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Itan  作者: 三千
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異端

Itan


明け方、カーテンの向こうの、まだ白々としているだろう色の薄い空を想像する。

雀のさえずりが異様なほど鮮明に、チュンチュンと頭に鳴り響く。


このはっきりとした覚醒。


ああ、例のあのことがあったに違いない。


いつもなら。

例のことがない、普通で平凡な日であれば、寝ぼけまなこで直ぐにでも二度寝ができそうなぬるい目覚めだ。

それでも学校へ行かなければ、という義務感で無理矢理身体と頭を叩き起こしているのだから、この感覚は間違いはない。


こんなにもはっきりとした意識の中での目覚めは、私を相当落ち込ませた。


ああ、また、やってしまったのか。


「あーあ、もう嫌だあ。こんな私、一生恨んでやる、呪ってやるぅ」


頭を抱えてそう独りごちてから、私はベッドの上で上半身を起こした。

すんなりとなめらかに言うことをきいてくれる、この手足。


そう、こういう日は必ず身体のあちこちが異常なほどに軽くなり、自分の予想範囲を超えて、手足が勝手に動いてしまう。


そう、身体が必要以上に、動き過ぎてしまうのだ。


だからこんな朝は、牛乳をマグカップで飲む時なんか、顔にぶっかけないようにと、かなりの注意が必要となる。


ベッドに座り込んだまま、そろそろと辺りを見回す。


昨日見た景色と何か違っている部分があるはずだ。

見慣れた自室を一箇所ずつ、注意深く探っていく。


けれど、ぐるっと見回してみても、何一つとして部屋の様子に変わりはないようだ。


それを確認すると、ほうっと安堵の息が出た。


「はあ、良かったあ。なんも起きてない……でも、うっそ、こんなこと初めてだわ」


立ち上がって、遠い昔に祖母が買ってくれた勉強机に手を置いてさらに見回す。


部屋中のどの部分にも変化がないことをもう一通り確認すると、その続きで机の上に目をやる。


日本史の教科書とノートが付かず離れずの距離を保って置いてある。

ノートの表紙には、勝田瑠衣かつたるいとの、丸っこい字。


私は自分で言うのもアレだけど、この丸っこい字をとても気に入っている。

可愛いような、それでいてぶりっ子ではない、その中間の絶妙なバランス。

研究に研究を重ねて編み出した究極の技法なのだ。


「にしても、このネーミングセンス、何とかして欲しかった。『かつたるい』って、まんま『かったるい』じゃん。お父さんお母さん、恨みます」


今は亡き、父母。父の顔は記憶にないが、母は最近まで一緒に生きてくれた。


けれど一生懸命私を育ててくれていたその母も、一年前に事故であっけなく死んでしまった。

兄弟も親戚もいない、と言うかその存在を知らない。


ついに天涯孤独というカテゴリに入ってしまったのだ。


「そんなの、映画とかさ、マンガとかの世界だよね。考えたこともなかった、この世に独りぼっちだなんて」


だから、母の葬式を出すことができなかった。


母が生前懇意にしていた人達が、色々と手を貸してくれたので、形式的な手続などの一通りのことは、なんとかこなせたけれど。


それから、私のクラスの担任である竹澤たけざわ先生が、親身になって相談に乗ってくれた。

一緒に泣いてくれた友達もいた。

だから何とか乗り越えられた。


すんと鼻をすすって世界を現実へと引き戻すと、学校に行く前に片さなければならない英語の予習が思い出された。


パジャマのままキッチンへと向かう。

廊下の先に続くドアを開ける。


その途端、私はどきりと跳ね上がった胸を押さえて立ち止まった。


そして、顔面蒼白。


「うあああぁぁ、うそぉ、やっぱり‼︎」


呆然とする私の前には、ぬいぐるみの山。


ゲームセンターで入手したと思われる、こまごまとした景品のぬいぐるみが、キッチンの机の上に、所せましと置かれている。


そして、少し高級そうで周りのぬいぐるみよりも一回り大きく、作りもしっかりしてそうな可愛らしいクマのぬいぐるみが、透明なビニールに入れられて、その真ん中にどんっと鎮座している。


結ばれたリボンには、可愛らしいピンクの造花があしらってあった。

これだけは、お店で買ったものだと直ぐに分かる。


そんなぬいぐるみの山を前にして、しばらくの間、その場に立ち尽くしていたが、外を走り回るバイクのエンジン音で我に返り、ダッシュしてさっきまで寝ていた自室に戻る。


「うそ、うそ、誰かウソって言ってえ」


なんとも情けない声を発しながら、いつも持ち歩いている小ぶりのバッグの中をガシャガシャとかき回した。


「さいふ、財布……」


取り出した財布の中身を、急いで確認しなければと思うと、手が震えてファスナーが引っ掛かり、余計に手間取る。


ああ、もうっもうっ! とやりながら力いっぱいに引っ張ると、ギャっと悲鳴をあげて、財布はパックリと開いた。


財布の中を、恐る恐るのぞき込む。


そこには。


学校から家とは反対方向にある商店街のファンシーショップ・スクエアのレシートと、そこに昨日の昼までは存在していたはずの一万円札の変わり果てた姿[(その一万円札を使ったお釣りであろう数枚の千円札)]があった。


「……だよね、そうだよね、おかしいと思ったんだって。すっきり起きられたからさあ、絶対何かあるって。くっそ~、もう嫌だあ。また、やってしまったのかあ」


私は可愛いふちどりに彩られた、「合計6489円[(税込)]ヌイグルミ」のレシートを持って踵を返すと、雄叫びをあげながらベッドにダイブしたのだった。


✳︎✳︎✳︎


この時間だと完全に授業は遅刻。


けれど、生活費の一部であるこのクマのぬいぐるみの代金は、返金して貰わなければならない。

こちとら、この件に関しては死活問題である。

学校の先生には悪いけれど、授業は二の次です。


私はレシートに記載されているショップ、スクエアの前でビニールに入った大きなクマを抱え右手にレシートを握り締めて、お店が開くのを待っていた。


「あー、もう夢遊病だわ、絶対そう。完全に、そう‼︎ 病気って事で決定~ああっ‼︎」


私は声を荒げて独りごちた。


今までにも何度か、こういうことがあった。

すっきりと目覚める日、部屋を見渡すと、必ず身に覚えのない何かが置いてある。

それはお菓子であったり、洋服であったり、ファンシーグッズであったりした。


そう、それらは確実にこの私、勝田瑠衣、本人が購入している。

それは間違いない、その点は各店舗の店員さんにも、確認済みだ。


けれど、記憶がない。


私本人に一切、これらの商品を店で購入した覚えが、まるでないのだ。


学校帰りにその店に寄った記憶も、帰り道に転んだりしながら帰ってきているのであろう[(たまにひざなどの擦り傷にバンドエイドが貼ってあったり、青あざが出来ていたりする)]、その記憶も皆無なのだ。


そしてそんな日の翌朝は決まって、すっきりとした目覚めが待っていた。


最初は訳が分からなかった。


部屋には身に覚えのない商品が置いてあり、そして財布のお金が減っている、なんてこと。


初めは、持っていたはずの金額に足りていない財布の中身を見て、誰かに盗まれたのか、自分の勘違いだと思った。


けれど、よくよく確認してみると、その消えたお金の代わりに買い物をしたという決定的な証拠であるレシートが、きちんと毎回突っ込まれているのだ。


ちゃんと商品代金は支払ってるし、レシートの商品名と物とが一致している。

万引きなどでは断じてなく、それが分かった時には心底安堵し、胸をなでおろしたけれど。


こんな状況が続き、病気なのかもしれん、うわああ‼︎


などと、パニックになって部屋の真ん中で叫びながら頭を抱えたり暴れまくったりしても、どうか許して欲しい。


「この状況で正気を保つ方が、難しいわ。はあ」


言葉にすると途端に現実に引き戻されて心細くなる。

そしてこの奇妙な珍事は、母が亡くなってから始まり、今までに何度も繰り返されてきた。


気味が悪いのを除いたとしても、母が遺してくれたお金だから、無駄遣いしないようにと切り詰めているのに。


大切に使っているのに。


涙が出そうになったところでお店のシャッターがガラガラガシャンとすさまじい音をさせて、開け放たれた。

その音は、まるで動物が檻の中へと放り込まれ鍵を掛けられるような無機質で乾いた音となり、私の耳と心の隙間に無理矢理ねじいって入り込んでくるようでもあった。


その冷たい感触に、悲しみと不安が膨れ上がる。


そんな私の顔を認めた店員が、おや、と怪訝な顔をして近づいてくる。


「どうしたの?」


優しげに、聞いてくれた。その声に、少しだけ癒される。


「あの、これ昨日買ったと思うんですけど……」


店員は、ニコッと笑顔を作ると、


「ああ、君ね。どうしたの? 不良品だった?」と言った。


やっぱり私が犯人でしたか。

私は苦く笑いながら言った。


「いえ、あの、い、妹に買って来てって頼まれたんだけど、クマ違いだったみたいで。返品ってできますか?」


けれど、その苦笑いが功を奏したのか、


「ああ、いいけど。レシートある?」


良かった、ほっと安堵の息を吐く。


少しだけぶっきらぼうに返されて、そりゃ返品なんて面倒なこと言われたらそういう態度になるよね、と思う。

すみませんと小声で言いながら恐縮しつつレシートを渡す。


店員さんは店内に入っていってレジを開けた。

6489円[(税込)]の現金を持って、スタスタとこちらに向かって歩いてくる。

背の高い人だと思う。


「はい、どうぞ」


「すみません、ご迷惑をお掛けして」


私は頭を首がめり込むくらい低くして、平身低頭で謝った。

身に覚えのない謝罪に納得がいかない気持ちはあったけれど、これで生活費は取り戻した‼︎

心でガッツポーズを作る。

今日の学校の帰り、頑張った私にご褒美でモンテーヌのプチシューを買ってあげよう。


私は再度お礼を言うと、もうすでに大遅刻となってしまった学校へ向かおうとくるりと踵を返した。


「あ、ちょ、君!」


背中に声が掛かる。振り向くと、店員さんが何だか妙な顔をしている。

何だろう、と思う。

もしかして、やっぱり返品だめって言われるのか。


「あの、さ、まだ彼氏募集してるよね、僕なんかどうかな。良かったら、付き合わない?」


そして私はそのまま灰のように真っ白になって、その場に立ち尽くした。


「か、彼氏、とかって言って、ましたか? わ、わ、私……?」


驚きのあまり声がひっくり返る。


店員さんが少し照れたように人差し指の先で鼻をかいている。


「え、うん。こんな可愛いのに彼氏いないんだなって、思って」


全身に震えが走る。覚えてない‼︎

覚えてないよ、私‼︎


あわわわとなっている間にも店員さんが続ける。


「でも君、昨日と何だか感じが違うね。クマもすごく気に入ったって笑って抱きしめてたから、自分用かなって思ってたよ。それに彼氏募集中ですって店中に響くくらいに大きな声で。元気だなって可愛いなって思って、その時僕、手上げようかなって」


「あ、えっと、それはあ……んん」


それ、私じゃないんです‼︎

って、でも私なのかっ‼︎

あああっ‼︎


パニックの頭を抱えて、私はどう言い訳をすればいいのか、考えられなかった。

頭を開けて覗くことができたら、きっとぐるぐると渦を巻いて、鳴門の渦潮みたくなっているだろう。


「俺じゃ、だめかな」


「え、違、ご、ごめんなさい。す、好きな人いるんで、えっ‼︎ うそっ、何言って‼︎ あ、いや、とにかくごめんなさいっ‼︎」


私は深く深く頭を下げると、くるりと翻って、力の限り走った。


「え、ちょっ、君‼︎ ちょっと‼︎」


店員さんの呼び声が次第に小さくなっていく。


ごめんなさいっごめんなさいっと心で何度も繰り返しながら、走って走って走りまくって、学校の門をくぐった所で力尽きる。

その場に座り込んでしまうと、はあ、はあ、と次々に荒い息。


こんなに走ったのは久しぶりだ。

背中も肩も喉も、心臓も跳び上がっている。


「はあはあ、私何言ったんだあ、もう嫌だあ、はあはあ、本当アタマおかしいわ」


しばらくして息が整ってくると、今度は空恐ろしい気持ちが襲って来る。


知らないうちに、自分が勝手に他人と会話している。


自分の知らない所で、自分の意思とは無関係に。


その事実が底知れぬ恐怖を呼んでくる。


「どうしよう、どうしよう、私」


不安な気持ちで一杯になり、動くこともできない。


そのまま身じろぎもせず、長い間座り込んでいた。

その間も脳がフル回転して色々な考えを浮かび上がらせているのだろうけど、それの一つでさえ明白にし精査することができない。


「正気っ‼︎」


頬を両の手のひらでバチっと叩く。


痛みで現実感が出てき始めると、今度は何だか全てを放棄したい気持ちが襲って来て、今日は学校サボろうかと思ったけれど、すでにここは学校の中だったと思い直した。


私は深いため息を吐くと、ようやく立ち上がってふらふらと校舎へと入った。


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