静寂はいつ
「……可愛い寝顔じゃ」
我は目を覚まし目の前で寝ている大男の寝顔を見て微笑んだ。朝からこんなに清々しい気分なのは久しぶりじゃ。それもこれもこやつのおかげか、昨日の言葉のおかげかはわからぬが気分は良い。
我は昨日、契約を深くした。そう、こやつとなら上手くやっていけるような気がしたからじゃ。普通なら会って間もない男なんぞに触れさせる肌なんてのは持ち合わせはおらんが何故だか、こやつにはそれが許せた。
「惚れて……おるのか我は」
「……ん……あぁ……よう……」
目の前の大男の目が開かれた。朝は機嫌が悪いと言うのは本当のようじゃ。窓から入る日差しが目に入り相当眉間にシワが寄っている。その頬に触れて首元に顔を埋めた。
「うむ……! ふむ、ちと汗臭いのう……主よ、風呂に入って来るがよい」
「……OK……うぉ。足すげぇな……」
これでより深い関係へとなった訳で、その結果アプスの足は人間のそれでは無くなり紅い鱗の生えた竜の足に変化しておった。それは我との関係の深さを証明するモノでこれからも深くなるに連れてアプスの体は人とよりかけ離れたモノになっていくじゃろう。
アプスはそれで本当に良いのじゃろうか。
「主よ、本当にこれでいいんじゃな……? もはや人には戻れぬぞ……」
「構わねぇよ……それに少し気になる事が出来てよ……それを確認するためには足が必要だ。お前が必要だ」
「全く……契約がより深くなる事で主の体や心は人のそれが失われていく……怖くはないのかえ?」
「……怖くない、と言えば嘘になるが……俺はすでに一度死んで半分、人じゃぁないんだ……足に鱗が生えたって歩けるなら大した問題じゃねぇだろ」
ベッドから降りて光を浴びる為にカーテンを開けたアプスはこちらを向いてニカっとまるで子供のような笑みを浮かべなら我に感謝の言葉を放つと脱いでいた上着を羽織にそのまま浴場へと向かった。
我は異常なまでのアプスの精神の強さに憧れを抱いたが、同時に心配も増えた。
「あれは……何かを憎む目、憎む心じゃな……何をそんな執拗に憎むのじゃろうか……教えてはくれんのじゃろうな……何をそんなに憎むと言うのじゃろうか」
浴室でのアプスは──
「……騎士団長を殺したとは言え……ファフニールが出てくるはずがない……それも……ニヒヒ……遠征中のファーレンの不死隊を指揮していたはずのファフニールがそれを中断してまで帰還する何かを俺が起こした……ふむ……確かバシュムの遺跡であの男達が言っていたお姫様……もしかするとあれがメリナだとすると……さてさて……ドラコ公国は腹に何か抱え込んでんな…………あぁ、クソ……厄介な事、しちまったかねぇ」
そう言いながらもアプスの顔は狂気染みた笑顔を浮かべて竜のモノとなった足はまるで灼熱のマグマのような熱を帯びていた。
「……ティア、ちょっといい?」
我が部屋で裸のまま寝転んでいるとバシェが部屋をノックして入って来た。我の姿を見た蛇女は半ば呆れながらため息を吐いた。
「契約、深めたの? それがどういう意味かわかってるの? あの男には伝えた?」
「……まだじゃ……じゃが……伝える気にならん……アルカナと同じ末路を辿るのは……嫌じゃが……言えん」
契約を深める行為には一つだけ、アプスにとって大事な事があったがそれをまだ言えておらん。言わなくてはならん事はわかっているがそれを伝えた時、拒絶されるのが怖くて仕方無い。
「……なぁバシェよ。我はおかしいかえ?」
「いんやおかしくないさ。女として当然の事さ。まぁ、彼、女の人を大切にしそうだし、いいんじゃないかな」
「うむ……昨日も優しかった……いつもとは全然違う感じじゃった」
「はいはいごちそうさま」
その後、バシェは昨日ティアが起こした事の後始末をする事となった。
勿論、ティアはケロッとした表情でその場から逃げた。どうやら目撃者が多数いたようで中々大問題になっているらしいがそんな事はティアには関係がなかった。
騒ぎは一週間もすれば騒ぎは収まっておりほとんどの人間が起きた事など忘れていた。ティアにとっては好都合だ。
「……ふむ、アプスそろそろその足にも慣れてきたころかえな?」
バシェが仕事に追われている頃、ティアとアプスはバシェから外出禁止を言い渡されており屋敷の中で暇そうにポーカーをしていた。
この頃からアプスはずっと昔にやめていたタバコをまた吸い始めるようになっていた。部屋はタバコを吸う息の音と紙同士が触れる音だけがしていたが、それに耐えきれなくなったティアはノーペアのトランプを投げ捨てるとその場に横たわり足をバタつかせた。
「とりあえず負け分の金払えよ」
「ぬぅ……人の考える遊びは難しいの……」
ティアはトランプを見ながらふむふむ、と考えるように一枚一枚を重ねていった。
それを横から見ているアプスは無性に邪魔をしたくなっていた。しかし息を吹きかけようとしていてそれに気付いたティアはトカゲのような紅い鱗に覆われた尻尾をアプスの口に巻き付けるとそのまま重ねるのを再開し始めた。
「っぷはぁ!! 死ぬわ!!」
比較的静かな屋敷の中に響く賑やかな声。バシェの仕事が一通り終わり休憩をとる事になり部屋でお茶を飲んでいた三人だが一人の執事がそれを陰から眺めていた。まだ若くこの屋敷に勤めてまだ間もない。
そんな彼には普段は意外と物静かな素っ気ない主人であるバシェが人が変わったように明るく、使用人には見せないであろう笑顔を振りまいていた。彼はバシェの身の回りの世話をする係で何かとバシェの傍に居る事が多いがそんな顔は今まで見た事がないのだ。
一言で言うのなら嫉妬だろう。
「……僕にはあんな顔……バシュム様……」
その不穏な視線にティアとアプスは気付いていたがバシェの手前、気にしていないフリを一貫して続けた。バシェはその視線に気づいておらずただ楽しそうに笑っていた。
「……何も起きなきゃいいがな」
アプスの隣に座っているティアに無駄であろう願望を小声でアプスが伝えるとハッと鼻で笑われその場は解散となった。
アプスも流石に今日何かしてくることはない、と思い込んでいたが若者の行動力とは凄まじいモノでその日の夜、アプスとティアの部屋の扉を何者かが開けた。執事だ。もう夜も更け他の生き物達も寝静まった頃、ナイフを片手に部屋に忍び込みベッドの傍まで忍び寄る執事。
「……」
ナイフを静かに振り上げ、少し思い止まったがすぐにそれを振り下ろそうとしたがその行動は途中で止まる事となった。ぐっすりと寝ているアプスの横で裸になって寝転んでいるティアが目を開けて執事を見つめていたからだ。
「!」
「……寝ている時ぐらい……穏やかなモノにさせてくれんのかえ……?」
「……ぼ、僕はバシュム様の……事が大好きなんだ……僕に見せてくれたことの無い顔を……その男が見ているのが妬ましい……憎い……」
俯きながら執事はアプスへの感情を静かにティアに伝えると彼女は深いため息を出した後に呆れたように、またしょうもなさそうな顔になり執事を見据えた。冷たい視線を受けた執事は身震いしながらナイフを握り締めた。
「…………淀んだ憎悪じゃな……憎悪ならこやつの方が一級品じゃ」
「君に何がわかるっていうんだ!!」
執事は裸のティアに覆いかぶさるようにしてナイフを突きつけた。のがいけなかった。隣に誰が寝ていたのを忘れていたのだ。そう、その行為は傍から見れば脅して無理矢理しようとしているようにも見える。
執事のこめかみ辺りに冷たい筒のようなモノが突き付けられて動きが止まった。カチャっと音がしていつでも自分の命がなくなる事が理解できたのだろう。
「……大胆だな」
執事がナイフを捨ててティアから降りるとアプスが起き上がり同じようにベッドから降りると執事の膝を前から蹴り折ってしまった。
「ぁぁぁっ!!」
関節が曲がるべき方向ではない方向に曲がり、叫びながらその場に倒れた。アプスは落としたナイフを手に取りマジマジと見ながらため息を吐きながら相手にナイフを見せた。
「……このナイフは誰から貰った。装飾が普通のそれとは違う」
「……くっ……ぅぅ……バシュム様……から」
「そうか……お前は大切な人から貰ったモノで人が殺せるんだな」
ナイフを地面に刺して少し待っていると声を聴いたバシェが急いで寝間着で部屋に突入して行き現状をあまり理解出来なかったバシェだが、アプスの銃を取り上げて執事の方に座り込み大丈夫? と心配そうにしていた。
「俺が悪者かい」
「アンタねぇ……自分の体の構造わかってる? 半分竜なの、足竜なの。そんな力の制御が難しい体で一般人を蹴ってみなさいよ。何があったのかは知らないけど、私の中じゃ今はアンタが一番の悪者よ。それで、何があったの? ティア」
「ふむ、アプスの寝込みを襲おうとしてたのはそいつじゃが、我に刃を突き付けて覆いかぶさって来ての。それを起きたアプスが見てこういう状況じゃ」
「よし君ギルティ。足が治るまで謹慎処分よ」
バシェが他のメイドや執事達を呼び若い執事の手当てをさせに違う部屋に連れて行かせるとベッドに座った。そしてアプスに銃を返すとため息を吐いて頭を指で掻きながら謝ると同時に相手の目を見据えていた。
「ドラコ公国の使者が昨日の昼過ぎに文書を持って屋敷まで来たわ。戦争をやりましょうってね」
「ほう……どうせ俺が居る事がバレてんだろ?」
「まぁ、そうなんだけどさ。実はこの街、ドラコ公国の領じゃないんだよねぇ」
「マジで? 王都なんて目と鼻の先なのにか?」
そう、バシェが治めるこの街はドラコ公国のモノではない。
帝王 オーディン・ユグドラシルが一代で築き上げた帝国、ヴァルハラ帝国と言う帝国の領地で、その領地に自国の誉高い騎士団の騎士団長を殺した犯人が居るのだ。当然、ドラコ公国としては捕まえて公開処刑にする事で国の威信を回復させたいと思っている。
ヴァルハラ帝国の端の端とは言え、ヴァルハラ帝国にとっては隣国に面する領地の一つだ。やすやすと明け渡すほど、穏やか国ではない。
「戦争かえ!?」
話を聞いていたティアがワクワクと目を輝かせながら物騒な単語を嬉しそうに発し、それを聞いてバシェはため息交じりに頷いた。災厄の竜 ティアマトにとって戦争とは甘美なるモノで食欲より、睡眠欲より、性欲よりも、どんな事よりも優先させる事だ。
そして、今、戦争が起きようとしている。アプスの行動がここまで大きくなるとは本人自体、思いもしなかったであろう。だが半分がティアマトの体になったアプスもまた戦争と言う言葉にその口を歪ませていた。
「……あのねぇ……アンタらその顔、それで外に出たら捕まるわよ」
頭を押さえながら二人の顔を呆れた顔で見ていた。
少しした後に一人の老執事を呼びポケットの中に入れていた手紙を渡した。
「これを帝国に持って行って頂戴」
「御意。格騎士の駐屯所の方にもお声をかけて参ります」
「あのおっさんすげぇな」
「あら、わかる?」
「なんとなくな。ベルベット程じゃぁ……」
ふと、名前が出た親友の名前。名前を発した後に彼女の事を忘れていたのを思い出した。
「…………」
「どうしたのじゃ?」
「いんや、なんでもねぇよ」
もし会えたならもう一度蹴りかかってやろうか、とため息交じりの笑みを浮かべながら立ち上がり窓の外を見たアプスは蛇の軍旗を掲げた騎士達が集まり始めているのに気付いた。
「おっ、早い集まりじゃないか。さて、二人はどうする? 一緒に戦争しに行く?」
「おうよ」
「当たり前じゃ!」
「治安が悪い街じゃいつでも準備万端よ」
集まる騎士達の恰好はバラバラで、紅い鎧の集団、黒い鎧の集団、掲げる旗は異なるが先頭が掲げる旗はバシェのそれである。バシェが治める街には自警団のような騎士団がいくつもある。騎士団同士での小競り合いもあるが、有事の際はバシェの名のもと一つに纏まるのだ。
「良く集まってくれたな」
四人の団長が集まり喋っている所にバシェは入っていき肩をバンバンと叩きながら歓迎していた。
「ドラコ公国から宣戦布告があったんだって?」
紅い鎧の騎士を纏める少しチャラっぽい金髪の男が木箱に座りながら自分達が集まる理由をわかりながらも聞いていた。それを黒い少し露出が高い鎧を着た長いポニーテールの女性が冷たい目で見ていた。
「おい、お前は黙って待っていられないのか」
「あ? 別に黙って待ってなくてもいいじゃん」
「これだから子供は……子供は家に帰って木刀でも振るっていたら?」
「言ってくれるじゃねぇか!!! この野郎!!」
アプスとティアはその光景を少し笑いながら見ていたが、腕が震えているのに気付いたアプスはそれを見て首をかしげていた。怖がっているのだろうか、と不思議そうに。
「どうした? 怖いのか?」
「……うむ……我の戦い方は頭なんぞ使わぬからの……こやつらを巻き込む。確実にの」
「あー、そっちねぇ……俺はてっきり戦いが怖いのかと思っちまったじゃねぇか」
「主はバカかえ? ティアマトに恐れなんて感情ありゃぁせんよ」
「そいつぁ……頼もしいな!」