第二章 名探偵おじいちゃんのトンチンカン推理
事件の発生から数分が経ったが、混乱は収まる気配を見せなかった。商店街のスピーカーから流れる軽快なBGMとは裏腹に、会場の空気は張り詰めている。
「誰かが、金のたい焼きを盗んだのか……?」
商店街の会長・不動さんは、汗を拭いながら震える声で言った。
「こんなこと、初めてです……! たい焼き争奪戦の歴史に、こんな汚点を残すわけには……!」
観客たちも口々に噂し合っている。
「誰かがこっそり盗んだのかねぇ?」
「でも、あれ結構重いんじゃないの?」
「商店街の誇りが……」
「結構高いよ……」
そんな緊迫した空気の中、ひとりだけ違う温度感でいた人物がいた。
「ふっふっふ……」
おじいちゃんである。
「これは完全なる密室事件……! ならば、名探偵おじいちゃんの出番じゃな」
バッ! と両腕を大きく広げ、堂々としたポーズを決める。
杏子はその姿を見て、嫌な予感がした。
「ねえおじいちゃん、もしかして……」
「うむ! わしの推理が火を吹く時が来たのじゃ!」
その瞬間、おじいちゃんは勢いよくステージの上へと駆け上がった。
「待って、 どこ行くの、 降りてっ」
杏子の制止もむなしく、おじいちゃんは観客たちを見渡し、にやりと笑う。
「皆の者、事件解決の時はきたっ。 犯人は――」
指を突き出し、ギョロリと睨む。会場は静まり返った。
そして、ひとりの男性を指差した。
「お前じゃ」
指されたのは、帽子をかぶったサラリーマン風の男性だった。
「……えっ、俺?」
突然の指名に、男性は目を白黒させる。
「むむっ、どうしたんじゃ。動揺しておるな。 それが何よりの証拠じゃっ!」
おじいちゃんがズンズンと歩み寄る。
「な、なんの証拠だよ!!」
男性は戸惑いながら、後ずさる。
「わしは見たぞ! おぬし、ついさっきポケットをまさぐっていたじゃろっ そこに金のたい焼きが入っているのではないかい?」
「入ってるわけないでしょ!!」
男性はポケットをひっくり返して見せた。出てきたのはハンカチとスマホと小銭、そしてホコリだけ。
「なにぃっ……!?」
おじいちゃんは眉をひそめ、「ふむ……」と腕を組んだ。そして、おもむろに振り返る。
「では……犯人は――」
再び指差し。
「そこのタピオカ屋の店員!!」
「いや、関係ないよね!?」
杏子のツッコミが炸裂する。店員さんは、まったくもって困惑の表情だった。
「えっ、えっ? 私ですか?」
「そうじゃ! おぬし、さっきからずっとカップを洗っているが、それは時間稼ぎではないか? その間に金のたい焼きを隠したんじゃろうっ」
「いや、普通に仕事してるだけですけど?」
タピオカ屋の店員さんは困った表情を浮かべながら、手に持っていた洗剤ボトルをぎゅっと握った。
「おじいちゃん、もうやめてっ!」
杏子はおじいちゃんの腕をガシッとつかみ、無理やりステージから引きずり降ろした。
「ワシの名推理がっ……」
「名推理じゃないよ。 ただの言いがかりだよっ」
杏子が叫ぶと、おじいちゃんは「むぅ」と口をへの字に曲げた。
「そんな乱暴な言葉使い、大和撫子はしちゃイケマセンっ」
そして杏子の腕を振り払い、自信満々に言った。
「しかし、事件解決のためには大胆な行動も必要なのじゃ!」
「大胆すぎるよ。何も解決してないし、恥ずかしい。それに、むしろ混乱させてるだけじゃないっ」
「ふむ……なるほど、おぬしの言い分も一理あるのぉ……」
おじいちゃんはなぜか深くうなずいた。そして、ポケットからたい焼きを取り出してもぐもぐと食べ始めた。
「おじいちゃん、いつ買ったの? それに、今なんでたい焼き食べるの?」
「名探偵の脳には栄養が必要なのじゃ!」
「糖分は控えめにって、おばあちゃん言ってたでしょ」
杏子は頭を抱えた。
そんな二人のやりとりをよそに、会場の隅で、何やら怪しげな動きをしている人物がいた。
杏子は、その動きに気づくと、スッと表情を引き締めた。
(……待って。今、何か引きずるような音がした?)
観客たちのざわめきの中で、一瞬だけ聞こえた違和感のある音。杏子はゆっくりと視線を巡らせ、その方向を確かめた。
「おじいちゃん、ちょっと静かにして」
「おお、いよいよわしの推理を聞く気になったか?」
「違うの。それは後でいくらでも聞いてあげるから。それより、今、なんか変な音が……」
杏子の言葉に、おじいちゃんも口を閉じる。そして二人は、そっと音のした方向を見つめた。
そこにいたのは――商店街の会長、不動さんだった。
彼は、うろうろと落ち着きなく歩き回り、時折チラチラとステージの方を見やっている。まるで何かを隠しているかのように。
「……おじいちゃん、もしかして」
「おお、ついにわしの名推理を認めたか?」
「そうじゃなくて、たぶん、犯人は……」
杏子は小さく息を飲み、目を細める。
金のたい焼きは、最初から盗まれたわけじゃないのかもしれない――。
(いや、これって……)
事件の真相が、少しずつ見えてきた。