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39. 薔薇姫の箱庭へようこそ







 夜会の日から二ヶ月が過ぎ、春の花の蕾が膨らみはじめた頃



 ヴォルフガングはローテントゥルム領の侯爵邸に来ていた。



 両家との挨拶、そして様々な手続きを経て、クリスティーナとヴォルフガングは正式な婚約者となった。


 シュネーハルト公爵領で行われる爵位継承の儀式が二日後に迫った今日、ローテントゥルム侯爵邸の庭の中をクリスティーナとヴォルフガングは手を繋いで歩いていた。




「……本当に良いのですか?」



 ヴォルフガングが弱々しい口調でクリスティーナに尋ねる。

 クリスティーナはヴォルフガングの質問の意図が分からず首を傾げた。



「公爵夫人になることです」


「ああ、またその話ですか……」



 クリスティーナが小さくため息を溢すと、立ち止まってをヴォルフガングを見上げる。そこには不安そうに眉を垂らすヴォルフガングの姿があった。




「それでは、わたくし以外の方を公爵夫人にお迎えになりますか?」


「そんなことはあり得ない! 俺はティーナじゃないとイヤだ」



 思わず口調の乱れたヴォルフガングがハッとして手で口元を抑える。



「わたしもヴォルフ様以外の妻にはなりたくないわ。それが答えでは……だめ?」



 口元を抑えていたヴォルフガングの片手を取り、クリスティーナはヴォルフガングの両手をしっかりと握った。



「でも……ティーナは引きこもりたいと言っていたじゃないか」


「それって、引きこもりのために聖女になった過去のわたしを揶揄ってるの?」


「いや! そういう意味じゃないんだ!」



 慌てふためいたかと思えば、今度は叱られた大型犬のようにシュンと俯き、繋いだクリスティーナの手をにぎにぎと力を込めたり抜いたりしていた。


 その様子にクリスティーナは堪えきれずに笑い出す。



「ふふっ……! 分かってる……っ」



 くすくすと肩を揺らすクリスティーナにヴォルフガングは困ったように口を開く。



「ティーナ、あまり意地悪しないでくれ……」


「だってその質問、今日で十二回目よ。そんなにわたしが信じられない?」



 笑うのをやめたクリスティーナがヴォルフガングを見ると、金色の瞳はまだ不安の色を浮かべていた。


「ティーナが思い描いてた未来を、俺のわがままで台無しにしてしまったんじゃないかって考えてしまうんだ」




 ふたりきりの時以外は絶対に見せることのないヴォルフガングの弱々しい姿が、クリスティーナは愛しくもあり心配でもあった。


 ”感情のない氷の小公爵”


 そう呼ばれた彼は誰よりも心配性で温かい心の持ち主だった。


 感情を読み取られないように、考えを悟られないように、一生懸命に自分の感情を押し殺すヴォルフガングは、自分と同じだとクリスティーナは思った。

 だからこそふたりの時はお互いに素のままでいようと、提案したのはクリスティーナだった。


 しかしヴォルフガングは口調を崩すと弱い部分が出てしまうからと、婚約する前と同じ話し方をしていた。

 それでもクリスティーナに心は完全に許しているようで、こうして取り乱しては砕けた口調で話をするようになっていた。




「それじゃあ、わたしのわがままも聞いてもらおうかしら。これでおあいこでしょ?」



 そう言ったクリスティーナはヴォルフガングの手を離して庭園の中を歩き出す。


「ティーナ? 待ってくれ……!」



 スタスタと庭園の中を歩いていくクリスティーナの背をヴォルフガングは焦ったように追いかけた。




 赤い薔薇が美しい薔薇園を抜けた先に、鍵のついた温室があった。


 クリスティーナが南京錠に手をかざして「解除」と唱えると、鍵はあっさりと外れた。



「どうぞ」



 クリスティーナに即されてヴォルフガングが温室に足を踏み入れると、そこはいたって普通の薔薇の温室だった。


 ヴォルフガングの背後で、カチャリと鍵をかける音が聞こえ振り返ると笑顔のままクリスティーナが言った。



「薔薇姫の箱庭へようこそ」



 その瞬間赤や黄色などの薔薇ひとつひとつの上に金色の光で魔法式が展開された。



「これは……!」



 まるで薔薇が金色に光り輝いているようなその光景にヴォルフガングは目を見張った。



「私が見つけた魔法式をこうして隠しているの。これが本当のわたしの箱庭」


 クリスティーナがひとつの薔薇に近づいてそう言ったが、温室には千本を超えるであろう薔薇が咲き誇っていた。その全てに見た事のない魔法式が書き込まれていた。



「……すごい。これだけの魔法式があれば世界が変わる」


「そう、だから私たち家族は隠していたのよ。人は急激な変化を恐れるものでしょう?」



 ヴォルフガングはクリスティーナの言葉に頷いた。



「でも、グロスマン伯爵令嬢や、将軍のご子息を見て思ったの。もう無知ではいけないんだって」


 いつの間にか手にしていた杖をハサミに変えて、ひとつの薔薇を摘み取った。クリスティーナその薔薇をヴォルフガングに手渡す。



「性別や生まれに関係なく、魔法でも政治でも学べて、好きな事ができる世界を、わたしたちの子どもには生きてほしいと願ってる」



 薔薇を握るヴォルフガングの手を両手で包んだまま、クリスティーナは笑顔で言った。




「だから、この魔法式の一部を弟たちと公爵様、それから魔術師協会にお渡しする許可を陛下に頂いたの。これから、王国が大きく発展するためにね」



 ヴォルフガングは少しだけ金色の瞳を大きくしたあと、優しく目を細める。



「俺も協力しよう。ティーナが望む世界になるように」



「ありがとう」とクリスティーナは微笑んだ。




「誰にも等しくチャンスがある、そんな国でわたしはヴォルフ様と一緒にのんびり引きこもりたいの。それが今のわたしが思い描く未来。だからもう気に病んだりしないで」



 クリスティーナの腰をぐいっと引き寄せたヴォルフガングは彼女の額にキスを落とす。



「……じゃあ、爵位も領地の運営もさっさと全て任せられるように、たくさん子どもを作らないとな」



 ヴォルフガングの言葉を聞いて真っ赤になりながら胸を押し返すクリスティーナを、離すまいとヴォルフガングは一層力を込めて抱き寄せた。そしてクリスティーナの耳元で囁く。



「ティーナが先に言ったんだろう。俺は今すぐ取りかかってもいいんだが」



 耳まで真っ赤にしたクリスティーナがヴォルフガングの手に握られていた薔薇を取り、キスをしようと近づいてきたヴォルフガングの唇に薔薇の花を当てる。



「え、えっと……この薔薇に保存されているのは、ステラの花の魔法式なのよ!」


 恥ずかしさで目を合わせられないまま、クリスティーナはそう言った。



 シュネーハルト公爵領に聖女として招かれた日、ヴォルフガングと一緒に見た月の光を浴びて青く光るステラスノーストーム。

 あの時は受け取ってもらえなかったが、いつかのためにクリスティーナは魔法式を箱庭の薔薇に保存していたのだった。



 クリスティーナは、頬を薔薇色に染めながら潤んだ紫色の瞳でヴォルフガングを見上げる。




「今度は……受け取ってくれる?」



 

 ヴォルフガングは外では絶対に見せないような満面の笑みを浮かべると、クリスティーナの手から薔薇を受け取り、そのまま無防備なクリスティーナの唇にキスを落とした。



「ありがとう、ティーナ。大切にするよ。必ず、ティーナのために使うと約束しよう」



 一瞬の出来事に固まってしまったクリスティーナだったが、すぐにその表情は柔らかい微笑みに変わった。

 嬉しそうに微笑むクリスティーナをヴォルフガングは軽々しく横抱きにした。



「きゃ!」


「話を戻すと、早々に領地に引きこもるには、やっぱり三人は必要だろう?」



 悪戯な笑みを浮かべて、ヴォルフガングはクリスティーナを抱えたまま温室を出て歩き出す。



「爵位を継承する前から何を言ってるの!?」


「ティーナは俺との子が何人欲しい?」



 沸騰しそうなほど顔を赤くしたクリスティーナの小さな抗議などスルーして、金色の瞳を楽しそうに細めたヴォルフガングが尋ねる。



「ティーナ?」


 俯いて黙り込んでしまったクリスティーナに、やり過ぎたかと心配し足を止めて顔を覗き込もうとすると、その顔はクリスティーナによって包まれ熱を帯びた唇が重ねられた。



「ヴォルフとの子どもだったら何人いても嬉しいわ」



 したり顔でそう言ったクリスティーナにヴォルフガングは揺れる金色の瞳を見開いたまま動かなくなった。



「……レイアに夕食まで部屋には誰も近づけないよう伝えてくれ」


「えっ……」


 再び庭園の中を歩き出したヴォルフガングは先ほどよりも早足だった。



「ティーナが煽ったんだ。責任は取ってもらう」


「ええ……! ヴォルフ様が恥ずかしい事ばかり言うから、ちょっと仕返ししただけじゃない!」



 慌てたように言ったクリスティーナの言葉にヴォルフガングは少しだけムッとした表情になる。



「もう様はいらない」


「ヴォルフ様が意地悪するのやめないなら、ずっと様付けにするわ」



 プイっと顔を背けたクリスティーナの耳に口を寄せてヴォルフガングは言う。



「じゃあ今からベッドの上でみっちり練習してもらおうか」



 耳に息が当たるのがくすぐったいクリスティーナが背けていた顔を元に戻すと、その唇はヴォルフガングによって塞がれた。

 いつもより少しだけ長いキスにクリスティーナの力が抜けたのを感じたヴォルフガングは、嬉しそうに庭園の中を歩いていく。




「愛してるよ、ティーナ」



 優しい金色の瞳でそう囁かれたクリスティーナの胸は苦しいほどに速くドクドクと大きな音を立て始める。



 見上げると、今にも鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌のいい氷の小公爵の顔があった。

 薔薇の香に包まれる庭園の中、クリスティーナは幸せな気持ちでヴォルフガングに身を委ねていた。







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