呼吸
秋がさらに深みを増していき、寒さが本格的に到来する。
周りの皆んなが、ムリクリ自分を忙しなく演出しているような気がして、この季節、毎年のことだけれどあまり好きにはなれない。
「クリスマス前だからって、急いで彼氏作ろうとするムチャぶり。毎年、恒例だけど、笑えるな」
教室の真ん中で、エミりんの勇気あるこの発言。
私はあはは、と同調の笑いをするが、皆んなはそれどころじゃなく気にもとめていない。
周りがそんな風に浮き足立ってるから、能力者がどうとか、そういうSFちっくな話が、みるみる現実味を失くしていく。
私はカバンを机の上に出し教科書を放り込むと、エミりんに、じゃあね〜と言って教室を後にした。
校舎を出ると、風がびゅうと吹きつける。
こうも寒いと、もっとグルグルと巻けるマフラーが欲しい。
そう思うと、私はいつもの道とは逆の、可愛いお気に入りのショップのある繁華街の方へと足を向けた。
あれから竹澤先生との訓練は続けられ、意識の中の回路を一つ二つ切断することによって、他人の侵入を拒否することが、少しだけできるようになった。
この小指の指輪はもう、不要であるはずなのに。
善光先生は、相変わらずの口の悪さと授業の分かりやすさで人気を博している。
学年中の女子が、竹澤派と善光派に分かれていると言っても過言ではないだろう。
私は、寒さと気だるさを含めて、ほうっと息を吐いた。
善光先生がいつも告られては、言い訳に使っている「好きな女がいる」っていうの、私のこと、なんだよね。
そう思うと、わーってなって、頭を掻きむしりたくなる。
痒いところに手が届かないような、このムズムズ感。
けれど、善光先生が泊まっていったあの日以来、先生は必要なこと以外、話しかけてはこない。
私は竹澤先生を好きだった。
それはかなりの早い段階で自覚していた。
けれど、それは親しみからの気持ちでできている、そう思っていた。
「あーあ、まさかのまさかだったあ」
先生がお母さんのことを愛していたと知ったと同時に、亡き母に対して思いもよらぬ嫉妬の気持ちを持った。
羨ましい、そんなに先生に愛されて。
シンプルにそう思った。
私はその時、そういう意味で、竹澤先生を好きだったんだと理解した。
「んで、わかった途端、フラれちゃったって話しだよ。あーあ、痛いわあ」
私は繁華街の方へ向かう道を、腕をブンブン回しながら歩いていた。
こうやって、ちょっとくらい投げやりにでもならないと、頭がおかしくなってしまいそう。
「そんなに腕を振ったら、人に当たっちゃうよ」
誰かに声を掛けられ、恐縮する。
「あ、すみません。誰もいないと思って……」
顔を見て思う。あれ、この人。
「フラられちゃったって、本当? じゃあ、今度こそ、チャンス到来かなあ」
笑いながら、近づいてくる。あ、スクエアの店員さん。
「あ、こ、この前はご迷惑をかけてすみませんでしたっ」
ん? という顔をしたので、クマのぬいぐるみを返品した者です……と話す。
「ああ、あれね。いいよ、いいよ。僕の店でもないし。それに実は僕、あそこの店員でもないし、ね」
え、と顔を上げる。彼はニコニコと笑っていた。
ずるり、と背筋を冷たさが這い上がってきた。
すぐにこの人は怪しいと警告音が頭の中で鳴り響いた。
近づき過ぎた間合いに危機感を感じ、距離を取ろうとじりじりと後退りをする。
その様子を見て、男は笑みをこぼした。
「ああ、警戒しないで。悪いもんじゃあないよ。善光の幼馴染だって言えば、少しは安心できるかな」
私は、雪女の件もあり、警戒心をそのままとかずに話しかけた。
「善光先生のお知り合いっていう証拠はありますか?」
男はふっと吹き出すと、懐から財布を出した。
その中から何か小さな写真のようなものを取り出すと、満面の笑みで、はいっと渡してきた。
それはまだ幼さが残る善光先生と、この目の前にいる男だった。
「僕は、崎って言います。瑠衣ちゃんでしょ、善から聞いてるよ。耳タコくらい」
「じゃあ、どうしてあの時」
私の声音から、まだ警戒心が解けてないことを知ると、私が返した写真を苦々しく笑いながら、受け取る。
「善がご執心の瑠衣ちゃんって、どんな子かなあって。善が君に入ってクマを買いにいくって言ってたから、見に行ったの。あはは、彼氏募集中ってあれ、僕の作り話だよ。返品しに来た日、僕が君に会った時にそういう話にしちゃったもんだから、善が話を合わせただけなんだ。ごめんね、ややこやしくしちゃったな」
私は今、憮然という言葉を絵に描いたような顔になっているだろう。
非常に面白くない話を聞かされている。
「ねえ、今からどこ行くの? 僕も一緒に行ってもいいかな?」
私はマフラー買いに行くんで、と言って先に歩き出した。
私の後ろをポケットに手を突っ込んでふらふらとついてくる。
早々に諦めて、崎さんの横に並んだ。
崎さんは、にかっと笑うと、手を後手に出してきて、繋ごうというジェスチャーをする。
けれど、私はそれを無視して、早足で歩いた。
✳︎✳︎✳︎
「これなんか良いんじゃない? よいしょっと、あ、やっぱり似合うよ。可愛いねえ」
なぜか、崎さんはショップの中までついてきて、なぜか一緒になってマフラーを選んでいる。
「あ、これすごい長いよ、四重巻きくらいいけそう。あはは、顔が埋もれてら」
そして、なぜかとても楽しそうだ。
「崎さんはどんな能力を持っているんですか。私この前、凍らされるとこでしたよ」
「ああ、聞いたよ。ウェイリンが悪さしたんだってな。あの子はちょっとばかりワガママな所があるからね。でも許してあげて。あの人、台湾出身なんだけど、そっちではかなり自我をおさえているらしくって。日本に来ると、タガが外れて本来の自分に戻っちゃうみたいなんだ、あはは」
崎さんが、こちらを向く。
「でね、僕はといえば。空気をあつかえるんだ、こんな風にね」
口をすぼめて、ふっ、と息を吹いてくる。
私の前髪が、ふわっと上がった。
「おでこも可愛いなあ」
私は呆れ顔で、ぐるぐると巻かれているマフラーを解いていくと、軽く畳んで棚に戻す。
「……もう良いですよ」
「善が大切にするはずだ、こんなに可愛いなんてな」
崎さんがニヤッと笑った。
そして、それは突然訪れた。
ひゅっと音がしたかと思うと、次の瞬間にはもう息ができなくなっていた。
目を見開いて、崎さんを見る。
崎さんは、私を見ずに棚のマフラーを物色している。
普段なら、意識しなくてもできているはずなのに、肺がそれを機能させるやり方を忘れてしまったかのように、息を吸い込むことがまるでできない。
口を開けても、酸素が少しも入ってこないのだ。
肺がそれらを求めて、ビクビクと小刻みに動く。
自分の身体が呼吸という運動を、完全に放棄してしまったように。
息ができずに、単純に少しずつ苦しくなってくる。
心臓が逆に、その鼓動を速めていった。
苦しい、そう思った瞬間に、崎さんがくるっとこちらを振り向いて、私を見た。
そして。
途端に、肺に空気が流れ込んできた。
「はっ、はっ、」
私は唇を半開きにして、それを吸い込んだ。
「ふうぅぅ……」
そしてそのまま、ゆるゆると二酸化炭素を出す。
「これで良いんじゃない、すごく似合うよ。これにしなよ、僕が買ってあげる」
「はあはあ、ふう……」
短い息をし、身体を上下に動かしている私の首に、赤とグレーのストライプの、少し長めのマフラーをかけると、崎さんは、にっと笑った。
「ねえ、買い物が終わったら、お茶でもしよう」
私は涙目で、首を押さえて言った。
「こういうこと、もうしないって約束してくれたら」
崎さんは、うんと頷くと、マフラーを手にしてレジへと向かった。