いーくんのためなら、何処までだって意地悪になるよ
「王と、マキナさんの部屋?」
「んー……せっかく部屋同士になんの魔法も掛かってないし……いいかなって」
よくない。寝起きのふわふわとした意識で何を言ってるんだこの幼馴染。
城では、例外として繋げたものを除き、外部、および部屋から部屋への転移や空間の接続は一切出来ないようになっていた。
外部から内部へのものはこの幼馴染、部屋から部屋へのものは俺による、到底破れない防衛魔法。
それぞれ仕込んだ理由はまったく違うのだが、後者は俺の色々な安全のために必要不可欠だった。
そうだね。そういえばこの宿には当然そんな魔法掛かってないね。平和ボケし過ぎていた。
「まあ、昨日はそれ使ってないけど……ね、ニア」
「はい。マキナ様は昨夜は普通に部屋の入口から入られました」
ごく普通にニアはセラの凶行を暴露した。
ほんの少しの沈黙を挟み、目を丸くしていたホメロスはふむ、と思案を始める。
「なるほど。体裁ではあるが、私たちの関係も多少なり変わる訳だ。そういうのもありだね」
「えっと……どういう?」
「つまりだね。イォリアくんは我々と同衾してもいいんじゃないかという話さ」
何言ってるんだこの賢者。
智慧の極みを求めすぎて変なところに繋がりでもしたのだろうか。そういうのは俺の配下でもお前の領分じゃないぞ。
それともとうとう欠片ほどしか残っていなかったモラルすら手放したのか。
「ど、同衾……? 王と……?」
「そうさ。日替わりで一人ずつなら七夜おきだ。我々のモチベーションも保てるというものさ。悪くない提案だろう?」
「良い悪い以前の問題なんだけど」
「最高の提案だねホメロス。さっすが大賢者。ね、そうしようよ、いーくん」
「セラ、驚くからいきなり本調子に戻らないでくれない?」
これから先、出来るだけ毎夜休むとしても、同衾などあり得ない。
正直、今朝セラがいたというだけで休んだ気がしなくなったのだ。休まるものも休まらない。
「巨王陛下はお気に召さないと?」
「当たり前だ」
「うぅん……でもいーくん、ちゃんと寝られてたよ? ボクたちと寝ても大丈夫だと思うよ?」
「いや、それもう寝てて気付かなかっただけだから。最初からいるのと訳が違うから。あとああいうの、もうやめて」
そんな励ますような口ぶりで言われても困る。
なんというか、常識的に考えて俺の方が正しい筈なのにどうにも惨めな気持ちになるからやめてほしい。
「質問します! 何故王は、アイゼンたちと共に眠るのを拒むのですか?」
何故掘り下げる。
くそ、失態だった。こんなことなら昨日寝る前の時点で部屋に防御の魔法を一揃え掛けておくべきだった。
あくまでも宿の借り部屋に過ぎないそこをあまり私物化する訳にもいかないが、無法地帯になるよりマシだろう。
というか他の部屋と繋げる仕組みをセラが施した時点で十分無法地帯である。
「いや、だから……ほら、困るだろ? 俺だって男だ。そういう間違いを犯さないって断言できる訳でもないし」
「わ、私は! 我が王が望むのであれば! い、いえ、ですが私の体など王にお見せできるものでは――」
「うん、落ち着いてシトリー。そんなつもりないから。外に聞こえていたら大惨事だからね?」
シトリーってこんな悲観的だったか?
何かと空回りするのは昔からだが、この二年間が性格まで変えてしまったのだろうか。
だとすると俺のせいだ。どうにかしなくてはいけない――下げた短剣に手を伸ばすな。
「王はそんなことを心配なさっているのですか? ご安心ください、私たちの中に誰も拒む者などいませんよ? 命ぜられればいつでも一夜を共にする心持ちです」
「だからもっと不安なの」
もし、仮に、本当に仮に、そういう事があったとして、抵抗されればまだ自分が凄まじく愚かなことをしている事にも気付くだろう。
だが受け入れられてしまえば、自覚せぬままに戻れない場所まで進んでいくかもしれない。
全力でそんな展開は避ける所存だが、決して断言が出来ない以上、彼女たちにも言って聞かせておかないといけないのだ。
「……王」
「ネメシス、お前なら分かってくれると思――」
「イォリアは、結構な好色家だった。倣っていいと思う」
「何言ってんのお前」
昨日から名を借りることにした過去の英雄を蔑むつもりはないが、何をやってるんだイォリア・アトラス。
数多の魔王と戦った偉大な英雄なら輝かしい伝説だけを残せばいいじゃないか。
……ちょっと待て。昨日子供はいないって聞いたぞ。何があったんだイォリア・アトラス。
「……大丈夫。僕は、まだ誰にも抱かれてない」
「そういうこと聞いてるんじゃなくて」
朝から配下のそんな事情聞きたくない。
というか何をどうしたらそれをカミングアウトしようという発想に至る。お前、この中じゃ常識人な方だろう。
「ともかくだ、イォリアくん。マキナくんとだけ一線を超えるというのは些か不平等が過ぎるんじゃないか?」
「超えてない。超えてないから」
一度でも超えてしまったらアウトだろう。
「うん。いーくんは何もしてないし、ボクも何もしてないよ。やっぱあれくらいじゃ、何もしてくれないね――ボクもご飯食べよ。ニアも何か頼みなよ」
「はい」
セラはメニューを眺めると、俺が張った防音の結界を解除する。
いや、確かに大した力を掛けたものではないが、片手間で結界を解くのやめてくれないだろうか。
セラとニアはそれぞれ朝食を注文すると、今度はセラが防音結界を張った。
「いーくんは何も食べないの?」
「俺はいらな――無言で兜取るのやめてくれない?」
昨日から不思議に思っていたが、それ一体どうやっているんだ。
この鎧は兜と一式で俺が制御しているし、この制御を譲渡しない限り他者が外すとか出来ない筈なんだが。
「食べられるなら食べた方がいいよ? やっぱりいーくん、痩せ過ぎだよ」
「そんなことないと思うけど――」
弁解も終わらないうちに、セラがパンに手を伸ばす
チェルシーが頼み、皿一杯に乗せられてきたものだ。
「ご飯食べよ、いーくんも」
「……」
――何気ない一言。
差し出されたパンに重なったいつかの風景。
気のせいだと振り払うも、思い出したかのような空腹感だけが残る。
「……ほとほと、意地が悪いな、セラ」
「ふふん。いーくんのためなら、何処までだって意地悪になるよ。いーくんにまたあんな思いさせたくないもん」
何処までも純粋な、虚偽のない、いつも通りの赤い瞳。
まったく――こんな一時の朝食に、大昔の話を引っ張り出してくるんじゃない。
降参だ、とパンを受け取る。
柔らかくふっくらと焼かれたパンを齧る。パン一つで感傷に浸るなと自身に言い聞かせながら。
「……なんの話です?」
「ボクといーくんのちょっとした思い出話だよ。多分、いーくんは話したがらないだろうから、ボクも教えてあげないけど」
……まあ、今更あえて言うほどのことでもない。
今から何をどうしようと、あんな生活には戻れないし、絶対にこいつらが戻そうとしない。
魔王になる前のあの日々は、俺とセラだけが知っているだけで良いことだ。
「ところでいーくん、やっぱり兜外してた方がいいよ。皆もそう思うよね?」
「……」
「そら。愛しい副官くんも賛成側についたぞ、イォリアくん。爽やかとは到底言えないが、やはり朝から君の顔が見られるというのは良いことなのだよ」
……前向きに検討する、ということにしておこう。
今日も騒がしいコロネ商会は、俺が入るとさらに騒々しくなった。
いや、俺というより注目されているのは後ろに続く配下たちだろうが。
この場に訪れるような冒険者や商人とは思えない風体の女性がぞろぞろとやってきたなら、人の目も集まろう。
まあ、そんな連中を気にするためにやってきたのではない。
今回は次の冒険――ではなく、後ろの配下たちという現在進行形で抱えた問題を説明、およびシエラのパーティ――主にミナギ一人――を納得させるための話し合いが目的である。
「あー。おはようございます、不夜城さんー」
せっせと忙しそうに仕事をしていた従業員の少女――モルジアナが駆けてくる。
のんびりと目を閉じているのによく転ばないな。どうなってるんだ。
「コロネさんから、話があるので来たら奥にご案内するように言われてますー。お連れの方も一緒にと……お一人と聞いてましたが」
『後ろの七人、全員関係者だ。一緒に案内してくれないか』
「はーい、分かりましたー」
いいのかそれで。コロネに確認とか取ったりするものと思っていたが。
「……王? 何故そんなことを? 普通に話した方が早いと思いますが」
「……」
聞くな。もうこれについては仕方ないものとして割り切ることにしたのだ。
この魔力で文字を編む技術はコミュニケーションとして有用だ。動揺を悟られることもない。
いちいち見ていなければならないのが面倒だとシエラに苦言を呈されたが、俺はこれをやめるつもりはない。
というかやめられない。なんでこうなったんだろうね。
表向きの説明を紡ぎつつ、モルジアナの背中を追う。
普段は従業員しか入れない通路だが、こうして通るのも二日連続だ。
昨日と同じ部屋は扉で閉じられているものの、近付けば会話は何となく聞こえてくる。
『――から――これなら――魔王の力を極限まで貶めて――』
『――ミナギは――そのために私が――』
『――次に何か――今度こそ――細胞の一片まで完全消滅――』
どうやら大変物騒な話をしているらしかった。
出直した方が良いだろうか。彼女の機嫌がいい時を選んだ方がいいかもしれない。
「入りますよー。コロネさん、不夜城さんたちをお連れしましたー」
しかし、そんな躊躇いはモルジアナには届かず、話が聞こえていないかのように扉を開けた。
一旦中の会話が収まり、コロネが出てくる。
「ありがと、モルジアナ。不夜城さん、いらっしゃ――――」
そして此方を見て、作っていた笑みが引き攣った。
いや、うん、何というか、本当にすまない。
想定では俺とセラだけだっただろうに。
「……コホン。モルジアナ、ご苦労様。仕事に戻っていいわ」
「はーい」
俺たちに一礼して駆けていくモルジアナ。
その姿が見えなくなると、コロネは死ぬほど大きなため息をついた。
「……とりあえず、誰も悪さはしないわね?」
『その際は全力で止めると約束しよう』
「……なら、いいわ。とりあえず全員入ってちょうだい」
一応、間違ってもこの場で暴れることはないよう、配下たちには言ってあるが、それで安心できないのが彼女たちだ。
何かあれば俺がどうにかすることは考えておかねばならない。
コロネに続いて、部屋に入る。
苦笑するシエラと相変わらずの敵意を向けてくるミナギ――二人の表情は配下たちが入ってきたことで凍り付いた。
「……厄日、今日も更新するかなぁ」
シエラが頭を抑えながら漏らす。
ハッと我に返ったミナギは、椅子を蹴って壁際まで後退ると、杖を此方に向けてくる。
「何やってるのよ、シエラ。構えなさい!」
「いやぁ……事を起こすならもうやってるでしょうし。というか戦ったところでどうにもならないですよ、これ」
「貴女呑気すぎない!?」
臨戦態勢を整えているのはミナギだけだった。
シエラもコロネも、諦観やら呆れやらが混じった目で此方を見てくるばかりで構えようとはしない。
正直そちらの方が心に刺さる気がする。
「……ま、確かにそうね。一対一ならともかく、この数となると」
「ええ……で、どういうことですか? セラさん以外の方は初対面ですけど」
仕方なく、本当に一応とばかりに聖剣を取り出しながら、シエラは尋ねてきた。
まあ、概ね予想はついているだろうが、とりあえず経緯を説明する。
「……何というか。よくもまあこのタイミングで封印が解けたものですね」
『実に同意見だが、見ての通りだ』
「配下の皆さんの封印が解けたことで、心境に変化は?」
『ない。これまで通り、冒険者を続ける予定だ。皆にはそれを手伝ってもらうことで合意が済んでいる』
問いを投げながらも、シエラはセラたちの様子を注意深く見ている。
正直なところ、この場にいる配下七人――ニアは外すとしても六人が同時に戦うという前提ならば、シエラたちに勝ち目はないだろう。
一対一であれば、シエラはほぼ有利となる。ただ一人、チェルシーを除いては、何か間違いでも起きない限りシエラが負けることはないと断言できる。
そこまではっきりと理解しているようで、シエラの注意はチェルシーを中心に向けられていた。
「……様子見ですかね。でも、こうなるとミナギの提案も呑まざるを得なくなるんですけど」
「当然よ。寧ろ甘かったわ。ユーリに事情を話してもっと強力な呪いを用意すべきよ」
「ミナギ、いつまで構えてるんです?」
「何となくタイミングを失ったのよ!」
何ともやりづらそうに、ミナギは立ち上がる。
それと同時に、見計らったかのようにローブから落ちる一冊の本。
質素な表紙にはサイン以外書かれていない、昨日セラが渡した『お近付きの印』――
「は……? なんで君、私の雑記なんて持ってるんだ?」
「へ……?」
――ミナギの提案って何だろうか。
――強力な呪いってどういう事だろうか。
その辺りを聞くのはどうやらもう少し先になるらしい。




