月下の古要害 2
応永七年(1400)八月十日、善光寺門前町の大通りに太陽が照り返し、陽炎が土埃をゆらゆらと揺らめかせていた。
通りを煌びやかに着飾った六百人ばかりの一行が、善行寺に向けて打ち入りを果たそうといしている。
前年に新しく信濃守護に任命された小笠原長秀の行列である。
金襴の頭巾を頭に乗せ様々な色の小袖を来た歌人、長秀が乗る輿を担いだ屈強そうな何人もの武人、目の鋭い大鷹を肩にした鷹匠など、都風に着飾った人々が列を成していた。
老若男女、貴賤問わず集まった町の人々が通りの脇で感嘆の声を漏らしながら、善光寺に向かう一行を見送っていた。
三十年前に焼失して以来、新築したばかりの善行寺本堂も彼らを歓迎しているかのようである。
一行が進む寺町通から脇道を西に抜けると、姉小路という通りに出る。すべての住人が出払ってしまったせいか、姉小路は閑散としていた。
その通りに二頭の馬が繋がれた一軒の宿屋があった。
「美しい女子に注がれて飲む酒は格別じゃのう。のう、宮内」
宿屋の一間に胡坐をかく図体の大きな男が、盃を一息に干すとそう言った。
その男、背が異様に高く、二十一歳という年齢にそぐわないほどの戦歴を思わせる傷が、体の其処此処にある。
名を坂西次郎長国といい、小笠原一門のものである。当主、長秀とは祖父を同じくする間柄であった。
「は、はあ……。長国様は行列に加わらなくてよろしいのですか」
長国の前に座る宮内と呼ばれた男が盃も持たず、主人の顔を窺った。
「よいよい。美しい装束を身に纏うより、美しい女子を見ている方がよいではないか。宮内、御家人になったからには、このように興ずるべきじゃ」
長国はそう言うと、宮内にも酒を注ぐよう傍らに侍る女に目で催促した。
宮内は恐縮しながら、手に持つ盃が満ちていくのをじっと見つめていた。
宮淵宮内左衛門尉はもともと伊那郡飯田郷の百姓にすぎなかった。
しかし、宮内の妹が飯田郷地頭である長国にたまたま見初められ、嫁ぐこととなった。
身分上、百姓のままでは何かと不便であるため、宮内は御家人として取り立てられることとなり、宮淵宮内左衛門尉と名乗るようになった。
そうして、宮内は長国のそば近くで奉公することとなったのである。
「玉菊、この男がわしの義兄よ。わしの妻はなかなかの美人でな。それこそ妻を眺めながら何杯でも酒が飲める」
「まあ、妬いてしまいますわ。御嫡子様もお生まれになられたとか」
長国の横に座る玉菊は、空になった客人の盃に酒を注ぎながら尋ねた。
しかし玉菊は、長国が嫁を娶ったこと、すでに男子が生まれていることを、以前長国がここに宿泊した際すでに聞き及んでいた。
長国が気持ちよさそうに酔うと、決まってこの話をするからである。
「松尋丸と名付けた。もう七つになるが、一度癇癪を起すと手が付けられなくなって困っておる」
そう言いつつ長国は、酔って赤く染まった頬を搔きながら、故郷に残してきた妻子を思い出すかのように微笑んだ。