第9話
「ウチ、やります。でも一つだけ教えて下さい」
真剣なチーザの眼差しに答えるため、服の皺を直して居住まいを正す。
「先輩がウチの指揮に期待していることは何ですか?」
求められているものが分からないのだろう。
こちらを見てくるコバルトブルーの瞳の中には、怯えに思える色も見え隠れ。それでも期待に応えようとしてくれていた。
理由は皆も求めているみたいで、モニタールーム中の視線が集まってくる。
「そうだな……イカロスとプロミネンスの試合観戦をした時に気付き、今日のディスカッションで確信を得た。チーザは音響空間を捉える感覚を、極めて高いレベルで備えている」
それを伝えると、クロワとチーザ本人から言葉の意味を問われ、仕方が無いので軽くテストする流れに。
チーザだけが壁際に移動し、座席の方をみていない状況を作って無言で席をシャッフル。それでも、誰がどこに移動したかをチーザは全て言い当てた。
やや興奮気味なクロワ。
「チーザさん! なんで分かるのですか?」
詰め寄られても、当のチーザは苦笑い。チーザとしては出来て当然で、説明は難しいのかも知れない。
慌ててソルティが割って入る。
「ハイハイハイハイ、クロワ、ステイだ! 一先ず座れ! チーザはそれを他者視点でも理解、把握できるって認識で合ってるか?」
チーザは「はい」と一言だけ答えていた。それを喜色に満ちたキャメルが褒める。
「チーザ、凄いね。あたいには無理だから、本当にその凄さが分かるよ」
まるで年の離れた姉が優しく告げるかに思える声色。声をかけられほんのりと赤面したチーザは、その言葉を大切に噛みしめているようにも見えた。
日が落ちたのか、クーラーの利きが一気に良くなったので、ハーベストが珈琲を淹れて配り、人心地つける。カラカラだった喉が潤っていくのを感じた。
そうして全員の気持ちの整理が出来たのを見計らい、モニターに映像を出しながらチーザを選んだ理由の続きを話す。
「その能力を有しているからといって、明日までに実戦で活用するのは困難だろう。だが、自由奔放、奇想天外な発想をするチーザに任せるのは……」
紫色の機体が大きく映し出されたシーンで一時停止をし、皆の方へ向き直ってモニターを掌で叩く。高く乾いた音がモニタールームに響いたのち、僅かに語気を強めた。
「このムッツリの番人の思考の裏をかくためだ」
一瞬の間をおいて、ソルティが大口を開けて馬鹿笑いし、それにつられて笑い声が漏れ始める。
「あぁいいぜ! ムッツリの扉をこじ開けてオープンスケベに変えてやろうぜ!」
「先輩でもそういう下ネタ言うんですね」
「ソルティさんは下ネタを減らして欲しいです」
皆の緊張をほぐそうと、慣れないことをするものでは無いと痛感する。恥ずかしさを小さく咳払い。
「……では、死蝶からゴールを奪う検討を再開するぞ」
モニターの映像を金色のモービルギアが映るシーンへと切り替えていく。死蝶という異名のせいで格闘の印象は少ないが、並べてみると非常に多かったし、意外に被弾も多い。
「この人、自分から殴りに行ってませんか?」
「だろうな」
「蝶という呼び名なのに、ツイスト飛行多くありませんか?」
「モービルギアは蝶では無い」
さっきからハーベストのぼやきに近い問いに返し続けていたら、「ナックさんが冷たい」と嘆きだした。
眼鏡を直したクロワが、多少はマシな意見を出し始める。
「被弾の多さは気になります。誘いも兼ねているのでしょう。ここにつけいる隙があるかと」
「良い着眼点だ」
死蝶は恐らく、試合全体を通してダメージコントロールをしていて、タイムアップまで持つということを前提に被弾覚悟で突っ込むことも多い。全く捕まえられないと追われなくなるので、クロワが述べた通り、撒き餌を兼ねているのもあるのだと思う。
華麗に躱すシーンと、アグレッシブに自ら殴りにいくシーンを交互にモニターへ出していく。普段は元気一杯のチーザが、黙ってモニターを見続けているのは新鮮だ。リーダーという立場とその自覚が、そうさせたのだとすれば指名した甲斐がある。
「被弾を割り切っているのもあるが……どうだ? チーザ。インプットは完了したか?」
チーザは「はい」と短く返し、コバルトブルーの瞳を閉ざし、一人イメージの世界に入った。動きをトレースしているのか、グリップを操縦するかのように手が動いている。
隣ではキャメルがリードしつつ、ハーベストとクロワの議論も白熱していく。時に冷静に、時に激情に任せた言葉の応酬が続き、若さゆえのエネルギーを感じる。
錆びたパイプ椅子に手を添えてその光景を眺めていたら、申し訳なさそうなウェハーの声が横から聞こえてきた。
「あ、あのー……盛り上がっているところ悪いんですけど、俺そろそろあがっても?」
ダークブラウンの短髪を何度もかき、金の瞳に憂いの色も見えるウェハー。
「構わない。遅くまで悪かった」
先にあがる許可を出すと、事情を知らないハーベストが強い反発を見せる。
「そんな! ナックさんが生き残れるかがかかっている重要なブリーフィングですよ? ちょっと夜に入ったぐらいで……」
「やめろ、ハーベスト。あがれウェハー。事情は俺から説明しておく」
何度も頭を下げたウェハーが退室しようとしたら、ソルティがウェハーへと駆け寄って肩を組んだ。
「わりぃ! 俺もウェハーと一緒に少し抜けるわ!」
「好きにしろ」
ソルティとウェハーが連れ立って出ていくのを見送り、ハーベストへと向き直る。ハーベストの表情に、ウェハーへの嫌悪を微かに感じた。
「ハーベスト、いいんだ」
「でも!」
食い下がろうとしたハーベストの肩をチーザが軽く叩き、ライムグリーン色の頭にはキャメルの手が優しく添えられる。
「ハーちゃんは知らなかったんだし、仕方ないよ」
「ウェハーさんには幼い娘さんがいるんだ。まだちっちゃくて可愛い。それに……」
その先を言い淀んだキャメルがこちらを見る。だから代わりに言葉を紡いだ。
「ウェハーの妻は元エクリプスのメンバーだ。彼女が亡くなったのと入れ替わりでお前が加入した」
「……僕、知りませんでした。ご病気とかで亡くなったのでしょうか?」
ハーベストの問いに部屋の空気が重くなる。まるで深海に沈められたかのように暗く、息も苦しい。それでも他のメンバーに言わせる訳にはいかない。
「……強化兵士だった。まぁ、俺より先に廃棄が……」
「その言葉遣いだけは改めてください!」
クロワが眼鏡の奥から涙の筋を覗かせ、鋭い声で遮ってきた。
「強化兵士だって人間です! 物ではありませんよ! 私はナックさんの自虐めいたそれをやめて欲しいのです!」
まさか泣く程とは思っていなかったので少し戸惑う。
静かに震える声でキャメルが続く。
「強化兵士の中でそう呼ばれているけど、ナックさんが使うのは嫌」
気付かない内に皆を傷つけていたのだろうか。ふと、そんな考えが頭を掠めた。けれど、涙を吹き飛ばすような明るい声がモニタールームに響く。
「皆さん! やめましょう! いつでもポジティブに! ですよ! ウチは暗い過去の話よりも、明るい未来の話がしたいです!」
ウェハーの妻と、特に仲の良かったチーザが声を張り上げている。今のフレーズを、チーザ自身が繰り返されていたことを思い出した。
「そうだな。ウェハーの娘の誕生日祝いでも企画するのはどうだ?」
軽い気持ちで発した言葉。なのに風が吹き抜け、まるで天空へと舞い上がった天使のように、皆の表情が晴れやかなものへ。
「先輩が来年の予定を話すなんて! 絶対にやりましょう!」
「フッ。私にプランニングを一任下さい」
「ナックさん……あたいもナックさんとの未来を見たい」
拳を突き上げたハーベストが最後に結んだ。
「ナックさん。僕たちが必ず貴方を未来に届けます。信じて下さい!」
チーザも、キャメルも、高々と拳を突き上げる。やや遅れてクロワも続いた。今は席を外しているソルティがよくやる仕草のそれは、拳を太陽に被せて日食を模す行為。
「クロワ、予算は優勝賞金から出す。とびっきりのプランを用意しろ」
小さく拳を突き上げて、誕生日プランの許可を出した。
そうして、チームの昂ぶりを感じていたところに、モニタールームのドアが大きな音と共に開かれ、それと同時に部屋の空気が肉とソースの香りに包まれていく。
「今、戻った! 差し入れもあるぜ!」
先ほど席を外したソルティが、大量のハンバーガーと同伴で御帰還だ。
「あー、ま~た、ブッチャーストライク。ウチ、あそこの肉は焦げてて好きじゃないんです!」
「私も同感です。ウェルダンが過ぎて、舌がおかしくなります。店名をブッチャーアウトに改名すべきでしょうね」
皆から相次ぐ苦情に、ソルティは「差し入れに文句を言うな」と笑顔で返している。
味に関しては同意見だが、ソルティが元戦友のあの店以外でハンバーガーを買うことは無い。
「660gのビッグサイズだ。泣いて喜んで感謝しろ!」
「うへぇ、焦げすぎですよー」
「そういうハーベストには2個やろう」
ハーベストは涙目で首を振っているし、キャメルも無言でお腹を擦り何やら思案顔。
奢りの栄養補給に不満は無いが、もう少し焼き加減をソフトに出来ないものなのか。
一先ず、最重要事項をソルティに尋ねる。
「ピクルス抜きはあるか?」
「おうよ! ナックスペシャルを店長が用意してくれてるぜ!」
受け取ったハンバーガーからは、手に伝わるズシリとした重み。包みを開ければ、強いチーズとガーリックの香りが漂う。目の前に居ないのに「ナックさん、好物だろ? 多めにいれといたぜ!」と店主の顔が思い浮かんだ。
どうにか、胸やけしそうな量を食べ終える。
「もう一度戦局パターンだけさらっておく。さぁ、明日は勝つぞ」
「了解!!」
英気を養い、明日の空へ羽ばたく。その思いと共に夜は更けていった。
───機体紹介(ナック)
・機体名:ランツ/カラーリング:シルバー
・ポジション:FA(フロントアタッカー)
・異名:死神
・機体名の由来:全盛期に周囲から「突進する様子がまるで一陣の槍のよう」と言われたことがあり、協会への登録時に急かされて何となくで命名。メンテを繰り返すことで愛着は湧いている。