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それを今名乗っていいのは、他でもないいーくんただ一人なんだから



 昔の話だ。


 街の周りにいた魔物たちを切り伏せ、魔法障壁を粉砕し、城に乗り込んできた者がいた。

 もっとも、それは俺を討つためにやってきたのではない。

 大陸を闇で覆って魔王などと宣う俺の力を、そして自分自身の力を試すためと、その者は言った。

 今の英雄シエラと戦えば、魔法の冴えもあり打ち負けるだろうが、勇猛なる戦士としては、その者は俺の知る誰よりも上だった。


 精密さはない。器用でもない。

 ただ、ひたすらに猛々しく、激しい。

 戦場において、それは兵ではなく、一陣の風。

 一瞬で吹き抜け、その戦場に破壊を齎していく戦神。


 彼女と戦うことになった時、一体何分、どちらが動くこともなく睨み合っていただろうか。

 隙を見出し、相手を打ち崩すことが出来るよう仕掛けるための、無言、無音の激突。

 ――多分、これはあれと似た類のものだろう。



「……」

「……」



 ――いや、違うな。違うわこれ。すまない、現実逃避をしていた。

 これはもっと単純な話。蛇に睨まれた蛙と同じように、片方が完全にマウントを取っているだけだ。

 もしも戦えば力の差は歴然だろうに、そういう間柄でも稀にこういう逆転現象が起きる。


 片や、引き攣った笑み。

 片や、真顔。

 その二つの表情で視線が交わされることで、温度というものはここまで変化するらしい。


 シエラが剣を持つ手に力を込めた。

 恐らくそれは、身の危険を感じたがゆえの無意識の防衛本能。

 この距離であれば振ってもセラに届くことはないが、ほんの一秒足らずでその距離を詰めることも出来れば、剣と連携した魔法を巧みに操ることも出来るのがあの英雄だ。

 一応、万が一乱心してあの剣を振り出しても対処できるよう用心しつつ、この状況を打開しようとした時、セラが先制攻撃に出た。


「――キミが」

「は、はい!?」

「いーくんを……魔王イヴを倒した人?」

「はい、そうです! すみません!」


 多分謝ることじゃないし、普段の英雄シエラならば決して謝らないだろう。

 一時己が英雄であることさえ忘れてしまうほど、この天才の生み出した魔王でさえ裸足で逃げたい空気に呑まれてしまっているのだ。

 ちなみに魔王は裸足どころかフル装備でも逃げられなかった。


「別にそこは謝ることじゃないでしょ。キミはやりたいことを成しただけで、何よりいーくんは敵だった。謝るのは筋違いだよ」

「ならその殺気みたいなの収めてくれませんか……?」

「そんなの出してるつもりないけどなぁ。殺気っていったって、ボクじゃあ百回やったってキミには勝てないだろうし。勝てない勝負を無策で仕掛けるほど馬鹿じゃないよ、ボク」


 とかいいつつ、白衣の下で何やら手をごそごそと動かしているのが見える。

 何か用意しているぞ、この天才。

 真正面からぶつかれば百回戦っても勝てないが、それなら搦め手を千用意するのが彼女だ。

 あの中に手のひらサイズの、色々とシャレにならない兵器を持っていたところで何も不思議ではない。


「そういうのじゃなくてさ。まずは自己紹介しようよ」

「自己紹介……?」


 セラは随分とフレンドリーな態度で提案した。

 確かに互いに名乗ってはいないが、セラから言い出すとは思わなかった。何を企んでいるのだろうか。


「ボクはセラ。セラ・エクスマキナ・イヲニアン。魔王の副官としての名前はマキナ。よろしくね」

「は、はい。私はシエラ――えっと、シエラ・エンデです。今は冒険者をしています」


 一瞬、何か奇妙な冷たさが辺りを駆け巡った気がした。なんだ今の。


「うん、それじゃあ、シエラ――今、ボクがキミに言いたいのは、感謝が一つに要望が二つ、かな」

「か、感謝と……要望、ですか?」


 あ、これ多分本命は一つだけだ。

 残りの二つは割とどうでもよくて、本心は一割入っているかどうかのやつだ。


「まず、感謝から。いーくんを、望んでもない魔王の軛から解放してくれて、ありがとう」


 セラは頭を下げて、感謝を述べた。

 ……頭を下げて? 本気で? 今日天変地異でも起きるんじゃないの?

 ――起きてたわ。この天才が封印から出てきたのがもう天変地異だよ。


「……それこそ筋違いです。魔王は倒すべき敵でした。こんな結果予想できる訳ないですし、感謝はいりませんよ」

「それでも、言いたかっただけ。じゃないと、ボク自身踏ん切りが付かない気がしたから。じゃあ、この話は終わりにしようか。ボクも納得できたし、キミの言う通り筋違いだからね」


 あっさりと、一つ目の話題を終える。

 残るは二つの要望。何を言われるのかとシエラは息を呑む。俺も何を言い出すのかと息を呑んだ。


「じゃあ、要望の一つ目。冒険者としては、いーくんは絶対に悪さをしない筈。だから、昔のことは水に流して、とは言わないけど、あまり気にせず仲良くしてくれたら嬉しいな」

「へ……?」


 シエラは呆気にとられ、俺は思わず噎せた。

 本当に何を言い出すんだ。貴女は俺の母親ですか?


「いーくんとも、出来ればボクや、他の皆とも。良いかな?」


 他の皆って。え、来る予定なんですか? 彼女たち。

 いや、俺をもう一回魔王にしたりとかを強制しなければ別に良いんじゃないかなと思わなくもないけど、来るんですか?


「えっと……はい。まあ、それは私としても歓迎です。彼の活躍はよく耳にしていますし、今後も冒険者を続けるなら、関わることもあるんじゃないかなと思いますから」

「なら、その時はこっちから提供できるものは多いと思うよ。逆に頼むこともあるかもだけどね」


 もう既に何か企んでいるな、この顔。

 天才の思考など、一つの結論に行き着くために何度飛躍してるのか知れたものじゃないし、理解できるとは思っていないが、その結論だけなら時々は分からなくもない。

 多分彼女の脳内では英雄を、もしかすると英雄パーティ一同を何かしら都合の良い形で利用する算段が付いている。


「という訳で、早速だけどちょっと失礼」

「え?」


 考えているどころじゃなかった。もう行動に移した。

 確かに好奇心も極まれば、いてもたってもいられなくなることはある。

 だが、あまりに唐突過ぎる。それを今の一つの要望に含めるのはおかしい。


 機械の腕がガチャガチャと伸びていく。

 思わずシエラも剣を前に構え、何が来ても問題ないよう腰を落とす。

 機械の腕は前に出された剣を調べるように動いて――一切それ自体には触れることなく、戻っていく。


「んー。ネクロノーマの剣かぁ。あんな鄙びた場所にこんなに眩しい剣があったんだね」

「えっと……そうですね。最初は真っ黒な剣でしたけど」


 聖剣トワイライト。どうやらセラの興味はそこにあったらしい。

 眩しい剣、という表現は相応しい。

 白い刀身は魔力を帯び、中に星の海でもあるかのように煌めいている。

 あれが持つ、魔に打ち克つ聖なる力と、シエラの自身が操る白の魔法こそ、彼女が英雄たる所以、他が持ち得ぬ二つの武器だ。


「シエラ、キミ、この剣がいつからあるものかって知ってる?」

「いえ……谷の長も知りませんでした」

「ふぅん……ボクらより後に生まれたとは思えないけど、ボクらより前にあったなら噂くらいは聞いた筈なんだけどなぁ」


 どうやらセラは、あの剣の出自が気になっていたようだ。

 俺は詳しくないが、新しいものではないらしい。

 とはいえ、遥か昔の代物であれば俺たちの時代でも何らかの噂があってもおかしくない――一体いつ創られたのか、という疑問。

 そこを気になるのは、天才として――技術者としての性だろうか。


「ありがとね。一応、わかった。じゃあ二つ目はこれで終わり。最後の一つだけど――」

「はい、なんでしょう」


 今の二つが、穏やかなものだったからだろう。

 緊張のようなものも解けたようで、シエラの笑みはだいぶ自然なものへと戻っていた。

 対して、セラもまた微笑んでいる。

 傍から見ればそれは、まだ距離はあるものの友人のそれのようで。

 何も知らなければ俺も安心感を覚えたのだろうが、残念ながらそんなことは一切ない。


 英雄シエラ、やけに鋭かった直感はどうした。

 この突飛な天才の思考がこのまま穏やかに終わる訳がないだろう。

 そんな性格だったら俺はそもそも魔王なんかになっていない。




「――エンデの姓、いーくんに返してよ」




 笑顔のままにセラは言った。

 笑顔のままにシエラの表情は凍り付き、見る間に青くなっていった。

 そして今度は俺が引き攣った笑みを浮かべる番だった。


「キミの考えは理解出来なくもないけど、だからといって納得は無理。エンデは、キミが名乗っていいものじゃないの。それを今名乗っていいのは、他でもないいーくんただ一人なんだから」


 先程二人で話して、双方合意で解決したつもりになっていた問題。

 セラはそれを掘り返し、待ったを掛けた。

 もうこの件に関しては、シエラ自身に悪意が無かった以上、俺が話すしかない。


「……セラ。それは俺が認めたことだ。今、俺がエンデを名乗る訳にはいかない。時代は変わって、今エンデを名乗っていいのは彼女だけなんだ」

「そんなのダメ!」


 その、俺自身はあまり執着のない姓の継承を、セラは必死に否定してくる。

 今、俺がシエラからエンデという姓を返してもらった場合、一体周囲からはどう見えるか。

 魔王が生きていた。どころか、一度英雄が受け継いだ姓を返すことから、シエラの敗北を意味するように取られるかもしれない。

 俺もシエラもどちらも得をしない。現状から見れば、在り得ざる選択だというのに。


「そうじゃないよ、いーくん。そうじゃないの。名乗らなくてもいい、隠したままでいい、けど、エンデはいーくんが持っていなきゃダメだの。いーくん以外の誰が持っていてもいけないの!」

「なんでそこまで……」

「いーくんに仕えた誰もがエンデに誇りを持っていたから。エンデは、いーくんと、いつかいーくんが心に決めた誰かしか持っちゃいけないもので、だからボクたちは、何を投げ出してもいーくんとエンデだけは守るって決めたの!」


 ……それは、初耳かもしれない。

 そんなこと、魔王になってから一度も考えたことはなかった。

 例えば俺が人のままで、人並の暮らしが出来るようになっていれば、あり得た話だっただろう。

 だが、既に俺は人ではない。そのような幸福を享受すべきだとは自分自身思っていなかった。

 それを――その時を、セラは、彼女たちは、思い続けていたのだ。


「ねえ、いーくん。あの子は別に、いーくんのお嫁さんじゃないよね?」

「違いますっ!」


 俺が答える前に、シエラによる心からの否定。

 ありがたい。ありがたいが、何だろう。特にそういう感情を持っていないのにちょっと心に刺さるものがあるのは、仕方のないことなのだろうか。


「俺も、そういう感情は抱いていないよ」

「……なら、問題はないでしょ? ボクらに……いーくんに返してよ」


 実際のところ、シエラは多分、それでもいいと思っている。

 というかこの状況が続けばたった数分の圧に負けて手放しかねないし、そうしたら俺が何を言おうとも再度受け取ってくれることはなくなるだろう。

 正直、今彼女がエンデの姓を捨てることは非常に都合が悪い。

 となると、多少無理にでも、セラに納得してもらう必要があるか。


「……セラ」

「ダメだからね。こればっかりは、いーくんがなんて言ってもダメだもん」

「そう言わないでくれ。何なら、俺は俺で新しい姓でも用意すればいい。そうすれば解決だろう」


 いい代替案だと思ったのだが、それを聞いたセラは暫くの間ぽかんとしていた。

 決して、それは名案を受けてのものではなく、彼女としてはあまりにも――あまりにも的外れなものであったのだと気付く。

 だが結局、エンデに拘る理由を知らないままに――



「――――いーくんのバカ! 唐変木! 四世紀童貞!」



 聖剣に匹敵せんばかりの言葉の刃を突き刺して、俺の収納空間をこじ開け、その中に飛び込んでいった。


「……」

「……」


 今のどうやったんだ。人の収納空間を勝手に開けたら盗賊の天下じゃないか。

 というかやめてくれよ。人には――魔王には言って良いことと悪いことがあるって知らないのか。

 一体誰のせいで、そういうことに本能的に変な抵抗感を持ってしまったと思っているんだ。


「……そ、そう、なんですか?」

「…………ッス」


 聞くな。引くな。その通りだよ。

 理由に到達するに足る過去は話したじゃないか。自然な流れだろう。

 こうなってしまった存在が行き着くのは、全てを跳ね除けるか全てを喰らうかだ。

 後者は流石にどうかと思った結果、ずるずると今まで引きずってしまった。ただそれだけの話なのだ。

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