2話 強い人間を召喚したら、深窓の令嬢のような少女が来てしまったらしい 前編
突然の誘い文句に、ピタリと、彫像のように固まっている小柄な少女。
その混乱は容易に想像できるが、悪戯が成功したような心地を楽しむ余裕もなく、私も内心で驚いていた。
“強い”人間という条件で召喚したはずだ。
どんな戦士かと思えば、とんでもない。
容易に吹き飛ばされそうな華奢な体。くくられずに腰までキラキラと輝きながら垂れる幻想的な銀髪。わずかに見開かれた碧眼は、深くて透明な湖のように澄み渡り、荒事とは無縁な静けさと知性の色を宿している。日焼けを知らない雪のような肌と儚げな顔つきは、目を離せば見失いそうなほど。
年は十二、三ほどだろうか。その幼さが、けれど世間知らずな小娘という印象には繋がらない。むしろ彼女の聡明な空気を際立たせている。
身にまとう、パーティから抜け出してきたような上質なドレスは、実に彼女らしい涼やかな水色で、肩から羽織るケープと留め具のサファイアらしき宝石も、少女の気品に調和していた。
絵に描いたような深窓の令嬢。
前の国“アジプト”の民にも美少女がいなかったわけではない。それどころか女神などにも会ったことはある。そういうものを見慣れすぎて容姿で心が揺らぐ段階はとうの昔に過ぎてしまったはずだ。しかし前の国の民は人種として黒髪褐色肌だったので、例外なく活発な印象を与えていたし、神の類の美貌は作り物めいて人間味がない。
つまりだ、目の前の美少女は初めてのタイプで、心が浮つくのを感じる。自然と声が優しくなってしまうことなど、何百年ぶりの感覚だろうか。
ただし、それは前置きでしかない。
一番の驚きはそこではない。
本題は、この優美な少女が“強い人間”という条件で召喚されたことだ。
《鑑色眼》で見るとやはり多色なので力の階位はよくわからない。
たたずまいから判断するに……武術に関しては素人。隙だらけだ。
しかし、そこで評価を終えては片手落ち。致命的といってもいい。
……彼女からは、群を抜いて突き抜けて、凡人には戻りようもない規格外特有の“圧”をしっかりと感じる。
おそらく、知将タイプなのだろう。
思い返せば前の国にもいた。物静かで身体を動かすのがあまり得意ではないが、物分かりが良く、こちらが思わずドキリとしてしまうほど先を見通す賢者が。
そうだ、彼女はそれに似ている気がする。
「……友人に、ですか? わかりました。ぜひともよろしくお願いいたしますね、ダンジョンコア様」
水が流れるような軽やかな声で、少女は柔らかく微笑みながら淀みなく答えた。
……私は言葉を失った。喜びに、などではない。あまりの予想外に。
たった一秒。
少女が混乱から立ち直り、私の言葉と状況を理解するのに要した時間である。
「っ、……ありがとう。受け入れてくれて嬉しい。私はダンジョンコアのファロエルだ。気軽にフィーとでも呼んでくれ」
私は思考を切り替える。少女の頭が切れるのは良いことだ。
それよりも、これからの距離の縮め方を考えよう。少女の物腰は完全に余所行きのそれだからな。これは私の求める友の在り方ではない。
「ご挨拶が遅れました。わたくしの名は、ノウリディアナ・エ・バルバロ・サウラ・リ・ジルスト。ジルスト帝国の第一皇女です。ノウリ、とでもお呼びください」
「ノウリか。いい名だ。にしても、皇女だったとは」
納得ではある。名家のお嬢様にしては、気品がありすぎるからな。……ん? ジルスト帝国?
「ジルスト帝国って、ゲトリ公がいる? “五騎英雄”の?」
十数分前の記憶を引っ張り出す。
確かそんな感じの名前だった気がする。例の三人が外に行く前に自己紹介を済ませていたのだが、あの俺様な青年が自慢げにそう名乗っていたはずだ。俺様は五騎英雄の一人だとか、ゲトリ公と呼んで敬えとか。ちなみに爵位もなんか言っていたが忘れたな。
おぼろげに思い出していると、ノウリがまたもわずかに驚いた様子を見せた。
「っ、本人に会ったのですね? ゲトリ公をダンジョンガーディアンにされたのですか?」
「いや、ダンジョンガーディアンにはしてないよ。友になってくれなかったからね。今は外に出て行ってもらっている」
「……えっ?」
ノウリはぽかんと私を見返した。うん? そんなにおかしなことを口走っただろうか? それはそうと、冷静で優美な皇女様もこんな気の抜けた表情をするのかと思うと面白いな。フフ、貴重なものを見てしまったのかもしれない。
「すみません、わたくしの勘違いかもしれませんが……もしかしてフィー様はダンジョンガーディアンの基準を、友人になるかどうかで判断されていますか? そのように聞こえましたが」
「敬称はいらない、『フィー』で充分さ。質問に答えると、もちろん。私の目的は友を作ることだからね。戦力なんかよりも、取るべきものは友情さ」
自信満々に答えつつも、戦力を軽視する発言にはツッコミがくるだろうなと身構える。
私が友を求めるのは、数百年の孤独が原因だ。普通なら戦力を優先するだろうし、私自身の技量も明かしていない。聡明な彼女なら何かしらの言及があるだろう。
そのように予想していたのだが、しかしノウリは納得するようにうなずく。
「そうですか……確かに、ダンジョンにこもるということは孤独と隣り合わせ。孤独を癒せる友人を求めるのは自然の摂理であり、ダンジョンコアの習性といえるのかもしれませんね」
「いや、習性というわけでは……まあ、否定はできないか。ひょっとすれば、私以外のダンジョンコアにもそういう傾向があるのかもしれないし」
コアの知識によれば“友を求める”なんていう習性はない。一般的には孤独を好むのかもしれない。
しかしダンジョンコアが、ダンジョンガーディアンやその他の防衛人員によるダンジョン社会を形成する以上、誰かとの繋がりを求める本能があってもおかしくはないし、その傾向を習性と評しても間違いではないだろう。
生まれながらに与えられた知識がすべてだと思っていた。だからこそ友を求める私は異端に属すると考えていたのだが……それだけですべてを語れるわけではないのかもしれないな。さすがノウリ、新しい見解を示してくれるとは、面白い。
つまり、私のようなダンジョンコアが普通かもしれないということだな!
私が一人納得していると、ノウリが次の質問を寄越してくる。
「すみません、もう一つ聞きたいことがあります。ゲトリ公には外に出て行ってもらっているとのことでしたが……それはいったい、どのように交渉されたのでしょう? ゲトリ公はダンジョンガーディアンになるという目的を果たすまで、そう簡単にダンジョンを出ていくとは考えにくいのですけれど」
「ああ、それ? 簡単なことだよ。三人で戦って、勝ち残った一人と交渉するって伝えたのさ」
「……えっ」
目は口ほどにものをいうと言うが、困惑するノウリの目が「聞いていません」と物語っている。あー、そういえば言っていなかったな。
できれば早く外に行って、三人の戦いに混ざりたいが、目の前の可愛い友を疎かにはしたくない。私は逸る心を落ち着けて、きちんと補足説明を加える。
「実はね、さっきまでここに三人いたんだ。ゲトリ公の他には、甲冑男のファルジュロン共和国の『宝将』と、セントラル大森林のマージエルフの『森巫女』ルゥラだったかな。今は三人とも外だけどね」
そういえば甲冑男の名前は忘れたな。なにやら中性的な名前だった気がするが、興味がなかった。他の二人の名前に関しては、ゲトリ公は敬えって言ってくるから面白いし、ルゥラは本物のエルフっぽいのと遠慮のない殺意に興味が引かれたので覚えていた。それに比べて甲冑は神器のほうに食指が動く。……ああ、そっちの名称は覚えているぞ、エヴァポラシオンだ。それの使い方や戦い方も知りたいので早く三人が戦っているところに合流したいのだが。
「っ、どうして三勢力の最高戦力が集結しているんですかっ?」
そろそろ会話を切り上げてもいいだろうか考えていると、ノウリがまたもや驚き、これまでの余裕を消して緊迫の面持ちで聞いてくる。ノウリが何を危惧しているのか気になるが、それよりも興味深いワードに思わず反応してしまう。
「最高戦力? フフ、強そうだと思っていたがそれほどだったとは」
「正確には『五騎英雄』と『宝将』と『森巫女』という称号が最高戦力の証であって、それぞれ複数人に与えられるので彼らが一番とは限りませんが、そんなことより彼らがダンジョンコアの発生を予期できた理由は聞いていないのですか?」
「聞いていないね。よし、聞きに行こうか!」
自然な流れで外へと誘導する。
フハハ、ようやく流れが来たぞ! 私のターンだ!
この機会を逃さぬよう、私は言葉を続けながら歩き出す。
「そうと決まれば早速彼らを追いかけよう! さあ行くぞ!」
「は? ――いえいえいえいえ、ちょっと待ってください! なにダンジョンコアがダンジョンを出ていこうとしているんですかっ!?」
ノウリは慌てて私の手を取って引き止めると、柳眉を怒らせてずいっと迫って来る。ぅお、吐息が! 桜色の唇が! 真剣なのはわかるが近い近い!
「んんっ、素を出してくれるのは嬉しいが、友にしては距離が近いのでは?」
ちょっぴりドキドキしながら指摘してみれば、ノウリは顔を赤らめて一歩下がった。
しかし掴んだままの小さな手と怒った表情はそのままだ。手の感触がすべすべで気持ちいいとか頬を染めた怒り顔も可愛いなとか今考えることではないな、うん。
「呑気ですかっ。距離とか気にしている場合ではないでしょうっ。いいですか、ダンジョンコアは魔王級だなんて言われたりしていますが、それは難攻不落のダンジョンを加味しての評価です。ダンジョンからノコノコと出てきた間抜けなコア単騎なんて、ただ頑丈なだけの良い的でしかありません。その行為の、なんと無謀なことか。これだけ言えば、わたくしの言いたいことは伝わりますね?」
「もちろんさ。要するに、外に出るのは危ないということだろう?」
「その通りですが、それならなんでまだ行きたそうにうずうずしてるんですか! まったく理解できていないじゃないですか! 護衛のダンジョンガーディアンを作りもせずに、コア単騎でダンジョンを出るなんて正気ですかっ?」
「なるほど、今度こそ言いたいことは伝わったよ。ノウリをダンジョンガーディアンにしてから外に行けばいいということだね?」
「ち、が、い、ま、す!」
早く外に行きたい私の思惑とは裏腹に激おこなノウリは、意外と似合う睨み顔で気炎を吐く。かすかに吐息が顔にかかってくすぐったいな。
「そもそも! 自分からダンジョンを出ないでください! ダンジョンを出ていくダンジョンコアがどこにいますか!」
「ほら、ここに」
「あなた以外のことを言っているんです! だいたい、外でうっかり殺されたらどうするんですか!」
「ありがとう、心配してくれるのは嬉しいが、しかしだいたいの生物は死ぬときは死ぬものさ。せめて悔いが残らないように生きたいものだね」
「それならまずはダンジョンを出ることを悔いてください! ダンジョンコアとして、ダンジョンで死ねないほうが悔いでしょうが!」
「いや、それはべつに悔いじゃないが。というかダンジョンは捨てて行く予定だったし?」
一瞬、ノウリはきょとんと固まった。そして端正な顔をくしゃりと歪める。
「――んんんんん!? 捨てて行く……捨てて行くと仰いましたかあなたは?」
「安心してくれ、ノウリの耳は正常だ」
「わたくしの耳以外は異常しかないじゃないですか!? なんなんですかその無茶無謀な考えは!? 馬鹿じゃないですかっ!?」
はぁぁあ!? と叫ばんばかりに整った顔を思いっきり歪めてまくしたてるノウリ。せっかくの可愛い顔が台無しと言いたいところだが、幼さからくる愛嬌があって可愛いものだ。
それにしてもだいぶ遠慮がなくなったな。「馬鹿」なんて言ってくるし、これこそまさに友同士の気安い会話っぽくないか? フフフ、ノウリのリアクションが楽しみになってきたぞ?
「ノウリ、知っているかな? 少しばかり馬鹿になることが人生を楽しむコツだということを」
「どこが“少しばかり”なんですか! ダンジョンコアがダンジョンを捨ててどうしますか!」
「どうするかと問われれば、友を作るのだと答えよう」
「それくらいダンジョンの中でやれるでしょうっ」
「いやー、ほら、出会いが少ないからね?」
「だからといってダンジョンを捨てる人がいますか! それは極論です! 発想がおかしいですっ」
「まあ待ってくれ、もしかしたら私のようなダンジョンコアが普通かもしれないだろう?」
「むしろなんでそう思ったんですか!? 普通はダンジョンを運営していくに決まっているじゃないですか! あなたが普通じゃないんですよっ?」
「特別といってくれてもいいのだよ?」
「ポジティブすぎるでしょう!? もう、この際だから聞いておきますが、まさか他に隠しごとなどはありませんよね? どんな些細なことでも結構です、わたくしに話していないことがあれば今すぐここですべて吐き出してくださいっ」
私は前の国のことを思い出す。
「あっ」
そのあたりのことも伝えておくべきだろうが……しかし話し出すと長くなりそうだ。今はやめておこう。
「こほん、他にはないかな。よし、話も終わったし外に行こうかノウリ!」
「思わせぶりに声を漏らしてなにシラを切ろうとしているんですか!? 絶対に心当たりがありましたよね!? あなたが話すまでわたくしも手を離しませんよっ?」
実はずっと片手を拘束されたまま話していたのだった。
「じゃあ手を繋いだまま外に行こう!」
「なんでですか!? ああもうっ……ちょっと待ってください」
すぅ、と目を閉じるノウリ。おや、深呼吸を始めたぞ。気を落ち着けているようだ。感情の発露に任せず、あくまで論理的に話を進めようというのだろう。この年で切り替えができるとはさすがだな。
深呼吸を二回。それだけで、ノウリは静かに碧眼を開く。私はすぐに声をかける。
「落ち着いたね。よし、じゃあ行こうか」
「はい、行きましょう――と言うとでも思っているのですかこの脳天気様は」
無表情でいきなり、ぐにぃ、と私の頬を左手でつねるノウリ。右手は力を込めて私の手をしっかりと握っている。
あれ? 怒気を感じるな? おっとこれは想定外だ、平静に戻ったのかと思えば怒りはまったく衰えず静かに燃え盛っているらしい。気軽にからかえる雰囲気じゃなくなったぞ? それに……。
叱られながら頬をつねられているこの状況、どうにも気恥ずかしいのだが。
「……どうすれびゃ離してくれるのかな?」
「離したらまた外に行くと言い出すのでしょう? だったら離しません」
「あー、怒らせて悪かった。あやみゃろう。だから離してくれないかな?」
「話を逸らさないでください。手を離したらまた、外に行くと言い出すのでしょう?」
「言い出さないかみょしれないよ?」
「言い出すのでしょう?」
「…………」
「…………」
じっと私の目を静かに覗いてくるノウリ。透き通るような碧眼が間近に迫り、ドキリとする。
頬がつねられたままでは逃げられない。それに目を逸らすのは相手の言葉を認めるも同然だから、それはなんとなく嫌だ。すると、見つめ合うしかない。
……ぅぉう、いつまで続くんだこの状況!? これはマズイ、なんか恥ずかしい! 年齢的に幼い美少女から真面目に叱られているこの状況のすべてが耐えがたい! まさかこんな手で責めてくるとは思わなかった! 狙ってやっているのかはわからないが、とんでもない尋問官がいたものだ!
ううむ……これはやむをえない、戦略的撤退だ。いったん主導権を譲ろう。
「……わかった、言い出すことを認めよう」
「認めないでくださいよ、もう」
小さな溜息とともに、あっけなく離れるノウリの両手。
おや? 私はジンジンする頬をさすりながら首をかしげる。
「離してしまっても良かったのかな? あれだけ私の行動を阻止しようとしていたのに」
「ええ。どうやっても心は変わらないようですし、こうなってはいくら説得しても無駄でしょう」
ジトッと恨めし気に上目遣いをするノウリ。その可愛さにたじろぎつつも、私は内心ガッツポーズを掲げる。勝った。美少女の尋問には負けたが、勝負には勝ったぞ!
「フフ、諦めてくれたようでなによりだよ。それじゃあ外に――」
「なので実力行使に訴えますね」
「――行こうかぁあああ!?」
ノウリが人差し指を空中に向けて“つい”と下げた。そこから多色な力が光線のように飛び出して私の胸に当たる。油断していたので避ける間もなかった。
私はビックリして跳びあがり、しかし力が入らずにへにょりと座り込む。
痺れや怠さはない。例えるなら夢うつつのときに足腰に力が入らないような感覚だ。
「おお!? 弱体化か!?」
「わたくしの『才能』は《神の人差し指》といいます。その能力は、相手を無力化すること」
優位を確信したのか、落ち着き払って説明するノウリ。憤怒もすっかり鳴りを潜めている。
私は想定外すぎて驚きを隠せず、口角を歪める。
……マジか。
どうやら思い違いをしていたのかもしれない。知将タイプだから、非力だと決めつけていたが……。
戦闘向けの能力を持っていないなどと、誰が言っただろうか?
「いかがですか、うまく立ち上がることができないでしょう? あなたの筋力を最低値に設定しました。頑張れば立ち上がれるかもしれませんが、もう満足に動くことはできないはずです」
「フフ、これは想定外だ。まさか実力行使ができるとは思わなかった。頭が切れて、こんな能力も持っているなんてすごいな、ノウリは」
「お褒めにあずかり光栄です、ダンジョンコア様」
「まあ私としてはさっきまでのぷんすか怒っていたポンコツなノウリも好きだけどね」
私の軽口に、ノウリは桜色の唇をわずかに尖らせる。
「一応言っておきますが、あれほど感情をあらわにしたのはあなたが初めてですからね、フィー」
「おっ、それはそれは、友としてこれほど嬉しいことはないね!」
「どちらかといえば悪い意味なんですが。あなたが非常識すぎるのがいけないんですよ?」
「なるほど、私が非常識を演じていれば、またさっきの可愛いノウリを引き出せるというわけか。これは頑張らないとな!」
「っ、いえいえいえ、頑張らせませんからっ。今後はあなたを自由にはしませんよ? 基本的にはずっとその状態で過ごしていただきます。あなたを放っておくと勝手にダンジョンの外に行きかねないですからね」
ノウリの決意は固いらしく、静かな碧眼で私を見下ろしながらそう告げたのだった。
長くなったので前編後編に分けます。