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俺流四国8泊8日傷心の旅

作者: 口羽龍

 

 7月31日、私は旅に出ることにした。行先は四国だ。8泊8日という、今までで最も長い旅だ。本当は8日からする予定だった。しかし、会社とのいざこざがあって今日限りで退社となった。今回の旅はそのショックを忘れて、再就職を目指して頑張ろうと思ったからだ。


 7時ちょうど、私は難波行きの特急ひのとりで難波に向かった。次の接続のことを考えたら1時間半後のアーバンライナーだ。しかし、どうしてもひのとりに乗りたくてこっちに乗った。


 ひのとりは名古屋を出てしばらくすると地上に出た。即日解雇のショックがまだ尾を引いてなかなか気が上がらない。


 ひのとりの車内で、私は持ってきた文庫文を読んで暇つぶしをしていた。名古屋から難波までは2時間ちょっと。新幹線なら名古屋から新大阪まで半分足らずで着いてしまう。こっちの方が速そうに見えるが、難波で南海に乗り換えて和歌山市まで行くことを考えたらこっちがよかった。


 午後9時過ぎ、難波に着いた。そこまでの時間は何をしようか考えたが、南海の難波駅近くの鳥貴族で飲むことにした。今日のショックを忘れるためにも。


 鳥貴族は家の近くにあるにもかかわらず、行ったことがなかった。いつも利用しているのはとりのすけで、そこにはないチーズつくねを注文した。こっちもなかなかいける。それに1本1本が大きい。今度は家の近くのも行ってみようか。


 11時20分ごろ、今日最後のサザンがやってきた。指定席と自由席があるが、今回はゆったりと行きたいので指定席を使った。私が乗った1号車には乗客が数えるほどしかいない。みんな後ろ4両の自由席に乗っているんだろうか。自由席なら乗車券だけで乗れるから、みんな安い方を選んでるんだろうか。


 11時35分、今日最後のサザンは難波を出発した。新今宮、天下茶屋と地下鉄やJRと接続する駅に停まった。しかし客は入ってこない。


 月日が変わって8月1日、結局終点の和歌山市まで誰も入ってこなかった。予定では和歌山港からフェリーで四国に入る。しかし、夜も遅く和歌山港行きの電車はもう終電を過ぎていた。やむを得ずタクシーで和歌山港に行くことにした。うーん、深夜便の分も連絡する電車があってほしかったな。


 10分足らず走って、タクシーは和歌山港に着いた。フェリーターミナルの食堂はもう閉まっていて、照明が消されていた。


 待合室には明かりがついていた。待合室には何人かの人がいた。多くの人が夜行バスやサンライズ瀬戸で四国に行くからこうなるんだろうか。


 船の深夜便は前々から乗ってみたかった。以前、乗り鉄で和歌山港に来た時にこの便のことが気になったし、動画で様子を見て、自分も乗ってみたいと思っていた。


 深夜2時20分、出航まで20分前、私は船内に入った。船の中はまばらで、とても静かだった。その分、船のエンジン音がよく聞こえた。眠れるかどうか不安だな。


 2時40分、南海フェリーは徳島港へ向けて出港した。私はデッキから和歌山港を見ていた。その向こうには自宅のある名古屋がある。戻ってくるのは8日後。長い長い旅が始まる。私は期待でいっぱいだった。


 船内に戻った私は机に座って寝ることにした。今日1日の疲れを取ろうとした。しかし、船がうるさいのか、それでも忘れられないのか、なかなか眠れなかった。お酒をジョッキ3杯飲んだのにこの有様だ。このショックを忘れることはなかなかできないものか。とても不安になった。




 2時間後、南海フェリーは徳島港に近づいてきた。夏の日の出は早い。空が少し明るくなってきた。私はデッキから徳島を見た。これから8日間、四国を旅するんだと思うと、わくわくしてきた。


 4時55分、南海フェリーは徳島港に着いた。私は徳島県に降り立った。今日の予定は鳴門海峡で渦潮を見て淡路島に向かう予定だ。


 私は1階に降りて、フェリーターミナルを出た。ここから徳島駅まではバスで連絡してる。しかし早朝の便に接続はなかった。結局タクシーか徒歩で行くしかないんだろうか。


 結局私はコンビニまで歩いて、そこからタクシーを呼んで徳島駅に行くことにした。深夜便に交通の連絡がないのはさすがにつらい。あってほしい。


 6時ごろ、徳島駅に着いた。まだ朝食を食べてない。どこで朝食を食べよう。駅前を見渡していると、松屋があった。よし、ここで朝ごはんを食べよう。


 私はソーセージWエッグの朝食を頼んだ。1つメニューが選べるらしいが、私は納豆を選択した。やはり朝は納豆だ。人はまばら。まだみんな寝ているのだろうか。


 朝食を済ませると、私は徳島駅に向かった。いよいよ旅の始まりだ。私は鳴門までの切符を買った。次のうずしおの特急券付きで取ろうと思ったが、鳴門に行くには次の鳴門行きの普通がいいとのこと。結局普通で鳴門に行くことにした。


 ホームに降り立つと、向こうに車両基地が広がっていた。そうか、ここは車両基地があるのか。それは知らなかった。私はしばらく車両基地のディーゼルカーを見ていた。新型車両に交じって国鉄の車両も見える。国鉄の車両、乗ってみたいな。


 徳島駅の構内を見ていると、アンパンマンのベンチを見つけた。よく見ると、ごみ箱もアンパンマンだ。そうか、ここはこの四国にはアンパンマン列車が走ってたんだ。


 6年前に高知に行った時にはオレンジのアンパンマン列車に乗ったな。そのアンパンマン列車も先月デビューした新しいアンパンマン列車に置き換えられ、引退した。新しいアンパンマン列車にも乗りたいし、いしづちのアンパンマン列車にも乗りたいな。


 7時30分、鳴門行きの普通で私は鳴門に向かった。国鉄の車両に乗りたかったが、思いに反して新しい車両だった。うーん、残念。


 8時9分、私は鳴門に着いた。ここからはバスで大鳴門橋へ向かう。バスの本数はけっこうある。バスを待つ人はそこそこいた。待合室には足湯があったが、その時間は営業してなかった。


 8時43分のバスで私は鳴門海峡に向かった。まずは渦潮を見ようと思ったからだ。そこから淡路島に渡ろうと思った。しかし、詳しい予定は全く考えていなかった。


 9時7分、私は鳴門公園に着いた。ここがバスの終点だ。こっちから観光船に乗ろうと思った。しかし、バスは1つ手前のバス停の方がいいと言われた。うーん、ちゃんと見ておかないと。


 やむを得ず私はキャリーケースを引きずりながら坂道を下った。観光船の発着する桟橋はこの下だ。私は近くの売店で鳴門金時の芋けんぴを買って桟橋に向かった。


 しばらく歩いて、私は港に着いた。ここから観光船が発着している。しかし乗る人は少なかった。まだ大型連休じゃないからだろうか。それとも大きな観光船に乗るからだろうか。


 観光船が出航した。すると、阿波踊りが流れてきた。徳島駅でも聞いたんだが、ここでも聞くことができるとは。びっくりしたが、徳島らしさを演出するためには大切な効果音なんだろう。


 大鳴門橋の下まで来ると、渦潮が見えた。私は感動し、歓声を上げた。しかも、いくつも見える。渦潮は夏の甲子園のふるさと紹介で何度も見たことがあるけど、生で見るとこんなに素晴らしいものか。迫力が全然違うし、潮風を感じることもできる。船のエンジンの響きを感じることもできる。


 しばらく見ていると、大きな船がやってきた。別の観光船だろう。ここには多くの人が乗っていた。別の観光船の人たちも渦潮を見ている。思わず私は手を振ってしまった。うーん、できればそっちに反応してほしかったな。


 クルージングを終えて、私は港に戻ってきた。グッズショップで何を買おうか考えていた。鳴門の名物はもちろん、淡路島の名物も売っていた。お土産に1つぐらい何か買おうか考えていた。


 今度は下から渦潮を見ようと思い、私は大鳴門橋に向かった。行った道を逆戻りだ。今度は上り坂。夏の暑さで汗びっしょりだ。そういえば四国でも梅雨が明けたばかりだったな。旅行中はみんな晴れてるといいな。


 坂を上っていくと、大きな橋が見えてきた。大鳴門橋だ。間近で見ると、より一層大きく感じる。

 下から渦潮を見る前に、大鳴門橋を高い所から見ようと思い、私はまず展望台に向かった。


 展望台に向かうにはエスカレーターで行くのだが、そのエスカレーターは有料だった。私はお金を払ってエスカレーターに乗った。エスカレーターはチューブの中を走っていて、周りは木々が生い茂っていた。所々、窓が開いていた。この時期、全部閉めて冷房を入れるんだろうけど、今年は新型コロナウィルスでこんなことができないんだろうな。


 エレベーターを抜けると、展望台の入り口に出た。しかし、そこは寂しかった。展望台の屋上までの途中の階にはレストランがあるらしいが、営業していなかった。自分は最初から行くつもりはなく、まっすぐ展望台に行く予定だった。しかし、閉まっているのは、人気がないのか、コロナの影響なのか。深く考え込んでしまった。


 エレベーターで屋上に着くと、私は展望台に向かった。目の前に大鳴門橋が見えた。何ともいい景色だ。こんな大きな橋を作った人々を讃えたくなった。


 その先には淡路島が見えた。この近くにバス停があって、そこから淡路島に行けないかと考えていた。また、下から大鳴門橋を渡って淡路島に行けないかと思っていた。


 エレベーターを降りてきた私は大鳴門橋の下にある遊歩道、通称「渦の道」に向かった。下から渦潮を見つつ、淡路島を目指そうと思った。


 ところが、渦の道から淡路島に行けないという。大鳴門橋の途中までしかないという。仕方がない。タクシーかバスで行くか。


 とりあえず、上から渦潮を見たかったので行くことにした。渦の道には、けっこう人がいた。私は持っていたキャリーケースを預けて、向かうことにした。コロナが騒がれている時世か、手の消毒をして体温を測って、いざ渦の道へ。


 私は渦の道を歩いていた。歩いていると少し振動がする。この上を走っている車からくる振動だろう。少し足がすくんだ。


 歩いていると、所々床がガラス張りになっている部分がある。その下には鳴門海峡が見える。すごい迫力だ。私はその上に立とうとしたが、足がすくんでしまう。ちょっと怖い。


 一通り歩いて、私は戻ってきた。今度は淡路島に行ってみよう。ここから抜けられないのなら、タクシーで行こうと思い、近くの駐車場に停まっていたタクシーにお願いした。しかし、駄目だと言われた。しかし、本数は少ないが、この近くに淡路島の洲本まで行く急行バスがあるらしいので、それに乗ることにした。とりあえず鳴門まで戻って考えよう。


 私は鳴門駅に戻ってきた。洲本までの急行バスを走らせているのは淡路交通だ。淡路交通は昭和41年まで洲本から福良まで鉄道線を走らせていたことで知られる。戦後は日本で唯一の日本列島以外の電車ということで知られていた。私はそれを鉄道廃線跡で読んだことがあるし、鉄道ファンではカラー写真を見たことがある。


 私は真っ先に私は淡路島へのバスの時刻表を見た。言っていた通り少なかったが、それよりも驚いたのは土日祝日は休みだという。コロナの影響がまだ続いていた。


 今日の淡路島行きは諦めて、宿泊先の高松に戻ることにした。池谷方面の電車まではまだ時間はあるし、ちょうど昼時なので、お昼を近くの王将で食べることにした。疲れたので今日はレバニラで。店はすいていた。徳島来たんなら徳島ラーメンが食べたかったけど、昨日のお昼に食べたし、今夜はうどんを食べるのでやめておいた。


 1時過ぎ、徳島方面の電車に乗ったが、高松行きの特急うずしおは池谷は通過して1つ先の勝瑞に停まるという。なのでいったん勝瑞まで行ってから高松に向かうことにした。その間に寝過ごさないように気をつけないと。


 勝瑞で特急に乗り換え。特急は向かいのホームに来る。私は跨線橋を渡って別のホームへ。その間に自販機でお茶を購入。勝瑞では多くの学生が降りた。この近くに学校があるんだろうか。


 しばらくすると、特急うずしおがやってきた。やった!新型の2700系だ!2000系を置き換える目的でデビューした新しい特急用車両だ。


 本来は2600系で置き換えるはずだった。しかし、振り子ではなく車体傾斜装置を搭載していて、土讃線では問題があったため振り子付きの2700系で置き換えるようにしたらしい。大歩危小歩危のカーブの連続する区間に問題があったんだろうか。先月デビューしたアンパンマン列車はこの2700系だそうだ。


 私は特急うずしおの車内に入った。車内はきれいで、新車の香りがクンクンした。それに、ACアダプタも付いている。これは便利だ。充電しながら、私は終点の高松まで寝て移動した。


 約1時間後、私は高松駅に着いた。高松に降り立ったのは6年ぶりだ。あの時は日帰りで琴電に乗って金毘羅山を登ったな。今回もそこに行きたいな。あと、中野うどん学校に行きたいな。でもここは岸井うどんで。


 今回予約したホテルは瓦町にある。瓦町へはこの近くにある琴電の高松築港駅から行く。以前乗ったことがあるのでこれは知ってた。


 琴電は鉄道ファンで見たことがあって、古そうな電車がたくさん走っていて、まるで博物館のようだと思った。古い電車はすでに営業運転から退き、近代化が一気に進んだ。


 あと、琴電で知っているのが、昔の瓦町の駅舎だ。今は瓦町フラッグというデパートが建っているが、昔は十角形の古めかしい駅舎があったという。その頃は志度線のホームも隣接していた。


 私はチェックインして荷物を部屋に預けるために瓦町に向かった。高松築港駅は高松駅から離れたところにある。ホームには元京急の1000系がいた。琴電には京急風の塗装をしたのが走っているそうだ。乗ってみたいな。


 私は車内に入り、辺りを見渡した。古めかしい車内にわくわく。もう1つ気づいたのが、冷房をつけているにもかかわらず、扇風機もあることだ。冷房が隅々までいきわたらないんだろうか。


 電車はあっという間に瓦町に着いた。瓦町は長尾線と志度線が分岐する交通の要衝だ。長尾線の電車はだいたい高松築港まで乗り入れているが、志度線のホームは離れたところにある。小型車しか走れないからだろうか。ここでは元京急や京王の電車ではなく、元名古屋市営地下鉄の車両ばかりが走っている。


 私は瓦町フラッグと反対側の出口からホテルに向かった。その途中には古い家もあった。古い家に古い駅舎。この組み合わせ、見たかったな。そう思いつつ、私はホテルに向かった。


 そのホテルは住宅地の中にあった。4日の朝までここに泊まる予定だ。チェックインを済ませ、私は部屋に向かった。


 エレベーターに乗って部屋のある階へ。部屋のある階に着くと、暑く感じた。冷房がかかってないんじゃないかと思った。うーん、こんな時期にどうして。突っ込みたくなった。


 私は部屋に入り、荷物を部屋に置くと、再び瓦町に向かった。余った時間で少し琴電に乗ってみようと思ったからだ。


 私は再び瓦町に戻ってきた。ここからちょっと琴平線に乗ってみることに。琴平行きの電車に乗っていると、京急色の電車と遭遇。あーこれ乗りたいな。


 今日は鳴門と淡路島に行く予定だったけど、急行バスが運休で行けなかったので断念。予定を変更することにした。明日は予定通り小豆島に行くが、あさっては淡路島に行こう。


 明日は小豆島。二十四の瞳映画村に行って、そうめんを食べて、世界一狭い海峡、土淵海峡を渡って証明書をもらおう。




 8月2日、私は小豆島行きのフェリーに乗って小豆島に行く予定だ。


 ところが、ホテルの朝食バイキングがコロナの影響でやっていなくて、近くの牛丼チェーンで朝ごはんをしようと思った。しかし、なかなか見つからなかった。やっと見つけたが、迷ったせいで出港時間ぎりぎりだった。


 私は小豆島行のフェリーに何とか乗ることができた。前かがみになって、朝から汗だくになっていた。


 フェリーには、オリーブをモチーフにしたゆるキャラが描かれていた。そうだ、小豆島はオリーブでも有名なんだ。四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズの名前の由来にもなってるし。それに、オリーブを練りこんだそうめんもあるそうだ。


 船内にはそこそこ人が乗っていた。中にはユニフォームを着た少年の集団と大人がいた。リトルリーグの選手と監督だろう。小豆島で練習試合だろうか。楽しそうな表情だった。


 気持ちが落ち着いたところで、私は外に出た。瀬戸内海の島々を見ていた。いい風景だ。瀬戸大橋が開業する前は国鉄の連絡線でもこんな風景が見られたんだな。見たかったな。でも今は思い出でしかない。


 船内のテレビで天気予報が流れていた。私は旅行中の四国の天気が気になって見入っていた。旅行中の四国の天気はずっと晴れだという。嬉しい半面、最高気温が気になった。


 1時間ほどでフェリーは小豆島に着いた。小豆島に着くと、ごま油のいい匂いがした。この近くにある純正ごま油のかどやの工場からの匂いだろうか。私はしばらく酔いしれていた。


 ここからはバスで小豆島をめぐる。まずは二十四の瞳映画村に行こうと思い、バスの時刻表を見た。まだ時間はあるので、私は土産物屋に行ったり、待合室で休んだりして暇をつぶすことにした。


 土庄港周辺を歩いていると、様々な銅像を見かけた。オリーブの女神という銅像や、二十四の瞳の銅像だ。そういえば、二十四の瞳は映画で見たことがないし、小説を読んだことがない。レンタルビデオで見たいな。小説で読みたいな。


 10時ごろ、私は映画村までのバスが発着するバス停にやってきた。待っている人はちらほら。まだ盆休みじゃないからだろうか。コロナの影響で少ないんだろうか。


 約10分後、映画村行きのバスは土庄港を出発した。映画村までは1時間余り。ここからかなり遠くにある。


 私はしばらくバスからの車窓を見ていた。港のある集落を外れ、山里を走っていると、民家に交じって醤油工場が見える。そうだった。小豆島は醤油も有名なんだ。その醤油で作ったつゆでそうめんを食べるのも最高だな。映画村に行ったら醤油ソフト食べなくっちゃ。


 終点が近づくたびに、民家が少なくなってきた。バスは海沿いを走っていた。私は瀬戸内海の美しい海に見とれていた。


 1時間余りで、二十四の瞳映画村に着いた。映画村の周りにはほとんど民家が見当たらない。映画村にはそこそこ人が来ていた。


 私は入場料を払って中に入った。雰囲気としては太秦映画村に似ていたが、雰囲気は昭和で、初めて来たのに懐かしさを覚えた。


 まずは土産物屋に行った。色んなグッズが売っていたが、その中には二十四の瞳のグッズの他に、オリーブ関連のグッズもあった。


 私は土産物屋でいくつかのグッズを買ったが、オリーブ関連のグッズは買わなかった。そして、前から食べたかった醤油ソフトを注文する。外に出て、醤油ソフトを食べる。醤油にソフトクリームって、意外と合うもんだな。


 その後、土産物屋をいくつか回って、私は分校に入った。中は二十四の瞳の風景が広がっていた。二十四の瞳をはじめ、昔の映画のポスターが多く展示されていた。その中には、カルメン故郷に帰るに登場した草軽電鉄の写真もあった。鉄オタ心くすぐられるな。


 私はここでそうめんを食べようとした。しかし、メニューにそうめんはなかった。あるのはノスタルジックな弁当や学校給食を再現したものばかりだった。そうめんが食べたいのに。

 私は映画村を後にして、そうめんを食べれる店を探した。しかし、見当たらなかった。バスは本数が少ない。さぁ、どうしよう。


 と思っていたその時、オリーブビーチまで行ける渡し船があると聞いて、私はそれに乗った。まさに『助け船』だ。こう、何日も続けて船に乗っていると、船旅もいいもんだと思うようになってきた。


 オリーブビーチに着くと、私は海の家を見て回った。泳ぐまでの休憩をするんじゃなくて、そうめんを食べるためだ。そうめんを食べるために海の家に行くなんて、考えもしなかった。


 私はとある海の家でそうめんを食べることにした。客は誰もいなかった。コロナの影響だろうか。盆休みじゃないからだろうか。


 しばらくして、店員がそうめんをつゆとともに持ってきた。何のあしらいのないそうめん。私が今まで食べてきたそうめんには卵やキュウリ、ハムなどのあしらいがあり、適当に取ってそうめんと一緒につけて食べていた。シンプルだけど、こういうのもいいな。そうめん本来のおいしさがわかって。


 次の目的地は道の駅小豆島ふるさと村だ。ここでそうめんづくりが見れるそうなので行ってみたかった。そこまではバスと徒歩で行くのだが、バスが来るまでは少し時間があった。そこで暑さを逃れるために小豆島観光協会にいることにした。


 小豆島観光協会は別名オリーブナビ小豆島だ。1階には小豆島にまつわる様々な説明書きがあり、待ち時間も楽しむことができた。


 しばらくして、バスが来たのでそれに乗って私は丸山というバス停で降りた。ここからふるさと村までは徒歩で行くことにした。


 私はふるさと村に向かって歩き始めた。夏の暑い日差しが照り付ける。とてものどかな風景だった。畑やビニールハウスが所々に点在していた。私の実家もそんな感じだったな。


 突き当りのT字路を右に曲がると、道の駅が見えてきた。道の駅小豆島ふるさと村だ。少し外れたところにあるためか、そんなに賑わっていなかった。食堂は営業していなかった。


 建物の奥に入ると、そこには感想中のそうめんが吊るされていた。まるで白いカーテンのように美しい。生で見たのは初めてだ。


 バスを乗り継いで、私は土庄港に戻ってきた。今度は土淵海峡に行ってみよう。土淵海峡はギネス認定の世界一狭い海峡だ。


 もう一度バスに乗って、私は土淵海峡の最寄りのバス停に着いた。どこが最寄なのか全くわからなかったが、運転手さんが教えてくれたので来ることができた。感謝感謝。


 10分もたたないうちに、バスは土淵海峡の最寄りのバス停に着いた。私は土淵海峡に向かった。土淵海峡は上が遊歩道になっている部分があって、ここを歩きながらわたることにした。


 私は土淵海峡の上の遊歩道を歩いた。私の他に何人かの人が来ていた。私と同じく記念写真を撮っている。この人も観光目的だろう。


 しばらく遊歩道を歩いた私は、土淵海峡の横断証明書が欲しいと思った。証明書は土庄町役場の商工観光課で売ってるそうだが、土日祝日は役場の宿直室で売ってるらしい。私は役場の宿直室に向かった。


 私は役場の裏にある宿直室に向かった。そこには、宿直の人がいた。私は声をかけて証明書がほしいと言った。証明書は1枚100円。私は迷わず買った。


 今日の目的を達成した私はバスに乗って土庄港に戻ってきた。そろそろ高松に戻ろう。今日も1日よく遊んだ。




 8月3日、今日は以前から計画していた淡路島に行くことにした。ただし、何をするかは決めてない。でも最終的には縦断して本州に抜けようかと。


 高松から池谷へは特急うずしおで。今回も新型車両の2700系。やっぱり新型車両は快適だな。走りも滑らかだし。この旅行でアンパンマン列車にも乗ってみたいな。


 池谷で鳴門行きに乗り換え。跨線橋を渡って鳴門線のホームへ。待ち時間が長くてイライラ。まだ朝だというのにこの暑さ。何とかできないものか。


 9時14分、私は洲本行きの急行バスで淡路島へ。洲本といえば鉄道線の始発駅。バスターミナルの辺りにあったとか。


 しばらく走ると、鳴門大橋が見えてきた。おとといはこの下を歩いていたんだな。抜けて淡路島に行こうと思ってもできなかった。やっと今日行ける。本当に嬉しかった。


 私は鳴門大橋を渡って、洲本バスセンターに着いた。かつてはここから鉄道線が福良まで延びていた。さらに大阪の深日港からのフェリーが連絡していた。


 深日港へは南海電鉄が深日港駅で連絡していた。私は以前、深日港駅のある多奈川線に乗ったことがあるんだが、どうしてこの路線があるんだろうと疑問に思ったことがある。後になって、昔は淡路島への連絡フェリーが発着していたことを知り、和歌山港と同じぐらい重要な路線だったんだなと思った。


 私はそこからどこに行こうと考えていた。玉ねぎ料理、特に玉ねぎを使ったハンバーガーは絶対食べなければと思っていた。それ以外は全く考えてなかった。観光案内を見て模索。


 その結果、北淡震災記念公園と高田屋嘉兵衛公園に行こうと考えた。とりあえず、私は津名港まで行くことに。そこからコミュニティバスを乗り継いでいくことにした。


 私は津名港行きのバスに乗った。また淡路交通のバスだ。


 バスは海沿いを走っていた。しばらく走ると崖の辺りを走った。そういえば、先週の4連休で石川を旅した時も仁江の道の駅まではこんな道だったな。行きも帰りも杜甫だったけど大変だから途中からタクシーで輪島まで戻ったっけ。


 洲本から約30分、津名港に着くと、私はコミュニティバスに乗り換えた。ここからどうするかは路線図を手に考えた。しかし、震災記念公園と嘉兵衛公園へはほぼ無謀だとわかり、震災記念公園に行ってそこから明石海峡大橋で抜けようと思った。確か、明石側の入り口には山陽電車の舞子公園があるはずだ。そこから岡山まで行って瀬戸大橋を渡って高松に戻ろう。


 コミュニティバスを2回乗り継いで私は北淡震災記念公園に着いた。ここは阪神淡路大震災の被害を今に伝える施設だ。


 私は阪神淡路大震災が起こった時のことを思い出した。あれは小学校4年の頃だった。早朝、私は大きな揺れで目が覚めた。両親も目が覚めた。ニュースを見ると、神戸や淡路島の様子が映し出された。震度7の地震があったという。私が当時住んでいた松阪は震度4だった。しかし物置を支える足がずれていたという。


 見学前に土産物屋を見て回った。食品類は淡路島の特産品、玉ねぎ関連のものが多い。淡路島の玉ねぎは甘くて柔らかい特上品だ。玉ねぎのUFOキャッチャーが大鳴門橋近くのサービスエリアにあるらしいけど、やるつもりはない。ハンバーガーが食べたい。


 私は入場料を払って博物館に入った。中には震災が起こった時の写真やそれにまつわる展示物が並んでいた。中でも驚いたのは、震災によってできた活断層がそのまま展示されていることだ。これには驚いた。


 更に奥に進むと、阪神淡路大震災の揺れを体験できるコーナーがあった。これは体験してみよう。私の他にもう1組がいて、その人も一緒に体験することになった。


 私は体験してみた。セットは一般的な家庭のダイニングで、そのセット自体が揺れるようになっている。


 実はこのセット、阪神淡路大震災だけでなく、2011年に起きた東日本大震災の揺れも体験することができた。


 東日本大震災の時もすごかったな。駅のホームで電車を待っていたら、強い揺れを感じて、ツイッターを見ていると東日本で大きな地震が起きたこと、福島で原発事故があったことがわかった。こちらも忘れてはならないと思った。


 一通り回った私は明石海峡大橋の下にある『道の駅あわじ』に向かうことにした。そういえば昼ごはんまだだったな。道の駅あわじで淡路島バーガー食べたいな。


 バスは海沿いを走っていた。次第に海の向こうに明石が見えてきた。本州だ!私は思わず興奮した。本州を見るだけで興奮するのはどうしてだろう。


 バスは道の駅あわじに着いた。道の駅はそこそこ賑わっていた。降りてすぐ、私はお腹がすいていた。すぐに淡路島バーガーの売られている店を探した。


 少し入り組んだところに、淡路島バーガーを売っている店があった。淡路島バーガーの他に、色んなハンバーガーが売られていたが、玉ねぎが食べたい私は迷わず淡路島バーガーを注文した。


 私は淡路島バーガーを食べた。淡路島の玉ねぎの甘みは感じられた。でも味付けがちょっとくどいかな? あと、ちょっと食べづらい。まぁまぁの出来だな。


 さて、これから明石海峡大橋を渡って明石に向かうのだが、ここから無料のバスが出ていて、これで淡路インターまで行ってそこから高速バスで明石海峡大橋を渡って高速舞子まで行こうと考えた。


 私は無料バスに乗って淡路インターのバス停の最寄りの停留所で降りた。ここからはスロープと階段を上って連絡する。


 私は淡路インターのバス停に着いた。そのバス停は高速道路の途中に設けられていた。その先には明石海峡大橋が見える。本州はもうすぐそこだ。


 バス停にはそこそこ人がいた。時刻表を見ると、鳴門からのバスとは違って本州からのバスは本数が多い。うーん、淡路島は兵庫県だから本州側の本数が多いのかな?


 明石海峡大橋を渡って間もなく、バスは高速舞子に着いた。山陽電車の舞子公園駅とJRの舞子駅はここで連絡している。どっちで行こうか考えたが、ここは再速達の直通特急が停まる山陽電車を選択した。


 山陽電車で終点の姫路に着いた。ここから徒歩で歩いてJRに乗り換え。新幹線もあるけどここは在来線で行くことにした。在来線はほとんど普通しか走ってない。ここから普通を乗り継いでいくことにした。


 網干までは簡単に行けたが、ここから先が大変だった。本数があまりないからだ。こう考えると、少しお金はかかっても新幹線に乗っておけばよかったなと思った。


 ようやく岡山駅に着くころにはすでに8時近くになっていた。そんなにかからないと思ってたんだが。岡山からはマリンライナーで高松へ。そういえば以前香川に行った時もマリンライナーだったな。


 疲れていたので、私はグリーン席を取った。グリーン席は高松側の先頭の2階の部分のことだ。以前乗った時もグリーン席だった。私はグリーン席に座り、今日1日の疲れを癒した。


 9時過ぎ、高松に戻ってきた。今日は本当に疲れた。新幹線に乗っとけばもっと早く帰れたのに。乗っとけばよかったな。




 次の日、今日は松山に移動する日。朝早くにホテルをチェックアウトして、高松に向かった。今日と明日は愛媛県を観光して、6日に再び香川を旅する。


 私は高松に着いて、そこから特急いしづちに乗った。今日の目的地は新居浜のマイントピア別子。閉山になった別子銅山を再活用したテーマパークだ。1690年に発見され、1973年に閉山した。4大財閥だった住友が経営していて、住友を発展させる礎になったという。


 別子銅山のことも鉄道廃線跡を歩くで見たことがある。上部鉄道と下部鉄道があって、上部鉄道は明治に作ったとは思えないほど高い所を走っていたが、明治時代の末に廃止されたという。まさに、幻の山岳鉄道だと思っている。


 そして、マイントピア別子といえば、東洋のマチュピチュ、東平とうなるだ。一度行ってみたいなと思っていた。


 9時ごろ、私は新居浜駅に着いた。ここからマイントピア別子へはバスで行く。バスが来るまでは少し時間がある。そこで私は、ある列車を撮ることにした。


 しばらくホームで待っていると、その列車がやってきた。アンパンマン列車だ。6年前に高知を旅行した時とは違うアンパンマン列車だ。アンパンマン列車は運行区間によって何が使われるか決まっているらしい。私は写真を撮った。ビデオも撮った。あさっての朝はこれで高松に向かおうか。


 改札を出た私はセブンイレブンで飲み物を購入。すると、面白い商品を発見。旬のちゅうちゅうゼリーだ。飲むみかんゼリーといった感じで、いくつかのブランドがあったが、私はせとかを注文した。


 せとかは柑橘の大トロといわれているミカンで、とても甘いとのこと。私的には、どっちの料理ショーでまだ市場に出回ってない新品種として紹介していたのを覚えている。濃い、ものすごくみずみずしい、果物では出せない甘さとか言ってたな。


 私は9時35分のバスでマイントピア別子に向かった。しばらく市街地を走っていたが、次第に峡谷沿いを走るようになり、民家も少なくなってきた。


 数十分後、マイントピア別子に着いた。来ている人はそんなに多くない。山奥にあるからだろうか。はたまたコロナの影響だろうか。


 私は来てすぐに東平へのバスを買おうとした。東平までの道のりは険しく、急カーブの続く山道を通る。そこで、ガイド付きの観光バスで行くことにした。しかし、5人以上集まらないと行けないという。うーん、大丈夫かな?


 バスまで時間があるので土産物屋でいろいろ買っておこう。ここの土産物屋にはマイントピア別子関連だけでなく、今治市関連のものもあった。タオルほしい。バリィさんグッズほしい。


 10分ぐらい前になって、東平に向かう人が5人以上集まったと知らされた。やった! 東平に行ける! 私は観光バスに乗った。観光バスはマイクロバスだった。この先は急カーブの多い山道だからかな?


 11時、バスは東平に向かって走り出した。走り出してしばらくは整備された1車線の道路を走っていた。川沿いを走り、眺めがいい。所々にトンネルあり、途中にループ橋あり。そして、ダムが間近で見えるのには興奮した。ここまでは快調に走っていた。


 しかし、10分ぐらい走った辺りで、左折して、山道に入った。バスのスピードは一気に落ちた。離合ができないし、舗装があまりよくされてなさそうだ。やがて道はつづら折りが続く区間に入った。どこまで登るんだろう。どれぐらいつづら折りがあるんだろう。東平まであとぐれぐらいだろう。


 山道が下り坂になった。時間を見ると、そろそろ東平だ。私はわくわくしてきた。東洋のマチュピチュと呼ばれる東平を、もうすぐ生で見られる。どんな景色だろう。どんなとこなんだろう。


 マイントピア別子を出て約30分、バスは東洋のマチュピチュ、東平に着いた。降り立った場所は駐車場だ。駐車場には何台か車が停まっていた。行きにくいから行こうとしないのか。ここでもコロナの影響が出てるのか。


 私はガイドの話に耳を傾けつつ、案内板を見ていた。すると、山の向こうに上部鉄道が走っていたという案内板があった。採れた石を索道で東平まで運んでいたという。こんなとこに索道があったなんて。このことは鉄道廃線跡を歩くで見た覚えがない。こんなところに索道があったのか。私はただただ驚いていた。


 貯鉱庫跡などの跡を見て回って、最後に行ったのは歴史資料館だ。この中には東平が賑やかだった頃の写真やジオラマが展示されていた。ここでもガイドの話に耳を傾ける。こんな山奥にこんな町があったとは。娯楽場もあったことが信じられない。写真を見ていると、盛者必衰を感じた。あんなに栄えていた町が、鉱山の衰退によって誰もいなくなり、朽ち果てていく。


 一通り回って、私はマイントピア別子に戻ってきた。時計を見ると、午後1時。少し遅くなったけど、昼ごはんにしよう。お昼は建物を見て回った時に見つけた『もりの風』に決めた。


 私は『名水蒸し豆富御膳』を注文した。蒸し豆腐をしばらく蒸して、伯方の塩やネギなどの薬味を添えて食べるという。今気づいたんだが、伯方の塩の伯方って、愛媛県にあるんだな。初めて知った。あれだけ見たことあるのに。


 午後からは観光坑道を見て回ろう。私はトロッコに乗った。乗客はあまりいなかった。トロッコは低くて小さい。炭鉱の列車って、こんなに狭かったんだな。


 トロッコは走り出してすぐ、小さなトンネルに入った。トンネルはレンガ積みで、所々に補強が施されている。トンネルはそんなに長くなく、そこを抜けると、赤いトラス橋に出た。この鉄橋は、なんと明治26年製だとか。今さっき通ったトンネルも、この鉄橋も、登録有形文化財。


 鉄橋を抜けると、終点。ここから観光坑道までは徒歩で行く。私はキャリーケースを預けて、観光坑道に入った。


 観光坑道の中は薄暗い。江戸ゾーンと近代ゾーンに分かれていて、採掘の様子を再現した模型が展示されていた。


 その先に進むと、採掘の様子が動く模型で展示されていた。私は思わず見入ってしまった。更による見ると、汽車が走っていた。上部鉄道だろうか?私は隅から隅まで見て回った。


 更に奥に進むと、遊学パークがあった。ここは見るだけではなく、体験できるところもある。


 中でも気になったのは、地下1000mへのエレベーターだ。えっ、地下1000mまで行くの? じゃあ、行ってみようじゃん! 私は迷わずエレベーターに乗った。


 1分もたたないうちに、地下1000mに着いた。あれっ? 早いな。そう思いつつ、私は先に進んだ。中は暗くなっていて、所々に展示物が明かりに照らし出されていた。


 一通り回って、ゴンドラで移動することにした。鉱山で使われていたゴンドラらしく、私は興味津々で乗ってみたくなった。


 最初はゴンドラの操作になれなかったが、押しっぱなし、引きっぱなしで動くことに気づいた。狭かったけど、なかなか楽しい。


 ゴンドラに乗り終えて、戻ってきた時、私は驚いた。なんと、エレベーターの入り口だった。


 その時私は初めて気づいた。地下1000mなんて行ってなかった。ただ、体験するだけのもので、エレベーターは全く潜ってなかっただけだ。これはちょっとどうだろうと思ったけど、疑似体験できるだけでも面白いなと思った。


 私は観光坑道を巡り終えて、入り口に戻ってきた。暑いので伊予柑ソフトを買って食べる。今日2つ目のみかんスイーツだ。こっちもなかなかおいしい。


 食べ終えた私は、帰りのトロッコに乗った。行きは普通の客車だったが、今回は鉱山列車で実際に使われていた『かご電車』を再現した列車に乗ってみた。


 前の客車に比べてかなり小さい。扉や窓の一部が網になっている。なるほどこれが『かご』の名前の由来かな?私的にはサファリバスを小さくしたもののように見えた。


 トロッコを乗り終えて、私は入口に戻ってきた。帰りのバスまではまだ時間がある。もう少し回って時間を潰そう。もう一度私は土産物屋に行ってグッズを買ってきた。


 16時過ぎ、私はマイントピア別子を後にして、新居浜に向かった。今日は松山のホテルに泊まって明日は松山を散策。伊予鉄道の郊外線と松山市内線を乗りつぶそう。松山城に行って三津駅を見てこないと。


 20分走って、私は新居浜駅に戻ってきた。次の特急しおかぜまでは50分近くある。その間にセブンイレブンで飲み物を購入。


 私は17時13分の特急しおかぜで新居浜を後にした。目指すは松山。坊っちゃんの街だ。


 18時26分。私は松山に着いた。改札を出ると、何やら曲が流れていた。じゃこ天の食べ物ソングらしい。じゃっこじゃっこ、じゃっこじゃこじゃこ、じゃっこじゃっこ、じゃこ天。なんだか耳に残る。そういえば、じゃこ天食べなきゃな。


 私は松山市内線で今日の宿泊先のホテルに向かう。ここの松山市内線には環状線の他に、松山市駅や松山駅から道後温泉に向かう系統、松山市駅と本町六丁目を結ぶ系統がある。


 次の停留所は大手町だ。その時、私は興奮した。この大手町は郊外線との平面交差があるからだ。路面電車が全盛期の頃はよく見られた光景だが、現在ではここだけだ。私は前の景色にかぶりつき、平面交差の通過を食い入るように見た。


 2つ先の停留所、西堀端停留所で降りた。ここから徒歩でホテルに向かう。並行して本町線が走っているが、本町線は本数が少ないし、土日祝日は走っていない。なので歩くことにした。この本数の少なさ、何とかならんかな?


 ホテルにチェックインして、私は明日からのことを感がえた。そして、周辺の駅を探した。すると、この近くに古町駅があることに気づいた。古町駅は郊外線と松山市内線の連絡する駅で、両線の車両基地がある。ここを使えばいいな。明日からはこっちを優先して使おう。


 今日で旅は折り返し。後半も楽しもう。




 翌日、朝食バイキングを済ませて、私は古町駅に向かった。こっちの方が本数が断然多くて、郊外線にも松山市内線にも乗れるから便利だ。


 しばらく歩くと、多くの電車がたむろしているのが見えた。古町駅だ。この駅は伊予鉄道が開業当時からある駅の1つで、なんと四国最初の鉄道駅の1つだという。ここと松山市と三津駅がそうらしい。


 私はここに併設されているセブンイレブンで郊外線と松山市内線が乗り放題の1日乗車券を購入した。


 私はホームに来ると、車両基地を見渡した。郊外線や松山市内線の電車がずらりと並んでいた。郊外線の電車のほとんどは元京王の車両で、その中に少しだけオリジナル車両があった。


 その中には、坊っちゃん列車もあった。残念ながら土日祝日しか走らないとのこと。乗ってみたかったな。


 実は郊外線の前線をビデオカメラに収めようと思っていた。そして、ユーチューブのチャンネルを作って、それを公開しようと考えていた。それ以前にも、マイントピア別子の様子をビデオカメラに収めていた。


 私はまず横河原方面に向かった。次は大手町だ。また私は興奮した。今度は平面交差を郊外線から見るからだ。


 大手町駅に着く直前、平面交差を渡った。渡る時のこの独特の音がたまらない。私はまた聞き入ってしまった。


 松山市駅、通称市駅は郡中線との分岐駅だ。古町駅のある高浜線とここから横河原までの横河原線は一体となった運行になっていた。


 私はここからビデオカメラを回した。前の車窓を楽しみつつ。


 次の駅は石手川公園だ。この駅の松山寄りにある鉄橋は、移設されていない現役鉄道橋としては最古らしい。『坊っちゃん』に登場するといい、四国最初の3駅といい、これも伊予鉄道の歴史を象徴していると思った。


 約30分後、私は横河原に着いた。しかし、そこでとんでもないことが発覚する。ビデオカメラの空き容量がなかった。更に、バッテリーが切れそうだという。そこで、急遽変更して、市内線をめぐることにした。その間に撮ったビデオのデータをSDカードに移そうと考えた。


 私は松山市駅に戻り、松山市内線に乗った。まずは環状線に乗ってみよう。この松山市内線は専用軌道の部分もある。昨日の夜にちょっとだけ乗った時もそうだった。


 宮田町を過ぎると、専用軌道区間に入る。どこか江ノ島電鉄のようだ。乗っていて楽しい。


 上一万で道後温泉方面に乗り換え。地下道で反対側のホームに行く。しばらく待っていると、道後温泉行きの電車がやってきた。


 終点の道後温泉に着いた。温泉に浸かるからではなく、駅を撮るためだ。ここの駅舎も印象的で、観光案内にもよく載っている。私はしばらくおしゃれな駅舎に見とれていた。


 辺りを見渡すと、坊っちゃん列車があった。果たしてこれは動くんだろうか。もし動くんだったら、乗ってみたかったな。


 次に私は大街道停留所に向かった。ここが松山城の最寄りだからだ。そしてこの駅の近くのマクドナルドでビデオカメラを充電しよう。


 電車は大街道に着いた。私は松山城に向かって歩き出した。その途中には土産物屋がたくさんあった。その中には、みかんジュースの出る蛇口もあった。あるとうわさで聞いたが、本当にあった!しかし、コロナの影響で使えなくなっていた。残念。


 松山城へはロープウェイかゴンドラで行く。私はゴンドラを選択した。ロープウェイに乗る前、どこから来たか聞かれ、体温を測ることになった。ここでもコロナの影響が出ていた。


 私はゴンドラに乗った。最初は怖かったが、走っているうちにいい気分になった。風が気持ちいい。全く怖くなくなった。


 私は松山城の入り口にやってきた。私はお城を巡るのが好きで、『お城マニア』と自称しているぐらいだ。お城は街の発展の象徴であり、その中には戦に生きた男の生きざまが秘められていると感じている。そして城は、男のロマンであり、強さの象徴だと思っている。


 私は松山城の中に入った。中は半分博物館のようになっている。これはほかのお城にもよくある。階段は当時の造りと思われる。階段は急で、まるで私の生まれた家の2階へ通じる階段のようだった。


 登って登って、私は屋上に着いた。私は屋上から松山の景色を見た。お城の魅力は屋上にもあると思う。屋上から見た街の景色は素晴らしい。私は思わず写真を撮ってしまった。


 松山城をめぐり終えて、私は大街道に戻ってきた。大街道の停留所の近くにマクドナルドがある。あそこはコンセントがある。そこでカメラを充電しよう。


 私はマクドナルドに入った。すると、期間限定品があるという。期間限定もしくは限定品に弱い私。迷わずそれのバリューセットをオーダーした。


 充電を終えた私は、松山市駅に戻ってきた。今度は郡中線を撮ってみよう。郡中線は改札から一番遠いホームから発着していた。


 数十分で、私は終点の郡中港に着いた。私は駅に降り立った。その時、私は驚いた。道路の向こうにJRの伊予市駅が見えたからだ。これは知らなかった。


 松山市駅に戻ろうとしたその時、バッテリーが少なくなっていることに気づいた。そこで、スターバックスでお茶をしながら充電しようと思った。


 私は松山市駅に戻ってきた。スターバックスはこの近くの伊予鉄道本社の1階にあるらしい。私はスターバックスに向かった。


 数分歩いて、私はスターバックスに着いた。アイスコーヒーとシフォンケーキを注文して、アダプタの付いたカウンター席へ。ビデオカメラを充電。


 と、奥に何かがあるのに気づいた。坊っちゃん列車だ。ここにもあるのか。いったいいくつあるんだろう。そのほかにも、昔の伊予鉄道の写真、現役時代の坊っちゃん列車の写真が展示されていた。このスターバックスはちょっとした博物館のようだ。


 私は充電を済ませ、再び松山市駅に着いた。今度は高浜に向かうことにした。ここから三津が四国で最も古い鉄道区間だ。この区間は夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも登場する。私はとてもわくわくした。


 この区間のほとんどは複線だ。最後の梅津寺と高浜までの区間が単線になっている。


 途中の三津駅に着いた。ここの駅舎はとても美しく、伊予鉄道を代表する駅舎の1つだ。降り立ってみたいが、ここは撮影に集中するために、我慢我慢。


 終点の1つ手前の梅津寺に近づくと、海が見えてきた。この駅のすぐ近くに海水浴場がある。またこの駅は、『東京ラブストーリー』のロケに使われたそうで、訪れる人が多いとか。


 ここからは単線になり、終点の高浜に着く。ここでは船が連絡していたが、ここは船に乗らず松山市に戻った。


 しかし、うまくビデオが撮れなかったのでもう1往復。終える頃には日が暮れていた。


 私は三津駅に向かった。もう辺りは暗くなっていた。三津駅は四国でもっとも古い駅の1つで、開業時は終点だった。


 私は三津駅に降り立った。三津駅はとても瀟洒な駅舎で、インターネットで見たことがあった。駅前広場へのバス乗り入れなどの理由で解体されたものの、前の駅舎の木材を一部利用するなどして、前の駅舎のイメージを残していた。


 私はしばらく駅舎の外やなかに見とれていた。入口の上の装飾が素晴らしい。中は所々にステンドグラスがあって、まるで協会のようだ。


 古町に戻って松山市内線に乗り換え。大街道で見かけた鯛めしが食べたくて大街道へ。今思ったんだが、大街道が松山市の一番の繁華街なんだな。


 ここの鯛めしはちょっと変わっている。鯛を丸ごと1尾乗せるんじゃなくて、細かく切って卵かけご飯のように食べる。なんだか今までの鯛めしのイメージと違うな。


 明日は香川に戻って琴電を乗りつぶして金毘羅山に登る。そして岸井うどんのうどんを食べる。




 8月6日。私は松山駅に戻ってきた。今日は香川へ戻る。琴電を乗りつぶして金毘羅山に登って岸井うどんのうどんを食べる。


 せっかくなので今回はしおかぜのアンパンマン列車に乗ることにした。アンパンマン列車は運行区間によって使われる車両が違う。今回はおととい新居浜で撮ったアンパンマン列車に乗る。


 改札の前から構内を見ると、そのアンパンマン列車が側線にいた。これからこれに乗るんだと思うとわくわくしてくる。


 しばらくすると、アンパンマン列車がホームに到着した。この後折り返しの電車とつないで走るらしい。多度津で切り離して岡山に向かう電車と思われる。


 しばらく待っていると、折り返しの特急用電車がやってきた。やってきたのは普通の特急用電車だった。アンパンマン列車と連結して、岡山・高松行きの特急しおかぜ・いしづちとして走る。幸いにも、後ろのアンパンマン列車が高松行きのいしづちだとのこと。よかった。


 8時10分。特急は岡山・高松に向けて出発した。出発すると、アンパンマンのアナウンスが流れる。これは6年前に乗った今はなきアンパンマン列車にもあった。これだけでもわくわくする。


 終点の高松まではかなり時間があるのでスマホで動画を楽しみながら過ごす。快適快適。


 10時30分過ぎ、私は高松に戻ってきた。琴電に乗り換え。高松築港に着くと、何と京急色の電車が!やった!京急色の電車に乗れる!車内は普通だったが、前の運転席には京急のゆるキャラ「けいきゅん」も乗ってる!これは面白い!


 終点の琴平に到着。ここでうどんに行くか。それとも金毘羅山に登るか考えたが、さきに善通寺の岸井うどんに行くことにした。


 私はJRの琴平に向かった。琴電の琴平とは少し離れたところにある。琴電より立派な駅舎で、特急も停まる。


 ホームに降り立つと、特急がやってきた。なんと、新しいアンパンマン列車だった。土讃線を走るアンパンマン列車には赤と黄色があるが、今回は赤だった。思わず私は写真を撮ってしまった。外だけでなく、デッキも。明日、絶対乗りたい。乗って高知に行きたい。


 その後に発車した普通電車に乗って、私は善通寺にやってきた。この善通寺は現役では四国で最も古い駅舎だという。ただ、JRで一番古いと言われている明治19年製の亀崎駅が一度駅舎が焼失したという説がある。私は忘れず写真を撮ってきた。


 目的地の岸井うどんは尽誠学園を抜けた先にある。尽誠学園は高校野球が強く、日本人メジャーリーガーも輩出した。今年の春の選抜に出場が決まっていたが、コロナの影響で選抜は中止。交流戦で出るそうだ。


 1車線の道路を渡って、私は尽誠学園の前に来た。ここから尽誠学園の中の細い道路を抜けて、岸井うどんに向かった。


 道路を歩いていると、尽誠学園の生徒が歩いていて、声をかけてくれる。これは嬉しい。中でも野球部とすれ違った時には興奮した。この中に未来のプロ野球選手がいるんだろうか。


 尽誠学園を抜けると、ビニールハウスが見えた。ここが岸井うどんだ。岸井うどんは移転前から『ビニールハウスのうどん屋』として知られていた。


 しかし、営業していなかった。張り紙を見ると、コロナの影響で無期限休業とか。あーあ。食べたかったな。


 私はお腹を空かせながら行った道を引き返した。琴平に戻って中野うどん学校でうどんを食べよう。 うどん作りを体験するんじゃなくて、食べるためだ。


 私は善通寺駅に戻ってきた。よく見ると、次の琴平方面の列車は特急だ。自由席払ってでも琴平に早く行きたいと思って次の特急に乗ることにした。


 ホームで特急を待っていると、向かいにアンパンマントロッコがやってきた。これは知らなかった。思わず私は写真を撮った。


 1駅だけなのに特急に乗って、琴平に戻ってきた。確か、うどん学校は金毘羅山への参道の途中にある。以前、日帰りで香川に行って金毘羅山に参った時もここでうどんを食べた。


 いったん琴電の琴平駅に戻って、コインロッカーにキャリーケースを預けた。キャリーケースを持ったまま金毘羅山の長い階段を上り下りするのは無理だと思ったからだ。


 参道をしばらく歩いて、中野うどん学校に着いた。打つためじゃなく、食べるために。すでにお昼の時間を過ぎたからだろうか。そんなに人はいなかった。


 うどん学校のうどんといえば、以前行った時から気になっていたのがある。『うまかった箸』と『まずかった箸』だ。さすがにこれには笑っていたが、また来た時もやっぱりあった。もちろん私は『うまかった箸』に入れた。


 さて、ここから本番。金毘羅山登りだ。最初は短い階段が連続していた。この時はまだ大丈夫だった。しかし、長い階段を登るにつれて、暑さに加えて、疲れがたまってきた。次第に前かがみになってきた。


 その途中で、神椿という店を見つけた。あまりにも暑いし、疲れているので、ここでかき氷を食べよう。店内にはけっこう人がいた。こういう木立の中で食べるってのもいいよな。


 かき氷を食べて涼んだので、登山再開。しかし、歩くうちにだんだんしんどくなってきた。これでキャリーケースを持っていたら、まず登れないだろうな。


 ようやく登り終えた頃には、へとへとだった。ここから見る讃岐平野の風景は素晴らしい。私は見入ってしまった。


 しかし、ここからまた下らなければならない。まさに『帰るまでが金毘羅山』だ。しんどい中、私は下山した。


 琴電の琴平駅に着くころには、もう3時を回っていた。金毘羅山を登って下りて汗だくになっていた。私はいったんホテルにチェックインして服を着替えてから琴電を乗りつぶすことにした。


 4時半過ぎ、再び瓦町に戻ってきた。先日と同じホテルにまた宿泊する。


 着替えてキャリーケースを置いてきた私は、琴電の乗りつぶしに出発した。まずは志度線。長尾線もあるけど、海沿いを走っていて、暗くなったら美しい海が見えないだろうから志度線にした。


 志度線は元京王や元京急の電車が走っておらず、元名古屋市交通局の電車が走っていた。名古屋で活躍していた頃は非冷房だったが、移籍した時に冷房をつけたらしい。名古屋に住んでいる私は、どこか親近感を覚えた。


 志度線のホームは他の路線とかなり離れていて、動く歩道のある長い通路で連絡している。


 志度線は高徳線と少し区間が並行していて、終点の志度駅はJRの志度駅と隣接している。やってきた電車はすぐに折り返していく。


 周辺を少しだけ歩いて、私は志度駅に戻ってきた。徐々に陽が傾いてきた。瓦町まで戻って、長尾線に乗ろう。


 瓦町まで戻ってきた。次に乗る長尾線は緑の電車だ。琴電は路線ごとに電車の色が違っていて、琴平線は黄、長尾線は緑、志度線は赤となっている。


 長尾線の電車のほとんどは瓦町から琴平線に乗り入れて高松築港まで走っている。長尾線は以前香川に行った時に唯一乗ってなかった。


 私は終点の長尾駅に着いた。志度駅と同じくホーム1つだけの終点だ。


 駅舎を見ると、ガラスに社紋が入っている。私はそれが気になって調べた。するとこれは長尾線の前身、高松電気軌道の社紋だそうだ。


 あと2日は高知県。最後の2日を思う存分楽しもう。




 8月7日。あと2日。私は早朝にホテルを出て、瓦町、高松築港と乗り継いで高松にやってきた。普通電車で一度多度津まで行くことに。


 多度津からはアンパンマン列車に乗って高知に行こうと計画していた。いよいよアンパンマン列車に乗る。しかも新型に。私はわくわくしていた。


 アンパンマン列車をホームで待っていると、四国まんなか千年ものがたりがやってきた。生で見るのは初めてだ。乗るつもりはないけど、写真だけは撮っておこう。


 私は四国まんなか千年ものがたりを撮っていた。車番をよく見ると、『キハ185-1001,1002,1003』となっている。なるほど、『千』年だから車番もこうなっているんだ。


 9時40分過ぎ、ようやく高知行きのアンパンマン列車がやってきた。やってきたのは赤だった。更に、よく調べると、この多度津で2本のアンパンマン列車が並ぶという。千年ものがたりが多度津の側線に停まっているので、並びが見られる。これはすごい。


 9時44分、発車時刻を過ぎでもアンパンマン列車は発車しなかった。どうやら対向のアンパンマン列車が遅れているらしい。


 少し遅れて、対向のアンパンマン列車がやってきた。もう1本のアンパンマン列車は黄色で、少しデザインが違っていた。


 黄色いアンパンマン列車を撮って、私は赤いアンパンマン列車に乗った。今回は半室の指定席を注文した。半室の指定席はアンパンマンシートで、座席のデザインがアンパンマンの主要キャラクターになっていた。アンパンマンの他に、しょくぱんまん、メロンパンナちゃん、ロールパンナちゃん、赤ちゃんまん、ばいきんまんのシートがあった。今回撮ったのは、メロンパンナちゃんだった。


 少し遅れて多度津を発車。私はしばらく車内を散策。アンパンマンシートのある1号車の半分は特に派手な内装で、壁には飾りが、天井には装飾が、通路は虹色だ。デッキも派手で、壁にはアンパンマンの登場キャラがたくさん描かれている。更に洗面台も、トイレもアンパンマンの世界が広がっている。そして、トイレには何とアンパンマンの補助便座付き。こだわってるな。


 一通り見終えて、メロンパンナちゃんのシートに戻ってきた。スマホで動画を見ようと、テーブルを倒した。すると、テーブルにはJR四国の路線図があり、アンパンマン列車も描かれている。そして、日除けもアンパンマン仕様。もう乗った瞬間アンパンマンの世界に入り込んだようになれる。


 琴平を過ぎると、人家が少なくなってきた。ここから山間を走る。この先の吉野川を渡る所は大歩危小歩危と並んで高知までの一番の見どころだと思う。走ってきた列車が橋を渡って対岸を走るからだ。


 この先にも魅力がいっぱいだ。スイッチバックの坪尻駅、新改駅、鉄橋の中の土佐北川駅、大歩危小歩危。坪尻と侵害の量スイッチバックは確認できたものの、土佐北川駅と大歩危小歩危は確認できた。この辺りは何度言っても見とれてしまうな。


 アンパンマン列車は土佐山田に着いた。土佐山田はやんせたかしミュージアムへのバスが発着している駅だ。テーブルの地図にも書かれていた。それまで私は、阿佐線の駅からシャトルバスが出ていると思っていた。


 アンパンマン列車は続いて後免に停まった。珍名駅として知られるが、降り立ったことはない。6年前に高知に行った時には土佐電鉄の後免町駅に降り立ったことはあるんだけどな。今回の旅では阿佐線にも乗る予定なので降り立つと思う。


 アンパンマン列車は終点の高知に着いた。向かいには観光列車『志国土佐時代の夜明けのものがたり』が停まっていた。デビューしたての観光列車だ。


 撮り終えて、改札に向かった。中階段にはアンパンマン列車広場になっていて、模型や歴代のアンパンマン列車の写真が飾られていた。さすがはやなせたかし先生の出身地。


 私は高知に降り立って、宿毛方面の次の列車を見た。すると、今さっき撮影していた時代の夜明けのものがたりが次の窪川行きの列車だという。


 私はそれに乗ることにした。全席指定で、取れるかどうか心配だったが、少し残っていた。私は指定券を買っていざホームへ。


 ホームに戻ると、時代の夜明けの物語をしばし撮影した。この車番も凝っている。『キハ185-1867,1868』だ。『1867』は大政奉還のあった年で、坂本龍馬が暗殺された年だ。次の『1868』とは、明治維新の年だ。


 私は車内に入った。車内にはカウンターがあり、軽食を買うことができた。弁当を予約していた人がほとんどだが、乗る計画がなくて予約してなかった私はサンドイッチを注文した。


 12時4分、時代の夜明けのものがたりは高知を出発した。しかし、かなりゆっくりだ。観光列車で、景色を楽しむためだと思う。宿毛まで行くためにも急がなくてはと思いつつ、私は景色に見とれていた。


 列車は仁淀川に差し掛かった。水質調査で1位になったこともある川で、『仁淀ブルー』といわれる川の美しさで知られる。私はそのことを知らず、思わず写真を撮ってしまった。


 乗ってみたらわかるんだが、沿線で手を振る人の多いこと多いこと。私はそのたびに手を振ってしまった。こういうおもてなしもいいな。


 須崎の次は土佐新荘だ。確認することはできなかったが、土佐新荘駅はゆるキャラの『しんじょう君』が描かれているそうな。車内から見たかった。ちなみに、このしんじょう君の名前の由来となった新荘川は土佐新荘駅の近くに河口があるとのこと。


 14時43分、列車は終点の窪川駅に着いた。ここからは土佐くろしお鉄道だ。6年前はここから打井川へ行き、海洋堂ホビー館に行ったが、今回は宿毛へ行く。


 次の中村方面の列車は特急あしずりだ。中村止まりで、中村で宿毛行きの普通と接続している。私は宿毛までの切符とあしずりの自由席を買った。


 しばらく待っていると、あしずりがやってきた。2両編成の短い特急だ。


 あしずりは窪川を出発した。ここからは土佐くろしお鉄道だ。


 次の若井駅を通過した。この先の川奥信号場で予土線と別れる。土佐くろしお鉄道はこの信号場の先で右回りにループして下に出てくる。私は楽しみにしていた。しかし、確認することはできなかった。帰りで確認しよう。


 中村に着くと、向かいのホームに宿毛行きの列車が待機していた。ここから先は土佐くろしお鉄道になってから開業した区間だ。私は宿毛行きの列車に乗った。1両編成のワンマンカーだ。


 列車は宿毛に向かって出発した。中村までの区間もそうだが、トンネルが多い。中村線も宿毛線も開業が比較的新しいからだろう。列車はかなり飛ばしていた。私は一番前にかぶりつき、そのスピードに興奮していた。


 列車はあっという間に終点の宿毛に着いた。向かいには次に発車する列車が待機していた。私は改札を出てその列車に乗った。その列車は中村で高知行きのあしずりに連絡するという。これに乗って高知に帰ろう。


 中村駅に着くと、向かいのホームにあしずりが停まっていた。私はそれに乗りかえ、先頭車の自由席の一番前に座った。もちろんループ線を見るためだ。ここから高知までは時間がかなりある。ゆったり行きつつ、ループ線を見よう。


 荷稲を過ぎて何度もトンネルに入った。この先にループトンネルがあるはずだが、なかなか見えない。荷稲からイライラしていた。


 しばらくして、それらしきものが見えた。上に線路が見えたからだ。おそらく川奥信号場から若井までの線路だろう。


 あしずりはループトンネルに入った。反時計回りに登っていく。トンネルを抜けたら、川奥信号場だ。ループトンネルを走っている間、私はわくわくしていた。


 トンネルを抜けると、川奥信号場に着いた。信号場から今さっき走ってきた線路を見下ろす。これがループ線のだいご味だ。


 今日は疲れた。この後高知市内のホテルにチェックインして明神丸でたたきを食べよう。


 6時過ぎ、私は高知に戻ってきた。ホームに降り立つと、黄色いアンパンマン列車が停まっていた。私は思わず撮りに行った。明日はこれに乗りたいな。


 私はホテルにチェックインすると、ひろめ市場に向かった。明神丸はこの中にある。ひろめ市場にはいろんな店が並んでいた。特に明神丸は人気だが、コロナの影響かそんなに人がいなかった。


 私は明神丸の店にやってきた。動画サイトで見たとおりだ。ガラス越しに藁焼きが見れる。しかし客が少ないためか、焼いていなかった。


 私はたたき定食を注文した。塩とタレが選べるらしいが、ここはおすすめであってまだ食べたことのない塩を選んだ。追加でうつぼのから揚げの小鉢を取る。まだうつぼを食べてなかったので。


 私は塩たたきを食べた。しょっぱいかなと思ったけど、塩もなかなかうまいもんだな。食べていると、藁焼きが始まった。動画で見たとおりだ。思わず興奮して、写真を撮ってしまった。


 その後、ひろめ市場で飲もうと思った。昨日、ケンミンショーでやっていた餃子を食べてみたいと思い、注文した。しかし、売り切れだと聞き、がっかりした。


 しかしこの後、1皿分だけ残っていると聞き、ほっとした。私はビールと共に餃子を食べた。やっぱビールには餃子だな。


 明日は最終日。悔いの残らないように楽しもう!




 8月8日。今日が最終日。早朝にホテルをチェックアウトして高知駅へ。早朝の阿佐線の列車に乗るためだ。後免で乗り換えて奈半利へ行く予定だ。


 阿佐線は2002年に開業した。開通まで37年もかかったという。土佐電鉄安芸線の代替も含めて室戸を経て甲浦まで行く路線として計画されたが、工事が凍結。その後、土佐くろしお鉄道が引き継いでようやく開業した路線だ。


 この路線が建設中だということは鉄道廃線後でも見たことがある。土佐電鉄安芸線の廃線跡を紹介している中で、建設中の阿佐線の高架が所々で見えていた。いつか乗ってみたいと思った。6年前に高知に来た時は乗らなかった。


 後免駅で阿佐線に乗り換え。オープンデッキの『やたろう号』か『しんたろう号』に乗りたかったが、普通の列車だった。残念。


 この阿佐線の各駅にはそれぞれのキャラクターがいる。これらはアンパンマンの作者、やなせたかし先生がデザインしたそうだ。確かにそれっぽい。


 列車は終点の奈半利に向かって走り出した。阿佐線のアナウンスは少し変わっていて、駅名だけでなく、『〇〇さんの駅』、『〇〇くんの駅』等という風に駅のキャラクターもアナウンスしている。これは面白い。


 よしかわを過ぎると、海が見えてきた。この路線はここから終点の奈半利までほぼ海沿いを走る。オープンデッキの車両が理由がわかる。


 列車は安芸駅に着いた。土佐電鉄安芸線はここまで走っていたという。三菱の創業者、岩崎弥太郎の出身地だ。大きな街があるためか、車両基地があるためか、ここでしばらく停車した。


 安芸を過ぎると、地上区間が多くなった。ここまでは高架区間ばかりだったのに。どうしてだろう。


 列車は終点の奈半利に着いた。高架線の1面1線の駅で、線路はここでポツリと途絶えている。ここまで建設したところで凍結したからこんなとこなんだろうか。


 私は折り返しの快速に乗って後免町まで行くことにした。ここから土佐電鉄に乗り換えてはりまや橋まで行って、そこから桂浜行きのバスで桂浜に行こうと計画した。


 快速はほんの一部の駅を通過するだけで、そんなに所要時間は変わらないように見えた。


 私は後免町に着いた。この駅は隣の後免駅と紛らわしく、『ありがとう駅』という愛称が付けられている。これは面白い。


 ここで土佐電鉄に乗り換え。そういえば、まだ朝食食べてなかったな。後免町駅と隣接したローソンでおにぎりを買って遅めの朝食。


 土佐電鉄は道路の真ん中だけでなく、横を走ったり、1車線の道路の片方を単線で走ったり、なかなか面白いところを走る。それに、はりまや橋にはダイヤモンドクロスがある。ここもまた魅力的だ。


 電車は後免町駅を出発した。まずは知寄町三丁目の辺りまで道路の左側を走る。ここまでの区間で、ポカリスエットのCMのロケが行われたらしい。その時に使われたポカリスエットのフルラッピング電車、もう見られないけど、生で見たかったな。


 私はデンテツターミナルビル前にやってきた。ここからバスに乗り換えて桂浜に向かう。6年前にも行ったが、今回もう一度行くことにした。今回の目的も、龍馬さんの銅像を見ること。


 私はバスで桂浜にやってきた。ここからは龍馬像は徒歩で向かう。所々に階段がある。キャリーケースを持ったままではさすがにしんどい。


 坂を上ると、龍馬像が見えてきた。太平洋が見える所にあるこの銅像は、高知県に行ったら絶対に行っておきたい所だ。私も高知に行ったのなら絶対に行かねばと思っている。


 帰りのバスまで少し時間があったのでそれまで土産物屋をめぐることに。何か面白いのがないかなと思いぶらぶら。龍馬像で知られる桂浜だけあって、その多くは坂本龍馬関連のものが多い。


 私はバスに乗ってはりまや橋に戻ってきた。ここからは土佐電鉄の乗りつぶしだ。


 土佐電鉄ははりまや橋を中心に十字路のように路線を伸ばしている。『ごめん』『いの』の行先板が有名だ。『ごめん』『いいの』という風に謝って許しているように見えるからだ。これのグッズ欲しいな。


 まず私は桟橋五丁目に向かうことにした。6年前に行った時には1つ手前の桟橋四丁目で降りていた。今回は終点まで行ってみよう。


 私は終点の桟橋五丁目に着いた。堤防のそばにある、1面2線だけの終着駅だ。左側は降車ホームで、電車の長さよりも短い。この最果てっぽい感じがいいな。


 私はその電車に再び乗って高知駅前に向かった。帰りの電車を取ろうと思ったからだ。できる限り長く楽しみたいので、名古屋行きの最後ののぞみと岡山で連絡する南風を取ろうと思った。


 私は高知駅前に着いた。高知駅のみどりの窓口で時刻表を調べる。そして、その南風と今日最後の名古屋行きのぞみの切符を買った。


 すると、その南風はアンパンマン列車だという。話によると、指定席は満席で、アンパンマンシートなら空いているという。私はまたもやアンパンマンシートを取った。アンパンマンシートは、撮る人は多くても、座る人は多くないんだろうか。


 私ははりまや橋に戻って、伊野行きに乗った。ここから終点の伊野まで乗って、これで乗りつぶし完了だ。


 鏡川橋を過ぎると、単線になった。この先の橋を渡ると、1車線の道路を走る区間だ。時々向こうから車が走ってきて、ちょっと驚いた。


 この区間は駅と行き違い設備が別々になっていて、行き違い設備は信号所となっている。ここも面白い。


 電車は朝倉に着いた。ここからは通表閉塞区間だ。運転手がタブレットを受け取り、その先へ向かった。鉄オタの私はこれだけでもわくわくする。


 次の朝倉駅前からは道路の右を走る。ここもまた面白い。名鉄美濃町線の新関から美濃までの区間のようだ。この区間は乗ったことはないが、動画サイトで見たことがある。


 終点の伊野駅はJRの伊野駅と少し離れたところにある。6年前はここから歩いてJRの伊野駅に行ったが、今回はそのまま折り返す。


 乗る予定の南風まではまだ時間があるので、ここからは自由にのんびりと巡る。今日が最後なんだから、悔いのないように楽しもう。


 5時すぎ、私は高知駅に戻ってきた。晩ごはんは高知駅前の庄やで。6年前もそうだった。うーん、もっといい店があったらいいな。


 5時半過ぎ、私は高知駅のホームにやってきた。すると、すでにアンパンマン列車が出発を待っていた。今度は黄色だ。赤も黄色も乗れて本当に満足だ。


 その頃、向こうのホームに時代の夜明けのものがたりがやってきた。昨日たどった道だ。昨日は時代の夜明けのものがたりを降りてホテルに向かった。今日は時代の夜明けのものがたりを見て高知を去る。


 私はアンパンマン列車に乗った。今回取ったアンパンマンシートはばいきんまんだ。アンパンマンの席が一番多いのに。アンパンマンが主役なのに。残念。


 6時36分、アンパンマン列車は高知を出発した。さらば高知。駅で買ったカップ酒を飲みつつ、帰りの車内を楽しむ。


 20時過ぎ、瀬戸大橋を渡る。暗くて瀬戸内海が見えないけど、小豆島へのフェリーで十分楽しんだのでよしとする。


 さらば四国。8日間よく楽しんだ。もう悩むことは何もない! 再就職目指して頑張ろう!

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― 新着の感想 ―
[良い点]  風情のある旅レポっすね。 [一言]  私も旅に出たいぜ……
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