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Itan  作者: 三千
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凍る

長い間、眠っていたように思う。


竹澤先生はもう帰ったのだろうか。

そう考えている内に、二度寝ができそうなくらいの眠気が襲ってくる。


ベッドの中でとろんとまどろむ日曜日の朝のように、気だるさを感じつつも幸福感で満たされる天日干しした布団の中にくるまっているような、そんな状態で私は寝返りをうった。


外は薄暗くて、もうすぐ夜に差しかかるくらいだろうかと、レース越しに見て分かる。

再度、先生は帰ったのかなとぼんやり思う。


けれど、すぐに目は開かれた。


訓練の続きであるように、研ぎ澄まされた感覚のままで。


人の気配がする。

この足音は、先生じゃない。


私はそっと身体を起こすと、足音を立てないように、部屋のドアまで慎重に進んだ。


ドアノブに手を添えながら、耳を澄ます。


物音はキッチンの方から聞こえてきた。


誰も居ないはずの部屋に、知らない誰かがいる。

そう思うだけで、ぶわっと鳥肌が立つ。


私は恐怖におののきながらベッドに戻り、枕の側に置いてあったスマホを取り上げた。


アドレスから竹澤先生の携帯番号を呼び出した所で、部屋のドアがキッと音がして開く。


誰、とも、何してるの、とも言えなかった。


そこには長い銀の髪を揺らしながら、背の高い女性が立っている。

その銀髪に、見覚えがあった。


「指輪、してないんだな」


スマホを持つ手を下げる。


善光先生に拉致られた時、助手席に乗っていた女の人。

善光先生の知り合いの人だ。

そう思うと、安堵の息が出た。


「お前のためを思って、指輪をくれてやったのに。あいつはいつまで経っても、報われないねえ。バカは本当にバカをみるんだな」


辛辣、この言葉がよく似合う、美しさに冷たさをはらむ声と言葉だった。


一気に印象が悪くなる。


そう言えば車の中でも善光先生のこと、小馬鹿にしていたっけ。

どうやら仲良しではなさそうだ。


「何の用ですか」


自分でも驚くような冷たさを含む言葉だった。

自分が発した音の羅列に、一瞬ぞくりとする。


「何の用、ってな。そう言えば君もバカだったねえ。用なんて一つしかないだろ?」


銀髪がふわりと浮かぶ。


それは複雑で緻密な模様を創り上げる、細く美しい蜘蛛の糸のようでもあった。

何という美しさだろうか、それはもう見惚れてしまうほどの。


だから、彼女が手を、指を、ふわふわと動かしているのに気がづいていなかった。


「お前の身体を、貸してくれよ」


ニヤリと口角を上げて、冷たく笑う。


その微笑に、ぞくりと震えを感じた。


直ぐに竹澤先生に連絡を取ろうと、スマホを持ち上げ画面を見る。


すると途端に指先に、ちりちりと痛みを感じ始めた。


親指が震え出して、受発信ボタンを押すことができない。

そのうち、ぼとりとスマホが落ちた。


空になった両手を見ると、何か白い粒のようなものがびっしりとこびりついている。


腕を上げて顔の近くに持ってきてよく見ると、それはその一粒一粒が氷の結晶だった。


改めて、彼女を見る。


周りを氷の粒がキラキラと舞っている。


しだいに足の力が入らなくなり、キリキリとした痛みだけが残った。


そして。


私の手と足は、その先から凍ってしまったかのように一ミリさえ動かなくなっていた。


「本当に、凍ってるんだよ」


「う、うそ」


「くくっ、気づけよ、バーカ」


「……この、雪、女」


私が揶揄すると、彼女は薄く笑って言った。


「あーあ、最初から、こうすれば良かったんだよ。善が独り占めして、ちっともお前を貸してくれないんだ」


冷たい、痛い、冷たい。


それぞれの指先の感覚が失われていく。

これが、凍傷の痛みだろうか。


「安心しろ、私が入れば、お前の身体も守られるからね」


すいっと音もなく近づいてくる。

薄ら笑いを浮かべながら。


竹澤先生に共存は習ったけれど、まだ拒否の仕方は習ってない。


どうしよう、身体も動かない、声も出せない。


乗っ取られる、そう思った瞬間、何かが目の前を遮った。


「おい、ウェイリン、やめろ」


その声と後ろ姿で、善光先生と気づく。


「すぐにだ、stop‼︎ お前、俺を怒らせたいのか」


低く抑えた声が、敵を前にした猛獣のうなり声のようだ。


その脅しに負けたのか何なのか、雪女は諦めたようだった。


「……分かったよ」


短く言うと、雪女は部屋を出ていった。


バタンと閉まる玄関のドアの音。


普通に玄関から出てったあ、などと半泣きで思いながら、私は言うことをきいてくれない身体をそのままにして、痺れるような痛みに耐えていた。


自分が今、立っているという感覚もない。


するとふわりと身体が浮かんで、ベッドに横にされた。


「悪りい、風呂借りる」


どかどかと浴室の方へと足音が鳴り響く。


ザッとシャワーの音がしたかと思うと、バタン、バタンとドアが豪快に開く音が響き渡る。


家が壊れるだろうが、このバカ力‼︎


「先生、家、壊さないで」


私が何とか声を絞り出してそう言うと、先生は分かってると言いながら私を持ち上げて、浴室に運んだ。


ドアを開けると、もわっと白い湯気が肌にまとわりついてくる。


「服、濡れるけど。脱がせるわけにはいかねえから」


そう言ってそのまま浴槽へ入る。


そのまま頭からシャワーを浴びせかけられ、そこでようやく温かい、と思った。


けれど、ふと見ると足と腕が半分以上、まだ凍りついていて、ぞくりと背中を冷たいものが這い上がる。


こんなんじゃ腕も足も動かせないはずだ、そう思うと涙がこぼれた。


「大丈夫だ、まだ肌の表面しか凍ってない。温めればすぐに元に戻る。くそっ、もっと早くたまんねえのかよ‼︎」


まだそうたまってはいないお湯を手ですくっては足や腕へと乱暴にかける。


私を後ろから抱き締める腕にぐっと力が込められる。


だからあ、力入れ過ぎ、痛いっつーの‼︎


そして、私の腕と足が温かい温度を感じられるようになった頃、ようやく先生はその力を緩めてくれた。


「おまえ、何で指輪してねえんだよ‼︎」


「だって、あれ返すつもりで……」


「何言ってんだ、このバカっ‼︎ あれはなあ、誰かがお前に入ろうとした時に、ちょっとした電気が走って、入れねえようにするやつなんだよ‼︎ せっかく、ライズのおっさんに頼んで作ってやったってのに‼︎ してなきゃ、意味ねえだろうがよ‼︎」


私はくるりと身体を反転させて後ろを向いた。

濡れて額に張りついた髪を手でかき上げると、胸のモヤモヤを一気に吐き出すようにしてまくし立てた。


「だったら、それ早く言ってよねっ‼︎ そんなんだと思わないでしょ、あんな風に渡されたらっ‼︎ もう‼︎ もうっ‼︎」


腰まで浸かった湯を両手で思いっ切り叩く。


バシャバシャと先生に向けて浴びせたかったのだが、もちろんのこと自分にもぐっしょりとかかって、余計に不快な気持ちになった。


けれど、それでもお構いなしに叩き続ける。


「わ、分かった、ちょ、お前ちょっと落ち着け‼︎」


「一言、そう言やぁいいのに‼ ︎バカはどっちよ、このクソバカヤロっ‼︎」


怒りが抑えられない。

溢れてくる。


「死ぬとこだったあ‼︎ あんたのせいで死ぬとこだったあぁ‼︎」


「悪かったって‼︎ だか、ら落ち着けって‼︎ 俺が悪かったからっ‼︎」


バシバシと叩いていた手をぐっと掴まれる。


涙がどんどんあふれてきて止まらない。


こんな風にして、私は感情も、私の中に溜まっている何もかもを吐き出したかったのかもしれない。


声も、涙も、怒りも、悲しみも、全部吐き出したかったのかもしれない。


「うわあああ……‼︎」


今までに、身内の死を経験していたとはいえ、今回は自分自身が死にあまりにも近づき過ぎて、おかしくなってしまったのかもしれない。


狂ったように暴れまくる私を、先生は何とか抑えようとしていた。


「分かった、分かったから‼︎ 落ち着けっ、瑠衣‼︎」


「わあああ‼︎ うわああ、うっ、うえっ」


強い力で、抱きしめられる。


抑え難いおえつで、全身がびくびくと小刻みに震える。


こんな目に遭うなんて、思ってもみなかった。


父を亡くし、母も亡くし、ただそれだけであったのに。

そんな哀しい現実の、それ以上でもそれ以下でもなかったのに。


「聞いてくれ、瑠衣、聞けって。俺が何とかするから。俺に任せろっ、ずっと側にいてやるから。俺が全部、良いようにしてやるから‼︎」


「何よ、その上から目線は‼︎」


この人は私の怒りを買うのが上手らしい。

怒りのスイッチ、勝手に押すなっ‼︎

この、この……この、バカ力‼︎


「離せっ‼︎」


私はガバッと身を起こして浴槽をまたいで出ると、ぐっしょりと重い服を脱ぎ始めた。


「お、おい、何するんだっ‼︎ 瑠衣、止めろって‼︎」


「こっち見るな‼︎ バカっ」


先生が慌てて壁側を向くのを確認すると、下着も全部脱いで真っ裸になった。


そして浴室のドアを開けて、棚のバスタオルを掴むと、一気に廊下を走り抜け、自室へと入る。


カギをかけたい位だったけれど、ほとんどの子供部屋がそうであるように、私の部屋も例外なく、カギはついていなかった。


身体を軽くタオルで拭くと、タンスの引き出しを開けて下着をつける。


少し大き目のTシャツと短パンを履くと、すぐに今度は勉強机の引き出しを開ける。

善光先生に押しつけられた小箱を取り出し、慌てて小指にリングをはめた。


リングははまったが、手が震えて小箱が転げ落ちた。


そして、ほうっと細く息をはくと、そのままベッドへと倒れ込む。


ちゃんと、思考能力はある。

判断能力だって。


ずぶ濡れの服で、廊下を走ったら、後始末が大変とか、ちゃんと考えられているんだからね。


後は髪を乾かして、それと濡れた洋服を洗濯するだけだって。


泣いたって、暴れたって、理性は手離してないんだ。


それなのに、あのバカは、私を抱きしめた。


「何すんのよ、本当、」


そして、脱いだ下着が置きっ放しだったことを思い出し、ぎゃーっと大声をあげながら、廊下を全力で走って浴室へと戻った。


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