25. 薔薇姫の涙
晩餐会の夜、目を真っ赤に腫らしてひとりで邸に戻ったクリスティーナを見て、レイアは肝を冷やした。
幼い頃からクリスティーナが人前で泣くことなど滅多になかったからだ。どんなに厳しいレッスンにも教師の前では絶対に耐え、部屋に戻ってからベッドの中で誰にも気付かれないように、ひとりで泣いていた事をレイアは知っていた。
そのクリスティーナが人前でこんなにも泣き腫らした顔を見せたのは、慕っていた前侯爵夫人である祖母が亡くなった時以来だった。
クリスティーナを出迎えた他の使用人たちも、クリスティーナの見たことのない顔に心を痛めていた。
新年の晩餐会を終えた次の日、上位貴族を中心にモーゼル公国への遠征が通達された。
「お嬢様、失礼します」
短いノックの後、部屋の扉が開き、ワゴンを静かに押しながらレイアが部屋へと入ってくる。
「軽食をお持ちいたしました。もし少しでも入りそうでしたら、召し上がってください」
ワゴンの上にはクリスティーナが好きな桃のゼリーにキッシュとサラダ、ココットの中には温かいコーンスープが入っていた。
晩餐会から戻った次の日は涙が枯れるほど一日中泣き続け、その次の日には食欲がなく、部屋に閉じこもっていた。水以外は何も口にしていないのを侯爵邸の料理人たちが心配し、深夜にもかかわらず食べやすいものをクリスティーナのために用意したのだった。
「ありがとう……。レイア、心配かけてごめんなさい」
「いいんですよ。辛い時は誰にだってあります。お嬢様が元気になったら、先日開店したカフェのアップルパイを一緒に食べましょう。すごく人気だそうです」
顔色の悪いクリスティーナは微笑みを浮かべる力もなく、ただ申し訳なさそうに頷く。
その様子を見たレイアは、それ以上何か言葉を発することはなく、クリスティーナの座る窓際のテーブルの上に食事を並べてそのまま一礼した。
「それでは、おやすみなさい。お嬢様、良い夢を」
「……ありがとう。おやすみなさい」
レイアが部屋を出た後も、しばらくの間ただ窓の外を眺めていた。
ふと視線を移すと、レイアが準備してくれた食事が目に入る。
気を遣ってひとりにしてくれたレイアと料理人たちの顔がクリスティーナの頭の中に浮かぶ。
(せっかく作ってくれたのだから、いただかないと……)
そう思いココットの蓋を開けると、白い湯気がクリスティーナの冷たくなった顔を掠めた。
傍に置かれた木製のスプーンでコーンスープを掬い、ゆっくりとした動きで口に運ぶ。二日ぶりに口した温かい食事は、冷えたクリスティーナの体をじんわりと温めていく。
喉を流れ、腹部を温めるその感覚にクリスティーナは、少しだけ身体の緊張が解れるを感じた。
水を飲もうとワゴンの上の水差しに手を伸ばすと、その隣にナプキンの被さった小さな籠があることに気がつく。
クリスティーナがナプキンを取ると、その中には桃色をしたフランボワーズのマカロンが入れられていた。
オルフェウスが一番気に入っていたフランボワーズ。嬉しい時や楽しい時のオルフェウスの瞳の色とそっくりだと、クリスティーナは思った。
「オルちゃんは、食べてくれているかしら……」
そう呟いた時、月を隠していた雲がなくなり、クリスティーナの部屋が満月の光で照らされる。
少しだけ明るくなった部屋を見渡すと、月明かりが差し込んだ先、ベッドのサイドテーブルの上に置かれた箱からキラキラと銀色の光が舞っていた。
不思議に思ったクリスティーナがサイドテーブルに近づき箱を開けると、ヴォルフガングにもらった星型のネックレスの隣で、オルフェウスから渡された聖竜の魔石が輝きを放っていた。
「綺麗……」
クリスティーナは箱を手に抱えたまま魔石をじっと見つめる。
「陽は沈み……世界が、闇に包まれる時……光……輝く……ひとつの星……」
魔法を使うつもりでもなく、小さな頃に祖母に教えてもらった歌を、ぽつりぽつりと呟くように歌う。
この歌はもともと詠唱などではなく、クリスティーナにとってはただの子守歌だった。
クリスティーナが七歳の時、この歌を歌ってくれた祖母が乗った馬車が事故に遭った。打ちどころが悪く、何日も高熱が続き、家族全員が覚悟を決めるほど容態は日に日に悪化していった。
その時居ても立っても居られず、入室を禁止されていた祖母の部屋に忍び込み、手を握ってこの歌を歌ったところ、魔法が発動し、祖母の熱をあっという間に治したのだった。
熱だけではなく、大事にしていた祖父との結婚指輪までが修復していた事に気が付いた祖母は、クリスティーナにこの魔法の真実は誰にも伝えてはダメだと言い聞かせた。
クリスティーナの両親には、治癒魔法が使えると初めにに偽ったのも祖母だった。
「世界を照らす聖なる光、世界を変える智なる光……あなたの光が……世界を輝かす」
その瞬間、聖竜の魔石が眩しいほどの光を放つ。
氷にヒビが入るようにパキパキと音を立てながら形を変えていく魔石を、驚く元気もないクリスティーナは眩しさに目を細めながらその様子をただ眺めていた。
やがて光が収まった魔石を見て、薔薇の形していることに気が付いた。
透明で、まるで氷のような薔薇の魔石。
クリスティーナは、この魔石がヴォルフガングを守ってくれるような気がした。
(今ならまだ間に合うかもしれない)
そう感じたクリスティーナは、急いでヴォルフガングと繋がる魔法郵便の箱があるテーブルへ向かい、ハンカチで包んだ氷の薔薇を入れる。
「どうか……ヴォルフ様に……」
両手を組んだクリスティーナは、ヴォルフガングが受け取ってくれることをひたすらに祈っていたのだった。
* * * * * *
翌朝、国民に王国魔法騎士団の遠征が伝えられ、その日の昼には王都の街でパレードが行われた。
突然の発表にも関わらず、遠征に向かう魔法騎士団と魔術師団の隊列を見送るために大勢の民たちが集まった。
クリスティーナは王宮のバルコニーから、出発する魔法騎士団と魔術師団の隊列を眺めていた。
壮大な音楽と共に、馬に乗って列になって進んでゆく騎士たちの中に、クリスティーナはヴォルフガングの姿を懸命に探す。
もう先に行ってしまったのかと肩を落としかけたその時、他の馬より二回りほど大きな馬に乗った黒い正装姿のヴォルフガングが目に入り、クリスティーナは紫色の瞳を大きく見開いた。
ヴォルフガングの左胸には、昨夜クリスティーナが魔法郵便で送った氷の薔薇が身につけられていた。
ヴォルフガングは貴族たちが立つバルコニーに少しだけ視線を向け、その先にいたクリスティーナと目が合う。そしてクリスティーナに見えるように、左胸にある薔薇を右手で大事そうに包んだ。
その光景を目にしたクリスティーナは思わず目に涙を浮かべる。
(ああ……どうして今ごろ気付いてしまうの……)
遠くなっていくヴォルフガングの背中を見つめながらクリスティーナは思った。
(わたしはヴォルフ様のことが、好きなのね……)
……(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 恋心に気づいたクリスティーナでした。 今日も読んでくださりありがとうございます!次回はヴォルフガング視点です☆ 楽しみにしていただけると嬉しいです(๑˃̵ᴗ˂̵)




