産めよ増やせよ地に満ちよ、愛の結晶は多ければ多いほど良い
――朝日で目が覚めるのは、いつ以来だろう。
俺が奪っていた日差しの恩恵を良きものだと感じるのは烏滸がましいか。
寝る前には何があったのだったかと思い出しながら、徐々に意識を覚醒させていく。
この二年間、時間を決めずに利用してきた、質の良くないベッドに、いつもは感じていない狭さがあった。
その理由はすぐに分かった。腕に何かが組み付いている。隣に誰かが寝ているらしい。
「…………」
ギギギ、と自分の首の動きに音が伴うのを感じる。
……ああ。やめてほしいと言った筈なのだが。
一体何をしているのですか、セラさん。
それは長年禁止だと言っていたじゃないですか。皆にも厳守させていたじゃないですか。
再会して一日目でこれはどうかと思いますよ。
冷や汗を自覚しつつも、ひとまず影沈みの魔法を発動し、ベッドから脱出する。
結局宿はあの時間の無理が通り、全員別室を取ることが出来た。だからこのようなことはないと安心していたのに。
いつの間に入ってきたんだろう。気配に気付かないほど熟睡していたのだろうか。
影から出て、捲れた布団をセラに掛け直してから顔を洗い、どうしたものかと考える。
「おはようございます、王」
「うん、おはようニア。寝ている間に部屋に入るのは驚くから遠慮してほしい」
部屋の隅にいつからか控えていたニアが、当たり前のように挨拶してくる。
こっちもまったく気付かなかったんだけど。二年の間に二人とも完全に気配を断つ技術でも修得したのだろうか。
そんなもの悪用されると俺のプライベートが無いも等しくなるのだが。
我、元魔王ぞ? プライベートとかも必要ぞ?
「申し訳ございません。部屋の外でお待ちしていたのですが、セラ様がやってきて、入って良いとのことでしたので」
「それいつ頃の話?」
「王がお休みになられてから一時間ほど経った頃でしょうか」
「そんな時間からアイツ入ってきてたの?」
「はい」
「ニア、そんな時間から待ってたの?」
「はい」
「……」
「……」
「……」
「御髪を整えさせていただきます」
「あ、はい」
確かに魔族になって、睡眠の必要自体は薄くなったが、だからと言って完全に不要な訳ではない。
それに、ずっと起きていては夜は長い。何かをし続けるならまだしも、何もしないには向かない時間帯だ。
……まあ、それを今ニアに言っていても仕方あるまい。
今夜も同じようなことをする兆しがあれば寝るように言っておこう。
あと、セラには無断で部屋に入ってこないことを固く約束させなければなるまい。
しっかり休んだ筈なのに朝から疲れを感じながらも、ニアに髪を任せる。
「ニア、昨日の鎧なんだけど」
「自動修復は完了しています。本日のお召し物はあちらでよろしいですか?」
「ああ。冒険者としてはあれを使うようにしている」
チェルシーにボロボロにされた鎧だが、既に備わった修復は完了しているらしい。
良かった。あのまま臨終などということはなかった。
これまでの冒険者生活を共にしてきた鎧だ。あんな最期では浮かばれない。
それに、あの鎧は今後も使っていきたい。直っているならば、今日も問題なく使えるか。
兜で顔も隠しているし、正直ここまで丁寧に髪を整えてもらう必要もない気がするが……。
「……ニア」
「はい」
「ニアとセラ以外にもこの部屋に入ってきたとかないよね?」
「シトリー様が部屋の前で暫く悩んでいたのは確認しております」
二人がここまで気配を断つことを覚えた以上、他の皆もではないかと考えたが、どうやら最低限の平和はあったらしい。
シトリーはまあ、まだ安心できる。俺が血迷って命じたりしない限りは入ってくるようなことはあるまい。
……あるまい。外で悩んでいたとかは初耳だが、大丈夫だろう。
「はい、終わりました。それではお召し物を」
「ああ、よろしく」
寝間着を鎧に変えてもらう。
うん、いつも通りだ。昨夜の凄惨な事件はまるで無かったようになっている。
兜を被り、普段の狭い視界に戻る。正直、この二年でこちらの方が慣れてしまった。
「セラ様はいかがいたしますか?」
「寝かせておいて構わない。まあ……セラも疲れているだろうし」
疲労の方向性は決して俺の望んでいたものではないが。
「ニア。セラを任せていい?」
「かしこまりました。セラ様のお支度が完了次第、ロビーに向かいます」
「うん、頼んだ」
この様子であればセラはもう暫く目を覚まさないだろう。
セラはニアに任せ、部屋を出る。
この宿には元々俺以外に長く滞在している者もおらず、今日は偶然そういう日だったようで人気はない。
好都合だ。ロビーで配下たちとは話しておきたい。
恐らく、今日は昨日の不幸をまたも更新することになる。
今日はシエラたちに、配下たちのことを伝えなければならない。
今後の俺の偽名も含めて。ミナギ辺りは間違いなくはいそうですかと納得はしないだろうし、対策は考えておかなければ。
――いや、まあ秘策はあるのだが。というより、これが最善の策と言えるだろう。
失うのはミナギの始祖への憧憬という元々ある必要のないものだけだ。
ロビーに降りてくると、受付で書き物をしている少女が最初に目に入る。
「あ……不夜城さん、おはようございます。今日も良く眠れましたか?」
『勿論。昨日は夜遅くに無理を言って申し訳ない』
「わっ……あ、そうか。文字で会話できるようになったんでしたっけ。構いませんよ、元々お部屋も空いていたので」
この宿の看板娘とは何度かやり取りしたことはあるが、あくまで首肯とジェスチャーによるものだった。
昨日の成果として得た会話手段で初めてまともにコミュニケーションが成立したのだが、これがなければ深夜の無理など通らなかったに違いない。
「今日以降も皆さんは泊まっていただけるんですか?」
『可能であれば頼みたい。代金は皆の分も俺が支払う』
「はい、ありがとうございます。これだけの団体様は初めてですね、嬉しいです」
本当は申し訳ない。
彼女は俺の正体も、昨日やってきた者たちの正体も知らない。
まったく知らない間に旧魔王軍の根城になってしまったこの宿には、せめて少しでも多くの代金を払ってあげたい。
「ところで……あの、お連れの皆様って……皆女性の方でしたよね? えっと、一体どういうご関係なのかな、なんて……」
『出来れば黙秘したい。昔の仲間、と言っても信じられまい』
「むぅ……仲間って、女の人ばかりだったんですね」
そうだね。凄く不思議だね。まるで俺が好色家みたいだね。
『色々と事情があったんだ。やむにやまれぬ事情が』
「……そうですか。まあ、お客様の事情ですし、深く聞きはしませんけど……」
この子、何か疑ってない?
多分貴女の想像していることは間違ってますよ?
「……あ、そうだ。お連れ様、一人降りてきてますよ。あちらです」
釈然としなさそうなまま、指した先のテーブルには配下の一人が待っていた。
礼を告げ、彼女の元へ向かう。
「――やあ、最愛なる不夜城様。昨夜は随分と激しく――おや、酷いじゃないか。可愛いあの子に大人の会話を聞かせてやってもいいだろうに」
「くれぐれもやめてくれ。二年間世話になってるんだ。そんな誤解で出て行くことにはなりたくない」
誰もこんな宿のロビーでとんでもない爆弾を起爆させようとした女が今の魔法の基礎を築いた賢者ホメロスだとは思うまい。
咄嗟に掛けた音声遮断の結界を妨害はしなかったようで、その精度を確かめるようにホメロスは笑みを浮かべている。
「やれやれ。我らが巨王陛下とあろう者が一人の町娘との関係を惜しむとは嘆かわしい。愛を紡ぎ合う相手など新たに探さずとも既に十二人もいるだろうに」
「俺としては誰一人ともそんな関係になった覚えはない」
「そんなだから我々の中で種無し説が生まれるんだ。マキナくんが断固として否定していなかったらその説は濃厚になっていたんだぞ?」
「ちょっと待ってそれ初耳なんだけど」
「王が種無しだなんて不名誉極まりない噂を配下が本人に聞かせると思うかい?」
いや、そもそも配下だというならそんな噂立てないでほしいのだが。
「何なら今ここで証明してくれてもいいのだが?」
「朝から疲れる冗談はやめてくれないか」
「本気だとも。私と君の魔法の極致に届く者などいない。誰にも知られず、証拠も残さず、そして時間さえ経たずに確かめられるじゃないか」
「そんなことのためにアレを受け継いだんじゃない」
多分コイツが言っているのは、コイツが至った五色の極限の一つ。
そんなもの、シエラたちとの戦いですら使っていないし、少なくともこんなところで情事のために使うようなものでは断じてない。
というかどんな思考回路をしていたらそんな発想出てくるんだ。
それが賢者の発想だっていうのか? また一つ偉人の裏側を知ったぞ。
「まったく、つれない。実につれない。なんなら幾らでも悪さの出来る魔法だろうに。使わない魔法に何の意味があるんだい?」
「お前が言うと重みがあるが話題が最悪だな」
「実際その手の疚しい理由で手放した技術も結構あるからね。そうだな、アレは私が八十やそこらの時だったか。昔馴染みを使って一つ魔法を作ったんだが――」
「いや、いい。聞きたくない」
「おや。君に会う前の若気の至りは聞きたくないと。もしかして割と独占欲が強かったりするのかい?」
「そういうのじゃなくて。単に間違いなく碌でもない話だろうから」
「凄いな。予言の術を与えた覚えはなかったが。その通り、死ぬほどしょうもない話さ」
予言などなくても分かる。
もう出だしからしてまともではない発想から始まり、まともではない結末に辿り着いた出来事だ。
「しかしだね。私は割に本気だよ? 君という尊い人は出来る限り多く交わり、子を残すべきだ」
「それ、多分普通の人の倫理観ではない」
「君も君の配下にも誰一人普通の人なんていないからね。君は度々私たち全員との子を成す年を作るべきだと進言するよ。産めよ増やせよ地に満ちよ、愛の結晶は多ければ多いほど良い」
「……遠慮する。まだ、お前たちとそういう関係になろうとは思わない」
とんでもない発言が飛び出し、絶句していたが、とにかくその短絡的な誘惑に乗る訳にはいかない。
改めて拒否の意を示すと、ホメロスはあからさまに溜息をついた。
「はぁ……いつになったら君は正直になってくれるんだか。さて、おはよう、イォリアくん。爽やかな朝だね」
「おはよう、ホメロス。俺は十分正直なつもりだ。あと朝の爽やかさがだいぶ薄れた」」
非常に長かった朝の挨拶がようやく終わる。
断っておくが、ホメロスとの挨拶がいつもこんな調子ということはない。
ホメロスなりに不満があったのだろうと、更に溜まったこの疲労も受け入れることにした。
「それは失礼。そんな朝からテンションの下がった陛下にもう一つ、提供できる話題がある――そんな嫌な顔をするな。これについてだ」
ホメロスはテーブルの上に何かを置く。
見覚えがある――というか、昨日見た。デヴィディア魔源地帯で回収してきた魔物を縮小したものだ。
……これ、俺の収納空間に入っていた筈なんだけど。
なんでホメロスが持っているんだ? マキナだけじゃないの? ああいうこと出来る人。
「夜中、暇だったから調べてみたんだけどね。いやあ、中々に笑わせてもらった。これは私としても予想外だ」
「……何か分かったのか?」
ひとまず、突っ込みたいことは胸の内にしまっておく。
調査で結果が出たのであれば、何はともあれそれを聞いておきたい。
「これは君の影響で生まれた魔物じゃないね。あの小坊主め、まだ性懲りもなく生きていたとは」
「小坊主……?」
「ああ。君より前に生まれた、まあそこそこの素質だけしかなかった奴さ。しかしまあ、少しは評価を改める必要がありそうだね」
「――あの『最低』な魔王が、君の君臨した時代を乗り越えていたなんてね」




