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「流行るとかそういうのって、結局、ただの流れなの。信念を持ちすぎるとくじけるし、まったく腑抜けでもダメ。要はビジネスライクに金勘定に徹する。そこをぶれさせない」
言っていることはわかった。でも、どうやったらいいのかは、わからなかった。
あたしは走り出した電車に飛び乗ったのだ。あとはそこから落ちないようにして、運転席には運転手さんがいるけど、運転助手みたいなものかな。走る方向を良く見て、失速したりせず、駅を確認して、そこには確実に止って行こう。なんだって、やるしかないんだから。
DVDを借りて来て「プラダを着た悪魔」を見た。あたしはこんなにファッションのことを信じてないな、と思った。あたしはあたしの中にあった、あこがれの「華やかなもの」は脇に追いやり、そのトーンを少し落として、味付けした。
映画の中で、アン・ハサウェイがあか抜けて行く? その感じは話の流れではわかったけれど、実際にああいう人がいたとして、あたしは、たぶん、それで彼女のことが「あか抜けた」とか「ステキになった」とは思わないだろうな、と思った。
それは、結局はその人ごとの感覚の違いだけって問題で、何かが本当にわかるなんてことはない世界なのだ。賭けと同じ。幻を追っている。だけど幻だからこそ、それに実態を持たせようと真剣になれるのだ。
映画の中では、実際のブランドを持って来て、それを女優さんがマネキン人形のように着て、くるくるファッションを見せる、それはすごく楽しかった。でもそれは単に映像として見せるから説得力が生まれるだけで、たぶん現実とは関係ない。
要は単に「うまい宣伝」だ。幸い、ネットの時代で、あたしのミーハーはこの時かなり役に立った。SNSやらでつながった直接信頼できる人は、本当に「シルバー・スパイダー」を愛してくれて、自分がそれを着ることを愛してくれて、自分の知っている人に心を持って広げてくれる。嘘じゃなく。そこに嘘があったら、物は広がって行かない。ミーハーのアンテナは、わりに敏感なのだ。
自分のミーハーが的を射ている感じは心地よく、あたしは、完全に仕事にのめり込んで行った。
新ブランドが軌道に乗って5年が過ぎた。
その間、あたしは母を時々は自分のマンションに迎え、都内見物を楽しみ、時にはサナちゃんも一緒に食事に行ったりして、自然にいい娘、いい嫁になって行った。たまにはゆっくり旅行にでも連れて行ってあげたかったけれど、あたしの頭は完全に仕事脳になっていて、そういう余裕がなかなか持てなかった。
恭介はそんな和気あいあいが好きではない。彼は彼で遊んでいた。あのカフェのきれいな人かな、それとももうその人とは終わったのかな。そんなことは、どうでもよかった。
恭介は毎日ではないけれどちゃんと家に帰って来たし、帰って来て、気が向くとホストになってあたしの芯をとろけさせた。
あたしにはそれで充分だった。それ以上何も望むことはなかった。
会社に、菅生が入って来た。
それは、もう、晴天の霹靂ってものに近かった。
いつもブラブラしている恭介が、突然会社に菅生を連れて来たのだ。
「おい、こいつ、失業しちゃったんだって。雇ってやって」
と恭介がしれっと言った。
あたしはまだあたしの個室を持っていなかった。大部屋のいちばん偉い人の席で、あたしはどんな態度を取ったらいいのか? さっぱりわからなかった。
恭介って悪魔。悪魔って堕ちた天使で、すごいいたずら好きなのだ。
菅生は菅生のまま、少しオヤジっぽくなっていた。そういう意味では、恭介はさびない。だっていつでも自由にふらふら空飛んでるだけだから。
咄嗟に判断できなかったし、菅生に負い目もあった。なので、とりあえず雇い入れることには同意したのだけれど、かなり厄介な感じがして、あたしは腹を立てていた。
その日、午前様で帰って来た恭介を、あたしはいらいらと待っていた。疲れているのに眠れなかった。
「ねえ、どういうつもり?」
と玄関口でほろ酔いの恭介に問い詰めた。
「なに?」
と恭介が言った。
「スガオのことよ」
「ああ。あいつ、なんか情けねえんだよ。いろいろ偉そうに論はぶつけど、中身が伴ってないっていうか」
と恭介が言った。おまえは、もともと中身なんかねーだろう、とあたしは心の中で毒づいた。
「まだ結婚もしてないんだって」
と、ずるそうに笑うと、
「キーコ、スガオと浮気してみたら? 新世界が広がるかもよ」
と言ったので、あたしは恭介の頬をはたいた。涙が出そうになっていた。
「お。やるじゃん」
と恭介の邪悪な目の光が瞬いた。でも、それは一瞬で、またふてくされて
「一応あいつだって、服飾の各種学校出てるんだし、何かできるだろ? 仕事させてやってくれよ。あいつんちは、ショージンががんばってるけど、スガオはいつもダメオなんだよ。オレの中のダメオモードが激しくあいつにバイブすんだよな」
省人とは、菅生の兄だ。そんなこと、あたしには関係がない。
「は?」
とあたしは言った。
「たのみます」
恭介はあたしに土下座した。
「は?」
もう一度言ったけれど、こいつはこいつで、菅生にやっぱり負い目をもっているのかもしれないなと思った。さんざん傷つけたくせに。
もう、あたしはこいつの共犯者、悪魔の共犯者なのだから、しょうがないかな、と妙に納得するしかなかった。




