3話 ミミール・カルムは溜息が尽きない
◇◇◇
「はぁ……」
三つ星才能《怪力》をフルに使い、鞭のようにしなる木々をかわし、絡んでくる蔓を引きちぎり、捕捉されないように森の中をジグザグに駆け回る甲冑姿の男、ミミール・カルムは何十回目かの溜息をついていた。
もはや癖となった溜息は、部下や妻から辛気臭いのでやめるように言われているのだが、彼の気苦労は絶えず、溜息の百や二百、つきたくもなる。気苦労から解放されればその悪癖も治るのだろうが、それはいったいいつになるのであろうか……そう思うだけでミミール・カルムはため息をつく。
今回の任務も出だしからして気が重いものだった。
彼の母国であるファルジュロン共和国は、鍛冶と魔導の発達した『魔工大国』として抜きんでており、その魔導力により偶然にもダンジョンコアの発生を予測できたのはたしかに喜ばしいことだ。
ダンジョンコアを自国に取り込み、例えば“宝将”などをダンジョンガーディアンにしてもらえば、ガーディアン進化によるパワーアップによって防衛力は爆発的に高まるし、要所をダンジョン化してもらえればまさしく難攻不落の国となる。
特にファルジュロン共和国は、西に隣接するセントラル大森林の自然至上主義マージエルフと、東に隣接する人類至上主義のジルスト帝国と敵対しており、毎年の小競り合いで少なくない被害をこうむっているのだから、南に隣接する農業大国『ラキ王国』がダンジョンコアを自陣営に取り込み、触れるべからずとして周辺国から恐れられることが心の底から羨ましかった。
加えてミミール・カルムは魔導の発展によって国を豊かにするべきという『推進派』であり、軍備に金を使うくらいなら魔導の研究に充てて、その副産物である“神器”や魔工兵器を軍部に回せばいいと考えている。わざわざ神器だけを目的に研究人材を割こうとしたり、武功を求めて何かにつけて戦おうとしたりする『武闘派』の考えは好きになれず、マージエルフやジルスト帝国がファルジュロン共和国に攻撃をしかけてくる行為にも理解が及ばない。どうして自国の発展を優先させないのかと理解に苦しむ。ダンジョンコアが自国にあれば軍事のわずらわしさから解放されるのにと、いったい何度想像したか覚えていない。
だからこそ、ダンジョンコア発生の予測が天啓のように感じられたミミール・カルムであったが、そこからが気苦労の連続だった。
もともとミミール・カルムはダンジョンコアとの交渉に行く気はなかった。
生まれたてとはいえ仮にも四つ星。半端な戦力を送るわけにもいかず、神器所有者である“宝将”が駆り出されるのは容易に予想できた。
しかし、行きたがる者は少なく、ミミール・カルムも例外ではなかった。なにせ、交渉の難しさが途方もない。そもそも交渉するにはダンジョンに侵入するしかないのだが、ダンジョンコアの発生に間に合わなければ外敵として迎撃されるし、発生に間に合ってもダンジョンに侵入しているのだから警戒されまくるだろう。どちらにしても、戦闘はほぼ避けられないと思われた。そんな状況でどうして交渉がうまくいくだろうか。
もともと戦いを好まないのに、三つ星才能を持つ爵位だからということで宝将に仕立てられ、抜きんでた戦闘センスを持っていたがために推進派の宝将代表格に祭り上げられてしまったミミール・カルム。内心では議員職に専念したいと考えている彼が、宝将として戦う可能性の高いダンジョンコアとの交渉役に自分から立候補するはずがない。
それなのにどうして現状に至っているのかといえば、繊細で細やかな気配りや計算が求められる交渉役にさも当然のように武闘派の宝将が名乗りをあげたからであり、先走って戦いを挑まないようにかじ取りできる人物としてミミール・カルムに白羽の矢が立てられ、自分以外に適任者がいないものだから渋々その重役を引き受けざるをえなかったのがそもそもの始まり。
「はぁ……」
しかしこれはまだ序の口だ。
普通、交渉のときは事前に相手の趣味嗜好や逆鱗などを把握しておくべきだが、これから発生するダンジョンコアの個人情報なんてわかるわけないし、そもそもダンジョンコアの種族的な情報でさえその外見とおおよその能力くらいしか伝わっておらず、それ以外の生態なんかはラキ王国が秘匿しているし、ラキ王国の失敗談として有名な一つの教訓、ダンジョンコアを不当に扱えばどのような連絡網によってか他のダンジョンコアが五つ星のダンジョンガーディアンを率いて報復に来るという悪夢のような実話はこの際なんのありがたみもない情報だ。しかもダンジョンコアを討伐するぶんには報復に来ないらしく、まったく意味がわからない。
そのため交渉に使える情報は何もなく、現地で情報収集を行いながら、臨機応変に利を提示して自国に引き込まなければならないのだから、どうして我輩がこんな難しい任務をこなさなければならないのだろうとミミール・カルムは溜息が止まらない。
しかも失敗すればその責任が問われるし、成功すればもちろん万々歳だが、一番の旨みであるダンジョンガーディアンの地位は、戦いから遠ざかりたい彼からすればなんの魅力も感じず、ますますなぜ我輩がこのようなことをという思いが捨てきれない。
「はぁ……」
しかも、なぜこうなった、とミミール・カルムは内心で特大の溜息をつき、無意識に現実でも溜息をつく。
ダンジョンコア発生予測地点の最寄り町までは順調にやって来れた。
しかし、そこにはなぜかジルスト帝国の最高戦力であり、四つ星才能所有者の人間のみで構成された精鋭部隊である“五騎英雄”の一人、傲岸不遜の危険人物として警戒されている“使者使い”のゲトリがいた。
普通に不法侵入であるし、というか他国の最高戦力が無断で入り込んできているのは宣戦布告以外の何物でもない。
だいいちゲトリの性格上、ここまで騒ぎを起こさずに隠密行動ができているのが不思議でならなかったが、ミミール・カルムはすぐに察した、奴もダンジョンコアが狙いであり、そのために我慢したのだろうと。
無論、ゲトリ側もミミール・カルムたちの思惑を察し、潜在的にも顕在的にも敵であると両者が認識した途端、そこで宝将と五騎英雄の戦いが勃発するのは必然である。
これだけで彼の溜息メーターは何回目かの限界突破を迎えた。不運まみれの回想に彼は人知れず溜息をつく。
「はぁ……」
それだけならまだマシだった。
ミミール・カルムには武闘派の宝将が一人同行していたので、ニ対一という数の有利で最初は優位に戦いを進められた。
しかし途中からセントラル大森林から出てこないはずのマージエルフが、しかも筆頭戦力である森巫女が、ファルジュロン共和国の領内であるその町の近くでいきなり参戦してきたのだ。
不運にもそこには森があり、ほぼ無尽蔵の森一つを操る森巫女を相手に、ミミール・カルムたち宝将二人とゲトリは共闘を余儀なくされ、持久戦では負けることを理解していたミミール・カルムは、武闘派の宝将とタイミングを合わせて神器の切り札たる『宝珠』を解放し、森に大損害を与えて森巫女との一時的な休戦へとこぎつけた。
マージエルフの目的はもともとミミール・カルムたちとの戦闘ではなく、それはどちらかといえばオマケのようなもの。もともとの目的は、成長すればするほど森を侵食するダンジョンの元凶を排除するためであり、ミミール・カルムたちを攻撃したのはダンジョンコアを生かそうとしているように思えたからだ。
そこへうまいことミミール・カルムは、ダンジョンコア本人の思想と相容れなければ自分たちもダンジョンコアの排除に手を貸すことを伝え、逆にこのまま戦いを続けるのならこの周辺の森は蒸発するか凍りつくか切り刻まれて消失するという脅しも交え、一時休戦へと誘導したのだ。ミミール・カルムは認めたがらないだろうが、こういうところが交渉役に駆り出される一因なのであろう。
そうしてなぜか敵対勢力の三人が一緒に仲良くダンジョンに潜り、ダンジョンコアの発生に立ち会ったのだ。
そして……。
「はぁ……」
結局ここからどうすればいいのだろうかと、ミミール・カルムは襲い来る森の一部を退けながら絶望のあまりに溜息をつく。
ダンジョンコアのファロエルに言われた通り、三人で戦ってはいる。
一応人数を守るために、武闘派のもう一人の宝将は遠くに避難させ、最悪の場合――ミミール・カルム死亡時にはことの一部始終を議会に報告させるため見届けさせているが……戦いの勝者など初めからわかりきっている。ダンジョン周辺が森だったのが運の尽き。森巫女ルゥラの独擅場だ。
都市を丸々飲み込める大規模なドーム状に編まれた籠の檻に閉じ込められているなか、頭上ではゲトリの四つ星才能《神の使者の指揮者》によって召喚された天使もどき十ニ体が飛び交い、地表では五体が森を切り開きながら駆け回り、ドームの中心にそびえたつ三体の巨人《小森竜》へと攻撃を加えている。
天使もどきの一体一体は、森という物量に対抗するため質より量を重視され、四つ星才能で作り出された個体でありながら三つ星上位の力しか持たないが、それでもミミール・カルムの三つ星才能《怪力》をわずかに上回る。それが計十七体もいるのだから、神器がなければミミール・カルムなど足元にも及ばない大戦力だ。
しかし、そこを森巫女ルゥラは物量と質量で対応してみせる。
絶え間ない森の妨害。木々が鞭のように振るわれ、鋭い枝が槍のように突き出され、殺傷力はせいぜい二つ星相当しかなくとも、当たれば物理法則によって体勢を崩されるため対処せざるをえない。そして三体の巨人《小森竜》は城に匹敵する体高を誇り、鈍重な見た目に反して木のしなりを利用した両腕の振り回しは、幹が何十本と束ねられた太さでありながら音速に迫り、空気をとどろかせては地面を陥没させる。重くて速い純粋な物理の一撃はいかに三つ星上位の力を有するとはいっても直撃すればひとたまりもなく、既に九体の天使もどきが消滅させられていた。
これに対して、三体の巨人《小森竜》も天使もどきの振るう片手剣によってその身を削られているのだが、すぐにその体の木々が急生長して補充されてしまう。一度だけ一体に集中攻撃して倒せたこともあったのだが、一体に集中している隙に新しく巨人が作られていたため、あまり意味はなかった。
そもそもそれらを倒しきったところで、ドームの外では森巫女ルゥラが中から操る移動要塞、それも《小森竜》よりさらに一回り大きな城越えの巨人《森竜》が控えているのだから、その劣化版を倒しつくせない現状においてどちらが優勢かなど論じるまでもないだろう。
いや、正確には、ミミール・カルムの宝珠による一撃なら通るのだ。
彼の所持する神器《存在消去》はあらゆるものを蒸発させる破滅の力。その最大出力で繰り出される切り札、宝珠《極光》は、直線状のものをすべて貫通して蒸発させる最強のレーザーだ。
これならばドーム状の籠の檻の突破はいうまでもなく、《小森竜》はもとより、ルゥラが隠れ潜んでいる《森竜》をも貫通して彼女を攻撃できる。
「はぁ……」
だが、ミミール・カルムはそれを選べない。
宝珠はあと一個、すなわち一発分しかなく、ドームの籠の檻と巨人《森竜》の二重の目隠しによってルゥラに攻撃が命中するかもわからない。
さらには、宝珠《極光》をルゥラに直撃させれば、それすなわち彼女の蒸発を意味する。もちろんミミール・カルムとて必要に駆られれば人を殺す。彼は穏和を好むが、ファルジュロン共和国の議員であり、領地持ちの伯爵であり、最高戦力の宝将でもある。そのくらいの覚悟はとうにできているし、敵兵を殺した経験もある。
しかし、今回の森巫女の蒸発はどうしても承知できない。
彼女を殺めれば、マージエルフが全面戦争を吹っ掛けてきそうな予感があった。ただの森巫女を害するのであればそれは心配のしすぎなのだが、ルゥラの身につける衣服の刺繍が、これまでの森巫女に見たことがないほど華美なものだったので、ミミール・カルムは言い知れぬ不安を感じていた。
事実、ミミール・カルムの勘は当たっている。
森巫女ルゥラは、自然との同調率が最も高い森巫女が代々受け継ぐ今代の“里長”でもあったのだ。
四つ星のダンジョンコアを確実に排除するため、そして今回のダンジョンコアに不穏な気配を感じたため、万全を期して里長みずからが出張ってきていた。
もし彼女を失えば、自然の寵児を殺されたマージエルフたちは必ず報復に来る。
ミミール・カルムからすればはた迷惑な話であった。
「はぁ……」
それを抜きにしても、宝珠という切り札を使ってしまえばミミール・カルムにゲトリを撃退する力は残らない。最終的にゲトリが勝者となっては困る。
もう一人の宝将を呼び戻してゲトリと戦わせてもいいが、それで勝てるかは不明だ。いくらもう一人の宝将が宝珠という切り札をまだ一つ残しているとはいえ、それでも四つ星の才能は厄介極まりない。質を高めた天使もどきがどれほどの性能を誇るのかミミール・カルムは知らないし、その情報不足が戦場における生死を左右することを理解している。
最悪、負けてそのまま宝将二人が殺されるかもしれない。そこまでのリスクは背負えないとミミール・カルムは彼らしい慎重さで結論づける。
「はぁ……」
もういっそのこと、ルゥラと協力してゲトリとダンジョンコアを討つのがいいのだろうかと、ミミール・カルムは自問する。
反則的な能力のルゥラをうまく撃退できない以上、ダンジョンコアは諦めるしかない。そしてダンジョンコアは害悪となる前に討伐するしかないのだ。
「……はぁ」
苦虫を噛み潰したような気分になる。
ゲトリが討たれるのは彼のこれまでの罪からいって因果応報というものだが、あのダンジョンコアは少年の姿をして、友達を欲するという純真さを持っていた。
そのような罪のない者を討伐しなければならないことに、ミミール・カルムは気が乗らない。彼は話し合いで決着がつけばそれが一番だと思っている。
しかしダンジョンコアというものは放っておけばダンジョンを成長させ、人類の敵である魔物や魔族の住処を作ってしまうのだから、たとえファロエルにダンジョンを成長させる気が一切ないのだとしても、それを知る術がないミミール・カルムにとってはダンジョンコアの早期討伐が現状におけるマシな選択肢だと思われた。
まあ、ミミール・カルムが討伐に手を貸さなくてもルゥラが勝手にやるだろう。
宝将側としては、あとをルゥラに任せて今すぐ撤退するという手もなくはない。
だがそれは無責任だろう。この国の議員として、伯爵として、宝将として、この国に発生したダンジョンコアはこの手で始末をつけなければならない、という真っ当な責任感がミミール・カルムにはあった。
「……はぁ」
そういうわけで、任務は失敗だ。
ルゥラとゲトリを出し抜いてダンジョンコアと交渉するなどもはや不可能。
あとは、利用できないダンジョンコアを討伐するだけ。
ミミール・カルムの矜持として、みずからの意思でダンジョンコアの始末をつけるだけ。
そう決断したあとの彼の行動は速かった。
「提案があるッ! 聞けッ! マージエルフの森巫女殿よッ!」
男の勇ましい叫び声が戦場の森に響き渡る。
場所はルゥラのいるであろう方角のドーム外周沿いだが、しかしルゥラのもとまでは遮蔽物が多く、距離もそこそこ離れている。普通なら届くことのない声だったが、ミミール・カルムに襲いかかる植物の手がピタリと止まった。
森巫女は森と一体になる。感知能力は相応に高い。
ミミール・カルムは聞こえているものとして語りかける。
「我輩は任務達成が困難と判断し、ダンジョンコアとの交渉を諦めるッ! ここからは森巫女殿への協力を申し出たいッ! すなわち、ダンジョンコアの討伐を目的としているッ! 一時的な共闘を望むが、返答やいかにッ!」
天使もどきたちと森の巨人たちの戦闘音が絶えないなか、ミミール・カルム周辺の木々が悩むかのようにざわざと揺れる。
数秒後、そこから一直線状に木々が道を開けた。
その先には、三体の天使もどきに護衛されているゲトリがいる。
ミミール・カルムは察した。
「まずは邪魔者を落とすということだなッ! 承知したッ!」
口約束どころか、ルゥラからの明瞭な返答もなかったが、たとえ裏切られたとしても痛くはない。
もともとルゥラだけに任せても問題のない案件。裏切られたらそのまま撤退すればいいのだ。
撤退だけなら難しくない。ミミール・カルムの神器《存在消去》は絶対防御。甲冑の表面に破滅の光を纏うことで、触れるものすべてを蒸発させる。そのぶん燃費も悪いので常時使うわけにはいかないが、ミミール・カルムは三つ星才能《怪力》と優れた戦闘センスで肉弾戦もそこそこいける。これまで体術のみで立ち回り神器の使用を控えていたので、神器の残りエネルギーは充分あり、神器をフル稼働させれば撤退は成功するだろう。
ルゥラとの共闘はうまくいけばラッキーといった程度の心積もりであった。
ちなみに、ゲトリを討てれば軍備が浮くという打算もあった。
ミミール・カルムとしては進んで殺害などやりたくはないが、好戦的なジルスト帝国の最高戦力たる五騎英雄を一騎落とせれば、魔族たちとの戦争が絶えないジルスト帝国にファルジュロン共和国へちょっかいをかける余力はなくなるだろう。国の議員としては、この機会を見逃せるものではない。
「はぁ、仕留めるか」
ミミール・カルムは短期決戦とばかりに全力で踏み込んだ。
蹴り砕かれていく地面。その上を、甲冑の重みをまったく感じさせない身のこなしでヒョウのように一本道を|疾走するミミール・カルム。
暗黙の了解で共闘していたはずの相手からの戦意に、ゲトリは状況をくみ取ってカッとまなじりをつり上げる。
「貴様ァアア! 裏切り者がアアアッ!」
激情しながらも、このまま近づかれれば神器《存在消去》にやられることを理解しているのだろう、ゲトリは即座に護衛の天使もどきたちに思念で指示を送り、彼女たちが弾かれたように動き出す。
護衛の天使もどき二体がゲトリを抱えあげながら上空へ飛び立ち、それを阻止しようとする木々の猛追を片手剣の一振りごとに楽々と吹き飛ばしながら急上昇。
そして残りの一体がその場から消え、ミミール・カルムの目前で片手剣を振りかぶっている。
実際には消えたり転移したりといったことはなく、そう見えるほど速く動いただけだ。
護衛用に作られた彼女たちは四つ星中位の力を有し、その速さ、その動きはミミール・カルムの目では見切ることができない。
当然、ミミール・カルムでは避けられない。
不可避のそれがミミール・カルムへと振り抜かれた。それは甲冑を二つ折りにへこませ、中の人物を殺すのに充分な一撃。
「最大展開」
直前、甲冑の全面を白い光が覆う。
まるで太陽のような輝きを放つそれは、即死の刃を気化して弾けさせた。
ミミール・カルムに避けるつもりなど、元からない。最大展開させた神器《存在消去》は絶対防御なのだから。
天使もどきの顔に、気化した高熱蒸気がかかり火傷を負う。しかし彼女は顔をしかめることもなく痛覚がないかのように無表情で淡々と、太陽のごときミミール・カルムの突撃をかわし、片手剣を持っていないほうの手を横合いから伸ばして彼を掴もうとする。
なんとしてもミミール・カルムを足止めしたいのだろう。
もしそれを彼が知っていれば、心を痛めて避けようとしたかもしれない。
だが、現実は非情だ。
神器の最大展開の強すぎる光は彼から視界のほとんどを奪い、周囲に気を配る余裕もほとんどない。
天使もどきの動きなどまったく把握できていない。
じゅわっ、と彼女の左手が蒸発する。
骨すらも気化し、腕の中ほどから先がなくなっている。
それでも彼女は止まらず二歩でミミール・カルムを追い越すと、刃の溶けた片手剣の柄を掴む無事な右手の拳をミミール・カルムの足元へと叩きつけた。
「ッ!?」
次の瞬間、ミミール・カルムはわけもわからず体勢を崩していた。
彼の視界は神器の光で白く染まり、かろうじて、ゲトリを抱える二体の天使が羽虫を払うかのように木々を吹き飛ばしながら上昇している姿だけ見えていた状態だ。
だから、彼の足場で爆発が起きたように土砂が弾け、神器の光に覆われていなかった足裏が押し上げられたことなど知らないし、転倒の最中でどこまで地面が迫ってきているのかも把握できていない。
そしてこのまま頭や肩などから着地すれば、神器の光で地面を蒸発させ、ミミール・カルムは下に落ち続けることになるだろう。
「くっ!」
すぐに神器のスイッチを切り、目前の地面に左手をつき、側転。
着地を待たずに再び神器を最大展開。
一瞬後、天使もどきの無事な右手が甲冑に思いきり叩き込まれ、彼女の左手の二の舞となった。
これに間に合わなければ、ミミール・カルムは死んでいた。
「はぁっ……はぁっ……」
両足できちんと着地した彼は早鐘を打つ心臓を感じながら、ドッと疲労に襲われる。
もともと甲冑を着て走り回っていたときから甲冑の中は汗だくだった。三つ星才能《怪力》で体力はもっていたが、そこへきて神器の最大展開。破滅の光で覆われている間は毛布を着込んでいるようなもので、体熱を逃がすことができない。神器の最大展開は身体的にも長くはもたない。
加えて、ふいに弱点をつかれて与えられた死の予感。
集中力が切れ、思考に空白ができる。
見上げれば、ゲトリと二体の天使もどきはドームの半ばまで高度を上げている。急生長する木々が伸びながら執拗に追いすがっているが、ミミール・カルムでは《怪力》によるジャンプも届かない高さだ。
残された遠距離攻撃は、宝珠《極光》による一撃のみ。
「ふぅ……」
ここで最後の切り札を切ってゲトリを討ち、あとはルゥラに任せて撤退するというのはアリだ。ジルスト帝国の五騎英雄を一騎落とせるなら、今回の任務で消費される宝珠とギリギリつり合いは取れる。
だが、当てられるか? とミミール・カルムは自問する。
《極光》を。この距離で、この視界で、この体調で。
「……はぁ」
ミミール・カルムは、分の悪い賭けであることを悟った。
当てられなかったときのリスクが高すぎる。
慎重な彼は見切りをつけると、撤退を開始した。
ドームの外へ向けて森の中を駆けていく。
さっきの天使もどきが追ってきていると想定して、全力で、かつ不規則に軌道を変えながら。
森からの妨害はない。ルゥラはミミール・カルムを放っておくつもりなのだろう。
今のところ天使もどきから追撃がきている気配はない。
撤退がうまくいきそうで、ミミール・カルムは少しだけ安心した。
そのときだった。
落雷でもあったかのような破裂音が背後から轟いてくる。
「ッ!?」
甲冑を貫いて腹を震わすそれに、ミミール・カルムは駆けながら首だけで振り返る。
ドーム中心部にいた巨人《小森竜》の一体が、体勢を崩して宙を舞っている。
「は?」
なぜ?
どうやって?
爆発で吹き飛ばした?
しかし天使もどきの軍団でも削るのが精一杯で、巨人を宙に舞わせることなどできなかったはずだ。
誰がやった?
ゲトリか?
いや、あんな芸当ができるのなら、とっくにやっているだろう。
それならば誰が、どのように?
ゾク、と嫌な感じがしてミミール・カルムは立ち止まり、いつでも動けるように構えた状態でドーム中心部に体を向き直す。
ちなみにさっきの天使もどきが追ってくる姿は見えない。ミミール・カルムの足止めという役目を終えてとっくに消滅していたのだ。
そんなことよりも、ミミール・カルムの意識は正体不明の爆発攻撃に向いている。
「ふっ……ふっ……」
神器の最大展開を維持し、警戒を最大限に行いながら呼吸を整える。
そのときふと、ミミール・カルムは思い出す。
ドーム中心部には、ダンジョンの入り口があった。そこへの進入を阻むように、三体の森の巨人が陣取っていたのだ。
ということは、さっきの攻撃はダンジョンの内部からかもしれない。
「……ダンジョンガーディアンかッ! 召喚したのかッ!」
ミミール・カルムは閃くようにして答えに至った。
しかし、驚愕でそこから思考がまとまらない。
あまりにも想定外すぎた。
ダンジョンガーディアンにふさわしい者を決めるための戦いをさせられていると思ったら、なぜか別口でダンジョンガーディアンを用意されてしまったのだ。そうする意味がわからない。
しかも、その方法は《召喚》だ。そのような能力をダンジョンコアが持っていることは、一応噂されていたが証拠がなく、あくまで可能性の域を出なかった。このタイミングで《召喚》が行われることなどミミール・カルムは想像すらできていなかった。
「……はぁ、召喚の理由はわからないが、マズいな。状況が読めない」
ここにきての第四勢力、ダンジョンガーディアンの参戦。
ミミール・カルムの現在の目的はダンジョンコアの討伐だ。それをルゥラに任せて撤退しようとしていたのに、正体不明のダンジョンガーディアンが現れてしまった。
ダンジョンガーディアンになるだけで、種族としての位階が上昇する。これは“ガーディアン進化”と呼ばれ、ミミール・カルムの最初の目当てはこれだった。というのも、ミミール・カルムだけがダンジョンガーディアンになれれば、ルゥラとゲトリを二人まとめて撃退できるのではないかと期待していたのだ。それほどにガーディアン進化は強力だ。
つまり、今から来るダンジョンガーディアンにルゥラが敗北する可能性がある。
しかもゲトリが、ダンジョンガーディアンに力を貸すかもしれない。こうなるとますますルゥラが劣勢となり、ダンジョンコアの討伐が遠ざかる。
もしかしたらそれでもルゥラが勝つかもしれない。だが……。
「……はぁ。吾輩も残るべきか」
隙を見てダンジョンガーディアンに宝珠《極光》を当てられれば、不安要素を排除できる。そうすればあとはルゥラがダンジョンコアの討伐をやってくれるだろう。
ミミール・カルムは自分のやるべきことを見定めると、神器の展開を切って気配を殺し、森の中に身を潜める。
「はぁ……」
ミミール・カルムはせめてもと願う。
ダンジョンガーディアンが、あの森の巨人に手こずってくれればいいのだがと。
ミミール・カルムの心労はまだ尽きない。
なぜだ……3話の導入にするつもりが、いつの間にか本編になってしまっていた……。
次話こそ主人公視点で話を進めます。