5.
日曜日に、またスガオから電話があった。あたしはうんざりしていた。
「あ、ごめん。ちょっと真面目に話したいんだけど。ぼく、ちゃんと交際して欲しいんです。結婚を考えたような形で」
いきなり言われて、あぜんとした。
「だめです」
と言うのが精いっぱいだった。付き合ったこともないのに、なんでそんなことまで勝手に決めることができるのかわからなかった。どうかしている、と思った。
「そうですよね」
と言い、しんみりした声を出されて、あたしまで落ち込んだ。
学校が始まってまだ半年だっていうのに、こんな面倒なことになるとは夢にも思わなかった。
月曜日に学校に行った。
授業が始まるその教室の前で、恭介が待ち伏せしていた。
「げ」とあたしは思ったけど、とにかくあたしは洋裁の鬼なんだから、鬼のような顔をして下を向き、恭介を無視して教室に入ろうとした。
むんず、という表現がぴったりの感じで、恭介があたしの腕を握った。
この人のこのすごい自信はいったい何なのか? いい気になりやがってとちらりと思ったけど、ぼんくらなあたしは、もう気力が尽きていて、ヘナヘナと崩れ落ちそうな心境だった。
「こんな授業、出てもおもしろくないよ。行こう」
と恭介が言った。あたしの目は助けを求めて、教室の中をさまよった。
菅生が目に入った。こっちを当惑気に眺めている。だけど、いつもの親切はどこに消えた? 菅生は自分の机に目を戻して、知らんぷりを決め込むらしい。「真面目」とか「ちゃんとした交際」とか「結婚を考えた…」って言葉はなんだったんだよ! お姫様を守れよ!
まあだめそうだな。
あたしはとぼとぼと、恭介に着いて行くしかないかな、と思った。
歩き出すと、
「そんなしけた顔すんなよ」
手の力はゆるめずに恭介が言った。
「楽しいことするんだから、楽しい顔しろよ」
そんなこと言われたって、この状況ではそう簡単にはいかない。
「おれと結婚するんだから」
と恭介がニコリともしないで言った。
「え?」耳を疑った。
「スガオと結婚させるわけにはいかないんだよ。男には男の意地ってものがあるんだ」
とまったく意味不明の論理を解いてくる。それが最も正しいという姿勢で。
「とにかく、母親に会いに行く」
と恭介が言い、もう、あたしの頭の中はパニックを通り越して、コーヒーゼリーが何かにぶつかって、細々ぐしゃぐしゃって状態だった。
またタクシー。金曜日のやり直しか? まったく、もうあたしには笑う気力もなく、力もなくなっていた。
タクシーの中で恭介は肩を組んできた、じっと横からあたしの顔を見ている。あたしは下からじと目で恭介の目をじっと見つめた。それがあたしの精一杯の抵抗だった。
「ね、男と付き合ったことないだろ?」
と恭介があたしの首元に息がかかるような位置で言って来た。あたしの身体の中の芯がうずいた。
「あのね、結婚なんてただの決まりごとだし、ただ男と女が法律上で夫婦やってますってだけだろ。あまり固く考えない方がいいぜ」
と恭介が言った。あたしには答える気はなく、この、いい気な男を憎みたかった。すごい力で拒否したかった。だけどあたしの芯は、この男に着いて行くことを望んでいた。
その時、恭介がその力を緩めれば、あたしはただのぼんくら・器用・ミーハー・かなり地味・ダサイあたしに戻れただろう。だけど、恭介のエネルギーはあたしには見当もつかないような方向に爆発していて、とにかくそこに行きつかなければ気が済まないって感じだった。
御殿についた。
そうとしか言いようがない。
それまでのあたしの人生とは全く無縁の、もう、表現不能な御殿。その事務所の奥に、とびらがあって、ゴージャスな個室に恭介の母親の早苗が座っていた。大きいカールの髪が顔をすっぽり覆っていて、一本の乱れもない。光沢のある黒のスーツをびしっと着込んでいる。机の上にノートパソコンを広げて何かの書類を一心に読んでいた。
「サナちゃん。おれ、結婚する」
部屋に入るなりいきなり恭介が言った。
その人は、驚くでもなく、そのままの姿勢で、メガネをちょっとずらして、メガネのうえからあたしたち二人を眺めた。
「ふうん。いつ?」
は? それだけ?
「早いうち。今度の休みにしようかな?」
おいおい、あたしの意志はどうなるんだい? なんて思う余裕はなく、あたしはこの親子の敵対でもなく親密でもなく、初めて体験する、最初からずっと意味不明な成り行きに固唾を飲んでいた。
「わかった」
とサナちゃんは言った。
「学校は?」
とサナちゃんが聞いた。
「もうやめる」
「どうするのよ。そのあと」
「こいつが働くから。おれデザイナーでいいし」
「まったく…。じゃあ、型紙とれるのね、その子?」
「たぶん」
はあ? あたしは返事ができなかった。型紙は取れる。たぶん。そこだけは間違いがなかった。くどいようですが、あたし、器用だし。
「よかったわ。とりあえず落ち着いて」
その人の目はパソコンに戻り、
「失礼ですけど…、お名前は?」
と聞いた。




