身を焦がすほどの運命を感じたことがあるかい?
ミナギが復活するまでの間に、俺たちは別室に移動していた。
流石にこの数では先の部屋では手狭だ。コロネに案内されたのは、商会二階の会議室。
とりあえず俺たちはここで待つことになった。
長テーブルの片側に座る俺たちと対面して座るコロネは、慣れたのか臆したという様子もなく自然体だった。
「――ああ、そうそう。これ、渡しておくわね。昨日の件の報酬。シエラからの分も合わせて」
コロネはミナギがいないうちにと、分厚い札束をテーブルに置いてくる。
デヴィディア魔源地帯の調査依頼への報酬。そういえば昨日受け取るのを忘れていた。
確かに、ミナギがいたら主にシエラからの分という点に文句が来るだろう。
今のうちに受け取り、収納空間に入れておく。
「随分落ち着いてるね。ボクらが言うのもなんだけど、あまり安心できる状況じゃないと思うけど」
その様子を不思議に思ったのだろう。セラの疑問に、コロネは肩を竦める。
「……ま、性分ね。長らく年下引っ張ってきてるから、他より焦らないよう努めてるのよ」
「だからって、そこまで達観出来るのも変わってるよ。まだキミ、普通の人間にしたって若いじゃん」
「人以上に生きてると分からないかもだけど、年齢って大きいものよ。ユーリなんてあたしの半分くらいしか生きてないし。年長者ってのはね、誰よりしっかりしてないといけないものなの」
俺を討ったパーティで代表者となると、それは間違いなくシエラだろう。
だが、彼女たちを支えていたのは他でもない、このコロネ・サンサーラのようだ。
かつて倒した魔王が当たり前のように冒険者をやっていて、それが確定した次の日にはその配下まで封印を解いていた。
そんな状況、まともに受け入れられる筈もあるまい。しかし、コロネはシエラやミナギと比べて冷静だった。
それも盗賊時代から培った経験によるものなのだろう。
「――しっかりしてなきゃいけないって」
「なんで私に言うんだ」
セラは揶揄うように、ホメロスに目を向けた。
誰よりしっかりしている賢者として大多数の人間から見られている、先程後世に残した名書にしょうもないメッセージを仕込んでいたことを暴露した、少なくとも俺やセラ、ニアよりは年上であるホメロスに。
「いや、だってこの中でしっかりしていない代表だし」
「変な代表を制定しないでくれ、マキナくん。私が質実剛健の偉人であることは歴史が証明しているじゃないか」
「ちなみに『ホメロスよりの課題』、最後の問い。実に本の三割を占め、今も議論の的になっている大問の答えは?」
「『無駄を愛せ。この結論は無駄の極みなれど是に至る道筋は遥かなる可能性への枝となる』だが」
「ほら」
――ホメロスよりの課題。賢者ホメロスが後に続く者たちに与えた魔法の理についての問題の数々。
現代までに解かれたものの中には失われた白や黒の魔法の秘奥と見られるものや、魔法の利用において大切な心構えに深く踏み込んだものなど、魔法の研究を一歩も二歩も先に進める内容があった。
そんな書物の最後の問い。確とした答えが未だに出ておらず、別の答えを主張する派閥同士で言葉を超えた争いすら起きている難題。
その答えは至極単純。『苦難の果てで見つけた宝箱は空っぽだったが、ここまでの思い出こそ最高の宝なのだ』とでも言うような、大変遠回しな嫌がらせだった。
「……ミナギやマギノィの研究者たちには黙っておきましょう。連中には相手されないでしょうし、ミナギに言ったら今度こそ倒れるわ」
「……? 重要なことだよ? 無駄を受け入れ無駄に焦がれるくらい余裕を持たないと研究なんてやってられないからね」
「お願いだから、ミナギには言わないであげて。あの子、全力で無駄を切り捨てて研鑽してきた子だから」
「何たる堅物だ。無駄は不要になるまで切り捨ててはいけないというのに」
一応、今を生きる研鑽者たちの名誉のために補足しておくと、彼女の常識はとっくの昔に異次元にトリップしているし、彼女の倫理は欠片を残して質に出されている。
無駄を好むのは人としての寿命を捨てたゆえの余裕によるものであり、それが必ずしも他者にとって有益であることはない。
そして明確な答えを提示せず人を散々振り回して何の結果も残らない場所に着地させるのは、その事情すら関係ない単なる彼女の趣味である。
コイツの後を追って人間をやめたりしないのであれば、無駄とは適切な距離を保ち続けるべきだ、と心から思う。
「第一私は年長者ではない。マキナくんたちより二百年ちょっと多く生きているだけさ。チェルシー、ネメシス、君らのが年上だろう?」
「私たちから見ても、ホメロスさんは少し子供っぽいとは思いますよ」
「……それなら、年下のホメロスを少し厳しく躾けようと思う」
「待ちたまえ、何故私が躾けられなければならない。私はあくまで後輩たちの可能性をだね」
…………、まあ、ホメロスに比べて、辺りに迷惑を掛けない点では、チェルシーやネメシスはしっかりしていると言えるか。
チェルシーは表向きは真面目で大人びているし、ネメシスは配下たちの中では一番まともだと思っている。
少なくとも、他者を前にしたとき、彼女たち二人とホメロス、どちらに会話の進行を任せるかと問われれば前者と即答する。
ちなみにチェルシーはホメロスよりも年上ということを公言しているが、ネメシスの年齢は俺自身知らない。この場で否定していないことから、年上であることは間違いないのだろうが。
何というか、その辺りはもうあまり気にするようなものでもない。
技量の成長速度は結局本人のその分野への適性に左右される。例えばシトリーが百年魔法の鍛錬を重ねるのとホメロスが十年同じことをするのではホメロスの方が成長しているだろう。
百年という単位で生きていればそのうち年齢を数えるのも馬鹿らしくなる。数百年という単位の年齢の差がありながら、俺の配下たちが同列で関わっているのは、この人を外れたものゆえの価値観の薄れという点が大きい。
こうした年齢でのマウントの取り合いも、痴話喧嘩以下のじゃれ合いのようなものである。
――だからこそ、俺の最後の配下であり、今この首元に『いる』、人の価値観を手放していない赤が、自身からすれば途方もない年月を気味悪がっていたのだろう。
「大抵の人間に、満足に無駄を楽しむ暇なんてないものよ。だから限られた寿命の中で有益なものに邁進しているの」
「……私には思い出せないほど昔に捨て去った価値観なんだろうね、それは。まったく、同士以外と関わると老害を自覚させられるよ」
勝手に敵を増やし勝手に自爆したホメロスは、コロネの当然たる言い分に嘆息した。
ホメロスにもそんな時期があったのだとして、それは恐らく五百年以上も昔のことだ。
そんな若気の至りなど覚えていられないと彼女が椅子に深く座りなおした時、部屋の扉が開いた。
「お待たせしました」
「……」
シエラと、彼女に支えられながらやってきたミナギだった。
ミナギは顔色が悪くなっているし、杖はずるずると引きずられている。重傷である。
二人はコロネと並ぶように席に着く。顔色が悪いながらもどうにか気丈に努めているようで、何とも言いようのない目でホメロスと俺を交互に見てくる。
「ミナギ、大丈夫なの?」
「…………一応、本人であることは認めるわ。認めたくないけど、そう考えればこの本の内容の深さも納得できる、認めたくないけど」
二回言うほどに苦渋の決断だったらしい。
ミナギがテーブルに置いたのは、昨日セラが渡したホメロスの雑記。
なおもあの本の内容には高い評価をしているらしい。
「……失礼しました。貴女を始祖ホメロスだとは思い至らず、ご無礼を――」
「よしてくれ。正直そんなに畏まられるとやりづらい。先程の調子で構わないよ」
未だに微妙な表情ながらも、態度を変化させたミナギの言葉を遮るホメロス。
「しかし、貴女は偉大な賢者……後を追う者として、これ以上礼を欠く訳にもいきません」
「強情だね、君も。では、こうしようか。我が親愛なる魔王陛下に同等の崇敬を抱いてくれるのであれば、その礼を甘んじて受けよう。そうでないならば、どうか普段友人と接する程度の調子を向けてくれ」
これっぽっちも反省の色のないホメロスは、またもミナギに特に必要ない試練を与えた。
というか巻き込むな。無理やり秤に乗せられる身にもなれ。
「……………………、…………わかっ、た、わ。そう、させて、もらう」
「いい子だ」
当然ながら、大陸を闇で覆い親友を傷つけた魔王に敬意など払える筈もなく、ミナギは折れた。
安心した。これでミナギが畏まってくるようなことがあれば流石に咎めないとならなかっただろう。
「だけど……やっぱり納得できないわ。なんで貴女が、魔王なんかに従っているの?」
「そりゃあ君、私の運命であると悟ったからさ。そうさな……」
ホメロスは言葉を選ぶような素振りをしながらも、器用にもミナギとシエラを隔て、テーブルの反対側はミナギにしか声が届かないよう結界を展開する。
「君が英雄くんに抱いている気持ちのようなものさ」
「――ッ!?」
それだけ言って結界はすぐに解除される。
ホメロスは一体、ここまでの短時間で何からそれを読み取ったのかは定かではない。
だが、その突拍子もない発言が多分間違いないことは、見る間に顔色が赤く染まっていく現代の魔法使いを見るに明らかだった。
「な、な、なななななななん――」
「……? ミナギ、どうしました? 始祖は何を言ったんです?」
「ふふ、気にしなくていいよ、小さな英雄くん。それと、君たちもホメロスと呼んでくれ」
ミナギが何を言われたかを知らないシエラは、親友の変貌っぷりに首を傾げている。
本当にホメロスの言葉の通りなのであれば――とりあえず、あの鎧に掛けられた守りの複雑さの理由や、昨日シエラに掛けた回復魔法が高度に過ぎた理由は何となく分かった気がする。
「なん、なんでシエラを――いえ、違う、違うわ! 一体何を言ってるの!?」
「ふむ、では分かりやすく言おうか。愛さ。愛ゆえの忠誠、私たちが王に従うのは、それが最たる理由だ」
そして、そんなことを言ってのけたホメロスに、当然ながらテーブルの反対側の空気は凍る。
何故だか、ホメロスが話しているのに居心地が悪くなっているのは俺だった。
「あ、愛……?」
「そうさ。身を焦がすほどの運命を感じたことがあるかい? 培った知恵の全てを投げ出せる、世界の全てを敵に回せる、そして世界に打ち勝ち必要とあらば滅ぼして見せよう、五色の秩序さえ超えて見せよう、そう思えるほどの運命を。私たちにとって彼はそういう存在だ」
そんな重い発言をしれっとするのは勘弁してほしい。
どうしてこうも、この賢者はフリーダムなのか。
発言は空気を読んで、節度を持つこと。なんでどこか恍惚とした表情なんだホメロス。
「……もしかして、全員ですか?」
「見ての通りだよ」
シエラの問いに、何故かホメロスではなく、セラが返した。
三人はテーブルの端から端まで見渡して、一人通り過ぎる度に表情を変えていく。
配下たちがそれぞれどんな顔をしているのかなど知らない。知りたくない。
だが、シエラたちの表情からして大体分かってしまう。
「…………、大変ですね」
ほんの少しの同情を含んだ一言に、俺は曖昧に頷くしか出来なかった。




