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まず、不幸になる


 暗く、汚い部屋があった。

 フィギュアは綺麗に並べてある。しかし、床は散乱している。生活と趣味が逆転しているような部屋だ。

 しかし、こんな暗い部屋で唯一光っている場所があった。周りが暗いだけによく目立っていた。デスクトップだ。

 そこで、一人の男がデスクトップに向き合って座っていた。


 「ああー俺もこんな風にかわいい女の子とイチャイチャしたいな。クソッ!」


 このデブ、眼鏡、無精髭という現実にいるわけない、あまりにもオタクらしい男は見た目通りの重度のオタクであり、ニートであった。

 中学生の時から人と向き合う時間よりもパソコンに向かう時間の方が長かった人間だった。

 そのころからあまり人の輪に入れなくなった。それとともに自身もなくなった。

 人の顔を正面から見ることが苦手になり、そもそも合わせる相手もいなくなっていた。そんな男が就職ができるわけがなく、男もする意味はないと考えてた。

 

 結果、コミュ障のヒキニートが生まれた。


 今は、「小説家になろう」のテンプレである異世界転移ものを見ているようだ。それもチートとハーレムというこれまたテンプレの要素を持つ作品のようだ。

 この男の最近はこうやってネット小説を読んで無駄に時間を浪費することで時間を潰すことで完結していた。

 毎日同じことの繰り返しだが、男はこの生活に満足していた。

 

 何年か前から、親でさえこの男に関しては諦めており、最低限の金を渡す以外、いないものとして扱われている。

 強制的に追い出されずに金を渡されている分、おそらくマシなのだろう。

 しかし、この男は自分に対して余所余所しい態度をとる親に対して呪詛の言葉を吐いたものの、自分の行いを改めようとしなかった。そして、呪詛を吐くのをやめると、また電脳の世界へと戻っていった。

 それ以来、親とは会話らしい会話もしていない。


 「はあ、俺が異世界に行ければこいつより上手くやるのにな」


 どうやら、読むことはいったん中断して妄想を始めるようだ。

 この行為はそれこそ学生の頃からずっと日常的に男は行ってきている。もはや、癖と言ってもいい。

 当然、考えることは今も昔もくだらない、現実では意味のないことだ。

 妄想の中で自分はいつでも主人公。異世界で、自分が無双して、可愛いらしい美少女に囲まれている。嫌な奴は皆自分の力にひれ伏す。苦労する展開なんてありえない。まさにご都合主義の生み出した世界。

 そんな、ありえない妄想だ。


 「んっ?なんだ?これ」


 しかし、そんな社会のお荷物が行ってしまうのが、お話しのお決まり、テンプレというものだ。


 「ヴぇぁっ」


 突如として部屋に魔方陣が現れ、溢れ出るほどの凄まじい光が男の視界を焼いた。

 普通の人ならば、この突然の事態に警戒するのが当たり前だ。しかし、男は自分の知識にあるソレと全く同じ展開に困惑を示すだけで、特に何もしていなかった。

 つまり、阿呆のような声を出して驚いた後は阿呆のように口を開けて突っ立っていただけだった。


 そして、光に目を焼かれたまま、男は何も持たずにジャージのまま此処とは違うどこかへと、向かうことになったのだった。

 部屋に残ったのは電源が付いたままのパソコンと散乱した床ときれいに並んだフィギュア。

 何のことはない、男がいなくなった。それ以外は何も変わらない。部屋も、人間関係も、社会も、何もかも。



 ・


 ・ 


 ・


 ・


 ・



 混濁。


 前も後ろも見えない。見たくない。


 混濁。


 自分が分からなくなる。


 混濁。


 もう、どうでもいい。


 少し晴れ、いまだ混濁。


 闇に、一人己に酔う。   


 全てが晴れ、残るは無為。


 今まで、何があった。何をした。




 ○


 


 ある異世界のとある場所。

 閑散としたそこに、突然魔方陣が現れた。そして、光を撒き散らし、ついでに魔力を撒き散らしながら男はこの世界に降り立った。

 目を覚まさないが、息はしている。気絶しているだけのようだ。

 転移した先が崖や海の真上なら死んでいただろう。気絶で済んだだけましだろう。

 

 「は、えー?」

 

 大体十分も経たない頃、男は目覚めた。

 男は目を覚ますと、まず周りを確認し始めた。

 男の周囲は枯れた草の目立つ草原。申し訳程度に立つ子供と同じくらいの高さの木々。自然が豊かとは言えないだろう

 少なくとも、男の住んでいる場所はこんなところではなかった。

 まあ、ここ数年感外に出ず、カーテンを閉め切っていた男は現在の自宅周辺の様子など知らないだろうが。


 「俺、マジで異世界来たのか?」


 気づいたら全く知らない地にいる。

 普通の人間ならば戸惑って思考停止、かなり肝が据わっている人間ならば自分の置かれた現状を把握しようとするかもしれない。

 おそらく、それが普通の人間の行動ではだろうか。それに比べるとこの男のとった行動は余りにも愚かで異常、普通ではないと言わざるを得ないものだった。

 この男は何もしなかった・・・・・・・

 何かを考える余裕はなぜかあった。しかし、それを有効に使わなかった。使おうともしなかった。

 見知らぬ地に、たった一人、部屋着だけの状態にもかかわらず、である。これを聞いて、訳が分からない、何か行動を起こすべきだと考えた人。あなたはとても正常だ。

 なぜ、何もしなかったか。それは、すなわち慢心。


 「俺の異能はどんなヤツなんだ?まあ、どうせ一見するとカスとかだろ?俺の普段からの妄想が実を結ぶってわけか。ひへへ…っと油断は禁物か。まっ、とにかく神様には感謝しかないぜ。マジありがとな、神様」


 それは、自分に対する自信がの現れ。男は確信していた。自分は優遇される存在だと、この世界に来るべくしてきたのだと、自分は世界で上位に位置することができると疑っていないから。

 












 なにも根拠はないが。







 ○


 「とりあえず、周りの探索だな。ここがどこなのか分かんねぇけど、歩き回ってれば誰かに会えんだろ」


 男はニヤリと笑みを浮かべ、しばらく辺りを見回したかと思うと急に動き出した。どうやら、とりあえず手当たり次第に歩き回って人を探してみることにしたようだ。

 楽観的過ぎる考えだが、何もしないよりはマシだと考えたのだろうか。

 否。

 男はそれをするのが当たり前だと、そういうもの・・・・・だと疑っていないから。当ても無く彷徨うという奇行に出たのだ。適当に歩き回るだけでも誰かに会えると、疑っていないから。


 「まあ、こういうところで定番のイベントは美少女との出会いだよな。ふふへへ。楽しみだなあ」

 

 この状況は理解してしまうと、見知らぬ地に身一つという現実に悲嘆にくれて絶望するか、自棄を起こして絶望するか、どちらにせよ普通の感性では絶望してしてしまうだろう。

 そうならないのは、よほどの英雄か大馬鹿この二つだ。

 この男がそのどちらに当たるのかは決定は・・・していない。馬鹿と天才は何とやらではないが、天才が阿保らしいことをすることもあれば、並みより紙一重で上に立つ程度の才能しか持っていないにもかかわらず、ほどほどにしか努力していないのに、馬鹿が鋭いことを言うときもあるのである。

 今の所、男は現状が全く分からない状態であるというのになぜか自分は大丈夫だと信じ切っている。この世界が彼が、私たちが創作においてよく見る異世界である保証はどこにもない。ましてや、この世界の法則ルールが地球と同じだと誰が言ったのだろうか。


 「にしてもここはずいぶんと息苦しいな。もしかして高い山にでも飛ばされたのか?とりあえず、降りてみようか」


 山から下りる。そうこともなげに言うが、彼は道を知っているのだろうか。この世界に来てから半日どころか二時間もたっていない。

 当然、知らない。

 そもそも先程まで誰か人を見つけることを目標として歩き回っていたはずである。その目標はどこへ行ったのだろうか。


 彼の行動を冷静に見ているものがいれば、苦笑では済まないだろう。現状を把握しようとしなかったのは混乱していたともとらえられるが、その後も無為にこれからを考えるばかりで現在いまを見ていない。すぐに目標を変える。無策で知らない山から下りようとするなど、暴挙にいとまがない。これで「油断は禁物」などよく言えたものである。

 ここは彼のよく知る世界ではない。それを理解しながらも何もしない。

 異世界転移という彼のよく知る現象だったことが彼が自分は大丈夫だという過信を持つ原因になっていた。

 異世界物と一口に言っても世界観は千差万別だろう。あっさり人が死ぬ世界の可能性だってあるのだ。


 「この世界の美少女ってどんな見た目なんだ?早く会いてえなあ。それに、俺の能力も早く知りたいな。村とか、そういうのまであとどれくらいだ?」


 これは彼が自覚していないことではあるが……。今、彼は、自分をこの世界の「主人公」だと思っている。思ってしまっている。

 その無意識から生まれたのは、根拠のない自信。

 その姿は元の世界での彼とは程遠かった。元の世界の彼はすでに中学の終わりには自信を失っていた。高校では自信のなさから、途切れ途切れでも喋れれば上出来、何が言いたいのか全く相手に伝わらないなど日常茶飯事である。

 それと、今の彼の姿はあまりにかけ離れていた。まあ、見た目は全く変わらないデブで眼鏡、無精髭なので、あまり格好付いていなかったが。

 そもそも、自信があるなどという分かりにくい変化に気付く人がどれほどいるのだろうか。

 

 「ああ、疲れた。さっきから何時間も歩いてんのに誰も見つからないってどういうことだよ。そろそろ女の子か村の一人や一つ見つかってもいいころだろうが…」


 大噓である。せいぜい一時間程度しか歩いていない。

 しかし、何年も外に出ず、買い物はネットだけだった男が太陽のもとで外を一時間も歩いたのだから上出来といえるのかもしれない。

 男は枯れた草原に腰を下ろし、休憩を取り始めた。

 何も見つかっていないのに休憩とは、やはり余裕そうである。今の状況を分かっててやっているのだろうか。もしかして、この男は大物なのだろうか。もしかして、生存本能がないのだろうか。


 男は、土に腰を下ろすことが嫌だったのか、少し躊躇ったが疲れをとることを優先して地面に嫌々ながら腰を下ろすと、ゴソゴソとズボンのポケットを探り始めた。

 

 「……?……!」


 何かに気付くと立ち上がり、ズボンだけでなく上着まで探り、果ては全身を探り始めた。しばらくすると諦めたようで、再び座るとため息をついた。おそらく、この世界に来て初めて見せる後悔したような、苦虫を噛み潰したような顔である。

 何があったのだろうか。

 

 「スマホ、あっちに置いてきた……」


 本当に救いようのないやつである。この男はこの期に及んで何を考えているのだろうか。

 異世界に来て、初めて後悔することがスマホをこちらに持ってこなかったこととは、誰が予想できるだろうか。出来るのはこの男の同類ぐらいではなかろうか。

 ここまで来るとこの図太さはむしろ長所なのでは?とすら思えてくる。


 「まあ、美少女と交換ならむしろ良心的過ぎるよな!」

 

 このポジティブさも長所かもしれない。

 現状を把握せずに、根拠なくポジティブになれることが長所と言えるかは微妙だが。

 ポジティブなのは素晴らしいが、そのポジティブさを次の行動につなげずにいては、ただの楽観である。そういうやつは大抵死ぬということが分かっているのだろうか。

 あ、いや、主人公はそういった死とは無縁だった。この男がそうとは誰も言っていないし、そうとではないとも言っていないが。

 つまり、これも彼の無意識の慢心の一つである。 



 ある男が世界を渡った。


 男自身の力ではなく、何者かの干渉であったが。

 

 男はそこで希望を見つけた。

 

 それは、沈み続けていた彼にとって、まさに麻薬。


 男は変わった。


 やや過剰なほどの自信をその身に宿した。


 男の希望は、不確定のものだったが、確かに男を変えた。

 

 大きな希望を抱いた。無垢な子供のように、あの昔のように。



 散々この男について語ってきた。英雄か馬鹿かどちらかは決定していないと言った。確かに現時点では決定していない。

 しかし、それはこれから英雄になれるとも言っていない。

 ……勘の良い方はもうお気付きだろう。この物語には己と己の仲間のために闘う英雄も、清濁併せ持つ覇道の英雄も、慈愛と献身に生きる英雄も、己を在り方を模索し続ける英雄もいない。

 いるのは一人の愚者とそれを囲む凡百のみ。

 既に結末を知る立場から言わせてもらうと、このお話に真っ当な幸せはない。彼らの感情まで知っているわけではないが、それは分かる。

 それでも、まだ進みますか?

  



























 ……OK.

 それでは始めよう。











 『何も生み出さない。何も生まれない。無意味な生の物語』










 ○


 三十分ほどの休憩を終え、男は再び歩き始め、休憩を挟みながら歩を進めていった。

 しかし、様子がおかしい。顔色は悪く、足元はふらついている。


 「やっぱ、なんか息苦しいな。早くこの山から下りないとやばいかもしれない」

 

 時間は太陽がもう少しで地平線に姿を隠す直前という時間である。

 男はここにきて危機感を抱いたのか、足を速めていた。

 しかし、知らない土地の上、最後に山に登ったのは山に登ったのは小学生のころというレベルで山に見馴染みがない男がこの短期間で山を下りるというのが無謀だったのである。

 

 「それにしたって……これはおかしいだろ……」


 男は、現状をおかしいと言っている。それは、自分という主人公に出会いが一つも訪れていないことやこの程度で疲れていることとかに対していったことだろうが、確かに、おかしい部分あることにはある。

 確かに、男は引きこもっていたがゆえに体力は無い。だが、こまめ過ぎる程に休憩は取っていたしここまで疲れるとは考えにくい。

 男はおかしいと思いつつも自分が主人公らしくない境遇にあることを気にするばかりでその違和感をどうにかしようとしなかった。

 そのまま日が沈もうとする時間まで、男は当ても無く彷徨い続けた。




 夕方が来た。流石に男も焦りを覚えた。

 そして、それ以上に息苦しさが少し前から一足飛びに深刻になってきていた。


 「あああ゛あ゛あ゛……苦しい……。どっかで休むか?いや、このまま日が沈むのは嫌だし……」


 かなりつらいようで、足元はふらついているし、今も余計なことを考える余裕もないようだ。それでも喋り続けるのはそうしていないと気持ちが折れてしまうことを悟っているのか。

 男は結局休憩をとったが、一向に体調は良くならない。むしろ息苦しさは加速するばかりだ。


 「……むしろ、倒れるのがフラグ……なのか……?」


 休憩した直後にも関わらずすぐに疲れが全身を回り、視界も焦点が定まらない。体調は確実に悪くなっていた。

 男の体には限界が近づいており、思考という動作はすでにない。それでも、うわ言のように言葉を溢している。その内容は……思考がないことを考えれば妥当なものだろう。

 どんな世界にも、倒れることで助かるなんてことを素で考える人がいるわけがいるだろうか。いや、いない。


 ……限界が来たようだ。男は足を踏み出した先の地面が足場として悪かった。それで倒れた。それだけで倒れた。

 すでに限界だった、その上この男はそもそも何年も運動していない運動嫌いなのだ。一度止まってしまえば、もう動き出すことはできなかった。

 

 男はそのまま意識を失った。


 ・


 ・


 ・


 「んっ。あ゛あ゛ー」


 男が目を覚ましたようだ。ちなみに、気絶あれからおよそ半日が経っている。

 数年振りの外、からの数年振りの運動がひたすら道なき道の行軍というのは、やはりかなりつらかったようだ。

 男は全身の筋肉痛に苦しみながら起き上がり、気づいた。


 「布団硬ッ」


 彼が寝ていたのは異様に硬い布団、ではなくベッドだった。

 そして、男は違和感に気付いた。


 「知らない天井だ」


 言いたかっただけである。


 「お、もしかして倒れることがフラグだったのか?マジつらいけど美少女が出てきてくれるならチャラになるな」

 

 男は考察、というよりも自分にとって最も分かり易い「主人公らしさ」のあるシナリオを妄想して、それが真実だと自分が納得できるまで設定を煮詰めていた。

 余談だが、この男の独り言は誰のことも気にしなくていい自室という環境と全く声のない部屋に一人でいられない男の性格が合わさった結果生まれたものである。引きこもっておきながら一人部屋に不安を覚えるとはどういうことなのだろうか。

 あの楽観主義といい、彼はもしかしたら、もしかしなくてもかなり特殊な人なのかもしれない。

 

 男は現在ベッドのヘッドボードに寄りかかりながら座り、俯きながらブツブツと早口で設定を確かめている。非常に不気味である。

 そのまま十分ほど経つと、男の中で最初のヒロインの見た目や性格などが決まり、二人目の設定を煮詰ようといったところでドアが開き、男のもといた世界ならば職務質問待ったなしの独特の雰囲気を持った刺青の黒人が入ってきた。

 黒人はベッドの脇に立ち、男い無言で立つように促し、ビビった男は喋るどころか目も合わせられなくなり、イラついた黒人に強制的に起こされた。その様はどちらかと言えば持ち上げられたというべきものであったが。

 さらに黒人は男の腕をつかみ、引っ張っていった。


 ちなみに男は、ビビッて喋れなかったが心の中は通常営業しており、お嬢様キャラか……そういえばこういうと眼覚めは普通ヒロインに見られながら目覚めるものじゃないかな。とか考えていた。しかし、助けてくれた人かもしれないのに、なんでこんなおっさんに起こされて連行されなきゃいけねぇんだよ。美少女に連行されたいわ。とか考えるのはどうかと思うのだがどうだろうか。

 男がなぜ内心でこんなに反論しながらもそれを表に出さないかというと、普通に出した時を想像してビビってるだけである。


 「〇↑※☆→?×!△」

 「は?」


 黒人が唐突に口を開いて、こちらに喋りかけてきたが、その口から出てきてきた言葉は男の全く知らないものであった。

 男はその自分の知らない言語?を聞いて思考が止まってしまった。我に返っても、それを理解しようとしても全く分からなかった。それもそうだろう。男は天才でも何でもないのだから。


 男が内心で言語を理解できない現状に焦っていると、黒人は無言の男は返答する気がないと判断したのか舌打ちをして先程よりも強い力で男を引っ張りはじめた。

 どうやら、『舌打ち』はこの世界でも通じるらしい

 そのまま引き回されていると他とは少し雰囲気の違う扉に着き、今はその中にいる。

 どのように違うかというと、まず他の扉が装飾品の付いた豪華な白亜の扉だったのに対しこちらはぼろぼろの木の扉で開けた先には鉄格子があった。

 次に大理石のような壁から一転して、石を積み上げた壁で所々苔が生えている。

 そして、小奇麗な人がたくさんいたはずが、ここには、薄汚れた人がわずかである。

 

 一つ追加情報を加えると、ここは先程いた屋敷のような場所からかなり外れた、建物すら違う離れとでもいうべき場所である。


 男が困惑していると、黒人は男に服を手渡された。着替えろということなのだろう。

 男がまごついていると、黒人は男を軽く殴った。男の体はあっさり倒れ込み、男は痛みを堪えて悶絶した。

 黒人は男にが落とした着替えを男に投げつけた。男は痛みに耐えて着替えを始めたがその動きは遅々としていて、黒人は男にこぶしを掲げた。男はそれを見て、目の色を変えて急いで着替えた。


 黒人は着替えた男にどこからか短剣を取り出してそれを突き付けて、男を追い込んだ。男は慣れていない暴力と強烈な害意に心を折られたも同然だった。追い打ちをかけるように突き付けられた刃物は男にとどめを刺すには十分で、男は腰を抜かして怯え、促されるままに鉄格子へと向かった。

 鉄格子に入ろうかというところで迷いを見せたが、黒人にナイフで首の後ろを少し削がれると、逃げるように鉄格子へと駆け込んだ。入ってしまった。


 黒人は牢の鍵をしっかりと占めた後、男の脱いだ服を回収してから退出した。

 それを見た男は安心したのか、脱力した。

 

 「……何なんだよ……。何なんだよッ」


 安心した後に浮かんできたのは、怒り。

 男の心から己を苦しめるあの男と世界に対する怒りが溢れ出てきた。


 「どうにかして逃げないと……」


 男は世界に怒っていたが、だからといってそれをぶつけるのことはしなかった。ぶつけても何も変わらないことを知っていたこともあるが、失敗してしまったらどうなるかを考えた結果、ビビった、というのが大きい。

 脳内ではしているが、リアルで反逆などもってのほかである。


 逃げると決めた男だったが、この牢は窓もなく、唯一の出入り口は施錠されており、鍵も見当たらない。更に、牢の外の扉の外では黒人と入れ替わるようにしてやってきた武装した男が立っているのが見える。話し声も聞こえたし、少なくとも一人はいるのだろう。

 むしろ、無人の牢という発想が浮かぶ方がどうかしているのだ。

 少なくとも、今すぐ脱出は不可能だろう。

 しかし、今すぐでなければ何をされるか分からないのも確かだ。男は恐怖という感情も手伝って必死に頭を働かせたが、現実的な案は思い浮かばなかった。


 「クソッ。なにか、何かあるはずなんだ」


 良案は思いつかず、そのまま異世界で二回目の夜が更けていく。

 男にはそれに感慨を感じる余裕は全くなかったが、ふと元の世界の家族とPCのことは今どうなってるかを考えた。

例えば自分は失踪した扱いなのかとか、親は悲しむか喜ぶかとか、近々ゲームのイベントがあったこととか、アニメ視聴が十話で終わって中途半端なこととか色々である。


 「帰りてぇな」


 偽らざる、彼の本心だった。

 彼は再び脱出方法を考え始めたが、結局思いつかず、その日は徹夜となってしまった。この世界共通のことかもしれないが、少なくともこの牢には電気などはない。

 扉の外は少し明るいがオレンジ色灯りから、男は電気ではなく火の灯りだろう。

 男のいる牢の中には灯りは届いておらず、ほとんど何も見えない状態だ。


 「……もう、今日は寝ようかな」


 男がひとまず今日は休憩にしようとしたとき、コツ、コツ、と足音が聞こえてきた。

 男は狭い通路に響くその音を煩わしいと思ったが、気にせず寝ようと努めた。

 しかし、ほんの少し横になっただけで、すぐに体を起こした。

 音が徐々に、徐々に近づいてきていたのだ。男は恐怖した。

 原因は忘れるはずもない自分に暴力を振るったあの黒人である。あれがまた来たのでは?男はそう考え警戒していた。

 

 ドアが開き、まずはあの黒人が入ってきた。片手には、大きな袋を持っていた

 男は恐怖で体が震え、ただでさえ弱いコミニケーション能力が消失した。

 黒人は袋を部屋の傍らに置き、男を一瞥すると、誰かを促すような態度をとった。それを受けてだろう。一人の男が入ってきた。

 その男は長身で瘦せぎす、強い意志を感じる瞳含め整った顔立ちしていた。

 男は黒人に怯えながらその瘦せぎすの男の容姿に嫉妬するという器用なことをやっていた。

 

 黒人は瘦せぎすの男が入ってきたドアを閉めて、瘦せぎすの前を歩いている。瘦せぎすが止まると瘦せぎすと牢の中にいる男両方が見える位置に立った。

 よく見ればやや粗末な服を着ている黒人に比べ、瘦せぎすは明らかにした手の良い服を着ていた。

 間違いなく黒人よりも身分が高い。


 瘦せぎすはただの木箱に腰を下ろし、こちらを見据えて口を開いた。


 「〇↑※☆↓?△」


 相変わらず言っていることは分からなかったが。

 まあ、そもそも怯えている男は先程述べたようにコミニケーション能力が消失しているので、え……あ゛、みたいなことしか喋れないのでまともな返答は出来なかっただろう。

 しかし、相手の言葉が分かる、分からないはとても重要だろう。分からなければ意思表示すらまともにできないのである。

 男はまともな返答ができずとも、頷くことならできる。しかし言われていることが分からなければそれもできないのである。


 瘦せぎすは男の様子を見て何か気付いたのか黒人に何かを命じた。すると、黒人は部屋から出て、すぐに戻ってきた。

 そしてそのまま先程の位置に立った。瘦せぎすも座ったまま何もしない。


 何のために外に出たんだろうか。そもそも何を頼んだんだろうか。男は考えてみたが、思いつかない。

 しばらくすると、ノックの音がした。瘦せぎすが短く何か言うと屋敷?で見かけた使用人が入って来た。

 どうやらノックは異世界でも共通らしい。


 使用人は紙を何枚か瘦せぎすに渡すとそのまま一言も喋らずに礼をして去っていった。

 瘦せぎすは紙にさらさらと何枚か何かを書き込むと男に渡した。

 それには山の絵、そこで倒れている人をもうひとり絵、様々な人が男の着ていた服に群がる絵の三枚だった。

 どうやら、瘦せぎすは喋って意思疎通することは諦めて、絵で意思を伝えることにしたようだ。


 男もそれに気付き、絵を見て瘦せぎすの意思を読み取ろうと試みた。

 まずは山の絵だが、これは転移先の山だろう。ということは二枚目の絵は倒れた自分を助けているのだろうか。それをしたのは間違いなく目の前の瘦せぎすの男、もしくはその部下なのだろう。

 最後の絵は……おそらく男の服がこの世界では珍しいのだろう。

 男も異世界のテンプレ的にその可能性があることに気付き、服を奪われたことを悔やんだ。


 しかし、知っていたとして、あの暴力に晒されてまで服をを守ったかというと……難しいだろう。あっさりと陥落した可能性が高い。


 男が絵を見て悔やんだり、持っていたらどうするか考えている間にも瘦せぎすは別の絵を描き上げて男のいる牢の中に投げ込んいる。

 男は一旦想像を打ち切ると、投げ込まれた絵を見ていく。

 それは、男が喋りながら自分の服を瘦せぎす渡していて、瘦せぎすは金品を自分の隣に置いている絵だ。

 更には男が王冠を被っている絵と男が洋風の屋敷で使用人に囲まれている絵もある。


 男は一枚目は分かった。自分の服と金品を交換するということだろう。男はそう理解した。

 しかし、二枚目以降は分からない。なぜ自分が王様で屋敷住まいで使用人を抱えているんだろうか。


 さすがの男も自分に王の資格があるからこの絵を見せられているとは考えていなかった。

 今までの苦しみがそれをさせなかった。まあ、あくまで無意識にそうなっているだけで男の自分が選ばれた存在だという思い込みは消えていないが。


 瘦せぎすは絵を描くことは既にやめており、絵の意味が分からずに困っている男を探るように見ている。

 その目は到底人に向けるものとは呼べなかった。そう、まるで実験動物に向けるような、そんな目。

 黒人や瘦せぎすに何をされるか分からないという恐怖が拭えない男は、怒らせないように、期限を損なわないように早く絵を読み解こうと必死になっていて、瘦せぎすの視線には気付いていない。

 黒人は直立不動で動かない。ただただ気を張り詰め、男に対する警戒を緩めなず、鋭い視線を向けている。黒人は暴力に屈した姿から男を弱者と断じている。しかし、その姿に遊びは一切ない。


 この場にいる全員が黙っていた。


 男は割と早くそれに気づいたがそれを指摘する手段も、勇気も持ち合わせていなかったため、少し挙動不審になり、黒人からの警戒が強くなっただけだった。


 結局、その日は瘦せぎすが無言で立ち去っていき、黒人がそれを追従しその日は終わった。


 「何の為に来たんだよあいつら」


 男は浅い眠りについた。



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