君が今から言うだろうことは望んでいないだろう者もいるから、そのつもりで
全身に身体強化を掛け終え、衝撃に備えた一秒後、俺は背を向けていた壁まで吹っ飛ばされた。
そんじょそこらの力自慢が千回殴ったところで綻びすら発生しない城壁に俺中心の罅が広がり、肺の圧迫と砂埃に咳き込む。
間違ってもそれは襲撃などではない。そうだったら迎撃しているし、そうじゃないから性質が悪い。
彼女がいなければ、俺はここまでの備えなどしていない。
油断はまだだ。ここで終わるようであれば大したことはない。
鎧――はどうせもたないだろうから、体の表面に魔力を帯びさせ防御に徹する。
既に体に腕は回されている。親愛表現という名の処刑台は完成済みだ。
本人に全く悪意のない死刑執行に、魔力の放出で対抗する。
程なくして、鎧がギブアップを宣言した。
バキバキ、バラバラと焼き菓子を握り潰すかのように、腕を回されている部位の鎧が砕け、崩れていく。
もう一度言うがこれは親愛表現である。殺意はあるが悪意はない。
「あぁ……王……! 砕けぬどころか罅も入らぬこの玉体……! 間違いなく王なのですね……!」
「うん、間違いない。間違いないから、少し、いや、大いに落ち着いてくれ。久しぶり過ぎてちょっと腰に来た」
頑丈さで判断しないでくれ。何のために兜を取ったと思ってるんだ。
魔力防御の範囲を広げ、どうにか彼女を引き剥がす。
鎧がボロボロになってしまった。今日散々だな、この鎧。
「陛下、お召し物を」
「ああ、ありがとう、ニア」
久しぶりだということを感じさせない様子で歩み寄ってきた、従者たる少女。
――従者ニアは、ぺこりと頭を下げ、両手に機械仕掛けの手袋をはめる。
セラ手製の品だ。予め仕込んだ魔法の術式を起動させ、組み直しのプロセスなしで実行できる優れもの。
何をしたいのか判断し、鎧の構成の主導権をニアに譲渡すると、鎧は魔力と散っていき、代わりに身軽な私服へと切り替わった。
「い、いけません、王。そんな、軽装……っ、私、耐えられなく、なって――!」
「ネメシスー」
「御意に」
暴走の兆しが始まった彼女を眠らせ、ようやく事態は一旦落ち着く。
夜を夜だとも思わない騒がしさに懐かしさを覚えるのは流石にどうかと思いつつも、それを悪いものではないと思う感覚に嘘はつけなかった。
「マキナくん、我らが親愛なる魔王陛下直々のお姫様抱っこで放心中のところ申し訳ないが、アイゼンの動きが止まって久しい。コイツは他の連中と仕組みが違うし、完全にマキナくんに依存している以上私たちではどうにもならない。王直々の下賜でも私は一向に構わないが」
「あ……うん、ボクがやる」
ようやく出られたとばかりに伸びをする古株の言葉に、ようやく我に返ったセラがひょこひょこと歩いていく。
彼女たちの中で唯一、力なく寝かされているそれは、動くためのリソースを完全に失ってしまったらしい。
いそいそとその『充電』を始めるセラ。
その間に、俺はこっちに駆けてくる途中で限界を迎えたのか、泣き崩れてしまった者の傍に寄る。
「シトリー……」
「っ……! 我が、王……! 私、わた、し……!」
見れば見るほど痛々しい傷跡だらけの体に、治癒を施す。
これを誰もが治さずにいたのは、俺を糾弾するためだろうか。
そうであるならば、甘んじて受けようと思う。流石に、全力の拒絶は過剰だった。
ひとまずシトリーが落ち着くまで待って、それから話をしようと決める。
――欠けたおよそ半数に内心謝罪をしつつ、俺は何から話すべきかと考え始めた。
「まずは、皆に謝りたい」
そう切り出し、一列に並んだ自称配下たちの名を呼んでいく。
「――マキナ」
「うん」
白衣を羽織った幼馴染は、勿論聞かない訳がないと頷く。
――セラ・エクスマキナ・イヲニアン。配下としての名を、副官マキナ。
俺にとって全ての始まり。人間であった頃の俺を知っているただ一人の幼馴染。
規格外の才能と発想と、それらに劣らない技術を持った天才であり、魔王の頭脳であった少女。
「――ニア」
「はい」
――ベゴニア……従者ニア。
マキナを除けば俺が魔王となってから、最初に膝を付いてきた少女。
最初は俺が発生させた闇が発端となって職を失い、今は残ってすらいないリトルサンライトの裏路地で少しずつ迫る死を待つばかりの、親のいない子供だった。
それを拾ってきたマキナは配下だとか言ってきたが、俺としては罪悪感と責任感から面倒を見ることにした結果――知らない間に不老長寿を手に入れ、俺の従者の地位に納まっていた。
魔法などを扱えないため、マキナが用意したのが仕込んだ魔法を扱える手袋。
基本的な緑魔法から、自衛手段としてもやりすぎなのではないかという域の赤魔法まで。あくまで彼女は従者である。
「――シトリー」
「はい……っ」
ようやく落ち着いたというのに、また、感極まったとばかりに目を潤ませる近衛騎士、シトリー。
彼女が俺を討たねばならぬという強迫観念を背負って城に攻め込んできたのも、もう二百年は前になるか。
獣人症の中でも、彼女は例を見ない異常を抱えて生まれてきたという。それは人と魔族という、本来あり得ざる番いの間に成ったがゆえか。
体のあちこちに生えた竜鱗と、頭に生えた二本の角。
かつては残る部位も変質を制御できず、己の本来の姿すら認識出来ていなかった。
そんな彼女は当たり前のように忌み子として迫害を受け、恩情を与える条件という名目で魔王討伐に抜擢され、その集落から追放された。
紆余曲折を経て、俺を妄信するまでに至ってしまった少女は、皆が立っている場でありながら一人膝を付き顔を伏せている。
「――チェルシー」
「ええ」
チェルシー――チェルノボーグ・シグマルーツは、配下を自称してはいるものの俺にとっては師でもあった。
大陸外に由来するらしい鮮やかな柄の袖の広い衣服を着崩し、一見非力に見える細い体を晒しているものの、それは彼女の本性を知る者からすれば笑い話にもならない。
気を自在に操り、剣さえ体の一部とする剣気一体の体現者。小手先で山を揺るがし、その腕を振るえば空さえ割らんばかりの無比なる怪力。
その怪力だけで成り上がれる素質を持ちながら武の術理さえ修めた彼女から、俺は手足を、そして武器を使った戦い方を教わった。
シトリーとは違い、後ろではなく天へと向かって伸びる角は曰く力の証明であるとのこと。
今でこそ技量は上回ったつもりではあるが、断言する。力という一点において、彼女は大陸で最強であると。
ただ……なんというか、精神的に不安定であるらしく、度々暴走する。先程のように。
――――完全に気を失っていた筈なんだけどなぁ。なんでもう復活してるんだろう。
「――ネメシス」
「此処に」
猫の耳のように二カ所が尖った形のフードを被っているのは、ネメシス。
やや煤けた白いローブの下、肌に巻かれた襤褸けた包帯は足首から口元までを緩く覆っている。
眼鏡の向こうの濁った瞳と、言葉少なであることから感情を感じさせないが、あくまでそれは外面だけの印象に過ぎない。
義理堅く――というか、義理堅すぎてかつてのちょっとした出来事で永遠の忠誠を誓われてしまった。
話し合いの際にマキナに代わって進行を務めることもあり、その際は口数が増えるが――その進行には慣れを感じさせることから、俺の下に来る前は何か、高い地位にいたのではないかと予想している。
本人が過去をあまり話したがらないため、答え合わせは出来ないままなのだが。
「――アイゼン」
「はい! アイゼン、おおよそ一年ぶりに起動しています!」
俺が呼んだ名前に反応したのは、頭のおかしな天才による最も頭のおかしな発明。
アイゼン・ヒャクシキはマキナが作った人工知能を搭載した半人半機の配下である。
――マキナが作った人工的な知能を、マキナが構築した人造人体と機械の結晶に組み込んだ、マキナの天才性と非常識性が存分に発揮された集大成である。
彼女が独自に感情を持っている理由は不明だ。理解するのは随分昔に諦めた。
とりあえず分かっていることは、大抵は数合わせや一時凌ぎ、雑用にしか用いないゴーレムやホムンクルスといった物など歯牙にもかけないほど優秀であるということと、本当に作ったものなのか疑わしい程に感情表現が豊かだということ。
それと、動くにはマキナか俺、どちらかの魔力による『充電』が必要であること。
度々マキナによるアップデートが行われているが、目下の課題は感情を抑制するリミッターがよく壊れること。怖いから早く何とかしてほしい。
「――ホメロス」
「見ての通りだ、盟友たる魔王陛下」
殆ど人前に出なかった俺の配下たちの中で、唯一神話的な知名度を誇る、マキナとは別の方向にイカれた天才。
賢者ホメロス――ホメロス・オッド・マギノィ。
かつて五色の魔法の極みに達し、それでも飽き足らぬ知識欲から人の域を飛び出した異常者であり、等価交換をこの世で最も悪用した人物。
今の状態を、彼女を信仰する魔法都市マギノィの民に見せたらその時の混乱は計り知れまい。
次へ進むためなら今までの成果など切り離して構わないという割り切った精神は、彼女に続く魔法の研鑽者たちのほぼ全てにとって魔法への冒涜と取られる行為である。
まあ――そんな思考だったからこそ、俺は彼女と縁を結ぶことが出来、もとい、縁を結んでしまい、俺自身が多くの魔法の理解を深めざるを得なくなったのだが。言うなれば元凶その二である。今更思うが、なんでこの人俺の所にいるんだろう。
もう一度、この場に集う者たちの顔を見渡す。
全員ではない。俺の疑問を見て取ったのか、肩を竦めたホメロスが首にかけたそれを外し、手渡してきた。
「持っていたまえ、イヴくん。それぞれの考えから、体を捨てた者たちだ。君が今から言うだろうことは望んでいないだろう者もいるから、そのつもりで」
「……ああ」
簡素な首飾り。装飾されている五つの石が何であるかは、すぐに分かった。
赤、白、黒、金、そして透き通った無色。
彼女たちはこの二年間でこういう結論に至り、距離を置くことを決めたのだろう。
赤の悩みは、俺もよく知っていた。どちらに転んでも認められない結末となっていた彼女の痛みを、死を望んだ俺は度外視した。
白はシトリーとは違う意味で、俺に依存していた。己に傷を付けることはしなかったまでも、心を閉ざすのは必然だった。
黒は絶対的に、俺を魔王として見ていた。そうであるからこそ狂信していた彼女は、そうでない俺など俺ではないと判断したのだろう。
金は――いつ終わるとも知れない退屈に嫌気が刺したか。確かに、今後は彼女の求めるものは何も提供出来なさそうだが。
無色は……分からない。俺が再び魔王とした立つ時を待っているのか、それとも新しい道を見極めんとしているのか――。
五人の真意を聞くことは出来ない。
俺の意思を告げて、いつか出てきてくれるのを待つしかない。
五人を結んだ首飾りを着け、また俺はこの場にいる七人に向き直る。
「――すまなかった。お前たちを幽閉し、死を望み、討たれたこと。二年もの間、お前たちに音沙汰一つ寄越さなかったこと。そして――」
落ち着いているつもりだったが、存外緊張していたらしい。
一つ一つをゆっくりと述べるつもりだった謝罪は、矢継ぎ早に出てきた。
それぞれに対する、彼女たちの反応を見る余裕もなく、俺は続け――
「俺はもう、魔王となるつもりはない。一人の冒険者として、四百年の」
「それを再臨されたその日に仰ってください!」
そして最後まで言い終える前に、チェルシーの言葉に気を乗せるというよく分からない絶技によって、もう一度俺は城壁まで吹っ飛んだ。




