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私の友人が殺害され、五年の月日が流れました。
警察や検察は充分に捜査をして下さり、裁判も既に終わっております。
私としては、ここを一区切りにしたいと考え、この話を書かせて頂きます。
筆者である私は、余計な雑音としか成り得ない立場です。
そのため、これはどうか、戯れ言として聞き流して頂ければ幸いに存じます。
◆ 2010年
当時、私は不貞腐れていました。
一昨年に父が人を殺していたからです。
私に母は居らず、父に殴られて育ちました。
行政からの支援金は全て父の酒代に消えておりましたので、私は畑仕事と無人販売所での収益で自らの生活費を賄っておりました。
秘境と喩えられる山奥で、比較出来る同年代も居らず、どれだけ異常であるかにも気付けぬ日々。
そんな環境でも勉学に励み、高校進学を機に家を出ようとした際、父は赤の他人を殺しました。
供述では「息子と間違えた」との事でした。私に振るってきた暴力ーートラックで撥ねる、崖下に投げ捨てる、灯油をかけて燃やす等は、父の中では私が死ぬ程の事ではなかったのです。
私への虐待行為は以前から交番や学校で何度か相談しておりましたが、交番の巡査としては「そんな事をされていたら死んでいるはず」との事で対応せず、学校の教師の対応も似たようなものでした。
つまり、事前に対処する猶予は充分あったにも関わらず、まるで私の死を待つかの対応をした結果、別の人間が殺された訳です。
しかし、周囲の反応は異なりました。
何故お前が止めなかったのか。
何故お前が代わりに殺されなかったのか。
父の供述は責任能力の欠如を装ったものである可能性が高いにも関わらず、これ幸いと、止められた筈の人間達が責任逃れの為に便乗しました。その一部は私が殺人を誘導したという噂を立て、真に受けた関係者は私を人殺しだと罵るようになりました。
故郷を離れ、市街地の高校へ進学してもなお、その噂は付いて回りました。一年目は上手く立ち回れましたが、二年目は下宿先の建物への落書きや投石や放火未遂が相次いで退去せざるを得なくなり、高校は事実上の退学となりました。
故郷も学校も自宅も、何一つ安住の地とならず。
結局、私は誰も知らない地へ逃げざるを得ませんでした。
◇
親が居ない。学歴も無い。
そんな状況で私を辛うじて支えていたのは、誰に見られる事も期待せず、ただ思いの丈をぶつけていた個人ブログでした。
辛い思いを一通り吐き出した後、結末を少しでも前向きなものへ変えるのです。そうする事で、私は少しだけ前を向けました。
それがたまたま、目に止まったのでしょう。
後に友人となる方が、初めてコメントを残しました。
「乱文や散文だとしても、感情がきちんと表現されていて感動しました。素晴らしい文才だと思います」
たまに来るコメントもスパムのような状況で、その言葉も単なる雑音としか感じませんでした。
返信もせず、暫く、同じ事をしていました。辛い感情を吐いて、書き換えて、前を向いて。
その全部にコメントを書いてくれました。
「圧倒されました」
「言い回しが上手いです」
「こんな文章が書けるようになりたいです」
「Re:私みたいになったら駄目だよ」
私がネットで初めて特定の誰かに向けた言葉は、そんな素っ気ないものでした。
「これは事実を少し良く書いただけのものだから、あまり関わらない方がいい」
「迷惑でしたら申し訳ありません。でも、凄い文章でした。小説を書いてみたらどうですか。絶対に読みに行きます」
世辞だったと思います。それでも、そうしようと思いました。実際、私の文章はそれなりに読めるものではないかと感じていたからです。
自分を騙せるまで悩みながら書いた文章です。唯一、自信を持てるものでした。それに折角頂いた賛辞を否定したくなかったのです。
私が一番最初に書いた小説は、震災によってあらゆる関係を破壊された一家が、復興と共に再生していく話でした。
個人ブログではなく、当時あった、携帯向けの投稿サイトで載せました。個人ブログにリンクを貼っていたため、友人は見に来てくれていました。
◆ 2011年
暫くして、出版社から声がかかりました。
書き始めて半年程でした。うちで出版しませんかと投稿サイトを通じてメッセージが来ていました。調べてみれば一般文芸のところでした。
当時はネット小説の書籍化が増え始めた時代でした。私の処女作が目に止まったのは、その風潮に因る部分が大きかったのでしょう。
実際、処女作は一部で好評を博しておりましたが、PV数はそう多くなく、仮に出版しても、その費用の回収は見込めないと断言出来るものでした。
にも関わらず、打診されたのは商業出版でした。
私が訝しむと、黒字になる方が少ないと言われました。そして、売れる本だけ出しても先細りしていくため、個々が赤字になるくらいは織り込み済みで開拓しているのだと。
先方からの評価は「ネット小説の主流とは言い難いが、その状況下で一定の評価を受けており、既存の読者層にも充分な訴求力がある」というものでした。
流行しつつあるネット小説を出版するにあたり、私の処女作は試金石として都合が良かったのかもしれません。純粋な高評価ではありませんでしたが、今後を見据えた堅実な姿勢に私は好感を持ちました。
それでも、出版には不安がありました。
小説の出来映えや売上より、私自身の素性と性格の問題でした。
当時の私は後見人らしい後見人のいない十八歳。復学はしていても一年遅れで、礼儀や常識を知らず、未熟な内面を隠す為に沈黙し続ける事も珍しくありませんでした。
当然、断り方も知りません。
そのため、交渉は長く続きました。
当初は処女作を出版しないかという話でしたが、実際に発生した震災の影響もあり、地震や津波を舞台設定に組み込んでいた処女作は到底世に出せなくなりました。
しかし、交渉はその後も続き、新たに書き下ろした作品を出さないかという話に変わりました。
もしかしたら、震災によって頓挫した事を不憫に感じたのかもしれません。交渉の担当者は私へ肩入れし、君の感性は唯一無二の宝だと、世に出すべきものだと、非常に熱く語ってくれました。
その熱意が、かえって私の決意を固めました。
「私の文章力は父が人間を殺した事を切欠に培われたものです。そうである以上、物語の内容が何であれ、私の小説を商業活動へ利用する事は道義的責任に悖るように思います。そちらの御迷惑となりかねませんので、商業作品の執筆は致しません」
私は被害者を身代わりに生き残ったようなものだと自覚していました。だからこそ、その死を切欠に得た技術で稼ぐような真似だけは絶対にしたくありませんでした。
交渉を長引かせた末の理不尽な拒絶で、この振る舞いは大変失礼なものだったと思います。特に責められませんでしたが、私はこの一件で商業化にーーそれに伴う責任や期待というものに、強い苦手意識を持つようになりました。
結局、私は当時利用していたサイトから完全に撤退し、名義を変え、そういった声が掛からないよう、二次創作へ逃げる事にしました。
創作を続けたのは、それが生活の一部になっていたからでした。主人公に自己投影し、創作へ落とし込み続ける事で、現実の私は一般人らしく振る舞えるようにまでなっていました。
◇
一つだけ、誤算がありました。
別名義での活動を始めた事で殆どの読者は私を見失いましたが、個人ブログから付き合いのあった友人だけは変わらず追ってきたのです。
その上、友人も創作活動を始めたらしく、何度か挿絵を送ってきました。関係者と思われないために掲載はしないと伝えましたが、印象的なシーンは描かせて欲しいと言われ、貰うだけ貰っていました。
そういうやり取りが何度か続いた後でした。
友人から、絵を描く仕事に就きたいと相談されました。
その時に初めて知りました。友人は私よりずっと若く、まだ中学生でした。
「物語には人間を助ける力があるから。それを教えて貰えたから」
いつしか敬語は無くなっていました。
知らない内に、私は友人を助けていたそうです。
「そういう作品。プロになったら、一緒に作らない?」
途方も無い約束でした。
プロに向かない私。未知数の友人。
ただ、思いました。
人殺しと言われてきた私が誰も殺さずにいられるのは、友人の一言があったからです。
「待ってる」
そう返すと、友人は「偉そうにww」と返しました。
気付けば、私も笑っていました。
◆ 2014年
約束から三年が経ちました。
友人との交流はずっと続いていました。
とはいえ、あの約束は友人を励ますためだけの口約束で、私自身はプロを目指そうとせず、一般職で働いておりました。
働きながら大学を何度か目指したものの、一度退学していた事が何かと響いたのか、当然のように不合格が続きました。その内、学問は自分に向かないと開き直り、上司から提案されていた正式採用を受け入れていたのです。
そんな場当たり的な私と違い、友人は真っ直ぐ夢を目指し、高校卒業後、芸術系の専門学校へ進学していました。
友人からしてみれば、約束を守る気の無い私の本音など侮辱でしかないでしょう。それで、気付かれる前にどう身を引くべきか考えていた時、友人からオフ会に誘われました。
正直、かなり悩みました。
私は人間との接し方が分かりません。時間をかけて返信出来るネットではまだ誤魔化せますが、対面ではみっともない姿を晒してしまうだけのような気がしました。
ですが、友人だけは特別でした。一目会ってみたいと、恥知らずにも考えてしまったのです。
そのため、私は一人で行くから、友人は誰でも良いから、何人か連れてくるように言いました。そして、少しだけ話をした後はその場で解散し、連れてきた誰かと一緒に遊びへ行きなさいと。
約束の日、私は待ち合わせの駅前広場へ向かいました。
混雑を避けようと、ターミナル駅の一つ手前の駅でした。多少の往来はありましたが、それでも見通しが効かない程ではありません。
約束よりも早く来ていましたので、当然、友人が紛れていそうな集まりはありません。案内板の横でスマートフォンを触っている女性が一人居るだけで、私はそこから少し離れた場所で、同じようにスマートフォンを取り出して時間を潰しました。
しかし、約束の時間を三十分過ぎても、それらしき人の集まりは現れません。
もしかしたら、見知らぬ相手に会う事が怖くなり、土壇場で来るのを止めたのかもしれません。
そう納得し、私は少しの悲しさと、それ以上の安心と共に帰ろうとしました。
「あの」
その時、声をかけてきた女性がいました。
私と同じように、誰かを待っていた人でした。
「もしかして、庶民さんですか?」
ペンネームを言い当てられた事に動揺し、私は頷く事しか出来ませんでした。
その女性が、友人だったのです。
友人は私の顔を正面から見ると、固まったように動きを止めました。
そして、恐る恐るといった仕草で、手を口元へ当てて。
「待って。イケメンやん」
その一言で私は更に動揺し、恥ずかしさから思わず顔を背けました。
外見を褒められたからではありません。可愛いらしい人だと、意識してしまったからです。
言うなれば、一目惚れというものでした。
◇
少し、観光をしました。
春先でしたので、桜のある方へ。
デートだったのでしょうか。全くの無計画でした。
何一つ、リードが出来ません。ふらふらと歩いた足が、ただ観光地をなぞるだけでした。はぐれないように手だけは繋いでいました。
初対面とはいえ、ネットでの付き合いは四年以上ありました。少しくらい話が出来るかと思いましたが、それもあまり出来ません。
そもそも、何故手を繋いだのでしょうか。何故拒まなかったのでしょうか。
「一人で来て良かった」
友人が言いました。
火照った頬が林檎のようでした。
「良くないよ」
私が言いました。
「私は良い人じゃないから」
「リアルの一人称も私なんや」
「どうでもいいよ」
本当にどうでもいい事でした。
友人は私の手を強く握りました。
「悪い人やないと思うよ。割と前向きやん。凄い人生送ってんのに、ちゃんとやろうとしてて」
「どんな理由があっても、悪い事は駄目だから」
「発想が主人公過ぎん?」
「……キモいでしょ」
「割と似合っとるよ」
何かを言い返そうとして、出来ませんでした。
嫌われようかと思いました。いつか自分が邪魔になる日が来ると思っていましたし、その前に距離を取ろうと思っていました。
それでも、何も言えません。
手が離せません。
その内、擦れ違う通行人が微笑ましい目で私達を見ながら、出来るだけ離れた場所を歩いている事に気が付きました。
誰の目から見ても、カップルだったのでしょう。
「ごめん」
「ええよ、別に」
友人は視線に気付きながらも、そう言いました。
「……嫌ちゃうし」
少し間があって、そう恥じらいながら言われると、私は何だか頭がおかしくなりそうでした。
ネットを介していたとはいえ、私的な事を話したり、作品を見せたりしていた仲です。内面がどのようなものかは薄々分かっていましたし、感謝や好意は会う前から多少ありました。
しかし、初対面です。
はたして、持っていい感情だったのでしょうか。
あまりにも欲望に忠実過ぎないでしょうか。
何故、そう思ってくれているかも分からないというのに。
「……ありがとう」
私に言えたのは、それだけでした。
その後、二人で本屋へ行きました。
併設されたカフェで、互いに好きな作品の話をしました。
最初は言葉に詰まりがちだった私達でしたが、いつの間にか、ネットで話していた時よりも饒舌に言葉を交わすようになっていました。
そのせいか思っていたよりも時間が経ってしまい、二人で夕食を共にしてから、私は友人を駅まで送りました。
私自身は頭を冷やすため、終電まで駅のベンチでぼんやりと座っていました。
手元のスマートフォンには、友人の名前と電話番号が新たに登録されていました。
◆ 2015年
その頃から、私は身嗜みや日頃の言動を気にするようになりました。友人との関係を少し、深めたくなったのです。
今までのやり取りは全てブログのコメント欄で交わしていましたが、連絡先を交換してからは主にショートメッセージを使い、気が向けば、他愛ない事を電話で話すようにもなりました。
話している内に分かりました。
友人は本気でプロを目指していました。
その熱意につられ、私も一度、練習だけはしておこうと思いました。
とは言え、今までの作風は世間の流行と一致しません。そのため、私はそれを意識した実験作を書き、別サイトで投稿する事にしました。
書いたのは、元は平和だったという原作設定のある、作品世界への転生ものでした。
原作知識のある主人公が脇役へ転生するも、無自覚に改変してしまい、治安の悪化した世界。主人公には特別な才能もなく、身から出た錆に追われ、逃げ回り、他者へ押し付けながら、それでも自分と家族を守るために奮闘するという物語です。
これはそれなりに好評で、日間や週間のランキングへ定期的に載る程でしたが、私の気分は優れませんでした。
平穏を求めつつ、様々な問題から逃げ続ける主人公。他人の作品では特別気になりませんが、自分で書いていると何故だか不快でした。
人気はありました。批判はありませんでした。少なくない方が主人公に共感し、感想を書き込み、評価をします。
それが尚更、心に来ました。
◇
そして、ある日。
故郷の人間から、電話がかかってきました。
昔、私からよく農作物を買い、陰ながら生活を支えていた方の訃報でした。
元々、高齢で持病を抱えていた方でした。寝たきりになった話も聞いていましたが、だとしても、急な話でした。
急いで戻った私を出迎えたのは、多くの人間に包囲され、顔を青くしている喪主ーーつまり、亡くなった方の息子でした。
周囲に話を聞けば、それが精神を病み、趣味に逃げ、介護を一切しなかった事が分かりました。そして、遺体はあまりにも損壊が激しかったため、葬儀の前に火葬したとの事でした。
確認のために寝室へ入ると、畳には遺体から漏れ出た体液による染みが広がり、天井には夥しい量の虫が付いた蝿取り紙が無数に垂れ下がっていました。
亡くなった方は、誰にも看取られる事無く死に、そして腐っていったのでしょう。
死後数日放置されたのか、酸鼻の極みとしか言い様の無い異臭は屋外にまで漂っていました。
故郷の人間達には、この惨状が分かっていたのではないでしょうか。助けようと思えば、少なくとも孤独に死なせる事はなかったのではないでしょうか。それでも彼らは、面倒事へ巻き込まれないよう、あえて何もしなかったのではないでしょうか。
ふと、私が受けた仕打ちを思い出しました。
死ぬのを待たれ続けた過去を思い出しました。
楽に生きようとする姿が、ストレスから逃げ続ける姿が、好きになれないまま書いている実験作の主人公と不意に重なりました。
◇
葬式の後、私は実験作を削除しました。パソコンに残していたバックアップも消し去り、あらゆる執筆から距離を取りました。
何度書き直しても、実験作の主人公が家族を殺す展開しか書けなくなっていたのです。たとえ荒唐無稽でも、あれが故郷の人間達の同類だと気付いてしまった私には、そうならない展開が全く思いつかなくなっていました。
それに、あの主人公が共感を誘っていた事実が、多くの読者もまた、故郷の人間達と同じ価値観を持っているように思わせました。
故郷で無ければ、もっと真っ当な人間がいるだろうと希望を持っていた私には、それが行き過ぎた妄想だと理解していても、耐え難いものがありました。
それからの私は、平日は仕事に没頭し、休日は友人を誘い、様々な場所へ出掛けるようになりました。
友人との外出は傷心旅行以外の何物でもなかったのですが、名目としては、創作活動のためのフィールドワークだと偽っていました。
観光牧場で動物と触れ合ったり、喫茶店で料理の撮影や食べ比べをしたり、服屋で互いに様々な衣装を合わせてみたり。
二人だけの小旅行は、資料集めなのか、デートなのか、どちらとも言えない曖昧な空気感に包まれていました。
その間、私は募る好意と良心の呵責に苛まれていました。
反故にしたままの約束を口実に、自身の傷心を癒す為に連れ回しているのです。それを卑怯と言わず、一体何と言うのでしょう。
それでも私が罪悪感に押し潰されなかったのは、二人の時間を友人も楽しんでいたからでした。向こうから目的地を提案される事も珍しくなく、私はずっと、その好意を言い訳にしていました。
ですが、その好意の理由が、私には分からないままでした。
◇
街の眺望を撮影しようと、二人で展望台のある小さな山へ出掛けた時の事です。
その日は夏らしい蒸し暑さで、空には入道雲が聳えていました。
山頂の展望台へ着くと、やはり夕立が降ってきました。私達は東屋へ避難し、備え付けのベンチに並んで腰掛け、雨が通り過ぎるまで待つ事にしました。
夕立の冷気が登山で火照った体を冷やしますが、それでも暑かったのか、友人は服の襟を摘まんで扇いでいました。その時にちらりと覗く女性らしい胸元へ目が行きそうになり、私は慌てて顔を背けました。
幸いにも夕立はすぐ通り過ぎ、雲間から陽光が射し込むようになりました。くっきりとした虹が空に架かり、麓の街を大きく跨いでいます。
私は友人にカメラを渡し、熱心に風景を撮影するその後ろ姿を見ながら、友人に感じていた印象を整理しました。
友人は女性の平均よりも少し背が高かったものの、纏う雰囲気は何処か幼く、私は対面する以前から何かと世話を焼いてきました。
人間関係の相談相手にもなりましたし、小旅行の旅費を用立てたり、卒業祝い等で真新しい機材をプレゼントした事もありました。
ふと、友人が私と親しくしてくれるのは、今までの礼を兼ねたものではないかと思いました。
もし礼であったとしたら、少し申し訳無く感じました。
私は見返りを求めていた訳ではありません。純粋な応援の気持ちで援助をしていたのです。
少なくとも、そうだったのです。
なのにいつの間にか、劣情を抱いている事に私は自分が情けなくなっていました。
そんなものを望んでいいのでしょうか。
人殺しの子供だと言うのに。誰も助けられなかった薄情者だと言うのに。
夕暮れ時。灯りが街を彩ろうとしていた頃、一通り撮り終えた友人が私にカメラを返しにきました。
手を繋ごうと無邪気に差し出される友人の手を躱し、私は展望台の柵へ両手を置きます。
そして、思い切って尋ねました。
どうして、私に興味を持ったのかと。
「たいしたことやないよ」
そう言いながらも、友人は少し言い淀みました。
「あのな、学校で上手くいかんくて、家でも上手くいかんくなって、引き込もっていた時にたまたまブログを見つけたんよ。
読んでたら迫力あるし、前向きに終わるし、知らん内にコメントしてた。
本当に、最初はそれだけやった。でも、小説書いてもらったら、その内容が家族愛とか、親子愛とかで凄く優しくて」
私は家族愛を知りません。ただ、憧れはありましたから、物語を書く時はそれを中心に据えていました。
それが偶然、友人の心に響いたのでしょう。
「頑張ろうって思ったんよ。だから、親に謝って、学校行って。まあ、中学は最後まで浮いてたけど、高校からは頑張ってん」
私の文章は、私の内面を書き換える為に書いていたものです。
変わる切欠を求めながら読めば、他人であっても、その理由くらいにはなれたのかもしれません。
「悪いけど、家族愛とかは、もう書けないかもしれない」
友人が興味を持っていたのは、少し前の私です。
愛情とは何なのか。分からないままに、純粋に探し求めながら書いていた頃の私です。
そんなものを無価値ではないかと疑うようになった今の私ではありません。
「育ての親みたいに思っていた人が、その人の子供に虐待されて死んだから。良い人だったんだけど、そんな人でも駄目だったから」
挫折を直接伝えたのは、その時が初めてでした。
ネットで無残な心情を呟く事はありましたが、それとて、特定の誰かに伝えようとしての事ではありません。精々、海か山へ向けて吠えるようなものに過ぎませんでした。
「私にプロは無理だよ」
私はもう、嘘の約束を続ける事に気が引けていました。
友人は私の弱音に、少し辛そうな顔をしました。
しかし、すぐに切り替えました。
「言うたやん。物語には人間を助ける力があるって」
本当でしょうか。
「嘘ちゃうよ。助けられたんよ?」
友人は顔を合わせる事も出来なくなっていた私を振り向かせると、おもむろに抱き付いてきました。私の方が少しだけ身長が高かったのですが、引き寄せられ、低くなった私の肩へ友人は頭を預けます。
そして、そっと囁くのです。
「待っといてな」
あれほど優しい声は聞いた事がありません。
私はもう、頷くしかありませんでした。
◆ 2017年
暫くして、友人はイラストレーターとして仕事を依頼されるようになっていきました。
小規模な仕事ばかりでしたが、地道に実績を積み重ねていけば、その内、大きな仕事が転がり込みそうなところに到達していました。
対して、私はまだ何も書けていませんでした。
ただ、それは暗い記憶に苦しんでいたからではなく、職場での昇進を優先したからでした。
この頃になると、私が友人へ抱いていた感情は大きく変わっていました。
私は自らの境遇が敬遠されるものと知っていましたし、友人は年下でしたから、今まで自分の気持ちに蓋をしながら向き合っていました。
それでも己の無残な心情を暴露してしまい、けれど、私達の関係はそのままだったのです。
友人は在学中に同期から告白された事もあったそうです。しかし、それを断ってまで、私との曖昧な関係を続けていました。
そこまで来れば、私も決心しました。
告白しよう。
告白して、恋人として、幸せにしよう。
正直なところ、私の身の上で誰かを愛していいのか分かりませんでした。ですが、この想いを本人が受け入れてくれるなら、それに相応しいように変えていけばいいのだと、自分に言い聞かせました。
◇
桜を見に行こうと、私から誘いました。
一番最初に会った時も桜を見に行きましたが、まだ蕾だった桜しか見れませんでした。しかし、今回は事前に満開である事を確認していました。
待ち合わせも同じ駅前広場でした。ただ、今度は友人を待たせないよう、私が早めに来ていました。
これはリベンジでした。
オフ会なのか、デートなのか、何なのかもよく分からないまま、グダグダに終わってしまった最初の出会い。
それをやり直し、計画通りに友人をもてなし、それから告白する。そうする事で、自分達の曖昧な関係も一からやり直せると私は考えたのです。
波乱を思わせるような、風の強い日でした。
誰かが捨てた空のペットボトルが歩道を転がり、植え込みに引っ掛かって止まりました。それを拾い上げて近くのゴミ箱へ片付けている時に、友人は駅から出てきました。
息を切らしていて、どうやら、私を少しでも待たせないよう、ホームから走ってきたようです。
二十歳になった友人は年相応に大人びていましたが、それでも私の前では、子供のような奔放さを今まで通り見せてくれます。それが私には眩しく、けれど、愛らしいものに見えていました。
桜の名所まで連れ添って歩いている間、友人は何気無く私の手を掴まえ、指と指を絡ませてきました。
少し前までの私は手を繋ぐ事にすら妙な意識を持ってしまい、身を強張らせては、その純朴さを友人にからかわれていました。しかし、告白すると決めたからか、もう動揺はありません。
そっと握り返せば、驚いたように友人は私の横顔を見ました。
ただ、何を言う訳でもありません。手のひらの熱を感じながら、もう数センチ、私の近くへ身を寄せるだけ。
いつからか、友人は鼻歌を口ずさんでいました。
そのメロディが、私には非常に心地好く。
「……好きです」
ぽつりと、予定外のところで、私の気持ちが口から溢れてしまいました。
目的地には、まだ到着していません。風情も何も無い、ただの歩道の上でした。
周囲には通行人が疎らに居ましたが、吹き続ける強風のせいか、不意の告白は友人にしか届きませんでした。
しかし、肝心の友人に届いていたのです。
友人の足が止まります。至近で顔を見られます。
言い繕う事はもう不可能で、私は呼吸が止まった気がしました。胸の奥が引っ張られ、喉が開いたまま、動かなくなっていました。
「私の、彼女に、なってくれますか」
絞り出した、辿々しい告白が私の精一杯でした。
言った後で私は急に顔が熱くなりました。
今までで一番恥ずかしい経験でした。
友人は唖然とするばかり。中々、返事を聞かせてくれません。
一頻り困惑した後、友人は遂に言いました。
「うちら付き合ってなかったん」
それが友人の答えでした。
予想していなかった答えで、ただ、その言葉で両想いだった事に気付いて。
私は恥ずかしさよりも嬉しさの方が上回り、それでふやけてしまった顔が可笑しかったのか、友人は楽しげに笑ってくれていて。
その日、きっと私は、世界で一番の幸せ者でした。