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バナデール 奇妙な競技

作者:カリベユウキ
バナデール
――奇妙な競技――

作・カリベユウキ




 バナデールという奇妙な競技があるのを知っているだろうか?
 競技者は一対一で向き合い、バーチャルグラスを掛ける。グラスの形状はスキーのゴーグルに似ているが、そいつを通して競技用のコートを眺めると、肉眼では何も見えなかった空気中に、半透明の球体がいくつもユラユラ漂っているのが知覚される。球体の大きさはまちまちだ。直径は一0センチから三0センチほど。それらガラス球のような仮想物体をバナデールではフラグメントと呼ぶ。競技前のコートはフラグメントが床から天井まで無数に散乱し、まるで水の底で巨大生物が吐き出した泡沫に包まれている心地になる。
 バーチャルグラスを装着すると、お次は手袋だ。左の手の甲に当たる位置にボタンがあり、これを押すと、光の棒が手の内に一本現れる。仮想の如意棒というわけだ。棒の長さは一メートルほど。仮想と言っても、手袋のセンサーと連動しているので、しっかり握っていないと手から滑り落ちて消滅する。左右の手袋で触れている間だけ存在している幻の武器だ。バナデールではこの棒を杖と言う。
 双方、杖を構えると、審判の笛の合図で競技が開始される。円形のコートを所狭しと駆けずりまわり、競技者は光の杖を振りかざす。と言っても、ライトセーバーみたいにそれで相手に切りかかるわけではない。杖での直接攻撃は禁止されている。肉体の接触もダメ。
 ではどうやって攻撃するかというと、そこで空気中を浮遊し続けるフラグメントを使うわけだ。杖で球体の真ん中を打つと、フラグメントは勢いよく直進する。競技者はそうやってフラグメントを相手に向かって打ちつける。相手は杖でもって打ち返すか、体を翻してよけるか、とにかく相手の打ったフラグメントに当たったら減点となる。手足で一点、胴で三点、頭部と心臓付近に当たるとゲームオーバー。
 何だ、随分ユルイ競技だなあ、お遊びじゃないかと思ってもらったら困る。上級者が杖で打ち出したフラグメントは初速で時速三00キロになるともいわれ、試合中は両者、尋常ならざるスピードで円形のコート上をアクロバティックに動きまわる。一0分間のセットを三回もやると、素人のみなさんは足をつってぶっ倒れる。本式の競技ではこれを最長五セットまでやる。それでも決着がつかなかったら無制限の延長戦だ。
 俺は中学、高校とバナデール部だった。高二と高三のときは全国大会にも出た。優勝こそ逃したが、準優勝の栄誉に輝いた。まあ、全国大会といっても十人くらいしか選手は出てなかったが。
 社会に出てサラリーマンになって、職場の飲みの場で高校のときとか何かスポーツやってた? といった話題になることがある。野球、サッカー、バレー、バドミントン……大方予想される競技を次々に口にする同僚たちを制し、俺は低い声で吐き出さざるをえない。
「バナデール」
 大抵の場合、周りのヤツらは呆けた顔になる。
「は、鼻で笑う?」
「違う、バナデールだ」
「え、何、聞いたことないけど。セパタクローみたいなヤツ?」
「一字もかぶってねえじゃないか」キレそうになるのをこらえて、俺はオウムみたいに繰り返す。「バナデールだ。バナデール」
 デールの部分を口にするときに多少巻き舌になるのは若干の照れ隠しだ。俺にとってバナデールはいつだって最も繊細な部位に位置している。言うならば俺の急所だ。気軽に雑な手つきで触れてほしくない場所だ。それなのに連中はギャーギャー叫びだす。
「そんなスポーツ、聞いたこともないぞ。説明してみろよ、そのバランドゥーとやらを」
 そこで俺はある種の諦念とともに重々しくもう一度「バナデール」とつぶやき、そして、先に述べたような説明を滔々と聞かせるわけだ。だが、最後まできっちり説明できた試しはない。特に全国大会準優勝の栄誉に言及する前に、決まって横槍が入る。俺が魂をこめて創造した精緻なジオラマ模型を土足で踏みにじるような品のない横槍の一語は、判で押したみたいにいつも同じ。
「それってプヨンプヨンバーのこと?」
 連中はいっせいにしたり顔で大きくうなずき、腹をよじらせて笑いだす。
「何だよ、プヨンプヨンバーかよ。部活じゃねえだろ、それ。ただのゲーセン通いじゃないか」
「帰宅部だったってことが言いたくなかったんだね」
 一瞬、俺には見えた。ライトセーバー、もとい、バナデールの光の杖でもって、かつての全国大会準優勝の猛者がその場にいる全員を八つ裂きにする惨劇が……。
 だが、バーチチャルグラスも競技用手袋もこの場にない以上、俺の両手は見えない武器を求めて虚空をさまようだけだ。
 プヨンプヨンバー――俺はその言葉を何よりも憎んでいた。呪っていたと言ってもいい。
 バナデールはいっとき大人の競技会も開かれてはいたが、どだい普及するにはマイナーすぎた。空中をきらめきながら浮遊するフラグメントの渦も、光の軌跡を描いて乱舞する杖も、バーチャルグラスを通さなければ何もないのと同じで、つまり、バナデールの競技は肉眼で見ると、何が起こっているのかさっぱり分からないのだ。上級者なら舞踏のごとき鮮やかな体さばきが見られるものの、競技人口の少なさゆえに、そこらでたまに見かけるのは初心者ばかりで、グラスなしで目にするそれらは、虚空で溺れている錯乱状態の狂人にしか見えない。これなら、野球選手やサッカー選手に対する憧れのようなものが湧くはずもない。
 上級者を見てくれよ、たとえばボルバドール赤木の真空燕返しは、バーチャルグラスを掛けずとも、空中に光の流体が迸り、その幻の風は観客の頬をビリビリと感電させながら駆け抜けるのを知覚するだろう。
 その願いもむなしく、バナデールは俺が大学に入った頃に突如この世界から消えた。競技を推進していた団体がつぶれ、バーチャルグラスも、杖を生みだす手袋も、そして、競技コート上にフラグメントを生成する機器も生産中止され、今では手に入れること自体が難しい。特にフラグメント生成機器がなくなったことが痛手だった。それがないと根本的に試合はおろか、練習すらできない。だが、その機器は個人ではどうすることもできないほどベラボウに高かった。バナデールはマイナーな競技のくせに、やたらと金のかかるスポーツであったのだ。
 こんなスポーツが中学、高校の部活で行われていた状況こそ、時代の変わり目にひととき生じた神様の気まぐれのような奇跡だったのかもしれない。当時は仮想現実を社会のインフラとして推進する気運が高まり、学校教育にも体験授業として取り入れることがあった。バナデールはバーチャル空間を体感するにはこの上ない教材だ。しかし、時代は変わったのだ。
 俺は大学に入ってからもバナデールで明け暮れるつもりだったから、大会が消滅し、競技用品すら入手できなくなった現実についていけず、魂はバーチャル空間をさまよったまま、リアルな肉体は抜け殻となった。だから、今ここにいる俺は俺ではない。俺の形をした別の何かだ。まあ、それでも俺の抜け殻はよくやった。大学も卒業したし、二流どころとはいえ、会社にも就職した。俺は俺でなくなってからも俺のふりをし続け、俺二号はバナデール以後の決定的に核心の欠いた砂漠のような世界をそれなりにノラリクラリと、時には鼻歌を歌ったり、鼻くそをほじったりしながら、できるだけ快活に歩こうとしていたし、実際に歩いてきた。
 ところがだ。それから数年後、俺はバナデールと思わぬ形で再会した。ゲーセンとかに隣接する娯楽スポットで、見るも無残な姿で……。俺が抜け殻なら、バナデールの方は地獄からよみがえった極彩色のピエロのゾンビに見えた。
 プヨンプヨンバー――そう名付けられたゲームは、バナデールに似て非なるたちの悪い冗談としか思えなかった。競技では直径一0メートルの円形コートだったものが、プヨンプヨンバーでは直径五メートルもないくらいに縮められている。空間を浮遊するフラグメントはガラス球のような以前の硬質のきらめきを失い、今ではシャボン玉みたいにプヨンプヨンして、かわいく漂っている。杖こそバナデールと同じ寸法だが、魔法の杖みたいに先端には星型の飾りが付いており、マジックバーなんて名称で呼ばれている。そのバーで子どもや若い男女がエイ、ヤーと言いながらシャボン玉をつつき、防御もへったくれもない対戦相手はバーチャルなシャボン玉に囲まれてキャピキャピ笑っている。
 プヨンプヨンバーで一つだけ感心したことがあるとすれば、ゲームコート脇に試合映像を流すモニターが置かれている点だ。モニターを見ると、バーチャルグラスを掛けずとも、仮想のシャボン玉もマジックバーもはっきりと視認できる。かつてのバナデールの競技会ではなぜこのシステムに思い至らなかったのか、これなら、狂人たちの舞踏大会と勘違いされずに済んだのに、と今さらながら臍を噛みつつ、俺はブチギレ寸前だった。
 若者や子どもたちがバーチャル空間で純真に戯れている光景……実にほほえましい。そこに罪はない。だけど俺は我慢がならなかった。
 考えてもみてほしい。例えばラーメンが絶滅した世界で、伸びきった麺とダシのとれてないスープによるプヨンプヨンメンみたいな食べ物が登場し、それをデート中のカップルがうめえうめえとうわ言のようにつぶやきながらありがたがって食っている……。違うだろう、それは……おまえら根本的に分かってない、おまえらが幸せそうに食っているそれはニセモノなんだ。いくらそう叫んだところで、本物のラーメンを知らない人々にそれを分からせることは不可能だ。だから、ラーメン道を究めた達人みたいな人がいれば、せめてこう思うだろう。頼むから俺にプヨンプヨンメンとやらを見せないでくれ。もう、そっとしておいてくれ、傷跡を粗野な手つきで撫でまわすのだけは頼むからやめれ、これならかつてラーメンが存在していたという事実がこの世界から一切消えてしまった方がよっぽど気が楽だと……。
 そのときの俺の気持ちがまさにそうだった。俺は俺なりにバナデールが存在しないそれ以後の世界と何とか折り合いをつけて歩いてきたのだ。それなのに、この仕打ちってないだろう。
 俺はプヨンプヨンバーなるものを初めて目にしたその日から、呪いをかけた。プヨンプヨンバーが一刻も早くこの世界から消え去るようにと。実際、あんなぬるいゲームが流行るわけがないとも高をくくっていた。
 ところが、俺の呪いとは裏腹に、どこぞの有名人がプヨンプヨンバー・ダイエットなるものをテレビで紹介したがために、人気に火がついた。今やどこの娯楽施設にもクレーンゲームとともにプヨンプヨンバーのコートが常設されているありさまだ。




 そのアミューズメント施設は俺の住んでいる街の郊外にあった。隣には本屋やらレンタルDVD店が入っているビルがあり、俺はDVD店の会員だったので、休日はぶらぶらとその辺を徘徊することがあった。
 ガンマンが砂漠にいる四人の達人と順番に対決するカルト映画を返却するために、五月晴れの土曜日、コンビニで買ったアイスを手に、俺はサンダルをペタペタいわせてDVD店の方に歩いていた。いい齢した大人が髭も剃らんとアイス食べ歩きかよと、塾通いの小学生とおぼしき集団が冷たい目を向けてきたが俺は気にしない。だが、行く手にアミューズメント施設の巨大なのぼりが見えたとき、激しく動揺してアイスを落とした。
『プヨンプヨンバー専用コート、六面整備! 本日オープン!』
 俺はのぼりの前で絶句し、頭を抱えた。何てことだ、プヨンプヨンバーの勢力はついに俺の街まで蝕もうとしている。六面って……かつてのバナデールはそもそも専用コートなんてものは存在しなかった。
 急いで目をそらし、今見た文字を抹殺せんと、頭のなかのデリートキーを連打した。けれども、それより早く隣ののぼりの文字が目に入った。
『オープン記念! プヨンプヨンバー・トーナメント、本日開催。優勝賞金三万円』
 ファット? と俺は声に出して言った。何がトーナメントだ。ダイエットだろ、ゲームだろ、トーナメントを謳うなんて片腹痛いわ。
 俺はぐっと前傾姿勢になり、アミューズメント施設を視界から消して足早に通りすぎようとした。しかし、脳内に刻まれた文字は焼きゴテを当てられたかのごとくジュージュー煙を上げて、俺の内へ内へと食いこんでいく。
 優勝賞金……三万だと……。
 立ち止まり、ゆっくり振り返った。
 プヨンプヨンバー・トーナメントを告げるのぼりが、五月の薫風に煽られてはためている。全身にぞわっとさざ波がたつ感触があった。
 三万は、大きいぞ……。
 ふつふつと太古の眠りから目を覚ました恐竜の脈動のごとき鼓動が、胸の底から突き上げてくる。ついぞ忘れていた血のたぎりってヤツの震えに襲われ、目の前がチカチカした。タンポポの綿毛が無精髭を撫でて流れ去る。
 行けると思った。バナデールの競技から遠ざかって久しいが、準優勝をもぎとった全国大会全試合の一挙手一投足は、長い時をへた今このときにおいても全身の細胞に刷りこまれている。行ける、三万とれる……。
 次の瞬間、俺はアミューズメント施設に飛びこんだ。ビルの一階はゲーセンで、入ってすぐの右手にエレベーターがあったが、大勢の人間がひしめいていたので、そのままフロアを突き進んで階段を昇った。二階はボウリング場。あれ、確かこの上はビリヤード場ではなかったかとの記憶がよぎるも、さらに一つ階を昇ると、ビリヤード台は跡形もなく消え去り、そこには魔界が広がっていた。
 六面のプヨンプヨンバー専用コート。どのコートも大変な賑わいで老若男女の発する歓声がフロアにこだましている。トーナメントはすでに始まっているようだ。
 女子高生がバドミントンのスマッシュを打つみたいにマジックバーで仮想のシャボン玉をバシバシ打ち、そのたびに応援の高校生たちがワーワー騒いでいる。隣のコートではホスト風に茶髪を逆立てた開襟シャツの若い男が指揮者っぽいバーの振り方でシャボン玉を操って得点を上げてはコート脇の連れの女に得意そうに目配せする。
 笑止――俺は腹の底でほくそ笑んだ。こいつらの動きは全部見える。バナデールは相手に動きを読まれたらおしまいだ。もらったな。
 腹の底で笑ったつもりが、俺は実際にニヤけていたらしい。気味の悪い者でも見るような目つきで、受付の男が俺を観察していた。
「出場希望者ですか?」
 まさか違いますよね、という言外のニュアンスを含ませた響きにムッとした。確かに髭も剃らずに髪もボサボサ、白いTシャツは裾の方がだらしなくめくれ、擦り切れたジーンズの下からはサンダル履きの裸足が覗いている。俺が係員だったとしても、これからトーナメントにエントリーしようという輩とは思わないだろう。第一、デートスポットにもなっている街で唯一のアミューズメント施設に、一人で来ている時点で俺はかなり浮いている。
「出場しますよ」と俺は言った。
 受付の男は厳しい表情になった。
「失礼ですが、プヨンプヨンバーをやったことがあるのですか?」
 俺は答えた。「ない」
「は?」
「ないけれど、ある種の観点からは、ある」
「はい?」
 俺は苛々して言った。「ないけれど、ある」
 男は顔を引きつらせた。「プヨンプヨンバーは意外と激しい運動です。初心者がいきなりトーナメントに参加するのは難しいかと」
 俺は顎でコートの方を示した。「どう見ても初心者だろう、あれ」
 男は溜息をついた。どうも俺が楽しいお祭りにまぎれこんだ冷やかしだとでも思っているようだ。
「競技の前にルールブックにしっかり目を通してください。対戦相手への接触は即退場となります」
「分かっているって」
 胡散臭そうな視線を投げたあと、男は無愛想に言った。
「五百円になります」
「は? 五百円?」
「エントリー料です。これでも今日限りの割引料金なんですから」
 何だ金とるのかよと俺はブツブツ言いながらも、どうせ三万獲得するからいいかと思い直し、財布から五百円玉を出した。
「四番コートの第二試合にエントリーしました。試合開始時間に遅れたら失格ですのでご注意ください」
「試合開始って、いつ?」
「三0秒後です」
「何だって? ギリじゃないかよ」
「トーナメントはもう始まっています。普通ならエントリーの受付を終了している時間ですが、特別に許可しました」
 そんなこと先に言えよ、と俺は胸のうちで叫びつつ、四番コートに急いだ。
 フロアの隅にあるそのコートには、まだ夏にもなってないのに真っ黒に日焼けした小学生男子が仁王立ちしている。俺の相手は小学生かよと拍子抜けして転びそうになった。
 たたらを踏んだ俺を上から目線で一瞥した小学生は、「うわ、弱そう」とへらず口を叩き、ふんと鼻を鳴らした。何だと! と言い返しそうになって、大の大人が小学生相手にムキになるのも恥ずかしいと慌てて言葉を飲みこみ、コート脇の台に置かれていたバーチャルグラスと手袋、それと体にフラグメントが当たったことを感知するテープ状のセンサーを取っていそいそとコートに入った。
 バーチャルグラスはピンク色のフレームで、後頭部にまわすバンドは水玉模様だ。かつて俺が装着していたグラスはメタリックなダークグレーで、それを掛けるだけで戦闘意欲が十倍くらいに跳ね上がった。それがどうだ……この精気を吸い取るかのようなかわいらしい水玉模様は……。
「早くしてよ」
 小学生は腕組みをして仏頂面だ。
 クソガキが! おかげで手加減しようかとの逡巡も吹っ飛んだぜ。
 俺は手袋を装着し、杖を出現するボタンを押そうとしたが、手の甲にあるはずのボタンがない。焦って左右の手袋を眺めまわすも、どこにもボタンがない。
 審判係と見えるフロアスタッフが俺に寄ってきて声をかけた。
「手の平を合わせて」
「手の平?」
 俺は仏を拝むように手の平を合わせた。
「違います。ちょっと隙間を空けて」
「え……」
「だから隙間を空けるんですって」
 審判係は俺の両腕をぐいっとつかみ、合わせた手の平に隙間を空けた。
 すると、その隙間に光の杖がぼうっと出現した。
「すげえ……」
 バナデール時代のボタンから随分進化しているじゃねえか。
 瞠目して顔を上げると、コートを囲んだ女子高生やらカップルやらが腹を抱えて笑っている。
「この人、プヨンプヨンバー、やったことないんだ」
 小学生は勝ち誇ったように言い放った。そのすぐ後ろには両親とおぼしき男女がいて、こちらに向ける目にはすでに三万の札束がちらついている。
 突如、直径五メートルの円形コートの中央に、『READY』という文字が出現し、俺はさらに度胆を抜かれた。バナデールの競技では審判が声に出して告げたそれは、プヨンプヨンバーでは空間に描かれたバーチャル文字によって表示される。
『GO!』
 その文字が現れてパチンと弾けると、一挙に空間にたくさんのシャボン玉が広がった。
 対戦相手の小学生は試合開始するなり、周囲のシャボン玉を次々にバーで打って俺の方に繰り出してくる。俺も負けじと杖を振ってシャボン玉を打ち返そうとするが、ことごく空振りしてそれらは俺の腕や足に当たって弾けた。
 空間に『五対0』との文字が表示される。点数もバーチャル表示かと感心している場合ではない。審判係兼実況のフロアスタッフが、「開始早々、連続ポイント。マルハシ君はあと五点とれば勝利です」と大声を張り上げる。
 この小学生、マルハシっていうのかよとか、そもそもこの試合、たったの一0点で決まるのかよとか、いろんな思いが駆け巡るも、そんなことより、杖をいくら振ろうが一向にフラグメントに当たらない不条理に俺は顔面から火が出るほどの恥ずかしさを覚えた。
 コートを取り巻くみんなが苦笑している。小学生はひどく真面目な顔つきをして俺を睨んでいるが、その目にはどこか蔑みの色が宿っている。
 俺がまったく仮想のシャボン玉を弾けないがために、見る間にコートの片側はシャボンだらけになった。相手のヒットしたシャボン玉に直接当たらなければポイントにはならず、漂っているシャボン玉がいくら俺の体に触れようがポイントにはならないものの、バナデールならすでに詰んでいる状態だ。なぜなら俺の周りを取り囲むシャボン玉を片っ端からヒットしていけば、俺の体はそれらの攻撃から完全に逃れられず大量失点につながるからだ。
 しかし、小学生がそのバナデールの常識を知らないおかげで難を逃れた。さっと身を翻してシャボンの渦巻く半円をくぐりぬけ、俺は小学生の横に立った。いきなり同じ側に対戦者が立つことを想定していなかったのだろう。一瞬、小学生は動きを止めて、「これ、いいの?」と審判係に尋ねた。
「問題ありません」と審判係が言い終わる前に、俺はゆっくりと杖を振り、至近距離からシャボン玉を軽くヒットさせて小学生の胴に当てた。
『五対三』
 胴に当てると三点なのはバナデールと同じみたいだ。
「うわ、汚い。僕が審判のお兄さんと話している隙に」
 黙れ、小僧! そんな道理が試合で通じると思っているのかと、俺は心の声で語りかけるも、小学生には届かなかったようだ。小さな対戦相手はムキになって杖を振りまわし始めた。
 コートの片側に寄っていたシャボン玉群は互いにぶつかって、また散開を始める。
 俺はさっと小学生から身を引き、緩やかに杖を振って次々に光の玉を送り出した。
 コツが飲みこめてきた。プヨンプヨンバーは何もかもバナデールより少しだけスピードが遅いのだ。杖の反応速度も、シャボン玉の動きも。
 だがもう読めた。一度フラグメントに当てるタイミングさえ分かれば、防御の技術どころかその考えすらない相手に負けるわけがない。
 バトントワリングみたいに俺はぐるぐると杖をまわした。周りの観客がはっと息を飲むのが分かった。ここに来て完全に試合勘を取り戻した。
 空間を漂うシャボン玉一つ一つのベクトル、そして俺と小学生の位置関係……それらすべてがコンピュータ画面で解析されたみたいに脳内でパチリとはまり、気がついたらジャンプしていた。高い位置にあるでかい玉をまず叩く。次は右から流れてきた玉をまっすぐ下に打ちおろす。さらには左に身を翻して、斜め後方から来た二つの玉をぐるっと杖をまわして連続で撃つ。
 小学生はあっという間に光の閃光に包まれた。俺の繰り出した連続攻撃になすすべもなく同時多発的に被弾、炎上している。
 俺の点数が一挙に一0点を超えて跳ね上がり、コートの中央に『GAME OVER』との文字が躍って点滅した。
「おっしゃー」
 俺が両手を突き上げたと同時にバーチャル空間は消え、眼前には小学生の号泣する姿があった。後ろからそのマルハシ君を支える母親が俺に憎悪の視線を向け、「大人げない」と吐き捨てた。
 バーチャルグラスを取って俺は目をパチクリさせた。コートの周りを囲む女子高生もカップルたちもぼけーっと俺を眺めている。まるで未来から送りこまれた殺人ロボットでも目の当たりにしているかのような反応だ。
 サッカー選手がファールをもらったときみたいに、俺のどこが悪いっていうんだよと両手を広げたジェスチャーを見せたが、みんな白けたように踵を返してコートを離れ始めた。
 審判係だったフロアスタッフが近づいてきて、低い声で言った。
「小学生相手に初心者のふりなんかして恥ずかしくないんですか」
「何だって?」
 フロアスタッフの若い兄ちゃんは怒っていた。どうやら俺が杖の出し方を知らないふりをして相手を油断させたと勘違いしているらしい。
「あれは違うって。本当に知らなかったんだから」
 兄ちゃんは無言でチケットを切り、俺の手に押しこんだ。見ると次の試合が書きこまれていた。
 二回戦の相手は大学の体育会系、それも武闘系のクラブだと思うが、ピチピチのTシャツが今にも張り裂けそうなくらいのムキムキの若者だった。だが、俺は難なく勝った。運動能力や体のさばき方はさすが現役の体育会。しかし、力まかせに杖を振ろうとするのが、いかにもバナデールを知らない初心者の典型だ。この杖は実体の持ったリアルな棒ではない。重さゼロのバーチャルな杖だ。力まかせに振ってもスピードは出ない。体全体を使って、むしろ力を抜くようにして腕をしならせる。そして、指先に触れる杖の仮想の表面を肌で感じられるようになったら、ようやく競技者としての道が開ける。この微妙なポイントを感じるか感じないか。そもそも、バーチャルな物体の表面を肌で感じ取ることなんてできるのかとの反論もあろうが、俺は、ある! と断言できる。そして、この感覚が驚異的な杖のスピードを生み出す。
 確かにプヨンプヨンバーはバナデールに比べれば反応速度が遅いとはいえ、基本の原理は変わらない。俺のテクニックはこのバナデールのゾンビのピエロにも有効のようだった。
 次の試合までの待ち時間も俺は無駄にしなかった。階段の踊り場に行き、そこで入念に屈伸運動を施したあと、イメージトレーニングにいそしんだ。見えない杖を振り抜き、空気中を漂う幻のフラグメントを、楽器を奏でるかのごとく連打した。当然、俺の行為は階段を行き来するアミューズメント施設の利用者を怯えさせた。さすがに俺も気が引けて、階段をずんずん上がって屋上にでも出られないかと考えたものの、屋上の手前付近で人影が見えたので立ち止まった。
 ひそひそ声が聞こえる。俺に「初心者のふりなんかして……」と言ったフロアスタッフと同じ声だ。どうやら従業員の喫煙所がそこにあるらしく、息抜きの無駄話に興じているらしい。引き返そうと思ったら、不穏なささやきを聞いた気がして、俺は足を止めた。
「フロア長も試合出ているんですね」
「タニザキさんだろ? 身分隠して、腕試しだってさ」
「あの人、プヨンプヨンバーのダイエット教室のインストラクターやってませんでした?」
「やってるよ」
「それって、ずるいですよね」
「ずるいって?」
「だって、そもそも店の人間が店のトーナメント出てるのおかしいし、インストラクターなんだから勝って当たり前でしょう」
「いいのいいの。優勝したら、フロア長、焼肉おごってくれるって」
「まじっすか。でも、バレるでしょ。やっぱり一般のお客さんと動きが違うわけだから」
「そこはほら、わざと手を抜いたりしているみたいよ」
「余裕っすね。じゃあ、今夜は焼肉行けそうっすね」
 あの野郎と、俺は階段の手すりの陰に隠れて歯ぎしりした。俺に小学生相手に恥ずかしくないのかとか正論をぶっておいて、てめえのところの上長はインストラクターの身分隠して手を抜きながら優勝狙っているだと……。今夜の焼肉なんぞ俺がこの手で粉砕してくれるわ。
 音をたてないように抜き足差し足階段を引き返す間、俺の五臓六腑に闘魂の溶岩流が音をたてて注入される。三回戦の相手はとりもなおさずそのタニザキなのだ。
 唐突に、俺は自分が今生きているという実感を覚えた。タニザキ……もしかして運命の相手かもしれない。
 武者震いが高じて痙攣を起こしつつ、俺は試合のコートに向かった。この二0分弱の間、夢にまで見た宿命のライバル、タニザキは背の高いスポーティーなイケメンだった。相手にとって不足はない。今日の今日まで俺はおまえと戦うために歩いてきた。荒涼とした味気のない大地を一歩一歩、この瞬間の昂揚のためだけに……。
 知らぬ間に俺は叫んでいた。「キエー」
 えっ、とタニザキの首が揺れた。俺は開始早々、必殺の見せ玉を使った。相手の頭部に連続してフラグメントを集める。相手がそちらに気をとられて胸のガードが甘くなった隙に思いっきり身を屈めて、下部から胸部に目がけて、渾身の一球を送りこむ。
 タニザキは見せ玉を知らなかったらしい。頭部のフラグメントをガンガン打ち返してガードを上げ、俺の一撃はあっさりヤツの心臓を撃ち抜いた。
 開始一0秒。瞬殺。頭部か胸にフラグメントが当たると即ゲームオーバーであるのは、プヨンプヨンバーでも同じだ。
「えっ」と俺は言った。
「えっ」とタニザキも言った。
 勝利を告げるアナウンスを聞きながら、俺は名状しがたい空しさに包まれていた。バナデールの技は本当に途絶えたのだ。インストラクターですら、初歩的な見せ玉のことを知らない。
 空しい。たまらなく空しい。勝てば勝つほど、俺の前には無味乾燥の砂の大地が広がるばかりだ。
 俺はバカらしくなって、急に何もかもどうでもよくなって、それで次の対戦までは自販機前のベンチで横になって昼寝していた。イメージトレーニングにいそしんで燃えていた俺はあっというまに過去に押し流された。




 準決勝の試合時間を俺は失念していた。自販機前で気持ちよく眠りこけていた俺をフロアスタッフが呼びに来た。何でこんなヤツがここまで勝ち残っているんだと、疑念のまなざしを向けつつも、スタッフは俺をコートまで引きずっていった。
 コートで待っていた対戦相手を見て、俺はゲンナリした。踵の高いハイヒールを履き、カールした茶髪を肩まで垂らし、長い付けまつげを付けた女はキャバ嬢にしか見えなかった。傍らにはその彼氏がトレーナーのように付き添い、クッチャクッチャとガムを噛んでいる。どうあっても闘志が湧くわけがない。
 女は俺を見て眉をひそめ、ホスト風彼氏にささやいた。聞きたくなかったけれど、その言葉は俺の鼓膜に届いた。
「やだ、何か怖い……」
「うん、まずいっしょ」とホスト風彼氏はあっさり同意している。「どう見ても遊びに来ている感じじゃないっしょ」
「ユウ君、遊びじゃないってどういう意味?」
「マジってことじゃない」
「マジで?」
 女は呆れたように俺に一瞥を投げた。「そんな人がいるんだ」
 俺は何だかいたたまれなくなって下を向いた。
 マジですみません……大人げなくてすみません……。
 ここはデートを楽しんだり、家族や友達どうしで盛り上がったりするための街唯一のアミューズメント施設。デートでも娯楽でもなく、マジで勝ちに来ているのは俺一人かもしれない……。
 ここに来て唐突に家に帰りたくなった。そういえば、レンタルDVD店に行く途中だったんだけど、あのDVD、どこやったっけ? 俺、なんでこんなところでプヨンプヨンバーなんかやっているわけ?
 急に焦ってキョロキョロしている間に、審判係が大声を上げた。
「準決勝を始めます!」
 対戦相手の女はマニキュアした爪をいたわるようにやけにゆっくりと手袋をはめると、「ああん、もう腕疲れちゃった」とホスト男子の胸に額を当ててスリスリした。
 その十億光年くらい彼方にある光景を、俺は呆然と眺めていた。
「ちょっと、出場者は準備を願います」
 審判係がイライラした表情で俺に催促した。戦闘意欲はゼロを切ってマイナスの数値を示していたが、俺は仕方なくコートに入り、バーチャルグラスを掛けて手袋を装着した。
「何だか盛り上がらないね」と周囲にいた客は勝手なことを口走り始め、別の方角からは「僕はキャバ嬢が勝つと思うな、ニートの方は運動神経悪そうでしょ」と断言口調の雑言が流れてくる。
 いや、俺、ニートじゃないし、一応、会社員だし……と心の底で思うも、やはり突き上げてくるような反骨心は戻ってこない。
 俺は突然、キャバ嬢に負けようと思った。
 何もかも空しくなったのだ。本気を出してキャバ嬢に勝ってどうする。ホスト風の男子に睨まれるだけだし、周囲の観客は白けるばかりだろう。バナデールの時代なんてとっくの昔に終わったのだ。今の今まで何を勘違いしていた? ここに俺の求めるものなんて何一つない。
 とはいえ、準決勝ともなるとそれなりに人だかりができ、注目を浴びている。やる気のない試合運びで負けると、もっと白ける。それはよくない。アミューズメント施設は楽しくなければ意味がない。適当に試合を盛り上げて、キャバ嬢に負ける。ニート風の男がか弱い女子に粉砕される。みんな、やんややんやの大喝采だ。俺にはその光景が見える。そして、それでいいのだ。俺は縁の下の力持ちだ。みんなが盛り上がれば、それでいい。最初からここは、俺の場所ではないのだから……。
 悟りを開いた聖人の心持ちになって、いつか映画で見た宇宙戦士のマスターみたいに、杖でぼわーんと空間に光の軌跡を描いてみた。その小さなオーロラの残像の向こうに、消えていった歴戦のツワモノたちが冥界から笑ってうなずくのが見えた気がした。
 おまえはよくやったよ。もう楽になれ……。
 どうやら、ここまでの三回の勝利で当初の戦闘意欲を残らず放出してしまったらしい。産卵を終えたシャケのごとく、後は安らかな死を待つのみ……。
『READY GO』のバーチャル文字が弾けてシャボン玉が広がると、女はキャッと身を揺らした。ボディがガラ空きだが、俺はわざと狙わずにゆる~く玉を打って女の方に押し出す。
「カスミ、危ない!」とホスト男子が叫ぶも、最初からその玉は女の体をそれている。そればかりか、打ってくれと言わんばかりの相手のチャンスボールだ。
「エイ」とキャバ嬢はかわいく声を上げて、俺の玉を打ち返す。それがまた力が抜けるくらい緩い。
「カスミ、行け、頑張れ」
 ホスト男子の声援は途切れない。キャバ嬢もまた打つたびに、ヤーとかホーとかエーイとかいちいち柔らかい声を出してこちらの精気を吸い取っていく。
 俺は何だかすっかりシャボンだらけの風呂にでもつかっている気分になり、気がつけば、キャバ嬢とポヨ~ンポヨ~ンとシャボンの打ち合いに興じていた。
 アホらしいと思いながらも、一方で、これはこれで楽しいんじゃないかと胸のうちで微かなくすぐりを覚え、狼狽した。
 ケバイだけに見えた女も、よく見るとちょっとかわいい。傍らにホスト風彼氏がいるのはかなりの減点対象だが、それでも今、ここでシャボンにまみれて戯れているのは俺だ。
 俺は女が繰り出してくるシャボンの風に舞うようにして、杖を空間に走らせた。バーチャル空間を埋めるシャボン玉が密生して頬を撫でるがごとく漂ってくる。このままここに顔を埋めたい。
 こんな体験、初めてだ。今まで一体何に意地張ってたんだと思った。力を抜いて流れに身をまかせれば、世界はこんなにも柔らかく、心地よい。そうだ、この感じだ。俺は軽やかに生きる、これからは……。
 俺はプヨンプヨンバーの魔手に落ち、バナデールの魂を失いかけていた。
 多少の正気を取り戻したのは、対戦相手があまりに緊張感のない姿勢をとったからだ。
 キャバ嬢は腰を屈めて何かを拾おうとしていた。対戦中にアクセサリーでも落としたのだろうか。俺から目を離して優雅に膝を曲げ、床に手を伸ばしている。
 しょうがねえなあ、早く拾えよと俺は顔のまわりに集まっていたフラグメントを適当に払った。
 だが、思考とは別に、嫌なざらつきが心の内層に影を落とすのを覚えた。晴天に生じた不自然な小さな黒点。
 心が忘れても、体は忘れていなかった。
 俺の顔の周りに集まっているフラグメントの群れと、下方に身を沈ませる対戦相手。
 俺ははっとした。この陣形は、見せ玉だ。
 その瞬間、傍らの床に膝を曲げて屈んだ女が、こちらからは死角になるようにして、杖をさっと振るのが見えた。床すれすれに漂っていたフラグメントが俺の胸を突き刺さんと一直線に進んでくる。
 考えるより先に全身が反応した。
 反射的に反らした胸のすぐ横を、女の放ったシャボン玉が通過していった。
「いやーん」と女が声を上げて笑った。
「必殺のカスミスペシャル、惜しい」とホスト男子がうなる。
 周りが苦笑いしてしまうくらいのバカップルの暢気な声。
 しかし、俺には見えていた。屈んだ姿勢で杖を振った瞬間、グラス越しの女の目に殺気がよぎるのを……。
 いや、思い過ごしかもしれない。目の前の女はクネクネした動きで、相変わらず動作は緩慢だ。
 何なんだ、キャバ嬢。見せ玉の陣形は偶然のたまものか?
 俺は少しスピードを上げて、女の出方をうかがうことにした。急所をわざと外していたフラグメントの行き先を、女の頭部や胸に照準を合わせる。
 本気のフラグメントの攻撃に、「怖いんですけど」とキャバ嬢は口を尖らせるも、体のこなしにはキレがあった。ホスト男子にちらちら流し目を送りながら、かわいくフラグメントをかわしている。
 上手いのか下手なのかまだ分からない。俺はシャボン玉の中心ではなく、縁をこするようにヒットしてみた。こうすれば、野球でいうカーブやシュート、打ち方によってはフォークボールみたいな変化球も打てる。
 驚いたことに女は俺の変化球をすべて打ち返してきた。「当たれー」とか「うわー、やばいよー」とか裏返った声を出し、当たったら、「やったー」とガッツポーズを見せている。全部無駄な動きだが、そんなことをイチイチできるのは、俺の攻撃を余裕で受け流しているからだ。
 動きをこの女にすべて読まれている……。
 ドクッと血潮がめぐるのを覚えた。もう、ためらいはなかった。俺は迷わず連続攻撃に踏み切った。
 杖をぐるりとまわして、複数のフラグメントをいっぺんに放つ。そして、さっと左側に移動して、相手の足もと、胴、頭に散らすようにして波状攻撃で玉を打った。
 途端にキャバ嬢のスピードが上がった。杖を風車みたいにまわして、右から左、下から上へとめぐらせて、ことごとくフラグメントを弾き飛ばす。
「カ、カスミ……」とホスト男子の口が呆然と動く。「おまえ、いつからそんな技……」
「エヘ」と女は首をかしげてエクボを作って見せた。
 どこまでも彼氏の前ではかわいい女子を演じようとしているみたいだが、俺にはすでに分かっていた。
 この女、マジモンだ。杖をまわす速度がプヨンプヨンバーの域を超えている。バナデールをかじった口であるのは間違いない。
 だが、そうであるなら、競技にハイヒールとワンピースで臨んでいる時点で、おまえは決定的な間違いを犯している。バナデールでは前後左右上下、つまるところ全方向において立体的な動きをスピーディーに行うことが要求される。バナデールを知りながら、その格好で神聖な試合の場に現れるヤツを、この俺が許さない。
 正面からフラグメントを二つ三つ素早く繰り出すと、俺は円形コートの縁ぎりぎりのラインを走った。女の真横に詰めより、至近距離から隙をうかがう。
 赤いワンピースの裾がさっとはためき、女は闘牛士のごとく俺をかわすと、入れ替わるように反転して俺の背後をとった。その刹那、足を狙ってフラグメントの雨を降らしてくる。
 たまらずに俺はジャンプした。
 この距離でジャンプするのは危険だ。なぜなら、着地する瞬間の足を狙われるからだ。
 俺は着地に備えて防御のために下方に杖を走らせた。しかし、その動きを女は読んでいた。
 俺の頭部めがけてフラグメントを打ちこんでくる。
 たまらずに俺は左手でフラグメントをガードした。
 手に当たり、一点。
『一対0』のスコアがバーチャル空間に表示される。
 ここまでで約五分。最初の一点がここまで遠かった試合は今日初めてだ。プヨンプヨンバーでは五分で一セットとなるようで、ちょうどここでインターバルが入った。
 周りを囲んだ客からいっせいに歓声が上がる。
「あの女の人、凄い」
「今の動き、一瞬見えなかった」
 賞賛のどよめきのなか、ホスト男子だけが色を失って佇んでいる。
「カスミ、もしかして俺とやってたとき、手を抜いてた?」
 女は物凄い勢いで首を横に振った。「違うよ、ユウ君。なんか知らないけれど、勝手に体が動いたの」
「そうか……」
「ユウ君とやっているうちに、カスミもうまくなったかも」女はホスト男子の腕を取って身を寄せている。「なんか凄い偶然。偶然にできちゃった。ユウ君の応援のおかげだよ」
 偶然なもんかと、俺は額に滲んだ汗を拭う間に思った。
 近づいてきた相手をかわす一瞬の反転からの攻勢。ジャンプした相手が次にとる動きの読み。
 それらは何千何万回と血の滲むような反復練習をして体に刷り込まさないと体は覚えない。その暗い情熱が積み上げた奇跡の動きを、俺だけが理解していた。
 このキャバ嬢、モノホンじゃないか……。
 第二セット開始とともに、俺はアデドナリンが沸騰し、虎がバターになる勢いで円の縁をぐるぐるまわり、モモンガのごとく飛翔して、雨あられとフラグメントを浴びせた。
 女も気丈に弾き返し、反撃に出るものの、いかんせんハイヒールの足枷が響き、起動力が弱い。俺は着実にポイントを稼ぎ、スコアは見る間に開いていった。
 キャバ嬢はだんだんとやる気をなくしたのか、動きがのろくなり、「いや~ん」とか「ダメ~」とか悩ましい声を連発し、第一セット終盤で垣間見せた殺気はどこへやら、完全に元のブリッコモードに戻っている。
 傍らのホスト男子が「カスミ、ガンバ! ファイトだよ」と声をからしているのが痛々しい。
 おまえ、そんなもんじゃないだろう、眼光で蚊を落とすくらいのあの殺気はどこに行った? と俺はますます血の気が頭に昇って気が変になりそうになりつつも、空中高くに舞っているボーナスアイテムのデカ玉を飛び上がって何度も打ちおろした。
 大きいものでは直径一メートルにもなるデカ玉を正面からくらい、キャバ嬢は大炎上。それでも俺は集中砲火をやめない。
 気がつくと、キャバ嬢の笑顔は引きつっている。それでも「あ~ん、やばい」と猫撫で声を出しているのはさすがだが、そんな見せかけの面の皮は俺が完膚なきまでにひっぺがしてやる。
 いいぞ、もう少しだ。もう少しでおまえの本当の姿が現れる! 見せてみろ、おまえの赤裸々ってヤツを! と勢い余って心中の叫びを若干口から垂れ流しながら、俺は小さなシャボン玉を使って空中のデカ玉を落とし、それを横っ跳びでとらえて女に全霊をこめて放った。
 デカ玉は女を吹っ飛ばした。バーチャルなそれは肉体的な衝撃はないけれど、女は実際にぐらりと体を揺らした。
 どうだ! と俺は拳を突き上げたが、このとき、いっせいにブーイングの嵐が吹き荒れた。いや、口笛らしきものは第二セットが始まってから吹かれており、どうやらそれは俺に向けられたブーイングであることを、ここに来てようやく悟ったのだ。
 確かに、はたから見たら、猿化したニート男子が狂態の限りを尽くして若い女子をいたぶっているようにも見える構図……。コートを囲む人々のまなざしは南極のボストーク湖よりも冷たい。
 おまえら見ただろ? こいつは本当は凄いんだから。俺も必死なんだよ。必死にやらないと負けちまうんだ、と目で訴えるも、誰も第一セットでキャバ嬢が見せた俊敏な動きを忘れているようだ。それとも、あれはただのマグレと片付けているのか、とにかく、誰も彼もが俺の行為を弱い者イジメと見なしているのは明らかだ。
「いるんだよなあ、みんなが楽しくやっているゲームで、一人だけバカみたいに必死になっているヤツ」
「いるいる、親の仇取るみたいな悲壮感漂わせて、引くっつうの」
「なんか白けちゃったなあ。見てらんないよ」
 そんな捨てゼリフを残して学生らしい集団が溜息まじりにコートを離れていく。
 ホスト男子はキャバ嬢に寄り添って、「カスミ、もう嫌だったらやめていいんだよ。あの人なんか普通じゃないし。さっきだって、『セキララ』とか意味不明のこと叫んでたし」とささやいている。
 俺は何だか急に切なくなった。うつむいたままのキャバ嬢が泣いているように見えたからだ。
 すーっと体温が低下した。マズイ……俺、何か勘違いしていたか……。
 第二セットは続いているが、コート上の二人がプレイをやめているので、審判係が俺を睨んだ。
「どうしますか? まだ続けますか?」
 もう充分でしょう、あなたの強いのは充分に分かりましたから、好きにしてください、気が済んだでしょう、と審判係の心の声は告げていた。
 俺はうなずいた。
 気が済んだ。もう、いい。三万もいらん。ちょっと惜しいけど……。ここは俺の場所でないことだけはようく分かった。悪かった、俺が悪かった。
 棄権を申し出てキャバ嬢に勝ちを譲るつもりで、俺は円の中央に進み出た。そして、女に向かって「悪かった」と言いかけたとき、やおら、女が顔を上げた。
 涙目で射すくめられるのかと身を強張らせたが、女は泣いていなかった。付けまつげが取れかけて、切れ長の目が鋭さを増している。女は眼力マックスで俺を睨みつけていたのだ。
 いきなり声が聞こえたとき、誰がしゃべったのか分からなかった。それくらい女の声は変わっていた。
「ムカツクわ!」
 俺は絶句した。まさかここでキャバ嬢に怒られるとは予想していなかったのだ。だが、キャバ嬢の怒りは想像を絶していた。
「生まれてこの方」と女は武士みたいに叫んだ。「これほど腹が立ったことはないっ」
「カ、カスミ……?」とホスト男子がその手を取ろうとするも、女は振り払った。
「一生懸命で何が悪い」と女は満座の聴衆に向かって怒鳴った。「一生懸命でバカみたいに見えて何が悪いんだ!」
 怒りの矛先が俺を超えて客に波及し、みんな、ぽかーんと口を開けていた。
 俺は事態が飲みこめずに固まっていた。ただ、キャバ嬢に怒られているのは俺ではなさそうだと多少ほっとする気持ちはあった。そんな心中を見透かすように、女はびしっと俺を指差した。
「そして、そこのおまえ。あんなヌルイ技でイキがってんじゃねえよ。やるなら、とことん殺れ。客に何か言われたくらいで戦意喪失するのなら、最初からやるな」
 俺は何か答えようとしたが、口がうまく動かなかった。完全にビビッていたのだ。
 そんな俺に女は容赦なく追い打ちをかけた。
「最後までやりきれ! 中途半端なところでやめるな」
 女はベタンと床に腰を下ろし、ハイヒールを脱ぎ捨てた。ホスト男子を一瞥し、「持ってて」と命じる。この短い間にホスト男子のユウ君は十歳くらい年老いていた。執事のごとく腰を折ってハイヒールを両手で持ち、夜明け前の初老の吸血鬼みたいにぼんやりと立ちつくした。
 女はぐっと腰を落とし、左手を前に、杖を持った右手を大きく後ろにそらし、素足を流れるように床に這わせて棒術の達人のごとき姿勢をとった。
 こ、これは……風音の構え……。バナデールでは師範クラスの技量を必要とすると言われる幻の技。単なるこけおどしか……。
「ハイッ」と女が甲高い声で叫んだ。
 俺は反射的に構えをとった。バナデールの試合前に女子選手がよく上げる気合の一声。それがスイッチとなって俺は自動的に戦闘モードに入った。試合が再開される。
 俺はフラグメントを打ちまくると同時に女に直進した。一挙に間合いを詰めて勝負に出る。至近距離での撃ち合いは先手必勝。どれだけ相手が防御に長けていても、体の端々を完全にガードしきるのは不可能だ。連続ポイントも狙える。
 連射の猛ラッシュをかけた俺の目の前で、突然、女が消えた。俺は円形コートの縁で急ブレーキをかけて反転する。
 信じられない光景が飛びこんできた。
 女は宙返りをして、俺の頭上を舞っている。しかも、空中で回転しながら杖を振って次々にフラグメントを打ち落としてくる。上に行くほどデカ玉が漂い、破壊力を増す。
 俺はなりふり構わずに床を転がって攻撃をかわした。
 円形コートの向こう側に降り立った女はそのまま体を横倒しにしてライン上を走る。重力を無視した動きに鳥肌が立った。
 上手いなんて次元を超えている。こいつはバケモノだ。
 女はヌンチャクのように体中に杖をぐるぐるとめぐらし、どこに攻撃の起点があるか読ませない。俺はひたすら地を這って転がり、機を見て下方からの反撃を試みる。どれだけ打っても女は数ミリの差でひらりひらりとフラグメントをかわし、さっと飛び上がる。
 着地した瞬間の足もとを狙おうとするも、女の飛び方が変則的でどこに向かっているのか分からない。それどころか、俺は何度も狭いコート上で女の姿を見失った。動きが速すぎる。
 方向感覚を失って立ち上がったとき、すぐ背後にやわらかな吐息を感じた。
「手数が多い」と、天からの声さながらに女のささやきが耳を打つ。「決めるときは、一発で決めろ」
 身を翻してダイブしたときは遅かった。
 頭、胸、みぞおち、足の付け根……俺はすべての急所にフラグメントの絨毯爆撃を見舞われ、悶絶し、気を失った……。

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