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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゲーミング・ヒューマン・チェア

 ツイ廃の櫻葉明香里は、予てからの希望もあり、大学進学を機に一人暮らしをはじめ、半年ほどは両親からの約束を守って健康的な生活を維持していたが、やがて確認がないことに味を占めると、講義を入れていない日は毎朝、恒例となったおはツイだけを残して二度寝をかまし、次に起きた頃には正午を過ぎることも珍しくはなく、這う這うの体で前日にキャンセルしたシャワーを浴びて覚醒を促すと、やっとのことで自分のからだを掌握し、物の数日で足の踏み場をなくした床を慣れた足取りで歩いて汚部屋の一角で未だに清潔を保つ聖域に転がり込み、PCの起動を待つ間に傍らの冷蔵庫を漁って朝食の準備を済ませる。

 櫻葉明香里は何の変哲もない大学生だったが、ひとつ他と違うことを挙げるとすれば、それは稲葉ネムの名義で二次元の皮を被り動画配信をしていることだろう。それすら今の時代ではその希少性は薄れてきているものの、一年二年と続けて四年も継続しているとなると筋金入りの阿呆である。人気は上々、それを仕事とする大手事務所とは比べるべくもないが、趣味としてマイペースに活動していることを考えればそれも致し方なく、しかしその代わりといっては何だが偶像よりも近い距離感はより大きな熱意を孕ませ沼にハマったファンの数は馬鹿にできるものではなかった。引越しに際して三桁万円するゲーミングチェアを冗談半分で欲しいと宣えば、引越し準備中に匿名の配送システム──送り主に送り先の住所が見えなくなったもの──を介して贈られてきたのには戦々恐々としたし、それ以降は彼女は軽々そのようなことを口にしないようにと口を噤む必要が生じたと言えばその異常性もようようわかることだろう。

 とはいえ、彼女自身も数よりも質を優先していたこともあり、もっと多くの人に見てもらいたいという欲はありつつも、今のファンとの交流を欠かさず、活動者としての線引きは守りながら境界線で綱渡りをするように親密度を稼ぐことに腐心していた。名称が変わっても未だに旧名に固執する派の彼女は理の当然に某SNSを愛用しており、多くの配信者という人間が特定の相手以外を締め出すDMを誰にでも解放していることもその一環で、即レスや夜間だと会話が弾みそれはそれで楽しいのだが負担が増えてしまうため、配信スペースとして用意したはずが寝食を共にする居住空間に化してしまった件のゲーミングチェアにその小さな矮躯を委ね、多くの人間が学業や仕事に追われる昼間のうちに確認してポツリポツリと返事を打つのが常となっていた。

 その殆どが他愛のない、毒にも薬にもならない内容であったから、自分のことを褒め称えるキモチノイイ文面が飛び込めばスクリーンショットをしてデュへへと気持ちの悪い笑みを零し、粗末な汚物を批評してほしいという要望には務めてふぁっきゅー、後者に関してはブロックすることも検討すべきなのだろうと理解してはいたものの、彼女は、女の優しい心遣いから、どのようなものでも自分に宛てられたのだから、悪気は無いのだから、と顔を顰めるに留めていた。たまに愚痴も漏らすがそれくらいは許してもらいたい。

 ともあれ、通知の古いものから順に見ていくと、時折、読むのも億劫になる堅苦しい文章や真剣に答えるべき重苦しいお悩み相談も出てくるもので、彼女はさながらテストの途中で難問を記憶の縁に引っ掛けて飛ばすように次の文書を開き、呆れるほどのタイピングで返信していく。

 そうして残ったのは、はてさて、初めて見るアイコンと初めて見るユーザーネームをした、いわゆる初見さんのメッセージだった。こうしたことはままあることで、初見さんというのは大なり小なり丁寧な文章を心掛け、失礼がないようにという気配りが随所に見え隠れしているので、読んでいて気持ちが良く、明香里はその人となりを想像して心躍らせながらメッセージを開いた。

 しかしそこに記されたものと言えば、予想に反し、それは衝撃の一文からはじまった、一種の自分語りであった。


 ーーー


 背景、稲葉ネム様、或いは櫻葉明香里さんと呼んだ方がよろしいでしょうか?そうですね、ワタクシと貴女の関係ですもの、そちらの方がきっとよろしいでしょう、なのでこれからワタクシは貴女のことを櫻葉さんと呼ばせていただきます。なぜ苗字の方なのかって?そりゃあ、小っ恥ずかしいからに決まってるじゃないですか。

 ああ、ですが突然このように馴れ馴れしくされても櫻葉さんにとってワタクシは顔も名前も知らぬ相手なのでしたね、少々舞い上がって失念しておりました、謹んでお詫び申し上げます。とはいえそれもここに認めました内容を読んで頂ければいずれ氷解することだと存じますので今はまだ伏せさせていただきます。

 さてしかし櫻葉さんには話したいことが山ほどあるのですが、まずはワタクシが貴女を知っていて貴女がワタクシを知らぬというのもアンフェアですので、まずはワタクシが患う病について、貴女に理解して頂きたく思うのです。

 そう、それは恋の病でした。齢幾許になって恥ずかしいものではございますが、熱した鉄よりもなお熱く、砂糖よりも簡単に焦げ付く初恋は、瞬く間にワタクシの心を支配して離さなくなってしまったのでした。それからというもの行動は早く、貴女のすべての配信に張り付き、貴女の全ての発言を見逃さず、準備を整えチャンスを伺う日々がやって参りました。実家の住所はアップロードされた画像や配信での言動からある程度は絞れておりましたので、ワタクシはまず宅配業者のバイト求人を片端から申請し、偶発的に行われるプレゼント企画などを通じて住所の割り出しに挑みました。誰も疑いの目を持っていないからでしょう、信用とは何にも変え難い武器になるのだと学ばせて頂きました。

 その経験が活きたのでしょうか、日頃の行いが良くなったワタクシは、思っていたよりずっと早く望外のチャンスに恵まれました。それは貴女の軽い一言でした。

 ゲーミングチェア。椅子。ワタクシはすっと閃きました。高価なプレゼントというのは何とも好きな相手に贈るのに打って付けではないですか。ワタクシは直ぐにローンを組みました。返済のあてはありませんでしたが、何も問題はございませんでした。何せワタクシはその後すぐにでも姿を眩ませる予定でしたから。不安はありましたが、突き動かす衝動を止めることなど出来ようはずもありませんでした。

 ワタクシは金に物を言わせてゲーミングチェアを複数発注いたしました。手先の器用さに関してはそこそこの自信がありましたが、ワタクシの計画を達成するにはたったひとつのゲーミングチェアだけでは心許なかったからです。幾つかのゲーミングチェアを駄目にしてしまったので、この判断は正解だったのでしょう。

 ワタクシは綿をくり抜き、空気穴を見えない場所に開けて、椅子の中に居住空間を作りました。そうして椅子に潜り込みダンボールに身を隠したワタクシは、所謂ところの闇バイトとでも言うのでしょうか、そういった募集の盛んなプラットホームにて荷物の配送をお願いしました。バイト先の制服を拝借しておいたので、上手くいくだろうという楽観は果たして成功に終わりました。

 残念ながら分厚いクッションを隔てているために直接貴女を抱きしめることは叶いませんでしたが、不思議なもので感じ入る人肌はワタクシの心を優しく包んでくれました。そうしているうちに、ワタクシには今までになかった感情が芽生えました。ワタクシは今まで誰に迷惑をかけるでもなくただ自己満足を満たせているのだからソレが悪い事だとは一欠片も考えておりませんでした。ですが貴女と触れ合ううちに、ワタクシはもう居ても立ってもいられなくなり、こうして筆を取るに至りました。尤も、椅子の中なので姿勢は固定されてしまうのですが。

 きっと貴女はコレを読んでも嘘だと思うことでしょう。ですが考えても見てください。どうして貴女の汚部屋の中で、この一角だけ明らかに清潔さを保つことが出来ているのでしょうか?

汚部屋に耐えられなかったのデス()

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