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苦戦

 旭は額の汗を拭うと、空を見上げた。

 春の温かい日差しだけが、汗をかかせているわけではなかった。

 すでに50球以上彼女は投げ続けているのだ。

 10打席で1打席だけ打ち取れば良いだけなのだが、すでに5打席連続でヒットを打たれている。

 旭は一度プレートを足で踏み、目線を18.44メートル先の鈴へ戻したがまた足を外し再び汗を拭う。


 校庭に白線を引いたグランドの周囲には、多くの生徒がやじ馬に来ていた。

 その中に紅音と蒼衣もいた。

「本当になぶり殺しだな」

 紅音が厳しい表情で呟く。

「ストレートは110kmは出ているし変化球も悪くない。でも全く通用していない」

 蒼衣が現状を冷静に分析する。


 この勝負は投手が旭、捕手は鈴。打席に神谷が入り守備に野手はつかない。

 ヒットかアウトかは互いの紳士協定による判定頼みなのだが、今のところその判断に困ることがない状態だ。


 ここまでの5打席、神谷は旭をあざ笑うかのようにヒットを放っていた。

 淡々と打ち続けているならまだいい。ボール球には手を出さず、ストライクもフェアゾーンをギリギリ外れるようにコースを狙ってファールを打ち続けた挙句にクリーンヒットを放つのだ。

 立会人であり、審判も務める奏はこの勝負を受けさせたと事を改めて後悔していた。

 もう打ち損じに期待するしかないのだが、それすらも厳しいだろうと思っていた。

 神谷は三十歳で華奢な体形でおよそ体育会系とは思えない。昔の怪我が原因で右足が少し悪いと聞いている。

 実際、足を引きずるような仕草を見たこともある。

 彼のスイング自体デタラメなものだ。イメージとは違い、大きく振り回すスイングで一球ごとに始動タイミングも違い安定しているようには見えない。

 まさしく素人のスイングなのだ。実際、大振りの割には飛距離はまったくなく長打を打たれる気ははしないが、きれいに内野手の頭を抜けてワンバウンドで外野手へ届くようなお手本のようなヒットを打たれ続けているのだ。

 

 旭がようやくプレートに足を戻そうとした際に、奏は両手をY字に挙げてタイムを申告する。

「おいおい、主審がタイム取るのかよ。まぁいいや十分後再開な」

 神谷はそういうと校舎の方へ歩いて行った。


「旭ちゃん、奏会長、すいません。私タイムとる事に気が回ってなくて・・・・・・」

 三人が集まった校庭横の木陰で鈴が旭と奏に謝る。

「まぁしょうがないわよ。急造バッテリーだもの」

 奏が優しくいたわるように言う。


 実際、旭の本職は二塁手、鈴は遊撃手だ。旭は中学時代マウンドに立つことはあったがそう多くはない。


「奏先輩。私のピッチング何か変えれそうなところありませんか」

 旭が必死の形相で奏に尋ねるが、奏は首を横に振ってこたえる。

「残念だけど、いいピッチングをしているわ」

「旭ちゃんはさっきの打席は一球一球ボールのリリースタイミングも変えているのにフォームは安定しています。また直球と変化球で少なくても横から見ている私にわかるような癖はないです」

 タイムがかかった瞬間に慌ててスポーツドリンクを買いに走った夏樹がちょうど戻ってきて三人に渡しながら言う。

「そっか・・・・・・」

 旭は肩を落としかけたが、ぐっと無理やり気合を入れて持ち直す。

「鈴。次の打席からもっと内角使っていこう。私、負けないよ」


「まぁ落ち着け、旭」

 木陰にやってきた紅音が話しかける。

「ありゃあ、バッティングセンターかなんか知らんが相当打ち馴れしている。コースを広く使うのは良いがお前の球速じゃ通用しないな。なんとか虚を突くしかないな。カーブとスライダー以外に変化球投げれないのか?」

「正直、神谷は下手だが上手い部類だ。旭はピッチングがきれいで丁寧すぎる。タイミングを外そうとしているんだろうけど分かりやすすぎる」

 蒼衣が紅音に続けて言う。

「紅音先輩、蒼衣先輩!」

 試合を見てくれていたのは気づいていたが、入学以来話す機会がなかった二人が来てくれたことに旭は喜ぶ。


「まぁそのなんだ。色々と迷惑かけたあたしらが、旭に偉そうに言うのも何なんだが」

 紅音が照れ臭そうに髪の毛をいじりながら言う。

「あたしらっていうけど九割がたって言うかほぼ全部、紅音が悪い」

 蒼衣が率直にツッコミを入れる。


「なにか妙案はありませんか?」

 旭は二人の先輩に尋ねる。

「上手くいくかわからないが、リリースポイント変えるだけでなくてフォームもスリークォーター気味にするとか思い切ったことをするしかないかもな」

 紅音が存外、まともなアドバイスを送る。

「140kmのストレートを投げる」

 それに被せて蒼衣が無茶なアドバイスを送る。

「だったら抑えられますね。でも私、有咲先輩じゃないですから・・・・・・」

 気丈にふるまっていた旭だが、思わず下を向いてしまう。

 それを見た奏が鬼の形相で二人を睨み見つける。

「去れ!」強い目力で二人に伝える。 


「バカ、蒼衣。すまん旭。ピッチング自体は悪くないぞ。頑張れ」

 紅音は蒼衣を引きづるように去っていったが、すぐ戻ってきた。


「そうだ、一つ言い忘れていた。旭、お前のおかげで不動の霧島がついに動いたぞ、サンキューな」

 一本の校庭の木を指さすと再び去っていった。


 霧島竜子。超女子高校級投手と言われた朝倉有咲とバッテリーを組んでいた三年生だ。

 入学早々に有咲を失った竜子は抜け殻のような高校生活を送っていた。

 同級生の奏や翌年、入学してきた紅音と蒼衣がどう説得してもふさぎ込んでいた竜子がこの試合を見に来ていたのだ。


 紅音の指さした木の陰に旭と奏は大柄な竜子を見付けた。

 旭と奏と視線を合わせてしまった竜子はそそくさと木の陰に隠れてしまうのだった。


「あいつ、ここまで来たんならキャッチャーくらいやってやれよ」その隣で厳しい表情で奏は思うのだった。


「竜子先輩・・・・・・」

 旭は竜子の隠れてしまった木を見つめ続けると言った

「やった。正捕手ゲットだよ!鈴ちゃん、夏樹ちゃん。新チーム期待していいからね」

 空元気か本音かわからないが目いっぱいの笑顔を二人に向ける。

 厳しい戦況と憧れの優しい奏生徒会長の予想もしなかった厳しい表情に委縮していた二人も無理に目いっぱいの笑顔で応えた。


 校舎から、神谷がゆっくりとバットを片手に校庭に戻ってくる。

 勝負の第二ラウンドが始まるのだ。

 

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