15. 庭園の妖精姫【ヴォルフガング:過去回想】
* * * * * *
「おい! ヴォルフ!」
王宮にある国王の執務室。
晩餐会のために正装に身を包んだこの国の若き国王、ルイス・フォン・ルクランブルクは苛立っていた。
「いかがなさいましたか、陛下」
「いかがなさいましたか、じゃないだろう!」
国王の苛立ちの原因を分かっているはずであるのに、知らん顔をするヴォルフガングにルイスはさらに声を荒げる。
「どうしてお前が俺の護衛じゃないんだ!?」
ドスンと音を立ててソファに座ったルイスは、ヴォルフガングを睨んでいた。
今夜は新年を祝う王宮晩餐会の日。ルクランブルク王国の貴族は例外なく参加する、一年の中でもとりわけ大きな晩餐会だ。社交界デビューをした貴族の子息、令嬢達が一気に集まるこの晩餐会をルイスは嫌っていた。
はあっと態とらしくため息をついて、ヴォルフガングが答える。
「どうしてと言われましても……。今年の王宮晩餐会は大雪に見舞われたため、私は会場の外の護衛をするようにと騎士団長からの命令です」
「お前は私の護衛騎士だろう!」
「雪の中でも問題なく動くには私が適任でしょう。それに、何をそんなに焦っておられるのですか」
もどかしさに耐え切れなくなったルイスはソファから立ち上がり、今度はズカズカとヴォルフガングに近づいてきた。そしてヴォルフガングの両肩に手をかけて、震える声で言った。
「無表情のお前が後ろから圧をかけて盾になってくれないと、ご令嬢方の相手をしないといけなくなるだろう……」
(圧をかけているつもりではないのだが……)
先王が早くに崩御し、弱冠十八歳で王位に就いたルイスは二十五歳の現在もまだ未婚だった。
年頃の娘をもつ貴族達は、なんとか王妃の座を手に入れようと、あの手この手でルイスに取り入ろうとしてくる。それは未婚の令嬢達も同じで、国王に見初められようとするその野心ある目に、ルイスは心底嫌気がさしていた。
現状を知るヴォルフガングは、ルイスのことを少しばかり気の毒に思ったが、こればかりは仕事なのでどうしようもないと首を横に振る。
「残念ですが、ご自分で何とかなさってください。本日の護衛騎士は副団長が務めるそうですので護衛については、ご安心なさってください」
「余計に安心できんわ! あの脳筋は踊れ踊れと事をややこしくするに決まっておる!」
「そろそろ配置の時間ですので」
いつまでも腹を括らないルイスにヴォルフガングが話を切り上げて部屋を出ようとする。
「おい! まて、ヴォル……」
ルイスがヴォルフガングを引き止めようとしたのと同時に、執務室の扉が豪快に開かれた。
「国王陛下! 本日はこのマクシミリアンが陛下の護衛を誠心誠意努めさせていただきます!」
まるで巨大な熊のように、横にも縦にも大きな図体をした副団長のマクシミリアンに阻まれ、ルイスは顔を真っ青にする。腹の底から響くマクシミリアンの「楽しみですね!」などと空気の読めない発言に、ヴォルフガングを呼び戻そうとするルイスの声は、無念にもかき消されていった。
執務室を後にしたヴォルフガングは、晩餐会の会場である大ホールを取り囲む庭園へ来ていた。
「今年の王都はシュネーハルトにも劣らない雪の量だな」
ひとりでそんなことを呟きながら、雪の積もった真っ白な庭園の中を歩く。
入り口から少し離れた薔薇の咲く区画に近づいた時、少女が歌うような声を耳にした。
(誰だ?)
ヴォルフガングが警戒しながら、足音を立てないように歌声のする方へ向かった。声は次第に近くなり、垣根向こう側から聞こえる事に気がついたヴォルフガングは、雪の積もる垣根の陰から向こう側の様子をそっと窺う。
そこにはプラチナローズのウェーブがかった髪の少女が、雪の積もった花壇の前にしゃがみ込んでいた。そして花壇の花の上に手をかざし、小さな美しい声で歌っている。その手の周りは金色に輝き、雪で項垂れていた花が徐々に上を向いていくのをヴォルフガングは目にした。
(なんだ、あの魔法は……。治癒魔法か?)
少女の歌で輝きを取り戻す花を見て、ヴォルフガングは目を見開いた。魔力の減少が問題になっているこの国で、治癒魔法など高度な魔法を使える者など殆どいないからだ。
しかし、少女の美しい歌声と光り輝く魔法にヴォルフガングは目を奪われていた。
やがて歌が終わり、魔法の光がなくなっていく。少女が立ち上がったのを確認したヴォルフガングは、垣根の陰から少女の元へ姿を現した。
「こんな所では風邪をひかれますよ、ご令嬢」
声をかけられた少女は振り返り、アメジストのような紫色の瞳をヴォルフガングへ向ける。白い肌に赤い唇、まるで人形のようなその少女の背丈はヴォルフガングの半分ほどで、美しい顔立ちに幼さの残る容貌から、社交界デビューしたばかりの令嬢だと分かった。
「……騎士様、申し訳ありません。庭園の花が美しかったもので、見惚れておりました」
怯えることも動じることもなく、ただ長い睫毛を伏せてそう答えた少女の立ち居振る舞いにヴォルフガングが感心していると、少女は雪の上にも関わらず、完璧なカーテシーで挨拶をする。
「申し遅れました。わたくしはローテントゥルム侯爵が娘、クリスティーナ・ローテントゥルムにございます」
(ローテントゥルム侯爵……。ということは母上の親友のご息女か)
少女、もといクリスティーナは顔を上げ、目の前に立つヴォルフガングに何も言わず微笑みかけていた。
「ローテントゥルム侯爵令嬢でしたか。よろしければ、会場までお送りいたしますよ」
ヴォルフガングの申し出にクリスティーナは、笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。では、庭園の入り口までおねがいしてもよいでしょうか? 騎士様のお仕事の邪魔をしてはいけませんから、そこからは自分で戻ります」
まだ幼さの残る少女の完璧な言動に心の中で驚きつつ、ヴォルフガングも笑顔で答えを返す。
「分かりました。雪で足元が悪いのでお気をつけください」
ヴォルフガングは、クリスティーナを庭園の入り口まで案内するために来た道を引き返した。その間、ふたりは言葉を交わす事なく、あっという間に宮殿の明かりの見える庭園の入り口まで到着した。
「ご案内ありがとうございました。騎士さまも良い夜を」
そう言ったクリスティーナはもう一度軽く膝を曲げて、王宮の灯の中へ消えていった。
クリスティーナを送り届けたヴォルフガングが先ほどの花壇へ戻ると、花が僅かにローズゴールドの粉を纏い光り輝いていることに気がついた。
その花に近づきそっと触れると、花弁にはハリと艶があり他の花とは少し違って見える。
(彼女は確か、ローテントゥルムの薔薇姫だ。花を元気にさせる魔法などが使えるのだろうか)
そんな事を思っていると、花の奥から微かに何かをかき分けるような音がした。
「……! お前は!」
「キュイ?」
花の下から顔を出したのは王宮の庭園に棲むリスだった。比較的に冬も暖かい王都に生息する、冬眠をしない種である。
ところが三日前からの大雪で、ぐったりと弱っていたリスにヴォルフガングは出会っていた。
「お前……その模様は確か昨日、温室の中に連れていったやつじゃないのか?」
「キュ、キュ?」
首を傾げるそのリスは、他よりも毛の色が薄く、まるでキツネのような金色をしていた。そして特徴的な背中の渦巻き模様は、見間違う事なく昨日ヴォルガングが助けたリスだった。
(いまにも息絶えそうで、正直この雪を乗り越えられないと思っていた。侯爵令嬢はやはり治癒魔法を使うのか?)
ヴォルフガングが考え込んでいると、リスはマントをつたってヴォルフガングの腕までやって来る。
(あんなに痩せていたのに、体も元に戻っているし毛並みもかなりいい。これは治癒というレベルではないぞ)
まるで雪が積もる前、いや、もっと前の暖かい時期の姿に戻ったようなリスを見て、ヴォルフガングの脳内にはある一つの仮説が浮かぶ。
ヴォルフガングは再び花壇へ目を向け、クリスティーナが魔法をかけていた場所を手でかき分けた。
(やはりそうか……)
そこには、美しく咲く花の下にまだ蕾のものが隠れていた。それも魔法をがかけられた場所だけに。
ここの庭園の花は普段ならば、今日の晩餐会の日に合わせて咲くように、一流の王宮庭師達が魔法で少しずつ調整しながら育てている。それは雪が積もろうとも同じことで、王宮の門が開く前に庭師達が雪を程良く払い除け、美しい庭園を作り上げていた。
すなわち、蕾などが残っているはずがないのだ。
深刻そうな表情で花壇を見つめるヴォルフガングが口を開く。
「……マシュー、そこにいるか?」
花壇から目を離さずにそう言ったヴォルフガング。数秒して、雪を踏む足音が聞こえて公爵家の執事長でもあるマシューが顔を出した。
「ほほっ……。いつからお気づきに?」
「最初からだ」
全ての貴族が招かれる今日の晩餐会に、マシューもシルト伯爵として参加していた。
ヴォルフガングは立ち上がり、マシューと向き合う。
「マシュー、何か見たか?」
「いえ、花や動物に笑いかける心優しいご令嬢しか」
つまりは全部見ていた、ということだ。しかしそれを口外する事はないということだとヴォルフガングは理解した。
「そうか。それならいい」
腕から肩に移動していたリスを両手で包み、考え込むように見つめる。
「……坊ちゃま、ローテントゥルムのご令嬢は美しくともまだ十二歳です。少なくともあと二年、いや三年はお待ちなった方がよろしいかと」
マシューの言葉に衝撃を受けたヴォルフガングは、ぱっと顔を上げて面白そうに微笑むマシューに向かって言う。
「私にそんな趣味はないぞ!!」
「いやはや、そういう意味では。ただ、少女が美しい女性になるのは、花が咲くより早いですぞ」
そう言い残してマシューも晩餐会の会場に戻っていった。
(なにが言いたいんだ……。まったく)
残されたヴォルフガングはため息をつき、巡回も兼ねてリスを温室へ連れていくために歩き出す。
これがヴォルフガングとクリスティーナの最初の出会いだった。
その三年後、百年ぶりに行われた『ロゼ』の称号の授与式でクリスティーナを目にしたヴォルフガングは、マシューの言葉を少しだけ理解したのである。




