二人の出会い
「ただいま。父さん」
「おかえりまどか」
扉の鍵を閉めると暗い玄関へ目を向ける。
声をかければ四十歳位の声が聞こえた。
威厳のありそうな声だった。どうやら今日の仕事は早く終わったらしいと玄関に差し込むリビングの光を見てまどかは確信した。
「………………」
特にリビングに寄る用事もないと、まっすぐ進んで階段を登ろうとして──
「まどか、勉強はしっかりしているか?」
いつもの言葉を父はかけて来た。
まどかが学校に通い始めてから毎日聞いてくる言葉。もはや会話ではなく日常行事になったそれを、まどかも毎日言っている言葉で返す。
「やってるよ。成績も問題ない」
「そうか、ならいい」
使われた言葉の数は少数。これで今日の行事も終了かとリビングに向けていた視線を二階へ向ける。
二階も真っ暗だ。早く電気をつけようと進み始めたら。
「そう言えば最近、DCというゲームが学生で流行っているらしい。まどかはあんな事する必要は無いからな」
「…………………………分かってるよ父さん」
いつもとはほんの少し違った会話。
だがそれ以上の変化を期待できる物でもなく、まどかは静かに私室へと歩いた。
「はぁ……真央に酷い事言っちゃった」
部屋に入り次第バックを雑に放り投げて体を仰向けにしてベットに預ける。学校では見ることがないだろうだらけた彼女は、今の心情を表していた。
さっきの言葉は失言だった。
ほぼ八つ当たりだと分かっていながら口を止められなかった。
(最低だ……私)
暗闇に溶ける中、時計の針が進む音だけが今を生きている証拠だった。
(ダメダメ、今のままだと何も思い付けない。謝罪は後で考えよう)
付け忘れていた明かりをつけて今後の事を考える。
不幸中の幸いか今日は金曜日だから白神と会うまでは二日間もある。
今は気持ちが落ち込んでいてネガティブな言葉しか出ないと悟ったまどかは何で気分転換をしようか考えた。
周りを見ても小さい頃から勝ち取ったトロフィーばかり。
小さな行事のものから県大会までとは行かなくてもそれより少し下の規模の物まで。
どれも親が頑張れと言ってくれた物で、ただ褒められたかったから──
やめよう。別の事を考えよう。
読書?
ここにある勉強関係の本は全て読み終えてしまっている。
運動?
これもダメだ。落ち込んだ今ではコンディションも良くない。近くの公園……で遊ぶ年齢でもないし、そもそも球技とかやったら近所から苦情が来る。生徒会長として模範的な生徒でいなければ。
今までの方法でどうにかしようとして思考を中断させる。今日は何かとダメだ。理由は分からないがあまり改善できそうにない。
やるならいつもとは違う方法で──
頭にそう浮かんだ瞬間にまどかは部屋の隅っこのとある物へ視線を向けた。
ヘッドマウントディスプレイ
数年前から人気になっているVRMMO系のゲーム機でありプレイするのに必要な道具だ。
従来の据え置き機とは違って画面越しにゲームをするのではなく、脳と直接リンクしてゲームの世界に自分が飛び込んで、まるで現実の様にプレイする。
(そんな風に取説には書いてあったかな?)
DCの話題は学校でも良く聞こえてくる。
廊下を歩いていると、そこらかしこから話題にしているグループを見かけるのだ。嫌でも耳に入ってくる。
白神が生徒会室で話した内容の事も知っていたし、文化祭の企画書でこれが来るのも時間の問題だろうとは思っていた。
だからこのゲームが文化祭でやるのに相応しいものか、頑固者の父には内緒で買って調査している。
──廊下で話していた生徒達の顔がとても楽しそうだったから……
(……そう言えば昨日助けてもらった人達にお礼を言えてないな)
ようやく思い出した。
昨日、初めてゲームをプレイして、右も左も分からない私を助けてくれた3人組。あの時は感情が色々押し寄せて、逃げる様にログアウトしてしまった。
フレンド?申請と言うやつもしないで去ってしまったが、いつかはお礼がしたい。
(たった一戦しかしてないが、あの人達は覚えてるのかな。レイナっていう西洋騎士の事を)
まどかはDCゲーム上のプレイヤーの事を思いながら服を着替え始めた。
〈初めての町〉
最近は超大型アップデートが来ると噂されていて密かに人気が出始めている。そのせいか最初に訪れる事になるこの町では少しずつ初心者が増えている。
そんな中で明らかにレベルが違う服装をしている者が一人。
中世の貴族服をモチーフにした服を装備している青髪の男性。レオだ。
彼はその美しい顔に似合わず手を顎につけながら悩み事をしていた。思い出すのは2日前……金曜日の事だ。
彼女はなんでも出来る超人だ。成績も優秀で運動もできるし行動もしっかりしてる。常に突き進む事と方向音痴を除けば文句の言う所がない人だ。
『逆に私から聞くけど。たかがゲームの為に何でそこまでするの?』
だからあのゲームに対する発言は、今でも僅かに残っているインテリ特有(全員そうだとは思わない。あくまで一部)の物だと思っていた。
でも違う。冷静に振り返ってみれば彼女はそんな事を言う人でないのは、生徒会の付き合いで何となく分かっていた。
(よく考えてみれば、会長の事全く知らないな)
彼女と付き合った期間は長いがそれは生徒会の時のみ。友達というより仕事仲間としての付き合いが多い。
強いてそれ以外の付き合いを言えばこちらに相談して来た時。
(あの時は何で………)
あの事は個人的には許せない。白神はそう思っているしこれからもそう思うだろう。でもそれだけで終わらせてはいけない気がすると、彼は思っていた。
(…………でもどうしよう)
とはいえ相手は完璧と言われるほど出来た人間。
プライベートの領域に入るのにはかなりの勇気が。
「──見つけた」
「ん、あなたは?」
そのプレイヤーに声をかけられたのは偶然だった。
日曜日の今日は友達もログインしそうにないし、何となくレベリングの手伝いもする気がなかったから初めての町で物色していた。
いい掘り出し物がないかと探していたら、隣から声をかけられた。
「三日振りですね。お久しぶりです」
振り返れば西洋の騎士風の鎧を着た女性が一人立っている。体はボロボロになった西洋風の鎧で、首から上は兜を外していて中身が露わになっていた。
金髪のポニーテールで顔立ちは西洋の美人と言ったところか。
(あれ……)
一瞬あの生徒会長とダブった気がする。でも話し方も仕草も全然違う。ゲームだから容姿は変えられると言っても、白神がリアルで話す時の生徒会長と比べると穏やかすぎる。
『Lv:21 レイナ』
一体誰だろうと名前を確認して、ようやく思い出した。
「ヨルムンガンド戦の時の貴方でしたか」
「あの時はちゃんとしたお礼もできず申し訳なかった」
剣を腰に掛けて90度しっかり曲げた礼儀正しい頭の下げ方を見るとますます西洋の騎士の様に見える。
この休みの間、会長の事を気にしすぎた影響だろうとレオは一旦この事について考えるのはやめた。
「それで一体どの様な要件で私に」
「この前のヨルムンガンド戦で私は助けられました。そのお礼というか、お手伝い出来る事があったらしたくて」
「……ああ、なるほど。でも大丈夫ですよ。あれは見返りを求めてやった訳じゃありません。どちらかと言うと好きでやった事ですし」
「ですが……!」
レイナの表情が焦ったものになる。
ああ、とそれだけ見てレオは納得した。彼女はゲーム自体あまりやった事の無い人なんだろうと。
そう思えば僕もそうだったと、ゲームをやり始めた時の楽しい時間を思い出した。
「私も最初は強くありませんでしたよ。でも見ず知らずのプレイヤーから何度も助けられて、今の私がいるんです。だから恩返しはしなくていいですよ」
でもこの人はそれだけじゃあ納得はしてくれないだろうなと白神は思う。なので多分優しいレイナにプレイヤーのマナーというか、してもらえると個人的に嬉しい事をお願いしようと考え口を開く。
「まあそれでも恩返ししたいと思うなら、この前の私達のように初心者プレイヤーを助けてください。そうすれば僕も嬉しいものです」
僕が言える事はこれぐらいかなと思う白神。もしかしたら相手の中身はオッサンかもしれないが、他人プレイヤーに危害を加えないなら別にいい。
同じゲームを楽しむ仲間として、とにかくプレイしていこう。
そんな意気込みで伝えたつもりだが、レイナの様子がおかしい。
「レイナさん? どうしたのですか顔を下げて」
さっきから90度腰が曲がった状態でレイナが動いていない。それどころかちょっと震えてる気がする。
え、なんかバグった? と心配し始めたレオだったがそれは杞憂だった。
なんかレイナが涙目でこちらを見て来た。
(あ、やばい。周りの目線がキツイ)
側から見れば泣いてる女性と泣かした男性に見えなくもない。これはまずいと大急ぎで人気のいない所へダッシュするのだった。
場所を変えて路地裏。
人が多い大通りと違って、建物と建物の間の狭い道路には暗闇しかない。当然通る人も少なくひっそりと話し合うには十分な場所だ。
「ふぅー……ここならいいでしょう。レイナさん大丈夫ですか?」
「す、すまない。つい感動してしまって」
「まあこれからは人前で泣かない様にしてください。DCの再現度は高さは表情まで反映されますからね。誤解を生んでしまいます」
「すまなかった! ただ、私はレオに会えて嬉しかった。お礼を伝える事が出来ましたからね」
そう喋るレイナは本当に嬉しそうだ。事実、嬉しいのだろう。わずかな時間だがレオは彼女と接して仕草に嘘は含まれていないと思えた。
同時に気になった事も一つある。
「それでこれからどうするのですか?」
「そうですね。レオさんと一緒に居た人達にもお礼がしたいです」
手を顎につけながらそう返す彼女に、やはりかとレオは口を開いた。
「だとしたら今日は無理ですね。彼等とは現実でも友人なのですが、皆用事があると言って今日は来れないでしょう」
「そうですか。出来れば今日のうちにしたかったのですが仕方ありません」
他の人は部活や家の用事にVtuverをやっていたりと、個人の都合で来れない事は事前に知っている。
「友達に関してはフレンド申請でいつでも会える様にしておきましょう。フレンドになれば今よりずっと速く会えますよ」
「これがフレンド申請ですか。ありがとうございます」
……これでレオにとって彼女と一緒に行動する理由は無くなった。この先の事はレイナをレッドアイ達に会わせる時以外に関わる必要は無いだろうし、あっちもこちらに関わる理由もないはずだ。
「それでひとつお聞きしたい事が……」
だがレオは面倒な性格をしていた。
頼まれた事を断ると罪悪感が生まれる男なのだ。
面倒事は嫌うと言っていたが、かと言って目の前で困った人を見捨てるのはそれ以上に嫌いだった。
「私がレベリング……貴方が強くなるお手伝いをしましょうか?」
「いいんですか、ありがとうございます。私、ヨルムンガンド戦みたいに戦える様になりたいと思っていたのです!」
彼女が話している時に見え隠れした、笑顔といった明るい感情とは真逆の感情。何処か思い詰めた様な暗い感情が僅かにチラついていたのが気になってしょうがなかった。
「ではいきましょうか。まずはそうですね、最初の平原でいいでしょう」
同時に喧嘩別れしてしまった生徒会長。
冷静になって思い返してようやく気づいた、何処か苦しそうな表情が脳裏にチラついて仕方がなかった。
「ではお願いします!」
そう言って付いてくる笑顔一杯の彼女と、いつも怒っている様な生徒会長は似ても似つかない。
ただ……レオは何となく放って置けなかった。