」

「ずっと隠しててごめんね~」

「本当に申し訳ないです」


 私は首を振って答えた。世界のどこかに自分のことを気に掛けてくれていた人々がいたのだ。ずっと言い続けていたことは無駄ではなかった。騙していたようだと彼らは気にしていたけれど、そんな風にすら私に関わってくれたことに感謝をしてしまう。


「私たちは一緒に討伐軍として出ることになってたんだけど、出発までの準備に時間が掛かって勇者もぶち切れる寸前になっていたんだよ~。結局勇者の意向で、魔族領に入る直前までログインしてたんだ~」


 完全に王子の口調で説明をしてくれる、可愛らしい姫は、それでもゲームの中で親しんだ人と同じ人に思えた。


「魔族領に入ってから人の魔力を使うと、人がいることを感知されてしまいますから、そう簡単にネットに接続するわけにもいなかったんですよ」


 姫の口調で語ってくれる、柔和な笑顔の王子も、私が知っている人ときっと同じ人だと思う。


「そうは言っても勇者は一度人間領に戻ってネットの世界に聖女さん探しに行ってたんだよ~見つからなかったって言ってたけど」


 姫の言葉に、私は勇者のことを思う。

 もう長い間ネットに接続していなかった。その間に勇者はネットの中で私を探してくれていたんだろうか。


「元気になったらまた遊びましょう」

「友達だからね~!」


 本物の王子と姫だと言う二人は、ゲームの中と変わらぬ明るい笑顔で、手を振って病室を後にした。

 その姿は、あの日、ゲームの中で、最後に見かけた姿とまるで変わらないように思えた。








 勇者は、私が意識を戻す前から、毎日病室に来ていたらしい。

 彼は毎晩ひっそりとやって来ていた。

 最近は少しやつれた顔をしていて目の下に隈も出来ている。


 勇者――本名を、グレイクという青年だと、私は初めて知った。


「……忙しいの?」


 私は小さな声を、少しずつ発することが出来るようになっていた。


 私の言葉に「ああ」と答えたグレイクは、現実でも、言葉足らずでぶっきらぼうな男のようだった。

 二人きりの病室に、何度も長い沈黙が訪れた。


「……これからの生活の準備をしている」

「生活?」

「一緒に暮らす準備だ」


 私は思わず吹き出していた。


「え?なんで?」

「え?」


 目を見開き、本当に意味が分からない、と言った顔をしたグレイクが私を見つめていた。


「結婚の約束をしただろう」

「ゲームでしょ。ゲーム婚でしょう。現実じゃないでしょう」


 私の言葉にグレイクは言葉の意味を考えるようにしてから、私の瞳を覗き見た。


「ゲームと現実は違うのか?」


 そこからか……と私は何と言っていいのか分からず、困惑してしまう。


 私の視線の先にいる彼の瞳もまた、困ったような色を浮かべていた。


 人に疎まれ育った「勇者」という宿命を生まれ持つグレイクは、初めて好きになったという私を、生真面目な性格ゆえに真っすぐに思ってくれて、魔族の塔から救い出してくれた。


 彼的には、ついでに魔族も制圧して戻って来た、と言う。


 なんと、魔王はとっくに亡くなっていたのだそうだ。

 前聖女を殺した時に浴びた聖女の魔力の影響で、聖女の後を追うように亡くなっていたのだろうと。

 そうして長い間魔王は不在のままだった。


 魔族たちは、前魔王の意思を継ぐように聖女を閉じ込め続けていただけなのだ。

 命令する魔王がいない状況下で、聖女の様子が変わろうが、死にかけようが、いつか魔王が戻る日まで、何も手出しするつもりもなく、ただ生前の魔王の言いつけ通りに、聖女に食事を送り身の回りを清潔にさせる魔法だけを続け、閉じ込めていたのだと言う。


 そうして人族も知ることになった。

 魔王が生まれるとき、対のように、聖女も生まれるのだと言うことを。


 そして人に攻撃を仕掛けていた魔族の一派を制圧し、また戦力の多くを失った魔族と人族の間には、一時的な平和の条約が結ばれた。

  

 彼はこの国の、人族の、これ以上ない本物の勇者だった。

 その彼が、これ以上私というお荷物を抱え込みながら生きる必要などどこにもないのだ。

 魔王以外には何の効果もない魔力しかもたず、勇者に守られなければきっともう生きていなかっただろう、ひ弱な生き物である私が、彼の役に立てるとも思えなかった。


「ゲームじゃなくて、ちゃんと現実で好きになった人に、結婚を申し込むんだよ」


 視線を落としてそう言った私をグレイクはしばらく見つめていた。そうして手にしていた鞄の中を探った後に、小さな箱を出した。

 嫌な予感がした。まるで指輪の入っている大きさの箱だった。


 ベッドの脇にひざを折ったグレイクは、箱を開けると――案の定指輪が入っていたのだけど――言った。


「結婚してほしい」


(っていうかこの指輪、ゲーム婚の時の指輪にそっくりなんだけど!)


 小さな宝石も、細さも、小さな模様も、まるで作ったようにそのままだった。

 思わず笑いだしてしまった私の頭を、グレイクが優しく撫でる。

 私はグレイクの瞳を見つめて言った。


「……結婚出来ない、かな」

「……え?」


 もう少し一緒に過ごしてからもう一度言って欲しい……そう続けて言おうと思っていた私は、その瞬間、辺りが暗黒色の魔力で満ちるのを感じていた。


 視界が闇で染まる。

 この暗黒色の魔力の発生源は、目の前の、この黄金色の髪の男の足元からだった。


 なぜ勇者である彼からこんなにも禍々しい力が湧き出るのか――


 本能的に聖女の力を体から溢れさせた私は、虹色の輝きを辺りに煌めかせ、暗黒色の力を蹴散らして行く。その様子を見ながら私は理解していた。聖女の力が効く魔力は世界でたった一つだと。


 魔王の、魔族の、魔力に対してだけ、だと。


「俺は今何を――?」


 呆然と呟くグレイクを前に、人族で最大の魔力を持つと言う勇者と――魔王と言う存在は表裏一体のものだったのかと、漠然と理解してしまう。


 思わずと言ったように、にへらっと笑った。


 グレイクが嫌な表情をして私を見つめた。


「結婚しましょう」

「……!?」


 グレイクの手に両手を合わせて、私の魔力を彼の中に少し送り込む。するとそれに気付いた彼は、呟くように言った。


「やはり、お前の魔力は気持ちがいいな……」


(そっか、聖女の魔力が気持ちいいと思えるうちは、きっと彼は真の意味で魔王にはならないだろうな)


 そんなことを考えながら、あの日ゲームの中で彼が思ったことは、変態でもなんでもなく、本能的な真実だったんだろうなって、やっと気がついた。


(いつか、誰かの役に立って死にたいと思ったことがあったけれど)


 人族の魔力も、魔族の魔力も併せ持つ。

 奇跡のように膨大な力をその身に抱えるこの人の。


 生きる事の手助けが。


 ほとんどの人には役にも立たない……

 非力な力しか持たない私にも、出来るのかもしれない。

 


 叶うならばこの人の為に生きたいと、心から思っていた。









 結婚式は慎ましく、なのに王族もやって来る騒ぎがあったりもしたけれど、無事に終わり、グレイクが買ったという小さな家は、あの時ゲームの中で借りていた家にそっくりだった。

 たぶん、世界を知らない私の為に、安心できる場所を用意しようとしてくれたグレイクの配慮だったのだと思う。





 見つかった聖女の身元は、すぐには判明しなかった。

 もう少し健康を取り戻してから、旅をして家族を探そうとグレイクが言ってくれた。


 会ったこともない家族を正直想像することも出来なかったし、新しく家族になったグレイクのその気遣いだけでもとても嬉しかった。


 グレイクに名前を付けて欲しいと言ったら、とても驚いていた。


 けれども、名前もなく身よりもない私を思い、真面目な顔で長い時間を掛けて考えてくれた。

 彼の生真面目さを好ましく思いながらも、それでも心の中では、今更新しい名前より、聖女ちゃんと呼ばれた方が振り向いてしまいそうだとも思っていた。意識を取りもどしてから、聖女以外の名前で呼ばれたことなどなかった。


「故郷に咲く、白い花がある。明け方に咲く小さな花だ。朝日を浴びて白銀色に輝く……まるで君のように。フィンフィラという花だ。その花にちなんで女の子に付けられる名はフィーラだ」


 身元が分かるまでは、フィーラという名前で呼ばれることになった。

 けれども私は、彼の付けたその名前でずっと呼ばれたいと思っていた。





 落ち着いてから懐かしいゲームの世界にみんなでログインしたけれど、すっかり人が減りさびれてしまっていた。仕方なく、新しいゲームでまた遊びましょうと別れた。

 もう寂しくはならなかった。これっきりにならない人々と私は知り合えていたのだから。




 ネットの中には、今は私の知らない新たな交流コンテンツも増えていた。

 移り変わりが激しく眩暈がするように感じるのは、なにもネットの世界だけではなかった。

 そこにいる人も、私への評判も、知らない間に変わっていた。


 ネットの痛い子聖女ちゃん、が本物であったことが既に知れ渡っていた。


 偽物の情報の中に、本物が交じり込んでいたこと。

 そのことは思いの外、人々の心に衝撃を残していた。

 対応していた部門では責任を問いただされていた。

 ネット上には、本物であると思っていた声や、批難をしたことへの謝罪など、様々な声が溢れていた。

 今だからどうとでも言える議論は、まるで手のひらを返したようだったけれど、本人のコメントが出ないことで次第に収束に向かっているようだった。


 かつて知り合いだった人からも、多くの連絡が届いていた。

 驚きの声や、心配する声、近況報告、子供の写真を送ってくれた人もいた。

 加えられた、何も出来なくてごめん、という一文に、古い付き合いがあった人に対する純粋な気遣いと、親しみのようなものを感じた。





 世の中の何もかもが実際に目にするのははじめてで、子供のようにはしゃぐ私の隣で、グレイクは嫌がるようすも呆れるようすもなく楽しそうに笑っていた。


 そうグレイクはだんだんと、良く笑うようになっていた。




 だけれど、幸せに過ごせば過ごすほど、これでいいのかと思い悩むことがあった。


 今のかりそめの平和は、聖女と魔王が亡くなったときに終わるのだろう。

 次の二人が生まれたときに、また新たな争いが生まれるのだろう。

 平和を望む二人が生まれるとは限らない。自分のような存在がまた生まれるかもしれない。


 いつか未来に生まれる二人が、聖女と魔王が対で生まれる運命すら変えられればいいのにと、そう願わずにはいられなかった。








⭐︎⭐︎⭐︎


 世界を作り出した大きな力は、それ故に、二つに別れた。それらは再び一つになることを求めていた。


 長い時を経て、それは魔王と呼ばれる者の使う強大な力と、聖女と呼ばれる者の使う清らかな力に凝縮された。


 世界で一番強い魔力を持つ魔王と、世界で一番弱い魔力を持つ聖女の、その魔力の質は、重なり合うときに空気に溶けるように消えていくものとして生まれ出でていた。


 けれど憎しみあい、それは叶わなかった。


 それは本来難しいことではなかった。

 慈しむこと。理解を諦めないこと。手を差しのべること。小さな幸せを願うこと。

 ただそれだけのこと。


 長い時を経て、かつての誰かの願いや涙や苦しみの末に、小さな家の中の若い夫婦によって、やっと重なり合う時が来た。


 魔王と聖女の対の存在は、混ざり合い、浄化された。


 そうして未来は、ただの、人族と魔族に託されることになる――――



⭐︎⭐︎⭐︎


 ここはどこなのだろうと、目を覚ました「私」は、ふと思う。


 ――目を覚ました、なんて表現は似つかわしくないのかもしれない。


 長い眠りから目覚めたよう。


「フィーラ?」


 横に眠る夫が気遣うように言う。

 夜中にうなされる事のある私をこの人は心配しすぎるのだ。


「夢を見てたよ」

「夢?」

「願いはもう叶ってたんだってー……」

「何の話だ……」


 眠くて、もう話していられなくて、慣れたように夫が布団を掛けてくれる。


「おやすみ。フィーラ」





*ある日の午後。


グレイク「なんのゲームをやってるんだ」

フィーラ「新作の攻略ゲームだよ!」

グレイク「勇者パーティ爆発寸前~愛の囁きは究極魔法と共に~……俺に容姿がそっくりなんだが」

フィーラ「……一緒にやろうよ?」




*ネットを作った転生者とはその後、出会える機会があったそうです。

「脳内アイドルグループを作り出すまではっ!俺たちの戦いは終わらない……!!ちょっ……人の話聞いてよ!生命をおびやかされたときに記憶の底から前世の記憶を掘り起こすことがあるなんて常識だってばよ。宇宙も世界も一つじゃないんだし、たまたま違う世界から生まれ変わったんじゃないかって考えが主流。まぁ常識も認識も時代によってコロコロ変わるもんだけどさ」



*遥か未来に、ネットの進化と魔力の研究と平和への努力と理解が進んだ末に、まるで二つの想いが重なり合うように、人族のネットと魔族のネットが繋がる未来も来るのかもしれません。




*fin


昨年長編版も書きました。

これは2019年に載せていたオリジナル版を少しだけ修正したものです。

当時、数日前に放送されていた「平〇ネット史(仮)」を観て、インターネット黎明期の気持ちをそのまんま物語にしました。

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なろうを閲覧し始めた頃、この作品を読ませていただきました。 ブックマークの機能なども知らず、タイトルも記憶してなくて読み返せずにいたのですが、設定がとても印象的でまた読み返したいなと思っていた折に再び…
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