03. 白薔薇と公爵夫人
テーブルの上にはティーカップとスイーツが金色の縁が輝く白い皿に並べられていた。
クリスティーナはレイアに鞄の中から、あるものを取り出すように伝えようと振り返ったが、レイアの手にはすでに”それ”が準備されていた。
「ヴィクトリア様、本日は本当にお招きありがとうございます。心ばかりですがどうぞこちらをお受け取りいただけますか?」
そう公爵夫人に伝えながら、クリスティーナはレイアからワインレッドの布に包まれた丸い球体を受け取り、自分の手元で布を丁寧に解いていく。
包まれていたものが見えると、公爵夫人は「まあ!」と感嘆の声をもらした。クリスティーナの両手より大きい透明な球体の中には白薔薇の小さな花束がおさめられていた。
「白薔薇水晶です。わたくしが育てた白薔薇をこの魔導具のガラスの中に閉じ込めました。この中にある限りは枯れる事も散る事もございません」
ガラスと白薔薇が豪奢なシャンデリアの光を反射してより一層上品に輝いている。
クリスティーナの手からそっと白薔薇水晶を受け取った公爵夫人は、顔をほころばせて白薔薇を見つめていた。
「……とても嬉しいわ、クリスティーナ嬢。素晴らしい品をありがとう。貴女が育てた薔薇は王国で一番だもの」
「喜んでいただけてわたくしも嬉しいです。実は、白薔薇を生けているフローラルフォームも魔導具でして、光の吸収具合でバラが色を変えるのです」
「まあ、なんて素敵なの! 毎日大切に楽しませていただくわ。魔導具も貴女が作ったのでしょう?」
「いえ、わたくしはアイデアを思いついただけで、魔導具の製作は魔術師様にお願いしました」
「それでも貴女が作ったのと同じよ。大切なものだから夫に見つからないようにしなくてはね」
「シュネーハルト公爵様にですか?」
クリスティーナが首を傾げて尋ねると、公爵夫人は困ったように小さくため息を吐いた。
「ええ、夫は魔導具の事になると見境ない人だから。きっと研究に持ち出されてしまって白薔薇が台無しになってしまうわ」
現シュネーハルト公爵は、魔法士団の団長の任を担っている。
正式には王国魔法騎士団といい、自身の魔力のみで戦うことのできる魔力量の多い騎士の集まりである。王国の秩序を守り、他国との争いが起きれば最前線で戦う。
対して魔“術“師団というのも王国には存在する。魔法陣や魔導具を用いて魔力を増幅させる事を研究する集団だ。彼らが戦うことはほとんどなく、民の生活のための魔導具製作や魔法陣、魔法の研究などで国に貢献している。
王家に忠誠を誓う王国魔法騎士団とは違い、魔術師団は国に貢献こそしているが、大魔術師が率いる公的な協会である。
「シュネーハルト領に入ってから、馬車が走れるように雪が積もらない道も、街の美しい灯りも、どれも美しく感動いたしました。曇り空の下でも魔道具の星の光に照らされてシュネーハルトの民もとても幸せそうでしたわ。それも全て公爵様のご尽力の賜物だと聞き及んでおります」
公爵夫人は金色の瞳を一瞬だけ大きくして笑顔のクリスティーナを見ると、長い睫毛を伏せて再び白薔薇水晶に視線を落とした。
「二十年前の帝国の侵攻がなければ、夫は魔術師団に所属して研究に没頭していたかもしれないわね……」
ガラスの球体を撫でながら公爵家夫人は少し悲しそうに瞼を閉じた。
今から二十年前、大陸の東側を統治していた帝国が隣接するふたつの小国とひとつの公国を支配しようと侵攻を行い、大戦争が勃発した。
帝国は圧倒的力と戦略でたった二ヶ月ほどで大陸の東側を完全に征服し、ここルクランブル王国にも戦火の火が燃え移ろうとしていた。
その時最前線で戦ったのが、現シュネーハルト公爵であるアルフレッド・シュネーハルトだった。まだ二十代だったアルフレッドが最も戦況の厳しかった北の国境での指揮を取り、十倍もの兵力差であったにも変わらず、たった一晩で国境を守り切ったのだ。
アルフレッドは王都帰還後、氷の英雄として魔法師団の団長に就任した。戦った帝国からは魔王として恐れられたほどだったそうだ。
「夫自身は魔法の才能に恵まれていたけれど、人を助けることのできる魔術の方が好きだったのよ。魔法騎士団長の職務以外の時間は全て、極寒の地に住むシュネーハルトの民のために魔導具の開発や整備に費やしていたわ。だから、クリスティーナ嬢の言葉を聞いたら夫は泣いて喜びそうね」
眉を垂らして困ったように公爵夫人は笑った。そして白薔薇水晶を大切に布に包むと、近くにいた年配の侍女に自分の書斎に持って行くように伝えた。
絶対に公爵には見つからないように、と念を押す公爵夫人にクリスティーナは伝えた。
「ヴィクトリア様、実は公爵様にも同じものを贈り物としてご用意しているのです。劣化を防ぐこのガラスも、光に反応して花の色を変えるフローラルフォームも個別でお持ちいたしました。今はまだ娯楽目的の魔導具でも、公爵様なら民の生活のためにご活用してくださると思ったのですが……ご迷惑でしたでしょうか……」
「そんな事ないわ! 夫もとても喜ぶわ! それにせっかく頂いた私の白薔薇水晶を研究材料にされる心配はないもの」
満面の笑みを浮かべる公爵夫人に、ほっとしたクリスティーナは「よかったです」と微笑み返した。
「お話に付き合わせてしまってごめんなさい。お茶をいただきましょうか。レイアさんも隣のお部屋で休憩なさって。慣れない道でお疲れでしょう」
「お気遣い恐れ入ります。お嬢様、何かあればお申し付けくださいませ」
「ありがとう、レイア。ゆっくり休憩してちょうだいね」
レイアは頭を下げて、クリスティーナの後ろ側にある扉から客間をあとにした。
公爵夫人とクリスティーナがレイアを見送り、テーブルへ視線を戻すとティーカップに紅茶が注がれており、白い湯気がゆらゆらと揺れていた。
「クリスティーナ嬢」
揺れる白い湯気を見つめていたクリスティーナが名前を呼ばれて公爵夫人を目を合わせると、端正な顔に真剣な眼差しでクリスティーナを見つめていた。
「今回は『星の聖女』の役割を担ってくださって本当にありがとう。そしてごめんなさい」
公爵夫人が頭を下げたので、クリスティーナは慌てふためいて言った。
「ヴィクトリア様! 頭をお上げください……!」
「いいえ、本来ならば北の地の守りを任された我が一族が行わなければならない儀式。それを『ロゼ』の称号を言い訳に貴女に押し付けてしまったの」
クリスティーナがシュネーハルト公爵領へ招かれた目的は、二日後からはじまる『星の儀式』のためである。
最北の大神殿に籠り、この世界を創った星の女神を守る聖竜に七日間かけて魔力を奉納する。この儀式は数十年に一度、神殿の魔力が少なくなってきた年に行われる。
本来ならば、強い魔力を持ったシュネーハルト家の令嬢もしくは夫人が『星の聖女』として魔力の奉納を行うのだが、現公爵夫妻に娘はおらず、『星の聖女』の役割を全う出来るほどの魔力をかろうじて持っていたのがローテントゥルム侯爵家のクリスティーナだった。
「私が『星の聖女』として魔力を奉納したのがたった二十八年前。先代の聖女の奉納した魔力は八十年間も保っていたのに、情けないわ。その上、娘を産むこともできなかった……」
公爵夫人は俯いたまま膝の上に合わせた手をぎゅっと握りしめた。
当時、公爵夫人が儀式を行った七日目の朝、魔力を奉納し終えた公爵夫人は大神殿で気を失っていた。想定よりもはるかに多い魔力を奉納してしまい、三ヶ月ほど静養されたとクリスティーナは母から聞いていた。
その一年後にヴォルフガングを出産したが、慢性的に魔力の流れが不安定になっていたため、二人目の子どもは諦めたのだと。
母から聞いた話を思い出し、クリスティーナは公爵夫人の座るソファーに移動し、ぎゅっと握りしめられた手を解くように両手で包み込んだ。
「ヴィクトリア様、ここへは、わたくしが来たくて来たのです。母の一番親しいご友人で、幼い頃からわたくしにとてもお優しくして下っている公爵夫人のお役に立ちたいからこそ、私は自分の意志でここに参ったのです」
「それでも、貴女のお母様、マルガレーテにも申し訳ないわ。娘の貴女を危険な目に合わせてしまうかもしれないのだもの」
「いいえ、母は百年分でも二百年分でも魔力を奉納してきなさいと仰いましたよ」
クリスティーナが笑いながらそう言うと、曇ってしまった金色と視線が重なった。
「百年間空席だった『ロゼ』に推薦してくださった公爵夫人にこのような事を申し上げるのは失礼かと承知しておりますが……。実はわたくし、社交はあまり好きではないのです」
突然の言葉に公爵夫人の長いまつ毛が持ち上がり、瞳は大きく開かれた。クリスティーナは眉を垂らしてクスリと微笑むと話を続けた。
「わたくしは、雨の日に窓際で本を読んだり、お茶菓子を楽しんだり、庭のデザインを考えたり、花を生ける事が好きなのです。あ、もちろん全てひとりです。『ロゼ』は社交界の華、全ての貴婦人の手本でなければなりませんが、本来のわたくしは引き篭もり気質なのです」
思いもよらないクリスティーナの告白に、公爵夫人は瞬きをするのも忘れて、固まったまま彼女の話を聞いていた。
「たくさん魔力を奉納すれば、皆さまが呼んでくださるローテントゥルムの薔薇姫の名に相応しいよう、一生好きに過ごしていいと、父にも母にも弟たちにも許可をいただきました。先ほどは公爵夫人はのために、とお伝えしましたが、静かな引きこもり生活を得たい自分自身のためでもあります。純粋でないわたくしをどうかお許しください」
公爵夫人の両手を包んだままクリスティーナは頭を下げる。
すると公爵夫人は「ふふっ……」と小さく笑い出した。
「ローテントゥルムの薔薇姫は、薔薇の花のように美しく気高く、王国一の薔薇園を持つ貴女を称賛した呼び名。深窓の引きこもり姫という意味ではないのよ」
「えぇ、それを利用したのです。意図的に、意味を履き違えて。本当に悪いでしょう?」
本当の所は悪びれもしていないクリスティーナの言葉に、公爵夫人は今度こそ耐えきれずに目に涙を浮かべるほど笑い出してしまった。
「クリスティーナ嬢、貴女がいてくれて本当に良かった。でもどうか無理はしないで」
「はい、もちろんでございます。健康な身体あっての引きこもり生活ですから」
クリスティーナと公爵夫人はお互いの顔を見てまた笑い合った。