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月下の古要害  作者: 三峰三郎
8/8

月下の古要害 完

 夜になり南西の山に篝火が焚かれるのが大塔の古要害から見えた。

 それは、長秀の小笠原軍本隊が塩崎城に無事辿り着いたことを示す光だった。


 ひとまず胸をなでおろしたが、長国はすぐに要塞に籠る三百人の食料をいかにするか思案しはじめた。ここに籠城する予定などはもちろんなく、この要害に備蓄などあるはずもなかった。

 撃って出ても、間違いなく皆殺しにされるだろう。


 行き詰まった長国は、一か八か塩崎城へ救援の使者を送ることにした。

 長国配下の若い将である古米将監(こまいしょうげん)常盤下総守(ときわしもうさのかみ)という二人の青年に夜陰の隙を縫ってここを抜け出させた。


 しかし数日が経過しても長秀が援兵を寄こす気配はなかった。

 塩崎城の麓にも敵兵が陣取っており、長秀にも援軍を送る余裕など少しもなかったのである。


 古要害に立て籠ってから二十日ばかりが過ぎた。

 兵はみな飢えていた。眼窩は窪み、頬の肉も削ぎ落ち、なかには地に伏したまま起き上がらないものもあった。

 餓死者はそのまま放置された。


 二十二日目の夜のことである。

 突然、馬の狂ったような嘶きが砦一帯に響き渡った。 


 敵襲かと太刀を引っ掴み慌てて起き上がると、長国は馬の鳴き声がした方角へと急いで駆け出した。

 

 長国の目に飛び込んできたのは、異様な光景であった。

 口と手を真っ赤に染め、顔に恍惚とした表情を浮かべた宮内が、月明かりの下に佇んでいたのである。

 その姿はこの世のものとは思えないほど恐ろしく醜いものに見えた。

 傍らには、息絶えたばかりの長国の愛馬が腹を裂かれて横臥していた。

 宮内は空腹に耐えられず、主人の騎馬を殺傷しその肉を口にしたのである。

 

 宮内はこちらに気が付くと正気に戻った。

 そしてわなわなと体を震わせながら、膝から崩れ落ちた。


「長国様……。私は……、私は何ということを……」


「宮内……」


 長国は呆然とその姿を見つめていたが、宮内を責める気持ちなど微塵も湧いてこなかった。

 むしろ飢餓状態の配下たちをなんとか救ってやりたいと日々苦慮してきたのである。


「このような惨めな思いをするのであれば、私は御家人になどなりたくはなかった……」


 宮内は顔を覆って咽び泣いた。

 

 じっと眺めていた長国はそばまで歩み寄ると、宮内の手に残っていた肉片をつかみ取り、口に頬張った。

 そして咀嚼しながら己の頬の傷を撫でながら言った。


「この傷はのお、水と間違えて酒を口にした松壽丸がわしの太刀を振り回して暴れたときにできた傷なんじゃ。このわしに傷を負わせるとは、見込みのある倅だとは思わんか」


 長国はにっと半分赤く染まった白い歯を見せて笑った。

 そしてすぐに真剣な面持ちに戻ると、意を決したように言った。


「わしにはおぬしらを人として死なせてやる責任がある。これから敵に夜襲を駆けるぞ。仕度せい」


 長国は宮内に背を向けるとその場をあとにした。



「……疲臥下郎共。馬引張刺殺切取肉。自口流血各哺之。……眼前餓鬼畜生道是也。」(『大塔物語』)



 応永七年(1400)十月十七日の川中島の夜は、月光を遮る雲もなく白日のごとく明るかった。

 大塔の古要害に立て籠っていた小笠原勢三百騎が突如として打って出ると、ここを取り囲んでいた国人勢に襲い掛かった。

 この戦いで古要害の小笠原勢のほとんどが戦死、自害を遂げたという。

 

 その後、塩崎城の長秀は、縁者である佐久郡の国人、大井光矩(おおいみつのり)による仲裁で反守護勢と和解すると、命からがら京へと逃れていった。

 長秀が信濃守護を解任され、新たに斯波義将が任じられたのは翌年のことであった。






 天文年間のことである。甲斐の武田氏に帰属していた坂西氏は、同じく帰属していた長秀の弟の家系である松尾小笠原氏に領地横領の嫌疑をかけられ戦となり、坂西の家系は絶えたという。



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