Fire.
真っ赤に染まる故郷を、俺は呆然としながら見ていた。ついさっきまで、本当に少し前まで、緑あふれる美しい森が、炎に包まれているんだ。どうして、どうして。何も分からなかった。ただひとつだけ分かるのは、そこには松明を持った母が、楽しそうにけらけらと笑いながら立っていることだった。
「これで、私は自由になれる」
そう呟いてから、母は俺の側に近付く。母さん。声を出したかったけれど、いつもの優しい母とはまったく違うその雰囲気に飲まれ、俺は声を出すことすら出来なかった。まるで金縛りのように身動きの取れない俺に、母が穏やかに微笑む。そしてその表情のまま、母は持っていた松明を俺に押し付けたのだった。
■
また夢を見た。あの夢だ。故郷を、同胞を、子供である俺を焼き尽くし、母は笑いながら去っていった。未だに忘れられない悪夢の日。俺のすべてが奪われた日。
木の一族。俺たちはそう呼ばれていた。その名の通り、俺たちはヒトの姿をしているが、その本質は木そのものだ。基本的に無性生殖で生まれ、年老いた木の一族は、本当の木となり、土に根をはって森の一部となる。本質が木なのでどうしても炎に弱い。
俺たちは穏やかに、静かに、森の奥で暮らしていた。俺たちの食事は清らかな水と、太陽から燦々と注がれる光だ。それだけで生きていける。だからヒトとの交流はほとんど無かった。森の奥でひっそりと暮らし、そして最終的には森の一部となり、世界を見守る。そんな一族だった。そのはずなのに、その平穏な日々は、実の母によって崩壊した。母は…あの女は、愛したヒトと生きるために故郷を捨て、我が子である俺を含めた一族を、住処である森を燃やした。これで自由になれると言って。
一族は崩壊寸前にまで陥ったものの、何とか生き延びることができた。そうなるまでに十年を費やしたけれど、少しずつ森は息を吹き返した。そして全身を焼かれた俺は、母へと復讐すべく、とある悪魔と契約した。そいつは朱雀と名乗った。まるで俺を焼き尽くしたような、赤い赤い炎をまとった鳥の姿をしていた。
「生き延びたいか」
朱雀にそう問われた。このまま死んでしまうのか。身を焼かれる痛みに耐えながら、俺は死にたくないと思った。どうして優しかった母さんがこんなことをしたのか。ようやく物心ついた頃だった俺には、あまりにも幼かった俺には、その思いが分からなかった。大切な人たちを、自分の子供を、故郷を焼き尽くしてまで、母は何をしたかったのか。疑問の後にやって来たのは、抑えきれない憎悪だった。
俺は何としてでも生き残らねばならない。何の罪もない一族たちが焼かれ死んでいった無念を、そして俺を焼き殺してでもヒトと結ばれようとした母への憎悪を、このまま死んで無にしたくはなかった。だから俺は朱雀と契約を交わした。この火の鳥の餌は、激しい感情だという。だから俺の抱いた憎悪は、たまらないご馳走だったのだろう。
隣でがさがさと布擦れの音がした。どうやら俺が起きてしまったせいで、雫も目を覚ましてしまったようだ。無言のままこちらを見やる雫に、俺は大丈夫だと短く応えて横になった。少しして同じように、雫にも横になる音が聞こえた。
ヒトの女性である雫は声を発さない。そもそも感情が存在しない。俺が焼き払い滅ぼした研究所で、雫は強引に玄武という悪魔と契約させられ、悲惨な人体実験によって、声帯を失い、そして心までも壊されてしまっていた。だから雫の本当の名前を俺は知らない。首の札に雫と付けられていたから、そう呼んでいるだけだ。ただ名前を呼べば反応するので、たぶん合っているのだと思う。
こいつは使えると思った。玄武はあらゆる水の力を使役する。清らかな水でなければ、木の一族である俺は生きていけない。こいつがいれば、いつでも水の補給ができる。だから雫を助け出し、こうやって共に復讐の旅に同行させていた。
俺は雫がいた研究所以外にも、母が関係した組織や街を、朱雀の怨恨の炎で焼いた。母は東の国と呼ばれる王国の后となり、子供をもうけて幸せに暮らしているらしい。故郷や俺を焼いてまで、その男と結ばれたかったのか。すべてを捨てなければならなかったのか。旅の途中で次々と知らされる事実に、ただただ嫌悪と恨みの感情が募っていった。
木の一族は姿かたちはヒトと変わらないが、髪色と瞳、爪が緑色だ。ゆえに他の人間よりも目立ってしまう。様々な場所を焼いたせいで、俺は東の国から指名手配を受けていた。なので繁華街などに出るときは、髪と瞳の色を変え、外套を被り姿を隠していた。未だ成長しきらない子供だから、こうすれば警吏の目をごまかせる。雫は目立たない外見をしているので、そのままでも問題なかった。もしかしたら、少し歳の離れた姉弟のように見えたかもしれない。
今は東の国の国境から離れた森の中で、俺たちは野宿をしている。明日は東の国に入り王国の首都へ向かい、また朱雀の炎を使い、すべてを焼き尽くすつもりだ。母が関わるすべてを俺は焼こうと決めていた。俺はあの女によって何もかもを奪われた。それなら俺だって、あの女から奪ったっていいはずだ。そうでなきゃ、こうやって悪魔と契約を交わしてまで生きた意味がない。
東の国をすべて焼き尽くして、俺は死のうと思っていた。俺の生きる目的がそれしかないからだ。あの女からすべてを奪う。そして俺はその身を燃やし朱雀にすべてを捧げる。だから明日が東の国と、俺の命の終わりの日になる。それでいい。それでいいんだ。そう言い聞かせながら、俺は眠りについた。
「やっぱり行くんだな、煉」
出発の準備をしていると、ふと木の上からそんな声が聞こえた。ああもう、面倒なやつが来た。いっそ焼いてやろうか。そう考えながら、俺は仕方なく声の方向を見やった。そこには銀髪の青年が、木の枝に座っていた。
「当たり前だろう。そのために俺はここまで来たんだ」
「復讐なんてつまらないのに、良くやるよ」
そう言って、白虎の男が笑う。こいつも俺や雫と同じく、白虎と呼ばれる悪魔と契約した男だ。まるで風のように、飄々と各地を流離い旅をしているという。初めて会ったときは容赦なく燃やしてやろうかと思ったが、敵対するつもりはないと言われたので、俺はこいつへの怒りを収めた。
この男は執着心というものを持たない。こいつの住処だった街を俺が焼いても、これといった反応を返さなかった。怒ることもなく、悲しむこともなく、そして街の警吏に通報することもなかった。ただ赤に染まる街を見ながら、燃えてしまったから、住処を変えないといけないなあとおどけるだけだった。復讐は良くないと思うけどね。そう言って、こいつは笑った。ただ俺の怒り狂う様が面白かったのか、こうやって時折、ふらりと現れては、からかい混じりに声をかけてくる。
「雫、行こう」
男に構うことなく、俺は雫の手を引いて歩き出す。こんな男に構っている暇はない。この男と違い、俺には為すべきことがある。そんな俺たちを止めることなく、何も言わぬままずっと、白虎の男は眺め続けていた。
■
「雫、水が欲しい」
東の国の入り口近くで俺は立ち止まり、隣の雫にそう言った。何も答えないままに、雫が両手で杯を作る。途端に手の中に水が溢れてきた。それを俺は、ごくりと飲み干した。この水を飲むのも今日で最後だ。ここで俺は雫と別れる。彼女はもう俺の復讐に付き合わなくても良いのだ。
「お前とはここでお別れだ。この国から離れるんだ」
俺はそう、雫に言い放った。だが雫は俺の言ったことが理解できないのか、俺の側から離れなかった。もう少し強く言わなければならないか。そう思い、俺は短く、北の国へ行けと命令した。北の国は東の国から一番離れた場所だ。そこまで行けば、俺の悪影響を受けず、静かに暮らせるだろう。それを聞いた雫が、こくりと頷いて歩き出した。そうだ、それでいい。俺は雫の後ろ姿を見送ってから、東の国へと入っていった。髪色を変えているからか、入国する人数が多いからか、検問に引っかかることは無かった。
東の国の首都は人で溢れかえっていた。豊かな国だとは聞いていたが、ここまでとは。予想よりも多い人の往来に、俺は少し驚いた。俺の故郷も、母に焼かれる以前は賑やかだったな。そんな過去を思い出してしまう。だがここもいずれは炎の中に消えていく。俺からすべてを奪ったように、同じく、等しく、皆焼かれるのだ。
俺は小高い丘の上に建つ、東の国の城へと向かう。もうそろそろ警備が強化されている地域に入る。俺は右手をぎゅっと握った。内に秘めたる朱雀の熱を感じた。やっと、やっと、俺は悲願を成就できる。そう思うと、心の底から笑い出したい気分になった。
城へ入る門へ辿り着いた俺は、ゆっくりと右手を横に払った。途端に赤い炎が辺りを焼き尽くす。もう素性を隠す必要はない。俺は髪色を元に戻し、そして外套を脱いだ。朱雀の炎に焼かれる悲鳴を聞いた兵士たちが、門の前に集まりつつある。邪魔だ。俺は歩を進めながら、どんどんと建物を、兵士たちを、何もかもを焼いていく。ああ、憎い、憎い。あの頂上に、俺を殺そうとしたあの女がいる。そう思うと、己の内にある炎がさらに燃え盛る気がした。
階下は地獄絵図の様相を呈していた。生きたまま焼かれていく兵士や従者たち。焼かれ崩れていく建物。朱雀の炎は特別だ。いくら消そうとしても、水を浴びたとしても意味はない。一度俺の炎に触れたものは、骨の髄まで焼かれて死ぬのだ。
「何者ですか…!」
廊下の途中で、震える声で俺をそう呼ぶ声がした。艶やかな黒髪に、深い新緑のつぶらな瞳。ああ、あの女が、この国で生んだ子供か。つまり俺の妹になる。きらびやかで美しい服に身を包み、そして誰からも愛されるような、まだ幼さの抜けない顔。あの女にそっくりだった。
俺には与えられなかったものを、すべて持っている者。俺は憎しみのままにそいつの周囲を焼いた。だが殊勝なことに兵士たちがそれを守った。朱雀の炎に焼かれ、兵士たちがのたうち回りながら苦しんで死んでいく。そのさまを見て、王女が悲しげに泣いた。
「…貴方が…あの…!」
炎に囲まれながら、そう、王女が悲痛に叫ぶ。両親の、あの女の愛を十分に受けた者。俺が地獄の底で苦しみ藻掻いているときに、何も知らずに、幸せに暮らしていた者。この娘に罪はないかもしれない。だが許すわけにはいかなかった。
「そうだ」
俺は短く答え、にやりと笑ってやる。その間にも炎の被害はどんどんと広がっていく。それを聞いた王女の表情が、赤い光に照らされて歪んだ。
「辛夷様、離れてください!」
炎に焼かれそうになる王女を守るように、さらに兵士たちが立ちはだかる。こんなことをしても意味がないというのに。こいつを守ることで、さらに俺の憎しみが、死体が増えていくだけだ。
「お前はいいよなあ、生まれてからずっと、無条件に誰からも愛される」
「そんなことはありません…私は、ただ…」
「お前と話すことはもうない」
ぼろぼろと涙を零す王女を放置して、俺はゆっくりと歩き出す。周りはもう火の海だ、俺が直接手を下さずとも、いずれこいつはこの火に巻かれて死ぬ。もう少し、あと少しであの女に辿り着ける。俺は朱雀にすべてを委ね、己の身を炎に包んだ。
俺の目の前に立ちはだかっていた巨大な扉が、炎によって焼け朽ちて崩れる。俺はそのまま歩を進めた。その部屋の奥には玉座に座している王と、そして隣にはあの女…俺の母がいた。辺りは炎に包まれているというのに、あの女の表情は涼やかだった。それがますます、俺の怒りを誘う。
「来たのね、木蓮」
「その名前は捨てた」
余裕綽々、といったあの女に、俺は冷ややかにそう返した。木蓮。かつてこの女が名付けた俺の名前。だが故郷を燃やされたとき、すべてを失ったとき、この名前を、女であることも俺は棄てた。呪われた名前や素性を、早く忘れたかったからだ。だからこの名前を知る者は、故郷のごく一部の者と、この女だけだ。
「じゃあこう呼ぶべき?裏切り者の煉」
「すべてを裏切ったのはお前だろうが…!!」
「私は私のやりたいようにしただけ。そのためには故郷も家族も…全部が邪魔だった。だから燃やしたのよ」
憎々しげに、女がそう過去を語る。全部邪魔だった。俺の大切な故郷も、俺自身も、この女にとっては枷でしかなかったというのか。幼少の俺に与えてくれたあのときの穏やかな笑顔は、優しい言葉は、やはり偽りだったというのか。そう考えると、身体の奥から、怒りと炎が、自分でも抑えきれぬほどに溢れ出してきた。
「貴様…!!」
「さあ、焼きなさい。愚かな娘よ」
「俺はすべてを捨てた!俺はもう何者でもない!消えろ!!」
俺は力の限りそう叫んで、全力の炎をあの女にぶつける。だがその炎は、あの女を焼くことなく消えてしまった。じゅうじゅうと激しい水蒸気を上げ、炎は消え去ってしまっていた。そしてそこには、国の入り口で俺と別れたはずの雫が立っていた。
「雫…?」
驚く俺に対して、雫は無表情だった。ただ何も言わずに、玄武の力で俺の炎を消していく。そんな雫の後ろに立ちながら、女が嘲笑うようにこう語った。
「本当に馬鹿な娘。気付いていなかったの?この女は最初から東の国のモノなのよ」
信じたくなかった。確かに雫は東の国の息がかかった研究所から俺が助けてやった。つまり俺と雫の出会いは、最初から東の国によって謀られていたことだったというのか。ずっと一緒だったあの旅も日々も、すべて筒抜けだったということなのか。でも、雫は言葉を発せない。そもそも心が抜け落ちている。彼女の心が、分からない。
困惑する俺に対し、あの女はさも楽しそうに声を上げて笑った。動揺するそんな俺の様子を見ても、雫は眉ひとつ動かさない。微動だにしない。それが今は少し怖い。俺と共に旅したあの日々は、偽りだったのか。嘘だと言って欲しかったけれど、雫は一言も、何も言わない。否、言えない。
「お前も、俺を、裏切るのか…?」
問いかけても無駄だと分かっていても、問わずにはいられなかった。絞り出すような声で、俺は雫に問いかける。だが彼女からの返事は無かった。いつもと変わらず、無表情で立っているだけだ。
「さあ、それであれを刺しなさい。そうすれば玄武から解放してあげるわ」
くすくすと笑いながら、あの女が雫に短剣を手渡し、そう命じる。雫はそれを受け取り、じっと俺を見つめた。殺されるのか。朱雀の炎は玄武の水に消されてしまう。反撃をしようと思えば出来る。でも、心のどこかで、俺はそれをしたくないと思ってしまった。相手を思いやる行為など、復讐には必要ないというのに。元々、利用するためだけに、彼女を助けたというのに。
短剣を持った雫は、一歩、俺に近付いた。やられる。危機を察し、俺は身構えた。こんなところで復讐が終わるというのか。ここまで来て、俺は助けた女に殺されるのか。そんなの絶対に、嫌だ。俺は雫を睨み上げる。殺されるのなら、俺は本気で抵抗するつもりだ。例えそれが、雫であってもだ。
だが雫の短剣は、俺ではなく、背後のあの女を刺していた。不意打ちを食らったあの女は驚きのあまり声も出せず、目の前の雫を、呆然と見つめることしか出来なかった。これは好機だ。俺はすぐさま朱雀の力で、再び炎を纏う。そしてあの女めがけて、全力で火を放った。
「…どうして…?」
真っ赤な炎に包まれたあの女が、ようやく、ぽつりとそう呟く。あの女から離れた雫の手を、炎に巻かれぬように俺は強く引いた。どうして雫がこんな行動に走ったのかは分からない。でも彼女が火に包まれる姿を見たくなかった。
「助けて、木蓮、木蓮…!」
膝からがくりと崩れ落ちたあの女が、俺に縋ろうと這いながら近づいてくる。今更俺に命乞いをしたとしても、愛しげに名前を呼んだとしても、俺の憎悪の炎は絶対に消えない。いつの間にか隣りにいた王はもう既に灰になり朽ちていた。そして俺の母も、木蓮と名を呼び続けながら、少しずつ灰になっていく。これで良かったんだ。俺は自分にそう言い聞かせた。
「朱雀」
炎に包まれた城の中で、俺は内に秘められた悪魔の名を呼ぶ。約束のときが来た。俺の復讐は果たされた。だから俺の命をコイツに捧げるときが来たのだ。
「俺の命、お前に与えるときが来た」
『待ち侘びたぜ、煉』
くつくつと嗤いながら、朱雀が答える。
「最期にひとつだけ、頼みがある」
『あん?』
「雫だけは、助けてやってくれ。あれに罪はない」
俺はすぐ側にいる雫を見つめながらそう頼んだ。雫は俺の復讐に強引に付き合わされただけだ、まったくの無関係…むしろ被害者と言ってもいい。まあそれが叶うか叶わないかは、この悪魔次第だろうけれど。だが雫には玄武の力がある。最低限、己の身は守れるだろうが、一応言っておいたほうがいい。それを聞いた朱雀が、しょうがねえなと言った。
『ついでに教えてやるよ。あの女を刺した理由だが、あれに命じられて良いようにされたくは無かったんだろうな。玄武にだって悪魔としての矜持がある』
そう、朱雀が説明する。あれは玄武が起こした行動だったのか。確かに悪魔は俺たちとは異なる上位の存在だ、例え妃であっても、あの女の命令を聞くのは癪だったんだろう。だからこそ俺の復讐が叶った。もう、思い残すことはない。
己の身が焼けていく感覚がした。かつて母に燃やされたときの、あの感覚がする。けれど俺の心は晴れやかだった。目を閉じれば、東の国のすべてが焼き尽くされていく景色が見える。きっと朱雀が気を利かせて見せてくれているんだろう。俺の皮膚は焼け爛れ、そして次第に自力では立てなくなっていく。喉が焼ける前に、これだけは雫に告げておきたかった。
「雫、ずっと側にいてくれて、ありがとう」
そう礼を言って、俺は精一杯微笑んで見せる。ああ、意識がだんだん遠ざかっていく。俺の命が尽きようとしている。短い人生だったけれど、雫がいてくれて、本当に良かった。俺は俺の思うがまま、すべてに復讐を遂げられた。その多幸感に包まれたまま、俺はそっと目を閉じた。
■
東の国が一瞬にして炎に包まれ、そして完全に消滅した。その報せは他国にもすぐに知れ渡り、きっとこれは悪魔の仕業だと密かに噂されるようになった。だが真相は誰にも分からぬまま、ただ、かつての東の国の地には、誰も寄り付かぬようになってしまった。
焼けて朽ちた建物に、花を添える二人の姿があった。ひとりは玄武と契約した女。そしてその隣には、煉の妹…辛夷が立っていた。東の国で唯一生き残った辛夷は、何故か雫に助けられた。その肌は半分焼けて変色してしまったが、何とか命を繋いで生きている。姉である煉が行使していた、朱雀と契約を交わして。
「殊勝なことだね」
そんな雫たちに、白虎の男がそう声をかけた。あの日からずっと、この二人は、かつて朱雀と契約した木の一族…煉を弔うため、年に一度はここを訪れ、花を手向けている。雫のその顔には、いくばくかの表情が見て取れるようになった。
雫と彼女に助けられた辛夷は、あれ以来、北の国で二人で静かに暮らすようになった。相変わらず雫が声を発することは無いけれど、それでも、多少の意思表示をするようにはなった。少なくとも白虎の男からすると、そう見えたのだ。もしかしたらそれは、あの煉と共に旅し、様々なものを与えられた影響があるからかもしれない。妹の辛夷も、母の犯した罪、姉や一族の過去を朱雀から聞いたようだ。華やかな王族として生きていた彼女も、今では隠れるように、日々を過ごしている。
「…本当に炎のような子だったなあ」
そう言って、白虎の男は笑う。まるで炎のように己の怒りのままに復讐し暴れ狂い、そして最期までそれを貫いて死んだ木の一族。誰にも知られずに死んだけれど、それでも、共に悪魔を内に飼っている者たちは覚えている。そう、それでいい。それだけで、いいのだ。悪魔と契約した者は、どちらにしてもマトモには死ねないのだから。そんなことを考えつつ、風を伴いながら、白虎の男はそっと姿を消したのだった。