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余命3年の私と死神。

作者: 巾上山下

 「余命3年」そう伝えられた。

 絶望をいきなり抱えさせられ、母と共に涙腺が、とてもじゃないが保てなくなった私に、医師は、寄り添うように説明してくれた。

 もうこの様子は慣れているのであろう。

 伝える医師の気持ちになれば、何故か申し訳なくなる。

 そんな私をどう思ったのか分からないが、母は私を優しく包んでくれた。

 まるで春のような手の中で母の、私に対する「ごめんなさい」は聞くに絶えなかった。

 また、何故か申し訳なくなった。

 1週間ほど経ち、精神的にも少し落ち着き、未来のことについて考えるようになった。

 と言っても、3年後()()の未来のことだけれど。

 最初は、なりたいものとかを無意識に考えてしまい、自分でやられていたが、少しずつ、()()()()、食べたいものとか、行きたい場所とか、そういう叶いそうなことだけを考えるようになるくらいには、現実と向き合うことが出来た。

 「君かな?余命宣告されたのは」

 夏の暑さが脳をダメにする的なことは聞いたことがあった。ゆで卵は生卵にならないみたいな。

 冬の寒さでも脳をダメにできるのかと、驚いた。

 誰もいないはずの病室からそう聞こえたのからだ。

 誰もいないのはわかっていたが、よく当たりを見る。1人用の病室で。

 目も耳も、脳みそも悪くない私は、その現実が有り得なかった。

 「し、死神・・・」

 「おはよう。こんにちは。こんばんは。日本は今どれかな?」

 「こ、こんにちはです。」

 鎌を持ち、少し楽しそうな声で話しかけてきたそれは、死神というよりは鎌を持ったただの青年に見えた。

 ただ、余命宣告をされてから、命の有限さを知り、ただの青年は鎌を持って他人の病室に入らないという当たり前の考えがあった私はそれを、「死神」として認識した。

 それと同時に余命が3年じゃないんじゃないかと思った。

 私は怖かった。死神に対してではなく、今死ぬことに対してだ。

 あまりにも急展開すぎる。

 余命宣告から一ヶ月も経たずに死ぬなんて、3年の短さに絶望していた意味がわからなくなってきた。

 「おっと、まだ死なないぜー君は」

 「・・・え?」

 私の不安を感じ取ったのか、彼はそう言った。

 「君はしっかり2年半もしたら死ぬ」

 やはり寒さでおかしくなっていたのだろうか、寿命が2年半に短くなっても何も思わなくなっていた。

 やりたいことリストにはもちろん、3年間生きていれば勝手に叶うことは書いていなかった。

 そこで2年半に絶望した、私は卒業式に出られなくなった。

 彼は、口を噤み泣き始めた私を、ただ眺めているだけだった。

 死神だ、慰めてほしいなんて思わなかった。

 「死ぬ人間の余生を見ながら勉強しなくちゃなんないの」

 「・・・・」

 さっきまでと違い、めんどくさそうに、泣く私を見ながら、夏休みのほぼ義務的な自由研究をやる子供のような態度な彼に腹を立てた。思ったことはいろいろあったが、口に出すのも疲れていた。

 これから続く彼の発言は、彼の課題の内容程度にしか私は思わなかった。

 「僕ら見習いは、その人がどんな人生を歩んできたか知ることで、死神の仕事の大変さを学ばなくちゃいけないらしい」

 「・・・・」

 「100年見守るのは長いだろー?だ・か・ら、君みたいな余命わずかな人間が課題対象として選ばれるんだ」

 豚を使って大人が命の重さを子供達に教えるようなことを、死神の世界でも行われていた。

 冷え切った病室に何故か温もりが感じられた。

 私たちが豚を豚としか思っていないのと同じで、彼らもまた人を人としか思っていなかった。

 寿命を決める対象物と。

 豚も対抗するんだぜと言い、鎌を奪い、切りかかってやろうと思ったが、所詮豚。

 敵うはずもない。

 死神の声にしか興味を示さなかった私の耳が、外の雨の音を微かに掴み始めた頃に、母が来てくれた。

 私の好物を抱えて来てくれた母に視線を逸らすと、彼の姿はなかった。

 きっと、()()()、悪い夢でも見ていたのだろう。

 私の悪い夢に出て来た彼が座っていた回転式の椅子は、まだ少し動いていた。

 それすらも何も思わなかった。



 それから一ヶ月ほどで退院した。

 それまでにあの悪夢を見ることはなかったが、身体は元気になっていた。

 悪夢に出て来た彼が何かしてくれたのだろうか、動かない豚を見ていても愛着も湧かず、命の重さを知れないと思ったのだろうか。

 それとも、泣かせてしまった同情か、もしくは、ただただ元気になっだけなのか、それを知るのは2年後。

 彼がまた私に会いに来るまでわからなかった。

 私は自分の身体で命の重さを知った。

 彼にまた会うまでの2年間は死ではなく生を感じようと、後悔したくないと思い、行動した。

 たぶん、私のこの2年間は他の人の何もしない10年と同じくらいの価値だと思う。

 もしかしたらそれ以上かも。

 毎日何かをした。

 本が好きだったから、いろんな本を読み、本を書いてみることにした。

 パンが好きだったから、母と一緒にパンを焼いた。

 絵が好きだったから、絵を描いてみることにした。

 友達が好きだったから、とにかく遊ぶようにした。

 家族が好きだったから、とにかく家族といろんなことを話して、いろんなとこに行って、いろんなことを一緒にした。

 全ての毎日に名前をつけられるくらい何かをした。

 後悔、反省、無駄、私のこの2年間はその存在を許さなかった。

 でも年中行事や、自分も含め、誰かの誕生日が来ると、あと一回と思い、時々自暴自棄になる私がいた。

 その度に、家族は慰めてくれた。

 八つ当たりしてしまう私を許してくれた。

 病気のことは友達には伝えていた。

 一緒に泣いてくれたこと、一緒に頑張ろうと言ってくれたことは私を救ってくれた。

 ボーリング、カラオケ、映画館、動物園、水族館、夏祭り、旅行。

 みんなみんな楽しかった。

 


 私の容態が急変し、入院してすることになった。

 そこでまた、彼と出会った。

 あの日と同じ。雨の降る日に。

 大体察していた。

 残り2年半と言われてから2年と3ヶ月ほどが経っていた。

 後悔はなかった。

 やりたいことはまだあったけど。

 その感情に「後悔」と名付けたくなかったからだ。

 死にたくないと思うこと、その感情はなるべく見せないようにしていた。

 「勉強になったよ、素晴らしいね」

 「・・・・」

 「正直舐めてたよ、めんどくさいなーとしか思ってなかった」

 「・・・・」

 「あと11日。今日を含めてあと11日しか生きられない」

 「なんで言うの・・なんで・・なんで・・」

 心に穴が開くのが聞こえた。

 言わないでほしかった。無理矢理に気づかないようにしていたのに。

 入院が決まった時に覚悟はしたはずだった。

 その時さらに命の重みについて知ることになった。

 明らかな沈黙が続いた後。申し訳なさそうに言った。

 「遺書は書かないの?」

 「・・・遺書?」

 あと11日もあるんだ。だから書けと言いたいのだろう。

 「・・ありがとう・・・」

 どこか自分でも理解してたことだが、死を感じないように我慢して来た私は死を感じる遺書を書くということをしないようにしていた。

 家族一人一人、友達一人一人に書いた。

 10日かけて真面目に書いた。

 次の日私は死ぬのだとわかると寝られなかった。

 そのまま一睡もすることなく11日目を迎えた。

 その日は、あの日と同じようで、少し違う雨の降る日だった。

 やはり彼は来ていた。

 11日間ずっといたかも知れないが前とは違い、まだ少し残っていた暑さのせいか覚えていなかった。

 明日を生きるのではなく今日を生きる。

 そんな考えを、彼はさせてくれた。

 彼は最期に家族と友達に会える時間をくれた。

 余命3年だった私に死神見習いの彼が。

誤字があったので直しました

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