君が心から拒絶しない限り、私たちは全員付いていくぞ?
「いーくん、大丈夫?」
「何とか……」
チェルシー自身無意識のものだっただろう。先程の鎧を砕いた一撃に比べればなんてことはない。
鎧が無かったから衝撃が直に来たが。声でダメージを与えるとかどうなってるの。
駆け寄ってきたマキナの手を借りて起き上がる。
「王、お召し物が……」
「いや……このくらいならいい。ありがとう、ニア」
「……そうですか」
不満そうにしないでくれ。
これくらいで着替えていたら、一日何着必要になるかも分からない。
こうしたこともあって汚れが付きにくいよう加工したのだ。想定の範囲内である。
「それでは、御髪を。乱れてしまっていますので。お掛けください、王」
「……うん、ありがとう」
しかしながら、ニアは諦めず目敏く髪の乱れを見つけると、傍に椅子を出現させる。
マキナが手袋に刻み込んだ疑似的な収納魔法。
ニアは魔法を使えず、この空間を開くことも出来ないが、あの手袋は収納空間と現実、双方向の転送を可能としている。
収納空間そのものはマキナが幾つか提供しているらしい。そういえばマキナ、一体幾つ空間を持ってるんだろうか。
ホメロスは最低限の一つを残し全部放棄したと聞くし、もしかするとこの場で最も収納空間を所持しているのはマキナなのかもしれない。
椅子に座ると、ニアは櫛を取り出し俺の髪に通し始める。
さほど伸ばしている訳でもなし、あまり必要とも思えないのだが、ニアはやたらに丁寧だった。
「王、たとえ貴方様が、再び魔王とならずとも、この身朽ちるまでと誓った忠誠に変わりはありません。どうか私が私でなくなるその時まで、貴方様のお世話をさせてください」
マキナにより不老長寿を施され、そしてその生涯を俺に尽くすことを誓ってしまった少女。
彼女はただ長生きするというだけで、戦える力を備えてはいない。
マキナのような規格外の才と技術もなければ、今俺の首元にある白――ルシアのように、マキナやホメロスすら『理解不可能』と結論付けた、魔法でも気でもない能力も行使できない。
ゆえに将ではなく、従者として傍にいることを選んだ。
困ったことに――それは、相手が魔王であろうがなかろうが関係はないらしい。
「っ、私も、ニアと同じです。我が王、貴方は私の生を許容してくださいました。貴方は私にとっての全てなのです」
「言い過ぎだよ、シトリー。もうお前を迫害していた者はいない。魔族にとっても生き易くなった今なら、お前も自由になれる」
「いいえ! 己で生き方を決めろとあらば、私は我が王の槍であり続けます! 何よりも速く、疾く、迅く、我が王の障害を貫く、それが私の心に決めた生き方なのです!」
本当、どうしてこうなったんだろう。
ここまで頑なだと俺自身、何も言いようがなくなる。
「もう一回言っておくけど、いーくん。いつか決断する時を待ってはいるけど、ここにいる全員、いーくんが冒険者をやっていることは認めているんだよ。そして、それについて力を貸すって決めている。だからもう、ボクたちから離れるなんてことしないでよ、いーくん」
「マキナ……」
その必死さに、首を横に振ることなど出来ようか。
人々の誰もが認められないことだろうが、幸いにして彼女たちの顔を知っている者など一人もいない。
シエラたちには事情を放さなければならないが、構うまい。
問題なんて山ほどあるが――今の俺を肯定してくれるのであれば。
「……俺は冒険者として四百年の償いをするつもりだ。二年間お前たちから逃げたことを許し、尚も俺に付いてきてくれるというのであれば――」
「その問いも不要だよ、我らが魔王陛下」
言葉を遮ったのは、ホメロスだった。
城の窓から空を見上げる、見慣れた姿。
闇に覆われてなお、その向こうの星を見ていた彼女は、四世紀ぶりに星空を直に目にしている。
「許そう。そして、共に歩こうじゃないか。君が心から拒絶しない限り、私たちは全員付いていくぞ?」
空を見上げたままで、さらっと、そんなことを言われた。
謝罪も、選択肢も必要ない。ただ道を指し示せば、それでいいと。
であれば、これ以上俺から言えることなどない。あまりにも呆気ない和解だが、それだけ飛躍しているのが彼女たちということだ。
「……わかった。明日からは、お前たちにも手を貸してもらう。今日はひとまず――ニア、もういい、ありがとう」
「え? いえ、ですが……」
「大丈夫だから。どうせもう今日は休もうと思っていたんだし」
ニアの手を止めさせ、立ち上がる。
この城を使う訳にもいくまい。宿で追加の部屋を借りるとしよう。
「宿に案内する。皆、付いてきてくれ。以降そこを拠点にする予定だから、そのつもりで」
「この城は使われないのですか?」
「そんなの、魔王を名乗っているようなものじゃないか。今の俺は不夜城って異名で通ってる。出来れば皆もそっちに因んだ名前で呼んでほしいんだけど」
「……それは……魔王でなくとも、貴方様が私たちの王であることには変わりないですし」
良く分からない理屈だが、そうなのか。
正直もう配下とかそういうのじゃなくて、家族みたいな関係でいいと思うんだけど。
しかしそうなると、困った。流石に外で王とか呼ばれれば疑いの目が掛かる。
出来れば疑われない、自然な理由があるとありがたいのだが。
「……王」
「ん? どうした、ネメシス」
「……使えると思う昔話がある。誰も知らないことだから、誰も証明できないし、これなら王が、王を名乗り続けられる」
……別に王を名乗り続けたいことはないが、どうやら彼女に策があるらしい。
それで自然に見えるのであれば、越したことはない。
「なら、歩きながら話してくれるか。聞いた上で、それを使うかどうか判断しよう」
「御意に」
必要なことだけ伝えて、すぐにいつもの調子に戻ったネメシス。
彼女のことだ、その昔話とやらはしっかり話してくれるだろうが、このギャップは慣れない。
話し合いの進行を任せる時などは予想できるからいいものの、自分から話し始めるのは実に珍しい。
ネメシスの話したいという昔話に若干の期待があったのもあり、さっさと城の外に出る。
城壁に罅が入ったり、封印が解かれた地下が出現していたりと大いに変化があるが、どうせこの城に曰くなんて無数にある。そのうちの一つとして片づけられるだろう。
……っと、そうだ。これだけは聞いておかなければ。
「ところで、あの封印解いたの、誰?」
「えっと……私です。封印されてからこの一振りのために、練って、練って、練り続けた気を、王に必ず届かせんと――!」
「あ、うん、分かった。物凄く届いてた」
山を砕き、空を裂く鬼神は、遂に封印をも斬ったらしい。
常識知らずな配下たちの非常識さを、また一つ知ってしまった瞬間だった。
大陸の外、今となってはもう影も形もない村で、その男は生まれた。
その男は世界を平和にするため、各地で魔王を名乗る強大な魔族を討たんと旅立った。
男には何ら才はなかった。
才がないからこそ、泥を啜り草を食み、死ぬ寸前まで努力して、どうにか英雄と呼ばれるに足る力を手に入れた。
その姿に惹かれ、多くの戦士たちが彼に付いてきた。
男を中心とした集団は遂に魔王を一人打ち倒し、名声を手に入れた。
彼らを魔王たちは敵視し、多くの戦いが繰り広げられるが、その悉くを彼らは迎え撃つ。
男は魔王など恐れることなく、寧ろ、勇ましく高らかに宣言した。
――魔族の王を名乗るならば、我らはお前たちの国を相手取る。
――一人ひとりが千の兵にも勝る英傑の集い。であれば、我らは国にも等しい。
――我らは国である。お前たちの国を征する戦の幕を、此処に開かん!
数十人と言われる戦士たちはその集いを動く国と定義し、男を王と定め魔王との本格的な戦いに乗り出した。
時に勝利しては敵であった筈の魔族すら仲間に引き入れ、時に敗北しては長年の友を失った。
男たちと魔王の戦いがどうなったかは、伝わっていない。
しかし、魔王がいたとされる地には悪事をなす魔物はいなくなった。
男たちの行方は知れない。
世界に住む者としての理を超えた己の身を恐ろしく思い、人のいない場所に行ったという話もあれば、新たなる戦いを求めて遥か彼方の未知の大陸を目指し旅立ったという話もある。
魔王も戦士たちの名も忘れ去られ、たった一つ残るのは、王と国の名前のみ。
巨兵の集った小さな国、その陣頭に立ち続けた男の名は、イォリア・アトラス。
彼が指揮したその国を、巨王小国と呼んだ――。
「――めでたし、めでたし」
「いや、言うほどめでたい終わりでもないと思うけど……」
ネメシスが語り終えた話は、確かに聞き覚えのないものだった。
遥か昔の、魔王と戦った英雄たちの話。
ようはその男と同じことをすればいいと、ネメシスは言いたいらしい。
「ふむ。私も知らない話だね。大陸に入ってくるような物語は抑えている筈だが」
「ん……多分、本にはなってない」
「……君の正体も知れないな。まあいい、その国の真似事をする集まりだと言い広めれば良いってことだろう?」
「……五十点」
「なん……だと……?」
その根付いた知識欲からか、ホメロスが自ら出てきて半端な点数を貰っていた。同じこと言わなくてよかった。
しかし、そういうことでないならば、ネメシスが言いたいことが分からない。
「……王?」
「…………すまない、分からん」
「……」
微妙に気落ちした様子のネメシス。
せっかく妙に張り切って話してくれたというのに申し訳ない。
「――アイゼン、ネメシスの提案について解答を導き出しました!」
「……どうぞ」
「物真似ではなく、王をイォリア・アトラスの子孫と定義し現代の巨王小国を名乗ろうとしていると判断しました!」
「……正解」
手を挙げて発言したアイゼンが、見事正解を導き出した。
――いや、ちょっと待て。
「正解って、いいのか? 勝手にそんなことして」
「イォリアに、子供はいない。誰も名乗る人がいないんだから、名乗っても問題ない」
暴論が過ぎる。
子供がいないからといって、その子孫を名乗って良い訳もない。
魔王の隠れ蓑にされてはかつて魔王と戦ったイォリアも浮かばれないだろう。
「随分知ってるみたいだけど、ネメシス、そのイォリアって人知ってるの?」
「……そこそこ」
「君、幾つなんだい?」
……イォリアがどれだけ昔の人間なのかは知らないが、もしかしてネメシス、かなり年上なのではないだろうか。
知り合いであるのならば、彼女が言うなら――いや、やっぱりないだろう。
「……ともかく、この時世にイヴ・エンデを名乗るのが不味いのは分かる。それなら、当面イォリア・アトラスを名乗っていればいい。マキナがいーくんって呼ぶのも、それなら自然」
――あろうことか子孫どころか名前すら騙る提案を出してきた。
イヴに代わる名前を用意しようという話はしていたが、そんなビッグネームは望んでいないというか。どの程度の知名度なのか知らないけど。
「私はイヴくんと呼んでいたのだが」
「ホメロスが人の名前に執着しているようには見えない」
「……まあ。イォリアくん、イォリアくん……うん、すぐに慣れるだろうがね」
「いーくんは、それでいいの? エンデの――」
「マキナ、その話は今はいい」
エンデの姓について、今掘り返すのはよろしくない。
今それが彼女たちに知れれば、宿に戻るのが更に遅くなる。
使うに違和感がなければ、どんな名前でも良かったといえばそうなのだが……。
……そうだな。すまない、かつての正義。人となりも知らないが、知り合いだという配下の提案に、暫く乗らせてもらう。
以降は人のために生きていくと決めているので、許してほしい。
「……わかった。ネメシス、イォリアの名前、暫く使わせてもらう」
「……ん。イォリアも、嫌な顔はしないと思う」
そうとは思えないが……だが、もしそうならば、過去の英雄の名に恥じぬことをしなければなるまい。
一旦立ち止まり、皆に向き直る。
ひとまずの隠れ蓑、新たな己の門出として。
「――これから当面、イォリア・アトラスを名乗る。皆、よろしく頼む」
納得している者もいれば、不満そうな者もいる。
だが、これが必要なことだというのは、きっと理解してくれている。
魔王イヴ・エンデ。不夜城。――イォリア・アトラス。
新たに手にした三つ目の名。ようやく冒険者として、自分から名乗れる名を得たことに気付く。
ただまあ――彼女たちを紹介するのも含めて、明日シエラたちに名乗るのは気が引けると、何となしに思った。
※ここまで一章。そろそろキャラ紹介みたいなのを纏めようと思います。




