フェミニストと呼ぶのをやめよう
過激派フェミニストのせいで肩身が狭いんです。
元々肩幅ないですがΣ(ノд<)
私はフェミニストなんですよ。
フェミニズムの分類で言えば第3派フェミニズムよりだけれど、なんとなく時代遅れな自称リベラルフェミニストなんですね。私にとってフェミニズムって、男女関係なく、それぞれが個性、特性、その人らしさを失わずに平等に機会が与えられ、公平に評価されて、長所短所を補いあって成長する社会を実現、維持することなんですね。
だから男女であろうが性マイノリティだろうが、障碍者であろうが、各々が本人らしさを持ったまま、生きて行ける社会なんです。
女性らしい女性になりたければ、それもよし、女性らしさなんていらないというのなら、それもよし、男性らしさも同じで。性マイノリティの男性が女性らしく生きたいというのも、反対に男性らしく生きたい女性だっていていいでしょう。
ですが、最近の自称フェミニストの方々やそれを批判する方々が話題にするフェミニスト達が主張するのは尖鋭化したラディカルフェミニズムで、行き過ぎて、もはや男性嫌悪主義に陥っている方の話ばかり、正直なところ、彼の方々がどのような主張を展開しようが、自身をフェミニストと自称しようが勝手ですが、そうした方々に対して「フェミニストを論破してみた」「フェミニストをざまぁしてみた」「フェミニストが自爆した」のようなタイトルで動画や記事になっているのを見ると、「いや、一緒にせんでくれ」と思ってしまうんです。
もちろんね、そうしたアンチも別に全てのフェミニストを一緒くたに考えているわけでは無いと思いますが、それでもね。
私は殊更にジェンダー論やフェミニズムに詳しいわけではないんですが、リベラルフェミだ、ラディカルフェミだと引き合いに出した手前、簡単な解説と、昨今のラディカルフェミニズムが何故、ミサンドリズムに陥っているかの私見を話させて貰って、田嶋陽子先生で締めようと思います。
ということで
1おおざっぱにフェミニズム分類
2ラディカルフェミニズムが尖鋭化してる理由
3まとめ
といった流れで進めます。
1おおざっぱにフェミニズム分類
フェミニズムはフランス革命に端を発して起きた女性解放運動や女性の民権運動などや、そうした思想を指すものですが、当初の第1派フェミニズムは、フランス革命のような市民革命が「男性主体」で行われ、「男性」の権利を保障するものであったことから、「女性」の公的権利を主張するものとして始まりました。
こうした運動にリベラリズムが融合したものが第2派フェミニズムの起こりであるリベラルフェミニズムです。
リベラルフェミニズムでは第1派の流れから公民権、機会均等など、社会の公的権利と、こうした男性社会の公的抑圧からの解放と男性的な自由や権利の獲得を目指したものでした。
これにマルクス主義フェミニズムがアンチとして起こる訳ですね。資本主義の家父長制の中では女性は家事や育児といった「性による分業」を抑圧として受けている。社会主義の変革の中で「女性」もそうした個人的抑圧から解放されて、「女性」による社会実現が可能になるとした考えですね。
しかし、マルクス主義フェミニズムが女性の解放に対して消極的だったことの失望が、より主張を強めて、女性を「性」から解放するラディカルフェミニズムの台頭になったんですね。
その後に、こうしたフェミニズムの取り組みによって、性別間の格差や不平等がほぼ無くなることでフェミニズムは一定の成功を見たとポストフェミニズムの流れからアンチフェミニズムも産まれて行くんですが、そこで第3派フェミニズムとされる(第3派はあくまで第2派の延長だとする説も多いようです)男性社会でより男性的な権利を女性も得ることを目指した第1派やリベラルフェミニズムでもなく、性から解放され、男性から受ける日常的な抑圧からも解放され、強い女性を目指したラディカルフェミニズムでもなく、その後のポストフェミニズムでもなく、真に個人の自由や「らしさ」を素直に追い求める思想が産まれて行くんですね。
おおざっぱに纏め過ぎて、だいぶ説明が足りませんし、それほど詳しく無いので、解釈的に間違いもあるかも知れませんが、だいたいこんな流れです。
2ラディカルフェミニズムが尖鋭化してる理由
ポストフェミニズムが起こったことでわかりますが、フェミニズムは役割を終えて「古臭い」と考えられるようになり始めます。これは女性の権利拡大や機会の均等、政治・経済への参画とフェミニズムがもう十分な成果をあげていると思われていることが、次にフェミニズムが目指すものが「ただの女性優遇」に見えてしまうことで、批判的なスタンスの方が出始めたんですね。
ラディカルフェミが男性そのものが女性を抑圧する主因だとしていたのは、あくまでも性による分業が男性側の都合で起きているという考え方から来ていたからなんですが。
時代が高速で変化し、生活様式や結婚や育児に関する考え方も変化する中で、ラディカルフェミの主張は変化してないんですよ。
女性を抑圧するのが男性社会特有の圧力であり、女性は家政婦から脱却しなくてはいけない。男の要求を拒み、女性の意見を社会は取り入れるべきだって、主張し続けてしまっているんです。ズレてるんですよね。
すでにアンチフェミがいて、ポリコレもいて、ノンポリの女性からも冷めた目で見られている中でも、自分たちは時代の先端にいるという自負を捨てられない。
そして、脱却できず、社会から取り残された自分たちを「男性を敵」にすることで「そこに正義がある」と倒錯して納得している。
元々、無理筋な論理構成だったわけで、それを改善する方向ではなく、プライドゆえに改悪した結果なんでしょうね。
3 まとめ
日本のラディカルフェミニストに田嶋陽子先生がいますね。先生のキャラクターはテレビメディアなどではステレオタイプの過激派ラディカルフェミです。
ですが、先生は本音の部分では口ばかりのラディカルフェミニストを嫌っているように思います。
「結局、他力本願な女がたくさんいて、足を引っ張られる」
そんな本音をぽろりと溢すことが多くありました。
盟友と呼ぶべき、故三宅久之氏は田嶋陽子先生が出演されていない回で彼女について訊かれて、
「彼女はかわいい人だよ。だって、わかった上でキャラとしてやってるからね」
と仰有って器の大きさを見せてましたが、本当にメディアの要求に応えて「演じて」たんですよ。
ラディカルフェミニズムを突き詰めれば、何処かで主張そのものに差別的な解釈があると気付くはずで、そして、田嶋先生のように、それはなによりも女性自身をバカにしているとわかるんです。
だから、口ばかりで乗っかる人たちを田嶋先生は諦めの目で見ていたのだと感じました。
多様性が叫ばれる中で、強力な個性が必要とされていますが、誰もが「強い」必要はなく、「弱い」ことを相互に認めあい、補いあいたいものです。
そうだとしても。
とりあえず、ああした方々をフェミニストと呼ぶのはやめませんか、ミサンドリストと呼んであげましょう。
だってね、男性蔑視、男性排除を叫んでるだけでなく、普通の女性にまで「男に媚をうる」なんて差別発言するなら、自称はともかく、他称については「フェミニスト」ではないと思いませんか(-ω- ?)
感想くださーいな!щ(゜▽゜щ)