ボクは別に、部屋もベッドも一つでいいんだけど
ミナギ・オビィ・マギノィは天才である。
そして、ミナギ・オビィ・マギノィは探究家である。
智慧の深淵を求め、極みのその先を見出そうとする、それゆえの魔法使いであり、次代の賢者と目される存在。
魔王を討った英雄シエラの最初の仲間。
その才を、その智慧を誰とも共有できず、孤独でいた彼女に初めてできた友人こそが、シエラであった。
彼女の心に触れることを可能にしたきっかけなど、俺は知った話ではない。
それはシエラかミナギ自身が話そうとしない限り、その他の誰も知る由もないだろう。
しかしながら部外者である俺でも分かることは、ミナギはシエラを何よりも大切に思っているということだ。
ゆえに、シエラを傷つけた俺という存在を許せないのだろう。
その怒りは当然のものだし、彼女が持てる最大の苦痛を与える手段でもって俺を殺し直そうとするのも理解できる。
「大層なご身分ね、魔王様。シエラに説明をまかせておいて、自分はどこからか女を連れ込んできてイチャついているってワケ」
連れ込んだというか出てきたというか。
セラは機械の腕の片方で俺の肩に捕まると、よいしょと収納空間から出てくる。
「貴女は?」
「ある程度シエラから話を聞いた? なら、ボクの話も出てると思うけど」
「……ああ、なら貴女が全部の元凶ってことね」
「その言われ方は好きじゃないかな。副官のマキナだよ、よろしく、現代の魔法使いさん」
あくまで友好的に、セラはミナギに接しようとする。
対してミナギはセラにも警戒を隠さない。
杖を構えるミナギを気にも掛けず、セラは俺の手を取って部屋の奥へと進んでいく。
……セラは無防備過ぎやしないだろうか。
俺とて不意打ちで魔法を打たれれば確実に守り切れる保障はないのだが。
「貴女とよろしくする筋合いはないんだけど」
「まあまあ、そう言わないでよ。今後はキミとも仲良くしていこうと思ってるんだから」
「お断りよ。誰が魔王の配下となんて……」
――ああ、セラは碌でもないことを考えている。
先程シエラに言ったように、今後は色々とミナギにも世話になろうとしているのだろう。
しかし、彼女は心を開いてはいない。
ゆえにセラが取る手段は懐柔、もしくは買収。
セラは自身の収納空間を開き、そこに機械の腕を伸ばす。
「何? 物で釣ろうっての? 魔族らしい狡猾さね。生憎だけど――」
「はい。これ、お近づきの印ね」
――魔法使いの名誉のために言っておくと、恐らく彼女は大抵の宝には目もくれなかっただろう。
以後三代が一生遊んで暮らせるほどの財産を渡したところで、逆上を呼ぶだけだったと思う。
しかしながら――ミナギは天才であり、探究家である。
セラはそれを知っており、数少ない正解を当てて見せた。
それを取り出し、テーブルに置いた瞬間、ミナギは大きく目を見開いた。
価値を知らない者であれば、ただの本にしか見えないだろう。
この手のものにありがちな豪奢な装丁などはなく、表紙には著者による簡素なサインだけ。
「……これ……なんで、こんなものを貴女たちが?」
「奪ったりしたものじゃあないよ。正真正銘、本人から貰った一点物。受け取ってよ、今回は特に代価とか取らないからさ」
「…………いえ、偽物に決まってるわ。マギノィの歴史を知らないの? 始祖ホメロスはそこの魔王より遥かに昔の人間よ」
セラが取り出したものは、魔法都市マギノィの人間たちには特別に崇拝されている、唯一の賢者と呼ばれた天才が自ら書いた魔導書。
賢者は俺が生まれた二百年は昔の生まれだという。
常識で言えば、俺たちと彼女が知り合いであるなどと信じられる訳がない。
「まあ、それはそうだけど。ボクやいーく――ボクたちの魔王が四百年も生きたんだ。それより前から長寿の法を見出していてもおかしくないでしょ?」
「それは……一理あるけど……けど、それがどうして貴女たちに本なんて渡すのよ」
「ちょっとした繋がりがあってね。何なら、ホメロスと話す機会も提供できると思うけど……まあ、その話は今度でもいいか」
はじめは長寿を得た同士として、向こうが関わってきたのだったか。ちなみにちょっとした繋がりだとかいうレベルではない。
彼女の長寿は、魔法が持つ性質を悪用するための手段でしかなかったのだが――それを伝えればミナギもそれを実践しかねない。
セラはミナギに本を押し付けると、コロネに目を向ける。
「魔法使いさんにはまだ認めてもらえていないみたいだけど、そっちの盗賊さんはどう?」
「元・盗賊なんだけどね。今はこの商会の代表をしているわ。初めまして、コロネ・サンサーラよ」
まだ本に強い疑いを持っている様子のミナギとは違い、コロネは少なくとも表向きは友好的だった。
「キミはどう? ボクも明日からは、いー……彼のお手伝いをしようと考えてるんだけど」
「別にあたしは止めはしないわ。魔王、今は不夜城さんね、彼はこれまでも貢献してくれてたし、もっと成果を期待していいのよね?」
「勿論。全力で……彼をサポートさせてもらうよ」
「それなら、あたしからは何も。複雑に思うところはあれど、シエラが良いっていうならね。それから、別に呼び方は意識しなくて良いと思うわよ。幼馴染なんでしょ?」
「本当? ならいつも通りでいいかな。ね、いーくん」
「……」
そういえば、この呼称、あまり人前で呼ばれるべきではないものなのではないだろうか、と今更思う。
先程シエラにも揶揄われていたし。見ればコロネもミナギも非常に微妙な表情をしていた。
「……まあ、魔王が思ったよりアレだったってのは、本に書くのはやめておこうかしら」
うん、是非そうしてほしい。それだけで英雄シエラの伝記が喜劇に変わってしまう。
「ミナギ、暫く様子を見るというのは駄目ですか? 今度は何も企んでいないと分かるまで」
「…………ひとまず今日は見逃してあげるわ。ただで自由を与えるつもりはないから。何か、動きを制限する類の拘束は用意させてもらうわよ」
「ちょっと、それは……」
『構わない。俺なりの誠意だ。魔法なり呪いなり、なんでも用意してくれ』
「いーくん……」
特定の行動を制限するような仕組みの知れない拘束なら慣れている。
今でこそその効果は残っていないが、十や二十の息苦しさなら百年単位で受けていた。
「それなら、今日は帰ってもらっても構わないわ。報告はシエラから聞いておくから。魔導翼は外に置いといてちょうだい」
『了解した。それでは、今日は失礼させてもらう』
コロネから許可が出る。願ってもない、という訳でもないが、セラと彼女たちの板挟みになるのはなんというか、精神的に負担が大きい。
魔導翼? と首を傾げているセラを連れ、部屋を出る。
――多分、これは正しい選択だったのだと思う。そうでなければ、今日が俺の精神の命日になっていただろうから。
「まったくもう! 失礼だよ! 何が魔導翼だ! いーくんもいーくんだからね! アレにはちゃんとした名前があるって、なんで教えてあげなかったのさ!」
「それを伝えるのも不自然だと思ったんだ。あと、静かに。もう皆寝ている時間だから」
商会を出て暫く、セラは地団駄を踏まんばかりに怒りを示していた。
というのも、返却したエンデマキナについてだ。
それが魔導翼という名前で移動手段として使われていることに、大層お怒りであるらしい。
「ところで、あれ、量産してたんだな」
「……別に、二つしか作ってないよ。黒いのはいーくん専用で、白はボクかシトリーのにしようと思ってたんだけど、結局いーくんが使うことがなかったから、制限も掛けてなかったんだ」
「……それは、なんか、ごめん」
「……ううん。今日、使ったんでしょ? どうだった?」
「快適で、使いやすかったと思う」
「……ふふん、そっか」
風を切り空を駆けるというのは、人型を持つ以上簡単ではない。
新鮮な感覚ではあったし、アレは使っていて楽しいと感じた。
「まあ、それも含めて明日話せばいいよね。ところでいーくん、今どこに住んでるの?」
「宿に部屋を借りてる。……そっか。部屋も新しく取らないと」
「……ボクは別に、部屋もベッドも一つでいいんだけど」
「……せめて同室ってだけで勘弁してくれ」
「むぅ……」
これまでは一人用で時折休む程度の部屋があれば十分だったのだが、もう、そうはいかないだろう。
俺としては別室が好ましいのだが――どちらも断れば大変厄介なことになる。
……今の時間から部屋の変更など叶うだろうか。
まあ、数日寝ないことは半ば当たり前にはなっているし、今の部屋でも最悪セラを寝かせ、俺は起きていれば――などと、悠長なことを考えていた。
その日俺の二年間の日常は終わりを告げるのだと、一秒前まで俺は気付いていなかった。
――体内で弾けた、閃光の如く、一瞬の衝撃。
その痛みと、それが何が原因で発生したものかというものを理解してしまった絶望から、思わず膝をつく。
「い、いーくん!? どうしたの!? あの魔法使いに何かされた!?」
「…………いや、そうじゃなくて……そうじゃないんだけど……」
想像して然るべきだったのかもしれない。
セラが出てきた時点で、俺はここまで考え警戒していなければならなかった。
いくら、もう構わないのではないかと思っていたとはいえ、それでも縛めを解くのは俺であるべきだったのだ。
「……セラ。一回、城に戻っていいかな?」
「へ? 別に良いけど……どうしたの?」
「……封印、解けた」
「封印って――ひゃあ!?」
説明している時間も惜しい。こいつ同様、放っておいたら何を仕出かすか分からない。
セラを抱き上げ、城に向けて走る。
城は俺の死以来、調査の時以外は封鎖されており、あまりにも多くの悪い噂があることから警備すら付いていない幽霊屋敷状態となっている。
ゆえに入るのは簡単だし、出るのも簡単だ。
「い、いーくんっ、ちょっと……!」
「悪い、城まで我慢してくれ」
「いや、我慢とかじゃなくて……!」
本当は、行きたくはない。
だが、今夜放っておいて後々バラバラになった彼女たちを対応するのは、もっと危険なのだ。
人気のない城の前。
リトルサンライトにおいて、昼間でも夜でも人通りの変わらない、数少ない場所。
門はシエラに破壊されて以来、復旧されておらず、魔法すら掛かっていない鎖で封鎖されているだけの入口。
その鎖を飛び越え、城内へと入る。
聞こえてくる騒めきに鳥肌が立つのを自覚しつつも進み――彼女たちの姿を見つけると同時、足を止める。
「……ぁ」
集まっていた者たちの視線が、一斉に此方に向けられる。
一割の懐かしさ、そして九割の恐怖を感じながらも、セラを下ろす。
「……あぅ」
脱力した様子でへたり込むセラを気にしている場合ではなかった。
一度の深呼吸。そして覚悟を決めた後、俺は兜を外し鎧と一体化させる。
当たり前のように素顔を晒すことに、これほど緊張しなければならないとは。
そうして、言葉を選ぼうとした矢先――
「――――王!」
「陛下!」
「我が王っ!」
突っ込んでくる自称配下たちに城の外まで吹っ飛ばされないよう、自身の身体強化に全力を投じることになった。




