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Itan  作者: 三千
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一途ということ

「それしかないから、仕方がないんだからね。だって、うちに男物の服があるはずがないんだから。うん、これは仕方がない。不可抗力だ。ふふ、あはははっ」


はー、腹痛い。


私には大き目の部屋着ワンピースを着た善光先生の姿が、あまりにも笑えてしょうがない。


スウェット生地なので多少伸びるけれど、ぴちぴちで筋肉質な身体のラインがはっきりと分かる、ワンピース。


しかも、どピンク。


「セクシー……ぶふっ、似合ってますよ、あはあは」


腰に手を当てて、ワンピース。

なのに、その仁王立ちがめっちゃ笑えるんですけど。


「お前なあ、もうちょっとマシなのなかったのか」


ドライヤーで髪も乾かし、ボサボサ頭。

いつもより、幼く見える。


遠くで洗濯機がごうごうと音を立てて回っている。

乾燥機がないので、自然乾燥しかない。


そのため、全身濡れネズミの先生は、半日ほどうちから出られないという事実に突き当たってしまった。


こうなった以上仕方がない、泊まってってくださいと、進言してみた。


最初はちょっとそれはまずい、みたいな素振りを見せていたけれど、この今着ているワンピースしか着るものがないと知ると、こんなんで外なんか出られるかボケが‼︎ ってことになり、結局泊まっていくことになった。


「ご飯、作るから待ってて」


私がささっとチャーハンを作ると、美味いと言って完食してくれた。


その後、皿を洗って片付けをしていると、いつの間にか後ろに先生が立っていた。


「お前、ブラックのコーヒーなんて飲むの?」


リサイクルのゴミ箱に山積みになったコーヒー缶を見て、問う。


「こ、これは、そうだね……飲むよ」


少し変な感じで返してしまった。

分かったんだろうか。


気にしていない振りをしてお皿を二枚、丁寧に洗ってカゴに伏せる。


背後に先生の体温を感じる。

何か、近いって。


「……竹がいつも飲んでるやつと、同じ、だ」


「そう、なんだ……」


土日の訓練のこち、竹澤先生から聞いてないのかな。


それなら言わない方が良いのかもしれない、そう思い私は黙ってマグカップをゆすいだ。


先生も、それ以上は何も言ってこなかった。


リビングの机に向かい合って、食後のコーヒーを飲む。

先生は、ぼうっとしているようだった。

そっと、先生を盗み見ても、まるで目が合わない。


テレビでもつけようかと言うと、先生は、いや良いと言って、側にあったルービックキューブをガチャガチャと回しながら、ズズッとコーヒーを啜る。


私はそっと自分の右手を見た。


小指にはまるシルバーリング。


ウェイリンと呼ばれたあの雪女が、先生が私のために作ったと言ってたっけ。


「この指輪してれば、誰にも乗っ取られないって本当?」


ルービックキューブから目を離さずに顔を少し上げて、先生が言った。


「ああ、一応薄いバリアみたいなもん。無理矢理、力使ってこじ開けて入ってこねえ限りは、まあ大丈夫だろ」


「じゃあ、完全に、じゃないんだ。入られる可能性はあるんだ」


「まあな」


ぞんざいな返答をしながらだからか、ルービックキューブをつかんで回す手に力が入るのが分かる。

ぐっぐっぐっと、力ずく。


「先生、壊さないでよ」


「分かってるよっ‼︎ いちいち、うるせえっつの‼︎ お前さ、そんなに俺のこと、信用できねえんだ」


何だか、いつもよりイライラしているように見える。


「だって、先生いっつも力ずくだし、横暴だし、人を小バカにするし……竹澤先生は、ちゃんとさあ」


言い終わる前に遮られる。


「ああ、お前はいっつも竹ばっかだもんな‼︎ 知ってるよ、分かってんだよ‼︎ お前がなあ、」


途端に言葉を呑み込んでしまった。

ルービックキューブを机の上に、ガチャンと少し乱暴に置く。


「……あいつはいつも俺を出し抜いて、いつもお前に先に会いに行くんだよっ‼︎ 俺だって、ずっとずっとお前を見てたのに‼︎ 先公になったのだって、お前に近づくためにあいつ……俺より、先にお前に……くそっ、ずりいんだよ、俺だってずっとお前を守ってきたのに、なのにお前は竹を、竹ばっかりを……」


「……先生、それってどういう……」


むうっと口を結ぶ。


唇がへの字に歪められて、いっとき無言が続いた。

それから、くそっくそっと言いながら、頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。


「くそっ、何言ってんだ、俺。言ってること滅茶苦茶だな。ああ、もう良いよ、気にすんな。俺、バカだかんな。意味わかんねえだろ。もう寝るわ、おやすみ」


リビングから出て、布団の敷いてある和室のドアがトスンと音をさせて閉まる。


ずっと見てたって何?

私を?


二ヶ月前に、英語の時間、私をボケナス呼ばわりして階段の踊り場に引っ張っていったあの日、私たちは初めて会ったのではなかったの?


私は机に放り投げられたルービックキューブを見つめた。


今、見つめているこのルービックキューブの、裏面はどのような模様になっているのだろう。


私はそれを確かめようとして、手を伸ばす。

まだルービックキューブには、先生の体温が少し残っているような気がした。


そして、そのまま善光先生は家に泊まっていったけれど、朝になって起きてみるともうその姿はなかった。


私の中に何かモヤモヤとしたものだけを置いて、去っていった。


✳︎✳︎✳︎


「ねえ、先生は何を知ってるの? 私は何も分かっていない。何も知らないんだよ、多分何も」


土曜の午後、訓練で竹澤先生から侵入拒否の仕組みを習った。


善光先生が泊まっていった日から胸の中に徐々に広がっていったモヤモヤ。


竹澤先生が私を見る。


きっと、私は今変な顔をしている。

竹澤先生も、そんな顔をしていたから。


「善に何か聞いたの?」


勘のいい人だなあ。


「うん、私をずっと見ていたって言ってた。それって、どういう意味?」


はあっと深いため息を吐くと、先生は薄く笑った。


「あいつ、お前の事になると、なあ。本当にしょーがない奴だな」


私は机の上に投げ出していた両腕に上に、おでこをつけ頭をあずけて伏せた。


「指輪、返さなかったんだな」


机に突っ伏しているので、先生の表情は見えない。


きっと小指のリングを見ているのだろう。

けれど、私はそのまま目をつぶった。


「俺と善は、お前とお前のお母さん、しずかさんの監視役だったんだ」


思わぬストーリーの始まり。

私に、少しの驚きがある。


「前に能力者は自分の意思が尊重されるって話したろ。けれど、お前達は例外なんだ。まあ世界に二人しかいないんだから、当たり前かもだけどな。能力者の皆ながこぞってお前らを狙っていて。静さんは、自分は良いから娘を守ってって、そういう人だった」


先生が続ける。


「初めてお前に会ったのは、お前が五歳の時だった。その時、俺が十九で善が十歳だった。お前は覚えてないかも知れない、会ったのはその時一度切りだったから。お前に、いや正確には静さんに紹介されたんだ。お前たちの監視役兼ガーディアンって言うか、守る者として」


こくっと頭を動かす。

頭を預けている両腕に、おでこが当たって少し痛い。


「お前さあ、一度会ったことのある丸井っていうじいさん覚えてるだろ。あの人は丸井要かなめって言って、丸井グループ……って言ってもお前知らないかもなあ……まあ、とにかくでかい運輸会社の総裁でもあって、俺達能力者の代表もやっているんだよ。その丸井のじいさんに頼まれたんだ」


突っ伏したまま、頭だけを縦に振る。

先生は私を見ているのだろうか、それだけを頭の中で想像する。


「……その時、善も俺も、一目惚れしたんだ」


どきりと胸が鳴った。


顔を伏せていて良かったと思う。


こんな時、どんな顔をすれば良いか分からない。


けれど、先生が続けた言葉に、心は次第に冷えていった。


「善はお前を一生守ると誓った。俺はお前の、」


呼吸がひゅっと鳴った。


それが自分のものであったと、一瞬気づけなかった。


「俺はお前のお母さんを、静さんを、」


呼吸が苦しくなったのにさえ、気づけなかった。


「一生、守ると心に決めた」


もう一度、どくんと胸が鳴った。


それは何かの痛みを一緒に連れてきた。この、息苦しさは何だ。


そうだ、考えてみて、私。


十九の男が、まるで歳の離れた五歳の子どもを相手にするはずがない。


誰だって、歳の近しい人を見る。

そう考えれば結果は分かりきっている。


そう、私だって分かっていたはずだ。


だって、先生は私を見ている時も、ちゃんと見ていないような気がしていた。

私はどこかで、それを知っていたのかもしれない。


「遠くから見守るだけだった。本人に接触してはいけない約束だった。それが側にいられる条件でもあった。俺は十一年守った、善は十三年、それを守った。俺が教師になってお前の前に現れないままだったら、善は永遠にお前に姿を見せない覚悟でいたんだ」


ふ、と先生が笑ったような気がした。


「あいつ、すごいよ。絶対に、揺らがないんだ。どれだけお前が守ったって、どれだけお前ががんばったって、瑠衣には一生触れられないんだぞって脅しても、それでも構わないって、笑って言うんだ。俺にはそんなことは到底できない、だから教師になった。お前の担任になった時は、これで堂々とお前と……静さんに会いに行けるって思ったら、天にも昇る気持ちだった。けれど、静さんは……」


そうなんだね、先生はお母さんを見ていたんだね。


私を通して、お母さんを。


お母さんは、太陽のような人だった。


いつも大口を開けて、あははと無遠慮に笑っていた。

とても無邪気で純粋な人だった。

皆んなから、好かれていた。

そんなお母さんにつられて、私もよく笑ったなあ。


先生はそのまま、訥々(とつとつ)と、続けていった。


「静さんが……死んでしまった時、俺は何もかもが虚しくなった。こんなにも長い時間、ずっと見守ってきたのに。報われることもなく突然に終わってしまった。俺という存在は一体何だったのか、最愛の人を抱きしめることすらできなくて、どうして今まで生きてこられたんだろう。色々と、自問自答したんだよ」


抱え込んでしまったものがとても重くて重くて、顔を上げられなかった。


もうすでに、涙が鼻梁を伝って流れていたから。

流れ続けていたから。


「……三者面談の、たった二十分でさえ、至福の時間だった」


お母さんに対する、先生の深い情愛の念が伝わってくる。


一途ということの、揺るぎないもの。


私は鼻を啜った。

私は何も言わなかった。


先生が、今度は言いにくそうに続けた。


「教師になって……お前の学校に赴任が決まった時にな、善がめちゃくちゃ怒ってね。担任になったと聞いた時には、もっと怒り狂って殴り合いになった。瑠衣を横取りするつもりかって、お前がそのつもりなら俺だって、ってね」


言いあぐねている、というような少しの空白の時間。


「……いいんかなあ、本人不在でこんなことバラしちまって」


ま、いっか、と続ける。


「それで、医者や教師という、ある一定の職種の立場での接触には許可が出ていたから、お前がそういうつもりなら俺だって教師になるって、あいつ言い出してな。丸井のじいさん説得して、バカで勉強嫌いなのに、すげえ勉強して教育系の大学に入り直して」


先生の言葉の、一つ一つに痛みがある。


けれどこの痛みがどういうものであるのか、私はまだ分かっていない。

受け止めるのが精一杯で、精一杯で。


「あいつ、お前を愛してるんだ」


こくっと頷くのが正解なのか、頭を横に振るのが正解なのか。

何一つ、分からない。

顔を上げることが、できないんだ。


「今日は帰るよ、また明日来る」


先生は、私のこの涙の意味を知っていたのだと思う。


だから、席を立った。

だから、手を頭にそっと置いてから、帰っていったんだと思う。


私はその夜は、泣き腫らした目でじっと天井を見続けていて、当分の間寝つくことができなかった。


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