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13. 薔薇姫の魔法




 女神の星を目にしたふたりは絶句した。


 大きく成長した星に斜めに亀裂が入り、そこからシャンパンのような輝く光が大理石の床まで流れ出ては消えていっていた。僅かにだが、確実に、魔力が流れ出した女神の星は小さくなってゆく。



「……わたしのせいでこんな事になってしまったのかしら……」


 瞳に涙を浮かべそうになりながら、クリスティーナは絞り出す様な声でそう言った。

 



「違うわ!! これは外部からの攻撃よ。こんな事をされたのは初めてよ!」


 クリスティーナの顔に近づき、しっかりと視線を合わせたオルフェウスは強く否定したが、紫色の瞳からは今にも涙がこぼれ落ちようとしていた。それを手でグイっと拭ったクリスティーナがオルフェウスに尋ねる。



「このまま魔力が溢れてなくなってしまったらどうするの……?」



 しばらく沈黙したあと、オルフェウスの瞳が灰色に染まった。




「……世界が氷に包まれるわ」



「世界が……氷に……?」



 オルフェウスが傷付いた女神の星を見上げながら続ける。



「女神の星は、本来この世界の均衡を保つためのもの。星の女神がいなくなったこの世界は、光がなくなり、生きるもの全てが永遠の闇と氷に閉じ込められるはずだった。でも、女神が最後にあなたたち人間を作った時、この世界を守る事にしたの。自分と同じ姿形の人間を女神は特別に愛しく思った。だから、最後の魔法で氷に閉ざされたのは、この北の地だけに留まったのよ」



 オルフェウスの言葉を聞いたクリスティーナは、全身の血が冷えるような感覚をおぼえていた。クリスティーナの脳内には、愛する家族やいつも尽してくれる使用人たち、これまで出会った全ての人達の顔が浮かんでいた。


 どうすることも出来ずにただ両手を強く握り締めていたクリスティーナの耳に、ある一言が魔法のようにこだました。




『貴女が私を信頼に足る人物だと心から思った時、またその魔法を見せてください』




 それは、ここにいるはずのないヴォルフガングの言葉だった。

 青く光るステラの花、海のように広がる輝く街。そして、あの日見た強くて優しい金色の瞳が、クリスティーナの脳裏に鮮明に蘇る。



(ヴォルフ様……)




 足元で消え続ける黄金の魔力とヴォルフガングの金色の瞳が重なって見えたクリスティーナ。握りしめていた両手をほどき、身に付けていたエプロンのポケットに手を入れた。




「公爵も今ごろ異変に気がついて向かっているはずよ。クリスティーナは急いで神殿の外へ避難しなさい」



 女神の星の周囲を飛び回り、様子を確認していたオルフェウスがクリスティーナに神殿の外に出るように伝えるが返事がない。

 心配になったオルフェウスはクリスティーナの元へ戻る。



「クリスティーナ?」


 流れる魔力を見つめるクリスティーナ。その手にはプラチナの杖が握られていた。

 ゆっくりと顔を上げた紫色の瞳にもう涙はなく、真っ直ぐにオルフェウスのダイヤモンドの瞳をとらえていた。



「オルちゃん、わたしに任せてくれる?」


 そう言ったクリスティーナはオルフェウスの横を通り過ぎ、徐々に小さくなる女神の星へ近寄る。



「……一体何をする気?」


 クリスティーナの背中にオルフェウスが静かに問う。



「この亀裂を、私の魔法で治すわ」



 返ってきた答えにオルフェウスは瞳を真っ赤にに変えて、怒鳴るように言った。



「そんなのムリよ!」


「出来るわ!!」


 オルフェウスの怒鳴り声を上回る声で言ったクリスティーナが振り返る。



「わたしは、この世界が氷に包まれるなんて嫌。大切なものがたくさんあるこの世界を、こんなヒビのせいで終わらせたりしない。オルちゃんなら分かるでしょう? わたしの中にある、あらゆるものを元に戻す時間の魔法。これはきっと、女神様がこの時のために与えてくださったのよ」



 クリスティーナの特質すべき魔法は二種類。ひとつは、この世にあるすべての事象をの魔法式にして読み取る魔法。そしてもうひとつは、どんなものでも元に戻すことのできる魔法。

 これは、両親にも治癒魔法と偽って伝えているが、正確には物質の時を戻す事のできる魔法だった。



「ダメよ! そんな事をしたらティーナは魔力枯渇で……。倒れるだけでは済まないわ!」



 クリスティーナの魔力の流れから全てを知っていたオルフェウスは必死で止める。



「やってみないと分からないでしょう」


 しかしクリスティーナは頷かなかった。



「オルちゃんとシュネーハルト公爵家が一緒に守ってきたこの神殿をわたしも守りたいの」



 自分の杖をぎゅっと両手で握りしめ、しかし優しくオルフェウスに微笑みかける。

 その様子を見たオルフェウスは、クリスティーナに近づいて、片方の翼をバサリと振った。その瞬間、銀色の光がクリスティーナを包み込む。


 それは聖竜の祝福の魔法だった。クリスティーナは何が起こったのか理解していなかったが、ただその温かい魔法を受け入れていた。



「……マズくなったら容赦なく止めるから。いいわね!?」



 オルフェウスの言葉にクリスティーナの瞳が大きく開かれた。


「ありがとう、オルちゃん」



 静かにそう伝えたクリスティーナは、ふたたび女神の星と向かい合う。

 そして、天使のような柔らかく澄んだ歌声で詠唱をはじめた。






” 陽は沈み 世界が闇に包まれる時


 光り輝く ひとつの星


 花が咲き いのちが芽吹くその時


 世界は光で包まれる



 幸せに涙する日も 悔しさに涙する日も


 変わらずにそこにある

 



 世界を照らす 聖なる光

 

 世界を変える 智なる光


 あなたの光が 世界を輝かす“




 クリスティーナが持つ杖を女神の星に掲げると、魔力の溢れ出している裂け目の部分がゆっくりと繋がり始めた。


 魔力の消費が激しいのか、クリスティーナは眉間に皺を寄せた。





” いつか見たあの星を


 見失わないように



 花が咲くように 水が満ちるように


 あなたの心に光を灯す”



 


 詠唱が終わったあとも、クリスティーナは絶えず魔法を展開し続けた。杖を持つ両手は鉛のように重く、額から汗が伝う。



(戻って! お願い……!!)

 


 残る力すべてを振り絞った時、カチリと時計の秒針のような音が響く。

 肩で呼吸をするクリスティーナが霞んだ視界の先に見たのは、金色に輝く女神の星だった。




「ティーナ!!」


 崩れ落ちるクリスティーナをオルフェウスが抱きとめる。



「オルちゃん……本当の姿もかっこいいのね……」


 クリスティーナの両手に収まるほど小さな竜だったオルフェウスが、今度はクリスティーナを軽々と片手に収めていた。



「バカね。ホント、歴史に残るトンデモ聖女よ」


 オルフェウスは瞳を深い藍色に染めながらそう言った。


「そんな色に染めないで。わたし、オルちゃんの薔薇色の瞳が一番好きなの」



 そう言われたオルフェウスの瞳が驚きで開かれる。

 クリスティーナは、感情によってオルフェウスの瞳が色を変えることに気がついていたのだ。



「これを持ちなさい!」


 オルフェウスが自分の翼の鱗の一部をクリスティーナに手渡す。オルフェウスにとっては爪の先ほどの大きさだったが、クリスティーナはそれをゆっくりと両手で受け取る。

 ずっしりと重く透明に輝く魔石は、まるでダイヤモンドのようにも見えた。



「あったかい……」


 聖竜の魔石を胸に抱え、クリスティーナはオルフェウスの腕の中でゆっくりと瞼を閉じる。



「ティーナ、ありがとう……」


 オルフェウスが呟いたその声は、クリスティーナにはもう聞こえなかった。



 そして、真冬にも関わらず汗を垂れ流しながら神殿に飛び込んで来たヴォルフガングが見たのは、聖竜に包まれたまま眠るクリスティーナの姿だった。




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