そいつは最後まで止まらない
「ハァ!」
まず迫ってきた一匹をすれ違い様に切るが師匠と比べてみれば天と地の差があった。
レイナとウーリ坊の間は一人分の隙間がある。確かにこの程度の敵を斬るだけなら充分だろう。
(これで満足してたまるかぁ!)
だが彼女が目指すのはヨルムンガンドを真っ二つにした黄金の光だ。その使い手である彼はギリギリの距離、レイナから見て二ミリもあるか分からないそんな絶妙な距離で避けていた。
まだまだ足りない。
もっと強く。
「次ぃ!」
幸い今のレイナはポイントで攻撃特化にしたからウーリ坊でも一撃入れれば倒せる。
なら今は避けて斬る事だけに集中すればいい。
剣を構え直して向かってくる次の魔物と対峙する。
速さは自転車並み。それでもゲームをしていなかった彼女からすれば驚異だが生憎三日前にヨルムンガンドと遭遇済みだ。
あの一瞬で刈り取るような、音速の死神の鎌を体験していれば……こいつらなんて微風の如く。
「ハァッ!」
迫ってきた一匹目を斬る。
そして次の敵に構えようとして、
「左です」
師匠の言葉が飛んできた。一体何を指しているのか、その意味を脳で理解する前に体で直感する。
ここか、と半分勘任せに左側へ剣を振れば当たる直前だった新しいウーリ坊に直撃した。
(危ない、師匠の言葉が無かったらダメージ負ってた。と言うより……これ、囲まれてる)
剣を構えながら周りを見れば距離にして五十から百メートルくらいだろうか。そこにいる全てのウーリ坊が此方を見てこちらへ突撃しようと構えている。
(マズイな、周りにプレイヤーが居なさすぎて彼女がロックされてる)
同族を倒し続けたのも悪かったのだろう。二十匹以上のウーリ坊が彼女を目の敵にしている。
これは良くない。レオは厳しい修行をするとは言ったが、それはゲームを楽しくプレイしてもらう為。彼女が目指す理想のプレイに近づけるように厳しくするのだ。
(こんな序盤でモンスターにボコボコにされたらちょっとしたトラウマになる)
だから少しだけ手助けしようとして……気づいた。
(笑ってる……?)
綺麗だった服が、白い肌がウーリ坊との戦いで泥まみれになっている。そこには町で出会った時の綺麗な女性の姿はない。
ただただ今を全力で楽しんでいるプレイヤーが居た。
レオという最強のプレイヤーが居るから安心して笑っているわけではない。
この危機的状況を楽しんでいるから笑っているのだ。
(こい、ウーリ坊。貴方達を倒してもっと強くなってやる!)
(今のレイナさんに助けは……むしろ邪魔か)
獲物を狙う二十の動物達。
対する笑みを浮かべる一人のプレイヤー。
「ブモォォォ!!」
まずは二つの方向からそれぞれ一匹。
合計で二匹襲ってくるが、迫ってきた一匹を斬って──
「左」
レイナが気付く前に声が飛んできた。
それに従い剣で二匹目を切り伏せる。
次は四匹。目の前から二匹が迫るがこれは楽勝。
自分から走って二匹連続斬り伏せる。
「右後ろ」
そして右後ろと左後ろから来たウーリ坊を避けて斬り伏せる。
次から次へと迫ってくるウーリ坊の軍団。
最初は二匹同時だったのもだんだん増えていき、連続で六匹迫ってくる始末。
ハッキリ言って初心者一人には厳しい戦いだ。
レオが訓練を付け始めた頃のレイナではこの戦いは切り抜けれなかっただろう。
(……すごいな。彼女のゲームセンス、いいぞ)
声掛けすらしていない彼はレイナの成長速度に驚くばかりだ。最初は斬る時に無駄にあった数十センチの距離も今では殆ど無駄がなくなっている。
確かにウーリ坊の攻撃は単純明快だから、避けて斬り伏せるのは楽な方だ。だが単体ではなく複数、それも360度から攻めてくるなら話は別だ。
初心者のレベルではない。
何処かぎこちなかった剣の動きも今ではしっかりと扱えていて、剣筋が綺麗に描かれている。
もはや舞と言える程に凛々しい動きへと昇華されていく。
レイナ……源氏 まどかは天才だ。
現実では全ての教科がオール5なのは当然、色んな部分でも好成績を残している。
それは勉強だけではなく運動も同じ。水泳、野球、テニスといった競技で低身長というデバフがあるにも関わらず好成績を残している。
まどかはセンスがいい。
それも特化型ではない。ゲームのRPGで言う万能型に近い物だった。
だから。
「やったー!!!」
数多くの魔物を切り伏せて平然と彼女が立っている事も当然の事だった。
勝てたんだと理解した彼女は剣を持ちながら両腕を上げている。ピョンピョンしながらそうしている様を見ると本当に楽しそうだとレオも綻んだ。
ただ彼女は一つ忘れている。
(まだWinの表示はされていない)
戦いは終わっていない事を。
『ブモォォォオオオオオ!!!!!』
「っ! しまっ──」
ウーリ坊より二回り勇ましい咆哮が平原へ鳴り響く。
それでやっと自分がミスをしたんだと気付いたレイナだったが、タイミングが遅かった。
激突して来たのは巨大な猪。
ウーリ坊が自転車なら今来た親玉は自動車。
段違いの威力にレイナは吹き飛ばされてしまう。
数メートルの高さで円弧を描き、百メートルほど離れた所で転がされるレイナ。これが現実なら病院送りは確定だろう威力だった。
(しまった……HPが)
バーを見れば赤に染まっている。
それも残りの長さなんてほとんどない。
今負けなかったのは幸運だったから。目の前にいる巨大な猪は確実に、今のレイナより格上の存在だった。
体を起こして目の前を見れば二メートルはある巨大な猪。
わざわざ無防備だった私が立ち上がるまで構えたままなのは強者の余裕からか、それともウーリ坊の仇を完膚なきまで叩きのめしたかったからだろうか。
『Lv:25 ビッグボア』
(いやーウーリ坊はちょっと可愛げあったのに、親玉になると怖さしか感じない)
小さいのは目に点があったのに親玉は完全に白目だ。
茶色の様に明るい毛色をしていたウーリ坊も成長すれば黒く濁るらしい。余計に禍々しさが増す。
(……流石に限界か)
今にもやられそうな弟子を見ていた師匠はそう思った。初日の修行の成果としては上々……いや充分すぎる結果と言える。
元々これは彼女がゲームを楽しんでもらう為の修行。ならここが潮時だと剣を抜こうとして。
「待ってください師匠!」
ボロボロの弟子に止められた。
レイナの体は泥まみれで血だらけだ。
今でも倒れてしまいそうな物になっている。
だけど、彼女の目はまだ終わっていない。
「まだ私は負けていません。それに……この程度の敵で諦めてたら、師匠みたいになれません!」
彼女は思う。初めて師匠と出会った時の理想を。
彼女は願う。その究極の理想を自分の手で実現したいと。
なら彼女は決めた。ここで勝つ。
「ふぅー…………」
『……………………』
レイナは意識を極限まで研ぎ澄ませる。構えながら、さっきの一撃を必死に思い出して攻略の一手を探す。
ビッグボアは左足で何度も地面を引っ掻く。
「『!!』」
目が開いたのは同時だった。
猪が出した答えは単純明快。全力疾走の突撃。
猪共の長まで上り詰めた強靭な肉体と鍛え上げられたられた筋肉から放たれる瞬発力。
それがガソリンとなって猪はミサイルと化した。
対してレイナが取ったのはその場にとどまる事。
目線はビッグボアから離さず。だがその時が来るまで一ミリ足りとも石の様に動かずにいる。
微動だに動かない相手にビッグボアは勝利を確信した。
剣を持つ人間が此方を恐れて動けなくなったのか、それとも反撃のタイミングを伺っているのか。
もうどちらでも良くなった。
己の範囲に弱小な人間が入ったからだ。
ビッグボアは顔を振り下げてツノの先端が人間の心臓に当たるように調整する。
後は圧倒的な速さでぶつければいい。
それだけで勝敗は──「スキル、発動」──は?
僅かな隙間だった。
ビッグボアが振り下げた瞬間の僅かな時間だった。
でもそれだけでいい。
後は師匠の様にタイミングを合わせてしまえば。
僅かに右から攻めてくるビッグボアに対して、左前に一歩だけ踏んでしまえば……。
もう斬れる。
ギリギリ掠れて擦り切れる服。
そんなどうでもいい事には関与せず、レイナは今できる最大の一撃を放った。
手に入れたスキルポイントで唯一使える様に来た一撃特化のスキル。
『スラッシュ』
ビッグボアがレイナを通り過ぎた後になるポリゴン化の音。
果たして負けたのは──
「お見事です。レイナさん」
〈Win!!〉
上下真っ二つになったビッグボアだった。
「やったー!」
「嬉しいでしょう。でもその前に回復を」
ウーリ坊を全て倒した時の様に両腕を上げてワイワイするレイナに薬草を与えれば、身体中にあったダメージ表記は消えて行き無傷同然となった。
「レイナさん。一つ質問があります」
「なんでしょう師匠?」
「──いま、ゲームを楽しんでいますか」
とても優しい声でそう聞いてきたレオは、彼女の戦いを見て思い出していた。
自分がゲームをやり始めた時の、楽しかったと感じていた日々を。
ネットで会った人と一緒にクエストをやって、たまに負けたら、白熱した戦いを広げたり……クエスト以外の時でもくだらない雑談をしていた懐かしい記憶が蘇っていた。
人生で必ず必要かと言われたらそうではない。
でもくだらなくたって、ここまで熱中したり楽しくプレイする事は己の人生を彩るものだった。
そしてそこへ新しいイベントが一つ追加された。
彼女の泥臭くて、けれども全力なプレイにレオは忘れかけていた熱を思い出した。
それが言葉にならなくとも伝わったのだろう。
レイナも太陽いっぱいの笑顔で当然と、返す。
「……はい! すっごく楽し」
『逆に私から聞くけど。たかがゲームの為に何でそこまでするの?』
「あ」
レイナは思い出してしまった。
自分がしてしまった失敗に。