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牛乳戦争  作者: 玄之智淳
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牛乳戦争(一)

 巨大な台風が、暴風と強雨と乱雲の衣をまとい、太平洋上の群島にのしかかろうとしていた。


 群島は、推進力を備えた大小さまざまな人工の浮島の集合体だった。熱帯低気圧が台風に昇格し、群島に及ぼす危険が予測された頃から、予想進路をはずれる位置へ移動を開始していたが、台風はその予想を裏切った。まるで群島を慕うかのように、のろのろと周囲を動き回り、風波の先駆けを及ぼして航空機や艦艇の発着を妨げた。そして、とうとう群島全体を、どうしても逃れられないところへ追い詰めてしまった。


 この事態を受けて、群島の半分ずつを管轄する、北西太平洋共感駆動乗騎学校と日本=タルシス連合帝国地球軍南西方面軍第一洋上集団は、民間部門の代表者も交えた合同の対策協議を開いた。




「やはり、現在地にて潜航してやり過ごすのが最善であると我々は考えます」


 第一洋上集団司令部の参謀長は、図表の上から指示棒を下げながら言った。


「潜航期間は、現時点では、今夜遅くから三日間を予定しています。その間、哨戒・管制にあたる部隊を除き、全島全艦艇が巡航潜度を維持します。天候の回復が早まる可能性はありますが、特段の必要が生じない限り、浮上を早める計画はありません。逆に、状況によっては潜航期間の延長もあり得ます。その場合、最初の延長から一日ごとを判断間隔とします」


 参謀長が再び指示棒を差し伸べると、別の図表が出現した。


「ただし、これまでの悪天候で、既に若干の物資不足が発生しています。潜航期間が七日を越える可能性は低いですが、そうなった場合、移動、または水中航行可能艦艇による補給の手配も含めた判断が必要でしょう」


「ご苦労、大佐」


 第一洋上集団司令官ブライアン・リー少将は、手短に参謀長を労うと、遠慮がちに隣の席を振り返った。


「……と、いうのが我々の判断ですが、校長先生はどうされます」


「そいじゃったら、我々もそうしましょう」


 北西太平洋共感駆動乗騎学校のマートン・ムタマ校長は、あっけらかんと言った。


「うちの航法・気象担当でも、それしかなかろうち予測は出ちょった。よそへ行ったばってん、台風につきまとわれちゃあ、かなわんですからな。洋上集団さんも同じ考えじゃったら安心じゃ、ここは離れず行くちことで、どうです」


「はあ、では、そのように……」


 司令官は相変わらず、どこか居心地悪そうに答えた。


 無理もない。北西太平洋共感駆動乗騎学校は官と軍との共同運営ではあるが、その校長職は、軍の予備役入りまたは退役した将官級が務めることになっている。つまり、司令官よりも校長のほうが、入隊が早く、軍歴が長く、階級も高い。


 付け加えれば、校長は先の大戦で一人の騎手として木星圏本土決戦を経験し、先代皇帝と個人的にも親しい、軍人の中では一般社会での知名度も高い人物といえる。一方、司令官の亡き妻が、先代皇帝と対立した皇族の血を引き、対立者への赦免の気運が高まった時期に、当時帝位にあった先代皇帝の肝煎りで意中の相手に嫁いだということも、連合帝国内ではそれなりに有名な事実だ。


 校長は白い口髭をこすった。


「ただ、うちの島もここ数日の天気で、品物が少々滞っちょる。これから潜っても差し支えなかかの?」


 問いかけに対して真っ先に立ち上がったのは整備科の主任教官だった。整備科は、共感駆動乗騎と名のつく機体なら巨大なものから小型のものまで点検・整備・管理を行う専門技術者、調整士の養成課程だ。北西太平洋共感駆動乗騎学校に所属する練習機および練習艦、それらや物資・人員の移動に用いられる補助艦艇、のみならず学校の本体がある浮島そのものも、健全な状態に保つ責任は整備科にある。


「本島ならびに練習艦群、運用および専門教育活動に差し障るほどの損傷または資材の不足、ありません。このまま異状なければ、この先七日間程度は、潜航にも対応可能であります。授業は潜航時の計画に従い、本島または担当各艦の維持に関わる実技を優先して実施します」


「ふうむ。機内環境科はどげんじゃ?」


 機体内の乗員乗客に快適な環境を提供する専門職の教育課程、機内環境科の主任教官が立った。


「こちらも同様です。潜航が長引けば生活物資の一部品目、特に生鮮食料品や日用品の欠品が増えることが予測されますが、代替品の利用や生産設備の稼働で対応予定です。授業はもともと本島に生徒を集めて行うものが主ですので、特に変更ありません。練習艦各艦へは当番職員が乗り組みます」


「操縦科はどげんな? ああ、動かすほうのことじゃが」


 共感駆動乗騎騎手を育成する操縦科の主任教官が立った。彼らが使う練習機や練習艦などの機体は整備科が管理する。しかし、それが海上や海中をゆく、あるいは陸上や空中や宇宙空間を動くということになれば、専門資格を持つ騎手または資格取得をめざす騎手候補生の力がなくては成し得ない。


「艦型各課程の職員および候補生は、当番表に従い、本島および練習艦の運航にあたります。その他の課程の候補生、特に(学)の候補生は、本島に留まり、潜航中ないし島内でも実施可能な訓練を前倒しで行います」


「ふむ。そいで、一般教育のほうは大丈夫ですかの?」


 校長が問いかける間に、リー司令官は、共感駆動乗騎学校側の末席に近い後方の列へ視線を走らせた。


 そこには司令官の亡妻の妹、高等部の社会科科目担当のジェット・マグダレン教諭が座っている。一般教育科の長というわけではないが、その身分柄、協議の出席者の一人に数えられたらしい。


 彼女は至って落ち着いた様子で、慎ましやかに卓上の資料に目を落としていた。


 校長の質問には、最前列に座る一般教育科の代表が答えた。


「整備、操縦、機内環境の専門各科から、潜航中の授業計画案をいただきました。詳細はこれから協議して詰めますが、もし(学)の生徒が全員参加できない一般科目が出てくるようなら、後日補習等で対応する予定です」


 校長はうなずき、学校側の最前列に座るもう一人の人物に目を向けた。


「医療部も大丈夫ですかの? 薬品だの何だの、足らんで困っちょるもんは無かか」


「はーい、大丈夫でーす」


 場違いな声を上げたのは、椅子の上で足をぶらぶらさせている、見た目は十歳をやっと越えたぐらいの少女だった。しかし、それが北西太平洋共感駆動乗騎学校の医療部を取り仕切る、日野慧理子だということを知らない者はこの場にいない。


「医療器具、医療機器類、医薬品、ついでに健康食品も、今んとこ全部、備蓄の範囲内でまかなえてますねー。この先一週間くらい潜っても、ま、なんとか遣り繰りできるんじゃないかな。傷病者もあと四、五〇〇名は本島で受け入れ可能だし、よっぽどのことがない限り、本土に救援を求めるって事態にはならないと思いまーす」


 これを聞いた校長は深くうなずいた。


「ふむ、問題なさげじゃの」


 判断を下した校長は、隣の席の司令官と顔を見合わせた。そして、二人して同時に、真向かいの卓の人々を見た。


「そういうことになりもしたが、民間の方々は、お困りの点はありもはんか?」


 そこに居並ぶのは、群島に入居している民間商工業者の組合の代表者だった。食料品・日用雑貨・衣料品等の販売、共感駆動乗騎と無関係の小型機器の販売修理、飲食、理髪、洗濯、託児所などなど、さまざまな業種が東西二つの本島に店舗を構えている。今回の悪天候には彼らも悩まされているはずだ。


 卓の中央付近の席に座る組合長が、額の汗を手巾で拭った。


「どの店も品薄、欠品続きですが……まあ、やむを得ませんでしょうな」


「御迷惑かけもす。緊急の用があったら遠慮せず言ってくいやんせ。おい等の生産設備や輸送艦艇も、可能な限り協力しもす」


 校長と司令官が頭を下げた。


 話はついた。協議の場に、ほっとした空気が流れた。


「それにしても、厄介な台風ですな」


 司令官が話の口火を切った。


「このような可能性も予測されてはいましたが、まさか実際、ここまで業務を妨げられるとは」


「天気のことじゃ、仕方がなか。こげん引っ付かれっとは誰も思わんじゃろ」


「ええ、奇妙な動きをするわりに、今のところ、人為的要素が感じられないのが幸いですが。これ以上、対策の打ちようがないのが問題です」


 司令官は共感駆動乗騎学校側をちらりと見やった。


「確か、そちらの生徒には、天候操作能力の持ち主もいると聞きましたが……」


「司令官閣下、それ、ちょっと無理ですー」


 慧理子が子供っぽい口調で割り込んだ。


「操作系の特殊能力って、たいていそこまで広範囲には効かないし、効いても影響をやわらげる程度だし。増幅器使っても、半径数キロメートル、雨風が霧雨になるか暴風雨になるかってなもんですからねー。半径何百キロメートルの台風をどうにかするとか、とてもとても」


「ああ、いや、そこまでは要求いたしませんよ。行動中の部隊だけでも気象条件を有利にできればと……」


「あー、そういうことですねー」


 少々言い訳じみた司令官の言葉に、慧理子はにこにこと笑った。


「ぼつぼつ解散ちことでよかんが。おやっとさぁごあした」


 校長の言葉を機に、出席者たちは立ち上がり、礼を交わした。


 退室を始める人々の中で、副官が司令官の傍らに進み寄って敬礼した。


「お疲れ様です。艇は中央船体第三甲板で待機しております」


 洋上集団司令部の一行が乗ってきた艇が、共感駆動乗騎学校がある東本島の喫水線下の甲板に繋留されている、という意味だった。


 台風に覆いかぶさられた群島内の海面は荒れており、洋上集団司令部も共感駆動乗騎学校も、航空機や水上船での移動を控えるよう呼びかけていた。司令部以外の出席者も、東本島に留まる者を除けば、水中を航行する船でおのおのの島や艦艇へ戻るはずだ。


「ご苦労、大尉。では我々も本島へ帰ろう」


 司令官の手足となる部下も多忙だが、頂を務める司令官も多忙だ。洋上集団麾下の全島全艦艇に、共感駆動乗騎学校との協議が成ったことを伝え、共同歩調を取るよう指示しつつ、潜航命令を出さなければならない。それを抜きにしても、日常のこまごまとした業務が司令官と部下を待ち受けている。


「はっ」


 副官は再び敬礼したが、すぐさまそれを解き、真面目な表情で何でもないことのように付け加えた。


「それと閣下。お嬢様から、今日の夕食時のご予定を伺いたいとのお問い合わせが来ております」


 リー司令官の顔から、かすかに血の気が引いた。

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