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月下の古要害  作者: 三峰三郎
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月下の古要害 5

 善行寺に入部した長秀は、さっそく信濃守護としての政務を執り始めた。

 まず、押買、狼藉、蘭匱、早馬などの制札を立てて、人々に沙汰した。


 そして、長秀の守護就任を祝おうと周辺の有力国人たちが伺候しくるのに対して面会を重ねた。

 しかし、長秀のこの時の対応は、わざわざ祝福しに善光寺までやってきた国人たちに悪い印象を与えたのである。

 剣と扇を身に着けるというのが客人を出迎えるときの正装であったが、長秀は常日ごろと変わらぬ服装で国人たちを出迎えた。

 また、挨拶に来た者に一献の酒も用意することなく、一言、二言、言葉を交わしたのみで、すぐに客人たちを下がらせたのである。


 長秀はこれまで京の都で過ごしてきた期間が長く、将軍足利義満の護衛も何度か務めたことがあった。義満が築き上げた都の煌びやかな文化を、長秀は間近で見てきていたのである。

 そのため、情勢に暗く卑しい田舎者ども、と信濃の国人を長秀ははじめから見下していたのであった。


 この長秀の尊大な態度に、面会しにやってきた国人たちは腹を立てた。

 しかし、長秀を信濃守護に任命したのは幕府の将軍であり、彼らは幕府に反抗するつもりなどなかったため、表面上は暫く彼に従う態度をとった。


 面会を一通り終えた長秀は、己に頭を下げる国人たちを見て、この地を完全に掌握したと思いあがった。


 この年(1400)の八月下旬のことである。

 あろうことか長秀は、川中島平にある村上満信(むらかみみつのぶ)の所領に使いを派遣し、満信に許可も得ず、年貢を徴収しはじめた。


 村上氏は北信濃きっての有力国人である。周辺の国人たちにとって村上氏は、この地域の棟梁的存在であった。

 

「先祖代々受け継がれてきたわが領地を勝手に侵すとは許しがたい越権行為である。小笠原長秀、許すまじ」


 村上満信は大いに憤った。

 長秀が派遣した使いの首を打ち落とすよう配下に下知すると、この行為に対する反対の意を示すため強訴の挙兵を決心した。

 村上満信は川中島の南の小高い山にある屋代城を本拠としていた。軍備を整えつつ、満信はほかの国人たちにも、我らに呼応して共に強訴の兵を挙げようと呼び掛けた。

 

 村上満信率いる村上軍五百騎が屋代城を出立し、千曲川を渡って篠ノ井岡(矢代の渡し)に陣を敷いたのは、九月三日のことであった。


 

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