第10話
明けて翌日。
ソルティ以外のメンバーは既に控室入りをしており、緊張感もあって空気が重い。張りつめた雰囲気は試合前特有のものだ。
本戦トーナメント初日の一回戦ということもあって、多くのメディアが殺到している。過激な発言から炎上することも多いソルティは、インタビューから未だに戻っていない。
「チーザ、少し肩の力を抜け」
「え? 先輩、何か言いましたか?」
ベンチに座って待つチーザは顔面蒼白で、体が小刻みに震えているためか、ボサボサの髪もバイブレーション。
チーザの気持ちへ共感できずに戸惑った。
強化兵士はセロトニンの分泌が常に安定するよう、デザインされた存在。他のホルモン成分も、過不足なく分泌される生物として設計されている。だから恐怖に対し、多少鈍感なところがあるのは否めない。
かける言葉が見つからなくて躊躇っていたら、キャメルが先に動いた。
「……どう? 落ち着いた?」
キャメルは、チーザの頭を優しく抱きしめ、何度も柔らかい声をかけて撫でている。
「ウチが……ナックさんの運命を握ってるのが怖くて……」
直前になってリーダーとしての重責を感じ始めたのだろうか。普段のチーザの声色が真夏の太陽だとすれば、今は真冬の曇天。キャメルが声をかけたことで隙間から陽射しがさした程度には回復したが、絶好調には遠い。
そこへ陽気を運ぶように甘い香りが運ばれてきた。
ハーベストが各自の好みに合わせた珈琲を配って回る。
「はい。チーザさんの分です。蜂蜜とミルクをたっぷり入れてますんでどうぞ」
「……ハーちゃん、ありがとう」
こちらも深煎りブラックを受け取って口に含むと、実に良い豆の香りが体中に染みわたっていった。
チーザの様子を見やると、硬い表情は雪解けを迎えているようで笑顔を見せている。
キャメルが自分のカチューシャをチーザの髪にセットした。
「お守り代わりに試合の間、貸してあげる」
クロワも心配してなのか、先程から壁の方を見たり振り返ったりを繰り返している。
徐々に普段の元気を取り戻すチーザ。
「クロちゃんにも心配かけたよね。ウチはもう大丈夫!」
明るい声が控室に響き、皆もホッと胸を撫で下ろす。当のチーザは、鏡を見てカチューシャの位置を調整していた。
それも束の間、まるでダンプカーが突っ込んできたかのように控室の扉が開けられる。
「おっし! お前ら準備はできてるか? スタンバイに入れと言われたぜ。いくぞオラァ!」
タイミング良くソルティがやってきた。皆も次々に立ち上がり、先導するソルティの背中に続く。
控室の扉をくぐればすぐにハンガーだ。
銀、紺、桃、茶、黄、水、緑と各自のカラーリングに塗装したモービルギアがずらりと並ぶ。まさに壮観と言えよう。
「今日もよろしく。相棒」
愛機の脚部をポンポンと二度叩き、出撃前のいつもの挨拶を済ませ、コクピットへと乗り込む。
ピットカバーを閉じる前に、隣のダークネイビーの機体に乗り込むソルティと目が合ったので、軽いジョークを交わす。
「インタビューは飛ぶ燃料になったか?」
「おうよ! 燃えた燃えた! またもソルティ様が大失言とバズってるぜ!」
そっちの意味では無かったのだが、笑っているのでジョークにはなったはずだ。返事はやめておき、ピットカバーを閉じる。メインカメラの映像が脳裏に飛び込んできて、耳ではなく体全体で起動音を確かめていた。
愛機が鈍く冷たい銀の装甲に、目覚めを示すネオンラインの輝きを走らせていく。命を預けたシートが突き上げられ、鉄の重たい巨躯を起こす。
一歩、一歩と踏み出せば、チームの足音も加わり、硬質な足音はハンガーを抜けて競技場へと吸い込まれていった。
「まるで地響きだな」
モービルギアが奏でているのではなく、試合会場で待つ観客たちの大歓声だ。
競技フィールドとハンガーを繋ぐ連絡路。
フィールド側から暗い通路へ差し込む光の筋は、未来への案内板にも思え、より眩しく感じた。
《イカロス、エクリプス、両チームの入場です!》
実況のアナウンスや機体紹介が鳴る中、派手好きなソルティがモービルギアでのバク宙を披露し、歓声と罵声の両方を浴びている。失言から敵を作ることが多いソルティには野次の方が多そうだ。
《最強キーパーの入場! 死蝶です!》
黄色い歓声が飛び交い、ソルティよりもド派手な宙返りに3回転半の捻りまで加えた黄金の機体が登場。
目の前で繰り広げられるバトルを思い描き、観客たちは思い思いに叫び始めた。声援はイカロス一色。エクリプスは完全にアウェーだ。
異様な雰囲気に飲まれ、皆も少し気圧されているように感じ、声をかける。
「全員、問題ないか?」
『も、問題ないです、先輩』
小刻みに声が震えているチーザ。
リーダーという大役のプレッシャーと戦っている。
ソルティの通信音声が発せられ、チームの鼓膜と心の扉を強くノックした。
『チーザ! 俺やナック、それから仲間がいるだろ? 信じろ! 今まで俺が一度でも間違ったことを言ったか?』
『……はい! チームの皆は信じます! ソルティさんの言う事は間違いばかりですけどね!』
相変わらず士気を高めるのが上手く、飲まれていた空気は一瞬で霧散した。
状況改善に安堵し、実況の両チーム紹介をBGMにして開始を待つ。
すると、プライベート回線のランプが光っていることに気付いた。
『よぉ、ナック。ようやく上がってきたな』
「ナンバーワンキーパーと呼ばれるお前が今さら何の用だ? モンド」
死蝶ことモンドは、軍属時代からの長い付き合いだ。今までも勧誘はあったが、試合直前の短い隙間にまで誘ってきた。
『廃棄になる前に早くこっち側に来いよ。何ならイカロスに入るか? なーに、廃棄寸前だからって移籍金を値切ったりしねえから』
政府から廃棄候補に上がったのを、自力で覆したモンド。トップリーグの中でも人気選手となった死蝶には政府も手を出せない。未来のチケットを掴んだ数少ない事例の一人だ。
「……チーム全員で移籍できるなら検討しよう」
『まだくっついているソルティに義理立てしてんのか?』
「腐れ縁だ。それに磁石コンビだからな」
ソルティとモンドは昔の確執があるし、そろそろ開始時間だ。これ以上話すつもりもない。モンドの返事を聞かずにプライベート通信をオフにする。
高まっていく観客の熱気。
声援も激しさを増し、イカロスや死蝶の大コールが続く。
負けじと声を張り上げるソルティ。
『お前ら! この歓声を悲鳴に変えてやろうぜ! ダークホースなりの戦い方を魅せろ、チーザ!』
光無き道を進む。日陰者には日陰者の戦い方がある。それを証明するだけだ。
『さぁ、皆さん、日食のお時間ですよ!』
今日もいつも通りに敵の光を奪って、塗り替える。その号令が本日のリーダーであるチーザから発せられた。
《3、2、1……Break the sky!!》
実況からの開始の合図が響き、時が動き出す。
観客席から観るのと違い、密度が濃厚な競技フィールド。一見軽やかに見える14機のダンスは、内側では鉄騎ひしめき合う窮屈な檻の中。
特急列車がすれ違うように至近を敵機が通過し、豪音はモービルギア越しにコクピットを激しく叩く。
開幕の挨拶と言わんばかりに敵アタッカー陣が一斉にグレネードランチャーを撃ってきた。
『クロちゃん!』
『フッ。お任せを!』
後方から飛来する4発のグレネードを、逆さまの態勢でクロワがラピッドファイアで迎え撃つ。結果を見なくても、クロワの技術なら撃ち落す確信がある。
「返事は早い方がいい。続けキャメル」
『了解、左翼に』
阿吽の呼吸でついてくるソルティとキャメルを連れて反時計に急速旋回し、死蝶の逃げ場を押さえるべく強襲を仕掛けた。
『チッ! すまねぇ!』
「いい。切り替えろ」
3機での面制圧は、珍しくミスをしたソルティの形が崩れ、金色の蝶にはひらひらと虫網を躱された。
ミスの原因は紫の機影、ルーラー。
見せるビームと聞かせるグレネードを操り、ソルティの姿勢とタイミングが僅かにずれる空間を演出した。
『ったく! あのムッツリ変態は心まで見透かしてんのかよ! 覗くな! スケベ!』
セブンスカイズという競技が生み出した怪物。それがイカロスの紫の番人。本物の戦場では役に立たないが、異様な才能であることには間違いがない。射撃や爆撃を当てても大ダメージを与えることがないこの競技で、その異才は開花した。
『先輩! チェイサーを! クロちゃん以外はビーム控えて!』
「了解」
3機もかけて死蝶を取り逃がしてしまい、当然守りは手薄になっている。イカロスの代名詞ともなっている横ラインを楽に展開させてはならない。攻撃が失敗した時の反動をフォローするのはシミュレーション済みだ。MC寄りのチューニングを施している愛機が敵チェイサーを押さえる手筈になっている。
『チーザァ! 撃ちてぇ! 撃っていいか?』
『我慢です!』
迎撃担当のクロワ以外のビームを極限まで減らし、遠距離はミサイルポッドやグレネードで対応していく。ホーミングの無軌道さや爆風で死角を作りつつ、競技フィールドの至るところから轟く爆発音で、敵味方の聴覚情報がまともに機能しにくくなった。
ルーラー対策のこの作戦は、大きな成果をあげる。
『耳が馬鹿になってりゃ、錯覚もさせられねーってか! やるじゃねーか、チーザ!』
直線的なビームを減らしたことで射手を見失い、ルーラーもこの混沌を見通せていない。チーザの頭脳とアイデアが、光と音の支配者を上回り、その統治のくびきから解き放っていた。
『ソルティさんウルサイです! そういうのは終わってから! 先輩! いけますか?』
案ずるよりも産むが易し、とはこのことかも知れない。試合が始まってからのチーザの指揮は迷いが無く、的確であった。
「問題ない。ノシつけて返しておく」
試合は第二フェーズへと突入した。
───用語説明③
・フィールド(演習/競技)
半径69mの円状の施設で、高さはベース21m+ドーム69mのカプセル状となっている。
フィールドバリアのドーム天頂部分は数度の改定を経て、音が籠らないように開放された。
演習フィールドと競技フィールドの大きな違いは、地表部分の得点サークル。
競技フィールドは地上の得点サークルを、投影式で表示しており、競技人数やルール毎に可変させている。
演習フィールドは芝生に直接ペイントを施しているため、常に得点サークルの位置・個数・面積が固定となっていて、墜落痕も予算都合ですぐには修復されない。
・ライン(縦ライン/横ライン)
3機以上で一列に展開して敵キーパーに迫る行為。
縦ラインの場合は左右、横ラインの場合は上下のどちらに敵キーパーが逃げるのかを問う布陣。
キーパーを追い詰めることにも有効だが、相手の思考を守勢に回らせることが最大のメリット。
但し、攻めに機数を投入している分、守りが甘くなる諸刃の剣であり、不用意に展開すると不利になる。
・誘い
トラップ要素を含む行動全般を指す。
セブンスカイズは多くの元軍属が参加しているため、軍事のトラップと差別化を図るために生まれたスラング。
相手が罠に嵌った際に「フィッシュオン!」と、言うのはソルティだけ。流行らせようと画策していたが、その夢が叶うことは無かった。