転機
迎えた8打席目、まず初球を外一杯に旭はストレートを投げ込んだ。
その球を神谷は大きな円を描くアッパースイングで一塁線ギリギリのファールを打つ。
「上手に打つなぁ」と思いつつ、旭は鈴からの返球を受ける。
旭は6打席目から布石を打っていた。一球、一球の投げる間を長くとっていたのだ。
ささやかでも罠にかけるしかない、そう思っていた。
もうどこに投げればいいのか迷う態で鈴の形ばかりのリードに首を振ったりもした。
70球以上投げ、自分のピッチングに上がり目はないのは分かっていた。
なので、この打席でその罠にかけようと思った。
神谷のバッティングの傾向で、分かったことがある。
基本、どんなボールでもストライクは大振りなスイングながら的確に打ちに来る。
決して空振りはしない。
ストレートでもカーブでもスライダーでも、10球投げさせるまではいやらしく一塁線、三塁線ギリギリのファールを打って、ニタリと笑みを浮かべるのだ。
ただ一つ、2ストライク取られるまでの外の低めのカーブだけはストライクゾーンだろうがバットを振らないのだ。
打ちに行くのが面倒なだけなのか、なにか理由があるのかは分からないが。
その隙を旭は突こうと思ったのだった。
二球目を外のストライクゾーンにカーブを投げ込む。
神谷はそれをいつも通り見送った。
その球を受けるやいなや、鈴はいつもより早く返球した。
正確な返球を旭は受け取るとすぐに旭は投球した。
いつもは振りかぶってのピッチングだが、ここは違った。
これは内野手の送球だ。
内角の低めを狙った手投げではあるが、目いっぱいの速球だ。
神谷のスイングの始動がさすがに遅れた。
差し込んでの凡打、それが旭の狙いだ。
が、神谷の放った鋭い打球が三遊間を抜けていくのだった。
「ああっ、打たれた・・・・・・。私があの時、有咲を助けられていればこんな事には」
木に隠れるようにしながら、グランドを見ている竜子はそう言うとうなだれた。
「いやいや、姉貴が死んだのは竜子先輩関係ないじゃないですか」
「ヒッ」
いきなり背後から声をかけられて竜子はビクッと身をよじる。
「さ、桜か。久しぶりだね」
朝倉桜。
雪城女子高校野球部のエースになる予定だった朝倉有咲の妹だ。
短く切ったシャギーの髪をした精悍な顔立ちの少女だ。
「何してんすか、先輩。そんな所でこそこそ見てないでもっと前で見たらどうです」
桜は竜子にきつめに言葉をかける。
「いやいや、私なんかが視界に入ったら迷惑だろう。ここでいいよ」
おどおどと竜子が答える。
「はぁっ・・・・・・」
桜は嘆息する。
「鬼竜と言われていた先輩が何を情けないことを。大体、先輩隠れてるつもりでしょうけど全然そのでかいガタイ隠れてませんから」
実際、180cmの長身で肩幅の広い竜子が隠れている木は結構、細い。
なぜこれで隠れられると思っているのか桜は不思議でならない。
「なぁ、桜。代わりに投げてやってよ。お前なら仕留められるだろ」
「どうでしょうね。だいたい私、野球辞めましたからね。部外者が投げるわけにもいかないっすよ」
「もう無理なのわかっているだろ」
「そりゃあ、まぁ。ただもう私は見届けるしかできませんから」
「旭、あきらめが悪いなぁ」
桜がつぶやく。
「姉貴が死んだ段階で甲子園なんてもう無理なんだから、あきらめればいいのに」
「そうだよな。なんでわざわざ有咲のいない雪城に来たんだろうなぁ」
竜子が遠い目をして言葉を返す。
「そりゃあんたがいるからだろ」
桜がマウンドを見つめたまま、竜子を見ることもなく告げる。
「え・・・・・・。そんなわけないだろ。私なんか体がでかいだけのでくの坊だ」
竜子が自嘲気味に答えつつ、その場にしゃがみ込む。
「過小評価はやめていただけませんかね。キャプテン。旭もですけど紅音先輩も蒼衣先輩もあなたがいるから雪城に来たんですよ」
桜が竜子の横にどっかりと座り込み話を続ける。
「女子だけのリトルチーム、武蔵野エンジェルス。皆、姉貴のピッチングには当然驚くんですけど、それ以前にあんたにデカさに驚くんすよ。女子小学生とは思えない長身でガンガンホームラン打ちまくるあんたがいるから皆、男子相手でも勝てるって思えたんですよ」
「そこんとこわかってます?」という表情で桜は竜子をのぞき込む。
「すぐ人のせいにするのは私の悪い癖なんですけど、私が野球辞めたのは投手としての姉貴との差を痛感しただけじゃないんです。竜子先輩が野球辞めたって聞いてもう女子だけで甲子園行くことなんか絶対無理だとそこで心折れちゃったんですよ」
桜が恥ずかしそうに膝を抱え込み、顔を伏せる。
「先輩に情けないって言いましたけど、それは私も同じなんです。旭は何もあきらめてないって言うのに・・・・・・・。旭はバカなだけなんですけど凄いですよね」
桜は顔を上げ、そしてスッと立ち上がる。
「先輩、私は情けない奴ですけど実はあきらめ切れてはいなかったんです。だから雪城に来たんです。中学で野球辞めてからも色々試していたことがあります。一度、そこでボール受けてくれませんか。姉貴に比べれば2枚も3枚も落ちますけどね」
「まぁボール受けるくらいなら構わないが・・・・・・」
その回答に、桜は笑顔で座り込んだままの竜子に手を差し強く握りしめる。
「話は決まりですね。ではあの素人どもからバッテリーの座を奪いに行きましょう」
困惑する竜子を引きづるように、桜はマウンドに向かうのだった。




