無論、君への愛を常に自覚しておくためのものだとも
「『最低』の魔王って……そんなのがいたのか?」
「いたよ。魔王に明確な定義なんてない。だからかつて何人も、ほんの少し周りより力を持った奴が高らかに自称してはものの数年で打ち滅ぼされてきた」
魔王というのは魔族の最上位とも言える称号だ。
俺が初めてそう呼ばれた存在ということもない。ネメシス曰く、大陸の外にも複数の魔王がいたようだ。
今でこそ何故か俺一人しか伝わっていないようだが、大陸にいたという伝説は、少なくとも俺が人間であった頃の時代にはあった。
そしてその誰もが今は魔王ではない。
ある者は討たれ、ある者は役目を終えて何処かに身を隠し、ある者はこの大陸を離れていった。
俺が人であった時代は平和なもので、魔王なんて呼ばれる者の話は聞かなかった。
だからこそ、俺が魔王となった時、他の魔王との戦いが殆ど起きなかったのだと思っていたが。
「元々もう隠居していた連中だし、君の力には敵わないと悟って静観を決め込んだんだろうね。結局君に突っかかるまで行ったのは一人だけだったし」
「その『最低』って奴は?」
「少なくとも、君の横行を黙って見ているような奴じゃあなかった。『最古』の爺さんみたく見物決め込む御大気取りな訳でも、『最上』の鳥頭みたく関係ないと自分の領域に居座る訳でもなく、さりとて『最深』みたく積極的に関わってくる訳でもない。臆病だけど野心を消せないコバンザメだよ」
ひどい言いようだ。
今挙げた三人は、ホメロス自身面識があるのだろう。言葉には確信があった。
俺は三人のうち『最上』には会ったことがないが、話だけは聞いたことがある。
そうした話題も無かったし、ホメロスの言う通りその『最低』とやらにはさほど脅威はないのだろうか。
「あの場所は、その『最低』の領地だっていうことか?」
「だろうね。まあ、この魔物で底は知れた」
「どの程度?」
「復活した私たちの中で、一人でほぼほぼ間違いなく勝てるだろう奴はチェルシーだけ。そこの引き籠りも含めればさらに三人プラス。君が出れば、居眠りしなければ五人に増えても勝てる」
――確かに、魔族の中では相当の実力者ではあるらしい。
俺の配下の中では安心して任せられる者は四人。
チェルシーに加え、首元の石の三人――恐らくは黒、金、透明。
その四人全員が、魔族の中でも規格外の位置にいる。シエラたち英雄パーティを相手にしても善戦、勝利も十分考えられる者たちだ。
とはいえ――少し意外だ。この自信家が己を含めないなんて。
「……ん? どうしたんだい?」
「いや、ホメロスは含めないのかと思って」
「……君ね。ひ弱な魔法使いを一人で戦わせる奴が何処にいるというんだい? 仰せとあらばやってみせたいが、出来ればシトリー辺りを護衛に付けてくれ。魔法一つ紡ぐにも命がけな戦場なんて気疲れするったらない」
……どの口が言うのだろう。
確かに魔法を主体にするならば一人で戦うというのにも限界があるだろうが、その中の例外であるのがホメロスだ。
あんな戦い方をする者がホメロス以外にいる筈がない。念のための護身用でも魔法使用の補助用でもないものを杖と呼ぶな。
「冷たい視線を向けられている気がするな。この年で新しい扉を開いてしまいそうだ」
「開いてはいけない扉だ。やめてくれ。それで、どういう心境の変化だ?」
「扉に手を掛けさせたのは君だろうに。何、我らが魔王は失墜し、巨王小国を統べる王となった。であれば私もそろそろ心機一転、言わばキャラ変をしてみようと思ってね」
「……どんな?」
「恋に生きるかよわい乙女という奴さ」
「似合ってない」
「自覚はあるが辛辣にも程があるぞ、イォリアくん」
不満げなホメロスだが、はっきり言って無理がある。
何がかよわい乙女か。四百年もこの賢者の本性を見てきて乙女と胸を張って言える者がいるならそいつは紛うことなき変態だ。
「まったく、配下のジョークには笑ってくれたまえ。……で、何の話だっけ。『最低』に私が勝てるのかどうか、か。十秒貰えば抵抗は出来るし、二十秒貰えば驚かせられる。六十秒貰えば塵一つ残さず消し飛ばせる、と言ったところかな」
魔法とは何はともあれ、準備が必要だ。
ニアの手袋だって術式に魔力を込めて発動させるまでの時間が必要になる。
術式を通さない、純粋な魔力の放射だけでは大抵の場合、ほんの牽制にしかならない。
身体能力が自慢の相手と向き合って戦いが始まれば、絶対的に不利だ。
だからこそ、魔法を専門とする者は補助用具として持つことが多い杖による身の護り方を学ぶし、近接戦闘が得意な者と組んで魔法の発動まで時間を稼いでもらう。
ゆえにその六十秒というのは、『最低』を相手に間違いなく勝利できると判断する魔法の発動までの時間だろうが――
「……何使う想定をしたんだ?」
記憶の限り、現在ホメロスが利用できる魔法の中に、六十秒もの時間が必要なものは存在しない。
となると、また彼女は知らない間に常識外れな研究を更に常識から外れさせていることになる。
「……いやぁ」
「とりあえず、それは原則禁止の方向で」
返答を曖昧にした以上、理解の出来ないことをしようとしたのは明白だ。
そもそも、今彼女が専門としているものが魔法の仕組みに真っ向から喧嘩を売るものなのだが、その中でも特異な何かを思い浮かべたのは想像に難くない。
ホメロスの戦闘能力が落ちるとしても、あまり使わせない方が良いだろう。
「じゃあ無理だな。精々守ってくれ、私の王様。極力、今の私は魔法を使いたくないんだ」
「……何のための“それ”なんだか」
「無論、君への愛を常に自覚しておくためのものだとも。おっと、返せと言われても応じないし、返すと言われても受け取らないよ。君自身の心境はどうあれ、これが賢者ホメロスにトドメを刺したんだ。責任持って最後まで荷物にしたまえよ」
――昔、ホメロスが俺の配下になると告げてきて間もない頃、あまりにも大きな贈り物を受けた。
それは彼女曰く、礼であり清算。
それに対しせめてもの返礼と遠慮を兼ねたものこそが――彼女が今も左手の五指にはめる指輪だった。
現在のホメロスは魔法行使を全てこの指輪に代行させており、アレがなければ基本の魔法すら操れない。
膨大な才能と年月による成果を捨て去っても次のステップへと進むという、ホメロスの極端な前進思考の境地。
それは流石にどうかと、あの指輪を送ったのだが――何を間違ったか彼女は些か以上に重いものとして受け取ってしまった。
指輪にしたのが悪い、とセラにはじっとりとした視線を向けられたものである。
「ともあれだ。どのみち無視は出来まい? 英雄を率い魔王と戦った巨王陛下。これからの生を人のために使うと決めたなら、あんなもの早めに摘み取ってしまえ」
話を戻したホメロス。イォリア・アトラスの伝説に則るならば、俺の選択は決まったも同然となる。
かつての魔王が、今台頭せんとしている魔王を討つ。
どうにも都合の良い話だが――この『最低』がかつての俺のような蛮行を企てているならば、必然、そうなるだろう。
「……まあ、デヴィディア魔源地帯を今後メインに探索していくべきだとは思う」
「それでこそだ。……しかし、誰も起きてこないね?」
「まだ定めた集合時間には余裕があるぞ」
「おや。まったく、時間ってのは気にしないと風のように過ぎ去るクセに意識していると亀の如く遅い。しょうがないな、イォリアくん、音声遮断を解いてくれ。せっかくだ、久しぶりに何かを食べたい」
そういえば、この宿は食事も頼めるんだったか。
気まぐれにその辺の露店で買ったものを食べるだけだった生活を送っていたことから、結局利用したことがない。
今後は部屋で食べる分には、利用するのも悪くないか。兜を着けているゆえに今は注文しないが。
音声遮断の魔法を解くと、ホメロスはテーブルにあったメニューを捲り、受付の少女を呼ぶ。
「すまない、お嬢ちゃん。チキンのサラダをいただきたい。後はデザートを……そうだな、ここからここまで一つずつ持ってきてくれ」
どんな注文だ。そりゃあ看板娘も目を丸くするだろう。
「……えっと、結構な量になりますよ?」
「構わないよ。甘味に飢えていてね」
……まあ、そういうことなら仕方ない。
ホメロスはニアやシトリーとよくデザートを食べていた甘味好きだ。実質的な二年間のお預けは堪えていたのだろう。
若干引いた様子の少女を見送りつつ、俺は縮小した魔物を摘まみあげ、収納空間に放り込んだ。
その後、シトリーが最初に、続けてネメシスとチェルシーが、予定の時間ピッタリにアイゼンが降りてきて、残るはやはりというべきか、部屋に来ていた二人だけとなった。
朝に強くないセラが、十分余裕のある時間にニアに起こされ、しかしベッドから出ることが出来ずタイムオーバー、こんなところだろう。
「しかし、珍しいですねぇ。マキナさんはともかく、ニアさんまで遅刻なんて」
「昨日の今日です。ニアも安心したのでしょう」
先にいたホメロスに倣い、朝食を食べつつチェルシーは疑問を漏らす。
ホメロスもそうだけどそれ朝食の量じゃないぞ。それどころか、昼や夜ですら普通は一人の前に空の丼が積まれたりしないぞ。
この宿としては想定外の収入かもしれないし、払えない金額ではないが、稀に見るチェルシーの食欲には受付の少女だけでなく数少ない他の客もドン引きしている。
一方でシトリーはデザート一皿、ネメシスは一杯の野菜ジュースで満足した。それはそれでどうなんだ。
アイゼンは完全に食事が不要のため、俺と彼女の前だけが何も置かれていない奇妙なテーブルが出来上がっている。
「ネメシスくん、君、そんなんでいいのかい? ここの料理は中々のものだ。食べて損はないよ」
「いい。元々朝は食べない主義」
ジュースを飲み終えたネメシスは下げていた口元の包帯を上げ直す。
――そういえば、今更だが包帯で覆っていながら声が籠っていないんだな。そんなことに魔法を使っているのだろうか。
そもそもあの包帯が何なのかすら不明なのだから、魔法の必要性も言及出来ないのだが。
「まあ、君がいいなら構わないのだが……この餡蜜は実に絶品だった。イォリアくん、君もどうだい?」
「兜被ってるんだが」
「それ、下半分削るか、いっそのこと外していいんじゃないか? 君の顔が見られないと我々のやる気も激減するんだがね?」
「そんな効果はないと思うが……」
いや、まあシエラたちに素性もバレたし、これ以上兜を付けている意味もないと言えばないのだが。
「アイゼン、進言しますが、王のお顔が隠れていることによりアイゼンの出力は六十七パーセント低下しています!」
「え、そんなに?」
アイゼンが冗談を言うとは思えないが、しかし事実とも思えない弱体化だぞそれ。
約三分の一の出力って、損傷してもそこまで減らないだろう。
本当なのだとしたら流石に少し考えようとは思うが……。
「確かに、王のお顔を見ることで力が滾るのには同意しますわ。思い出すだけでも……ふ、はぁ……っ!」
「落ち着いてください、チェルシーさん。流石にここでは不味いです」
おかしい、チェルシーは確かに己の感情を持て余すことがあったが、ここまでの頻度じゃなかった筈だ。
ここでそんな暴走起きたら、宿が跡形も残らないから。
「アイゼンの出力低下かチェルシーの暴走、どちらを取るかか……」
「あ、いえ、外してください。出来れば外してくれると嬉しいです。我慢しますから」
「ちなみに外せば私たちのやる気も上がるだけじゃなく更なる強化が望めるぞ。だろう? シトリーくん」
「へ!? ぇ、あ、っと……私は、我が王を守れるだけで……」
――何故だろう。外した方が良いらしいのになんか外したくなくなった。
というか、外さない方が俺は安全でいられる気がする。三分の一でもアイゼン十分強いし。
「ふむ。なるほど、では残る二人にも聞いてみるかい? ほら、お目覚めだ」
ホメロスが階段を指差す。
ニアに支えられ、首をこくこくと危なげに揺らしながら降りてくるセラ。
白衣が肩からずれ落ちるのを直されつつ此方にやってきて、示し合わせたように空いていた俺の隣に座った。
「あー……おはよう、セラ」
「ん……おはよ、いーくん……」
目を擦りながら返してくるセラは、明らかにまだ本調子ではない。
ニアにより身嗜みは整えられているが、このスロウスターターがいつもの天才性を発揮できるようになるにはもう少し掛かるだろう。
「いつもに増して眠そうだね、マキナくん」
「んー……寝る前に、ちょっと張り切りすぎて……」
「何をしてたんですか?」
「ぅん……繋げてた、だけ……ボクの部屋と、いーくんの部屋を」
――本当に何してんの?




