1歩目
やっと空が白ばみ始めた時間帯、目が覚める。自分の息を殺す。もう1人分の呼吸が聞こえる。ゆっくりと隣を見るとまだ暗くてもよく映える白色というより銀色と言った方がいいような綺麗な髪が見える。手を伸ばし触れようとする直前で踏みとどまる。もう完全に習慣づいてしまった一連の流れだ。
起き上がり固くなった体を伸ばす。彼女を背負い、目が覚めるまで歩いて先を目指す。これも一連の流れになった。目を瞑っていても出来る。最初は背負って歩く事も大変だった。そもそも熟睡して力が抜けている人を背負うこと結構大変だったりする。いくら小柄で体重が軽くても人は人、重い(こんな事を本人に言えば怒られるに違いない)。特に慣れないうちは目も覚めておらず寝ぼけた状態でこんな事をするから足元もおぼつかず何度転びそうになったことか。
ザクザクと音を鳴らしながら砂の上を歩いて行く。うっすらと見える景色は一面が砂。砂漠だ。なぜ自分はこんな所を歩いてるんだと度々思うが、背中のこの子を見るとやはりするしかないのだと感じる。あたり一面砂で、何も無いこんな所をひらすら歩いていると、よくまだ気が狂っていないなと感心すらし始める──いや、もしかしたら既に狂っているのかもしれない。そう思って笑えてきた。
背中の少女。この子とこんな歪で今にも崩れそうな関係を結んでいる。俺が拒めば、俺が望めばいつだって簡単に崩すことができてしまうような関係。俺が一方的に始めて押し付けて強制した関係。それでも、彼女には拒む権利なんてないのだ。なにをされようとも。
彼女は俺を受け入れるしかない。
歩き始めて数時間(時間を確認する術がないので定かではないが、太陽が出てきたのでそう判断した)ゴソリ、と背中で動いた。
うぅ、と唸るような声を出してぐずるように顔を押し付ける。猫のようだな、猫耳や尻尾を付いていれば似合いそうだ。白い動物はみな神々しく見える。蛇に獅子、様々。彼女もまた白い──雪が降れば溶け込んでしまうかもと心配するほどに。そういえば、住んでた家の近所に白い猫が居た。思い出してみるとなおさら彼女とそっくりに思えてくる。あの猫はどこに行ったのだろうか。いつの間にか居なくなってしまっていた。猫は死ぬ時はどこかで1匹で死ぬと聞くが、死んでしまったのだろうか。寂しがり屋の癖に寄ると直ぐに逃げてしまった猫を思い出して寂しくなった。寂しがり屋が移ったかな。
ふわりと風が柔らかく吹き髪が一束こちらに垂れた。キラキラと光に反射した綺麗な髪。不思議と今の彼女は汚れない。新陳代謝も止まっているのだろうか汗もかかなければ何かを食べることもない。心臓が動いていないのではと不安に思ったことはあるがちゃんと動いていて安心したこともある。今でもたまに不安に思ってたまに確認するほどだ。しかし、彼女は今、時間が止まっていると言ってもいいかもしれない。なにも話さず、何も食べず、歩くことも何かに興味を示すこともない。自分から何かをするのは睡眠のみ。せめて街に着いたら良い宿をとってやらないと。
何度が休憩を挟んで夕方になる頃、遠くに光が見えた。やっとか、と思って少し足が速くなるが、そういえば前にこんな事をしてすごく遠かったことがあったな。走っても走っても着かないし、結局着いたのは翌日だった。あれは本当に心が折れそうだった。焦るなと自分に言い聞かせ、ふうと息を吐いて足の調子を元に戻す。
さて、今度の街はどうだろうか。前の街よりは光が多い。発展しているのだろう。このまま夜が更けても明るいなら間違いないだろう。夜も活動するというのは発展している証拠だし、見張り以外に光を使って害獣を避けるというのもそうだろう。こんなに大きい街は久しぶりだから楽しみだ。
辿り着くのは割と早かった。いや、日はすっかり沈んで月も真上にあるがそれでも幻影ではなかったらしくこの時間に着いた。正直言って日が明けてから着くことを予測していたのでこれは嬉しかった。
門に近づいていくと門番──かなりの軽装備だ。胸当てに兜、そして槍1本。(これでは非常に備えられなさそうだ)が見えた。
「おい、お前。止まれ」
そのまま横を通過しようとすれば当たり前だが止められた。警備は……2人──若い男と中年の男。見えているだけでだが。あんな軽装備の兵をたった2人置いておくだけのはずがない。特殊な道具や技術で他の場所から見ているか隠れているのだろう。こんな時間帯だ。女の子を背負った男が来たらさぞ怪しいだろう。俺が警備だったら人攫いにしか見えん。
「何者だ。こんな時間に外から来るなんて珍しい。」
「おいおい……なんだその口の利き方は。強く当たるなと言ってるだろ」
若い男が睨むような表情でこちらに近付き、強く言ってきたが、すぐに中年の男が間に入り注意された。なるほど、経験不足の新人とベテランを組ませて育てるのか。この時間帯なら人も少なく危険になることも滅多にないだろう。対応もしやすい、性格には苦労してそうだが。
「で、どういったご用件で、時間が時間なので簡単に通すことはできません」
「旅をしていまして。2日ほど砂漠を歩いて来ました……背中のこの子は妹です。似ていないとはよく言われるんですけどね。そろそろ体力も限界ですし、食糧の補給もしたい。どうか中に入れてもらえないだろうか」
似ていないのは当たり前だ。兄妹ではないのだから。しかし聞かれたらいつもこう答えてる。横の若い男がちょっと怖い。話してたら彼女を見て、俺を睨んでいた。疑われてそうだな。
「おお……それはそれは。大変でしたでしょう。そういった用でしたらどうぞお入り下さい。おい、入口まで案内してやれ。アレを忘れるなよ」
こっちの中年のおっちゃんは人が良い。深く聞かずに通してくれた。
若い男は小さく返事だけして歩いて行く。
「彼について行ってください。すみませんね……無愛想ですが、悪い奴ではないんです。仕事はするのであとは彼がやってくれます。それではお気を付けて」
言うとおっちゃんは手に何枚か金貨を握らしてくれた。やはり良い人だ。先に行ってしまった男を追いながら少し嬉しい気分になった。
大きい門の下まで着くとその横に扉があることに気付いた。そして扉の上に薄く赤色で光っている棒のような装置がある。
「このまま通るとあの装置に引っかかって警報が鳴ります。規則でこの腕輪を着けてもらうことになっています。腕輪は昼の間に街の各所で取り外してもらえますので外してもらってください。原則、付けている限り外には出られません。夜もです。日が暮れたら鐘がなるのでそれ以降、街より外には出られなくなります。詳しい質問は街の中でお願いします。宿で聞くこともできます。宿は外周の壁に沿うように立地しています。地図はコチラですので参考に。……ご質問は?」
スラスラとまるで紙の文でも読んでいるように話していく。確かに仕事はできる。
「いや、ないよ。ありがとう」
「それでは腕輪を着けさせていただきます」
腰に付けている金環から輪っかを2つ外して、俺と彼女に着けて、地図を渡された。
扉を通されると、やはり思ったとおり大きな街だ。外周は街灯もポツリポツリとではあるが整備されている。歩くには問題は無い。中心に方から明かりも漏れている。あの光が外から見えていたのだろう。賑わってそうだ。キョロキョロと周りを見て感心していると
「法……という、ほどではありませんが、ここは多文化地域となっております。お気をつけください」
外部からの人間によるトラブルも多いのだろう。釘刺されてしまった。こんな街ではハメを外したくなる気持ちも分かる。目的を忘れないように気を付けよう。
宿を探して歩くが、この時間だ、簡単には見つからない。どこも明かりは点いておらず、このままだと宿が見つかる前に夜が明けてしまう。笑えない。外周を歩き続けるがあるのは薄暗い街灯だけ。
「これは…中心に向かった方がいいか」
こんな所を歩いていて襲われでもしたら困る。それに、人に聞けば空いている宿が見つかるかもしれない。
足の向きを変え、中心に向かって歩き出す。この街は放射線状になっているらしく、ありがたいことに道に迷うことはなさそうだ。
しかし、噂をすれば影がさす。街の中心に文化が集まり外に向かって光がなくなっていくのなら犯罪は増えるわけで。
「駆け落ちかい、兄ちゃん。逃避行のゴールは残念だがここだ」
「女と有り金で命を助けてやるよ。置いてきな。」
詰まる所、追い剥ぎに出会った。人数は2人──布で顔は両者とも隠している。刃物を持ちチラチラと脅すように刃先をみせている。
慣れているな、こいつら。
「……この子は大切なんだ。見逃してもらえないだろうか」
「そりゃ無理な話だ。こっちも女に飢えてるんでな。運が良ければ死なねょよ」
ジリジリと近づいてくる。さて、どうするべきか。戦うならば伏兵の奇襲を避けるために壁を背にするべきなのだが、人を背負っては戦えない。下ろすことは論外だ。
「じゃあ……逃げる!」
となれば走るしかないだろう。隠れている仲間が出てくる可能性もあるが、あの場に留まるよりはマシだ。中心街まで逃げれば追ってこないはず。
しかし、予想されていたのか前に数人が立ち塞がる。
1.2……5人いる! 後ろに2人。何人か居るのは考えていたが多い。
「おい!悪いがもらうぜ」
前の1人が掠れた声で叫ぶ。……なるほど、別グループか。だったら!
横に曲がり、細い道に走る。追っ手が来るのは当たり前で声を荒らげながら後ろを付いて来る。
さて、グループが2つ、獲物は1つ、人数は多い、道は狭い。するとどうなるか。
「なっ?! おい! 邪魔だ!」
「なんだと?! お前が邪魔だ!どけ!」
つまり、潰し合いだ。
「じゃあな!」
「あっ! 待てや! くそ、邪魔なんだよ」
上手く撒けた。このまま中心街まで行ってしまおう。