月下の古要害 3
「その頬の傷はいかがなされたのですか。以前お越しになった折には、なかったように思いますが」
玉菊は長国の頬にある一文字の傷をじっと眺めた。
「これか。これは和泉の戦で負った傷よ」
長国は面映ゆそうに傷を指でなぞった。
和泉の戦とは、前年(1399)十一月に起こった応永の乱のことである。
中国、近畿地方六カ国の守護大名である大内義弘が室町幕府将軍、足利義満に反旗を翻したことで起きた戦であった。
乱の鎮圧のため、義満は全国各地の大名に軍の召集を呼び掛けた。
信濃国伊那郡伊賀良荘に在住していた小笠原長秀も幕府軍のもとに馳せ参じたのである。これに坂西主従も付き従っていた。
宮内は、長国の頬の傷が応永の乱で負ったものではないことを知っていた。
戦の最中、長国は幕府の管領、畠山基国の軍に従った小笠原勢の先頭を常に駆けていた。
しかし、乱の鎮圧を果たし、今年の七月に和泉国から帰ってきた時には、確かにその傷はなかった。
その後、長秀に従って善光寺平に着いた時にはいつの間にかできていたのである。
宮内もこの傷については疑問に思っていた。
「それより、周辺の国人どもの様子はどうじゃ」
長国は己の傷のことから話を逸らした。
信濃国は、有力国人たちが自らの所領の維持、拡大に躍起になっており、決して安定した状態とはいえなかった。
十三年前の嘉慶元年(1387)には、当時幕府の管領であった斯波善将の弟、斯波義種が信濃守護であった。斯波義種は在京していたため、二宮種氏が代わりに信濃国を統治していた。その二宮種氏と村上頼国、高梨朝高ら国人衆との間で所領問題を契機とした争いが起きていた。ちなみにこの戦に長秀の父、小笠原長基も国人側として参加している。
また、長秀が信濃守護に任命された直後、これに反抗するかのように島津国忠が挙兵している。この挙兵も所領を主張する強訴であった。
今度の長秀一行の善行寺入りに際しても、国人衆が歯向かってこないとも限らなかったのである。
「あまりかんばしくありません。特に大文字一揆の国人衆は小笠原様に反抗的にございます」
玉菊は目を伏せながら答えた。
大文字一揆とは、仁科、禰津、春日、香坂、宮高、西牧、落合、小田切、窪寺の犀川付近に所領を持つ小国人たちの連合体で、守護職から自分たちの権益を守るために結成された一揆である。
そのため、守護に対してはもともと反発的であったが、今回の長秀守護着任も快く思っていないという。
宿屋の女将と遊女を兼ねている玉菊は、周辺地域の情勢に耳が早かった。
「まあ、わしがいる限り小笠原家は安泰じゃ」
そう言うと長国は、白い歯をみせながら豪快に笑ってみせた。
この男には周りの人を安心させる不思議な魅力があった。
宮内は相槌を打つと、なみなみに盛られた酒を優雅に呷った。