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黄色いレインコート麗子  作者: ジュゲ
84/85

エピローグ これからの二人

 先生はいきりな不機嫌になった。

「怖気づいたか」

「え・・・」

 僕がミズキちゃんのことを言うまでは機嫌よさそうだったのに。

「それでも男か」

「あの・・・」

「キンタマついてるのかって聞いてるんだ!」

 僕は縮み上がった。

 先生の怒声に。

 この不理解に。

 先生がどうしてそんなに怒るのか。


 ほんの僅か前。


「彼女に会おうと思うんです」

「誰に?」

「先生も勧めていたミズキさんです」

 先生の表情が消える。

 親の敵を見るような目という表現がある。

 こんな感じなんだろうか。

 息を呑むほどの迫力で僕を見た。

「君は馬鹿なのか」

「え?」

 てっきり両手を上げて喜んでくれると考えていた。

 だって、何時だったか先生が勧めたんだ。

 僕もその理由を理解し受け止められたからこその発言だった。

 なのに、どうして。

「・・・君はね。こんなこと言いたくないけど彼女が好きなの。レイちゃんを。どうしようもないほど。勉強も頭に入らないほど。なのになんで君はそのミズキって子とまた会おうと思っているわけ?」


 あれから一週間が過ぎる。


 今日、マイコちゃんに言われた。

「もう一度、ミズキに会ってくれないかな」

 僕は悩んだ。

「返事は少し待ってもらえないかな」

 彼女とのことは中途半端に終わっている。

 どうあれキッチリ決着をつけた方がお互いのためのような気がしていた。

 レイさんとはクラスで公認の仲のような扱いを受けている。

 彼女もそれでいいと言った。


「守って」


 あの日、レイさんは言った。

 曰く、虫よけになるってことらしい。

 アルバイトでもずっとそういうことにしている。

 付き合っているということであれば告白される煩わしさが減ると言う。

(付き合っているのがわかっているのにトライするガッツがある人がいるのに驚き)

 理解する一方、モテない僕からしたらなんとも贅沢な話にも思える。

 だけど彼女は何かしらの男性恐怖症があるようだから深刻にも思えた。


「嬉しいよ!」


 本音。

 でもスッキリしたものではない。

 気分は複雑だった。

 

 その事を稽古中にうっかり口が滑ったらこれだ。


 先生が言うようにお喋りなんだろうか。

「レイさんは心に決めた人がいるみたいですし、何よりミズキさんとのことは浮いたままになっていますので彼女にも悪いかなと思って・・・」

「だからなに」

(その方が幸せだって貴方も言ったでしょ僕に)

 最初は驚き。

 次に無理解からの来る恐れおののき。

 少しずつ怒りへと変貌していく自らを感じる。

「だから・・・僕は入り込む余地がないかと・・・」

「なんでわかるの。なんで怖気づくの。君が言うに、頑なだった彼女が変わったんだよね?」

「はい。マーさんとか言う人か、意中の人はそれほどの男ってことだと思うんです」

「仮にそうだとして、だから?」

「だから・・・それで彼女が幸せなら、それでいいじゃないかと・・・」

「だから聞いたでしょ。君は馬鹿なのかって」

「・・・?」

 先生は何を苛立っているんだ。

 腹を立てたいのはコッチだ。

 本当に大人げない人だな。

「それほどって君は言うけど、なんでわかるの?君は会ったことがあるのその人と」

「ありません」

 怒りが沸々と湧き上がってくる。

「でしょ」

 何が「でしょ」なんだ?

「君は何から何まで妄想でものを言っているよ。彼女が変わった理由が君にないってなんで思うの?」

「多少はあるのかもしれませんが・・・決定的な何かがあった理由が思い当たりません。そもそも僕は彼女に振られたんです。前にも言いましたが、三回ですよ。四回かもしれません」

「だからなに」

 なんなんだ。

「振られたのはともかく、僕がした幾つかの申し出も彼女は断ったんです。先生には言ってないこともありますけど。停学の件だって結局は先生が解決したのであって僕は何もしていない。蚊帳の外だし。そもそも彼女のことをほとんどを僕は知りません。僕の知らない何かが彼女に大きな影響を与えたと思うのは普通じゃないですか。それこそ先生が変えたんじゃないですか?」

 僕の喋りを目を閉じて聞いていると思ったら、吠えた。


「君には無くても彼女にはあるんだよ!」


 まるで衝撃波のような声が僕の前から後ろに通り抜ける。

 なんで怒鳴られないといけないんだ。

「僕は言ったよね、馬鹿は嫌いだよ」

 僕だって嫌いだ。

 怒りが、湧いている。

 先生を前に、師を相手にまたもや憤りが湧いてくる。

「だとしたら・・・僕は馬鹿なんですよ」

「またそうやって逃げようとする」

 なんなんだ。

 酔っ払っているのか先生は。

「こんなこと言いたくないけど言うよ。彼女がどう変わったかは知らない。元の彼女を知らないからね。でも、変えたのは君なの。彼女は今、君に惹かれているの。そもそも君だって未練タラタラじゃないか」

 失礼にもほどがある。


「そもそも僕は振られたんです!

 もう惑わせるようなことを言わないで下さい!

 そうやって先生は調子よく付き合うなと言ったり、

 付き合えっていったり、

 どっちなんですか!」


 僕も吠えた。

「人聞きが悪いね。いつ僕が君を惑わしたって?」

 あーもーいい加減に腹がたってきた。

 どうしようもなく。

 だって無責任じゃないか。

「先生がミズキさんと僕は相性がいいって仰ったじゃないですか!レイさんはやめたほうがいいって!」

 声が荒ぶる。自制が効かない。

 今まで親にも友達にも、ましてや他人なら尚更こんなに叫んだ事はない。

 それが、尊敬する師匠に向かって。

 でも・・・今は我慢出来ない。

「いったよ。あのね、事態は刻々と変転しているの。生きるっていうことは常に変化することなんだよ。その時々に最良の選択をしていくと、一見矛盾するようなことにも当然なるの、そういうものなの。それに止めた方がいいと思っているのは変わらない」

「じゃあなんで今更撤回するんですか!」

「撤回しないよ」

「はあ?・・・もう、意味がわかりません」

 先生はほとほと呆れたというような顔をした。

「君が彼女を好きで好きで夢中だから仕方がないだろ。彼女も君のことを好きになってしまったわけだし、二人共もう後戻りは出来ないところまで来ているんだよ。好きにさせた君に責任がある。彼女は勝手に好きになったんじゃない。君がさせたんだよ。今でも彼女はやめた方がいいと真剣に思っているよ。彼女がどうこうではなく、君とは合わないんだよ。君が言ったように、元は僕が言った言葉だけど、彼女と君では余りにも何から何までが違い過ぎる。結局はうまくいくはずがないんだ。じゃあ何かい?君は僕がヤレって言ったら何でもやるのかい。君の意思はどこへ行ってしまったんだ」

「意味がわかりません」

「ほんと頭悪いな君は」

「ええ私は頭が悪いですよ。馬鹿ですから、バカで悪いんですか」

「違う!僕はクソみたいな学校の成績の話をしているんじゃない!」

 駄目だ。

 わからない。

 なんなんだ先生は。

 何かあったのか?

 なんでこうも虫の居所が悪いんだ。


 戸を叩く音。


「はーい」

 先生はまるで今この瞬間まで起きていたことを忘れたかのようないつも通りの声で応えた。

 なんて呑気なんだ。

 僕をからかっているのか?

 バカにしているのかこの人は。

「いや~熱いですね。扉の外まで聞こえましたよ」

「だろうね」

 先生はどこ吹く風。

 僕はまだ頭に血が登っている。

 そればかりか血の行き場を失い腸が煮えくり返っている。

「チーちゃん聞いてくれ。彼が物分りが悪すぎて話にならない。君から話してやってくれないか」

 はぁ?何いってんだお前。

 ふざんけんじゃねーぞ。

「先生が意味不明なことを言うのがいけないのでは?」

「アハハハ。なるほどね。伺いましょうか」

 チーちゃん先生なら多少なりとも聞いてくれそうだ。

 若い書家の一人だったかな。

 先生のお弟子さんだけど自分で教室ももっている。

 僕の一回り上ぐらいの歳の差。

 明るい方で背が高い。

 何かと先生の世話をしているようだ。

 そんなことを先生から何度か伺ったことがある。


 僕は概要を話した。


「なるほどね~・・・。つまり先生の本音は言葉どおりかな。止めた方がいいと思っている。でも、先生から見て君はその子に夢中だから覚めるまではどうにも出来ないことを理解した上で、乗りかかった船なら最後までって全うしたらどうだい?って提案したんだと思うよ」

「さすが!その通りだよ。ほら見たことか!」

 ガキですか先生は。

 何がホラなんだか。

「・・・よくわかりません」

「前から思ってたんだけど」

 チーちゃん先生は言葉を続けた。

「君は頭がいいね。学校の成績がどうのという意味ではなくて。そっちがどうかは俺は知らないから。頭がいいから何事も考えちゃうんだ。そういう教育を受けたからというのもあるんだろうけど。何でも考えて判断しようとする。ま、それが全て悪いってわけじゃないけど、人間ってね、考える前に本音があるんだよ。それは誤魔化しようがない。俺も最近になって実感してきているぐらだから、君がわからないのも無理はない。でも結局は自分に嘘はつけないんだよ。身体がね、肉体が”こうだ”っていうものを理性で”違う”って否定してもそれはズレを生むだけで納得しないもんだよ。その結果、後悔だけが残る。先生が言いたいのは、そこまで好きなら心の赴くまま、まずはやれってことだと思う。考えるのは結果が出てでからでもいいってね」

「さすがチーちゃん!わかってる。僕の理解者だよ。わかるかい?」

 あの赤鬼のような形相がどこへやら。

 現金なものだ。

「・・・」

 僕は答えられなかった。

 もう一つピントきてない。

 というより、怒りで我を忘れて、内容が頭に入ってこない。

「先生、仕方ないですよ。高校生だから。彼に言いながら俺もまだ出来ているか自信はないです。やっぱり考えちゃうんですよね」

「わかるよ。考えるっていうのは自己防衛だからね。ま~生き物の本質は自己防衛だから仕方なんだろうけど。防衛ばっかりじゃ人生を十分に活かせられないよ。僕はね、弟子の皆には人生を謳歌してもらいたいんだ。それぞれの才能を活かし活きた人生を送ってもらいたい。そうすることで書も上手になるから。僕の高校時代はもっと素直で頭回ってたけどね、あんたも知ってるだろ」

「聞く限りにおいて先生は素直ですね。頭も回ってますし」

 チーちゃん先生は膝を叩いて笑った。

「好きは好き!やりたいはやりたい!これで突っ走ったよ。じゃなきゃこんなことやってないよ。そもそも好きって言葉に出るまえに付き合ってるね僕なら」

「まるで動物ですね・・・」

 ポロっと出てしまう。

 あ、マズイ。

 それはなんぼなんでも先生に対して失礼だ。

「動物でしょ」

 僕の緊張に反し、先生は軽く穏やかに答える。

「人間だって動物でしょ。人間がどれほど賢いって思ってる?大したことないから。政治家や学者を見たってあの程度だよ。まあ凄い人もいるんだろうけど。考える前に感じることが大切なんじゃないの?まず感じて動くことでしょ。ましてや僕達の分野はそれがなくて成り立たないよ。考えている時はね止まっているの。静止だよ。静止は死だよ」

 応えられなかった。

 意味がわからない。

 でも、何か凄いことを聞いている気がする。

「さすがにそこはある程度わかるんだね~。そこまで馬鹿じゃなくて良かったよ」

「先生、そう馬鹿って言うもんじゃいですよ。高校生なんだから」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪い!それに僕は彼を高校生と思って相手していないよ。一端の書家と思って対等に話しているつもりだ」

「いや、それはわかりますけど」

「チーちゃんこそ彼を舐めているんじゃないのかい」

 全員に喧嘩を売っているスタイルかな先生。

 なんだか矛先がチーちゃん先生に向いた。

 どういうことだ?

 駄目だけど・・・やめたほうがいいけど、ゾッコンだから覚めるまで突き進め、そういうことか?でもそれって、行き着く先が崖だってわかっているのに、車を走らせるようなものじゃないか。それこそバカなんじゃないか。愚か者なんじゃ。

 理不尽を思う一方で腹に落ちている自分もいる。

 これが肉の声なのか?

 本心?本心とはなんだ?


 再び戸を叩く音。


「はい、どうぞ」

 もう笑顔になっている。

 なんという代わり見の早さ。

 僕はまだ熱が覚めない。

「お邪魔します」

「はい、あ、マーちゃん、こっち、僕の隣」

 手招きをされる。

「あ、はい・・・えっ!」

「いいから、はやく!」

「はい・・・」

 彼女が来た。

 レイさん。

 どうして?嬉しいけど。

「噂をすればなんとやらだね。今、君のこと話してたんだよ」

 笑みを浮かべる。

「こんにちわ」

「あ・・・こんにちわ、こんばんわ」

 笑った。

 綺麗だ・・・。

「凄い美人だね~。それも超弩級の・・まさか?」

 チーちゃん先生、お目が高い。

 何故か誇らしい。

「これが話題の」

 先生が僕を見た。

 なんですか先生、そのドヤ顔。

 ヤメテ。

 嘘。

 どうして。

「チーちゃん、弩級っていうのはドレッドノート級の戦艦をさして言うから今のは正しくは不適切な表現だな」

 なんなの!その先生の場違いなツッコミ。

「流石に無知な俺でも知ってますよ。でもそう言うじゃないですか。ね~」

 チーちゃん先生の投げかけに笑みで返すレイさん。

 怖がっていないように見える。

「初めて聞きました」

「ほら」

 また先生ドヤ顔。

 なんなのさっきから!

「もう使われなくなったんだ。ジェネレーションギャップを感じる」

「なんだいチーちゃん。ジェネなんとかって?」

 先生、横文字弱すぎ!

「世代間格差って意味ですよ」

「だったらそう言いなよ。なんだよ海外かぶれだね。文化に携わるものが嘆かわしいよ。心まで占領されているんかい」

「先生それ大袈裟でしょ」

 チーちゃん先生に完全に同意。

「ふふふ」

 レイさんが笑っている。

 初めての人に馴染んでいる。

「弟子になったんだよ」

「え、弟子、そうなんですか」

 あれは方便じゃなかったんだ。

 でもレイさん・・・大丈夫かな。

 お月謝とかどうするんだろう。

 今でも彼女がとてもそうした余裕があるようには見えない。

 てっきり先週は心意気的な意味で先生は言ったのかと思っていたんだけど。

「丁度いいや二人には言っておこうね」

 彼女を見て言うと、レイさんは頷いた。

「チーちゃんは副代表だしね。君がウンと言えば済むよ」

「なんですか?」

「彼女は見た通り大層な才能があるから弟子になってもらったんだ」

「先生から声をかけたんですか?珍しいこともあるもんですね。余程のものだな・・・」

「余程だよ。放っておくわけにはいかないでしょ。彼女は特待生っていうの?そういう扱いで我会に来てもらうことになってね。月謝はもらってないから。僕の我儘を彼女が聞いてくれて来てもらっているわけだから、いいよねソレで」

 チーちゃん先生を射るように見る。

「いいも何も代表がそう仰るのであれば是も非もないですよ。それは楽しみだなぁ、先生にここまで言わせるなんて・・・」

「さすがわかってるね~。ところでマーちゃん、君もいいよね?」

「え・・・どうして私に聞くんですか?」

「・・・じゃ、いいんだね」

 何がいいたい。

「いいも何も、私は・・凄い嬉しいです」

「わかってるだろうけど、この件はこの四人だけの秘密にして欲しい。世間は世知辛いから、やれなんだかんだと煩いからね」

「勿論ですよ」

「わかりました」

 先生はレイさんを見て頷くと、レイさんの表情からは安堵の表情が伺えた。

 どんな話を先生としたんだろう。

「よろしくお願いします」

 レイさんは正座したまま頭を下げた。

「素直ないい子だね~。今時いないよ。僕がマーちゃんぐらいの年だったら速攻だよ」

「何が速攻なんですか」

 チーちゃん先生の素晴らしいツッコミ。

 ほんと、何が速攻なんですか!やめて下さい下品な物言い。

 先生が同年代だったら僕に勝ち目ないでしょ!

「さすがにこの年じゃ、孫と爺だ」

 机を軽く叩いて笑う。

「爺は大袈裟だけど親と子ですね。今だと先生とこの子ぐらい離れた親子はいますよ」

 チーちゃん先生の冷静さときたら。

「そうなんだ?」

「私の父もそこそこの年齢だったと思います」

 なんでレイさんはナチュラルに会話に参加出来るんだろう。

 僕だけが置いてけぼり。

 そしてなんで先生はいちいちドヤ顔で僕を見るんだ。

「それよりマーちゃん、レイちゃんとこれからデートなんでしょ」

 ええええええ。

(聞いてないよ!)

 レイさんを見るとニコリと笑った。

 それで何時もと格好が違うんだ。

 今気づいたけど服が新しくなっている。

 この一週間でようやく新しいレイさんに馴染んできたと思ったのに、次々と変化する。まるで蛹から蝶になるように。


 流れる沈黙。


 チーちゃん先生がこの状況で何ごともないように稽古の準備をしだす。

 レイさんは僕を笑顔で見ている。

 穏やかな表情。

 先生は自分で振っておきながらいきなり手本を書きだす。

 なんだこれ。

 なんだなんだこれ!

 なんなんだ。

 フォローなしなの?

 なんで、なんでそうなった。

 先生は手本を書き続けていたけどチーちゃん先生の手は止まった。


「行こうか」


 一瞬の静寂。

 先生が運ぶ筆が和紙をする音が聞こえる。

 そしてエアコンの室外機の音。

 送られる暖かい風。

 

「うん」


「若いっていいね~!」

 チーちゃん先生の唐突な掛け声。

「あんただって若いだろうよ」

 先生がまるで他人事のように手本を書きながら手を一瞬止め言った。

「ま、そういうことだから。同じ弟子同士よろしく頼むよ」

 なんなの!

 なんなの一体これは。

 レイさんは照れくさそうに俯く。

「え!」

 僕は素っ頓狂な声を上げる。

「なんだいいきなり変な声出して。ビックリしたじゃない」

 驚いているのは僕の方ですよ!

 それでか、それであんなことを言ったんだ。

「じゃ、次からは二人で稽古に来るといいよ。全くマーちゃんも水臭いよな~。一人で来るんだからさ、ね~」

 ネー!じゃねーから!

 何もかも聞いてませんから!

 これは先生になりに僕を応援してくれている?


(チャンスがある?・・・四度目か五度目の・・本当に?)


 僕の胸は否が応でも高鳴った。

 それまで全く平気だったのに急に身体が強張り顔が紅潮してくる。

「では・・・お先に失礼します」

 僕のお辞儀に合わせて彼女も頭を下げる。

「お疲れさま」

 チーちゃん先生だけが応え、先生は片手を上げニッコリ笑った。

 そしてまたすぐに手本の続きを書く。

 僕の隣にレイさん。

 なんなんだ緊張の傍らで込み上げるこの感情は。

 この嬉しさは。

 満たされるものは。

 嬉しい。

 嬉しいよ。

 レイさんの安らかな笑み。

 僕を見つめる熱い瞳。

 僕らは二人で教室を後にする。

 この後の残された二人の会話を僕は知らない。


「二人をどう思うチーちゃん」

「なんていうか・・・ふとチャールズ・チャップリンの街の灯が過ぎりましたね」

「あんた上手いこと言うね~。僕も観たよ」

「私はあの映画が凄い好きでして何度見ても泣いちゃうんです」

「あの映画はラストああいう形で終わるでしょ。あの後、二人はどうなったと思う?」

「・・・私は中学生の時にあの映画を見て、二人は幸せに暮らしたと思って泣いたんですよ。嬉しくて」

「うん、それで。今はどう思う?」

「・・・上手くいかないでしょうね」

「さすがわかってるね!僕もそう思ったよ。なんでそう思う」

「だって二人はまるっきり歩んできた道が違う。方や自由人。放浪の人チャーリー。ところが彼女はコツコツやってきた。ラストで店も順調に回っているよう。まるで歩みが違う。何度も観るうちに、二十代前半だったかな、ちょっと『おや?』って思うようになり、次第に考えは変わりました。一時は熱愛で上手くやるだろうし、しばらく彼女が我慢して乗り越えるだろうけど、いつか限界が来るだろうって。チャーリーも自分なりの我慢はするでしょうけど理解されないでしょうね。何より本質的に生き方は変えないでしょうから。変えられないとも言えますが。結局はうまくいかないだろうなって思うようになりました。それはそれで哀しくてもっと大泣きしたんですけどね」

「僕が見込んだ通り君は見る目があるね~。その通りだと思うよ」

「先生もそう思われますか。二人は逆バージョンって感じがしますね」

「まさにそう。でも僕はそれはそれでいいと思っているんだ。そういう出来事があった方が人を厚くするからね。芸術表現も豊かになる。ただ、彼女はともかくその時に彼は耐えられるかってのが心配でね。女性は立ち直れるように出来ている。でも男は弱いからね。彼なんか後を引っ張る方だし。今からでも精神を鍛えておかないと心配だよ。逆なら本当に悲劇なんだ」

「でも僕は二人に続いて欲しいな~悲劇にならずに」

「別れても悲劇ではないよ。通過点だから。悲劇にしちゃうのが困る」

「ま~そうでしょうけど、二人には僕が十代に思い描いた理想のエンディングを向かえて欲しいな・・・」

「無理だね」

「先生ぇ~」

「だってそうじゃない」

「それはそうと最近知ったのですが、チャップリンのインタビュー記事が出てきましてね、読んだんですよ。あの二人がどうなったと彼が思っているか」

「お!で、なんだたって?」


 僕らは先生の父さんのお店で少し話をしていた。

(先生の笑い声は大きいなぁ。何を話しているんだろう)

「それでは失礼します」

「気をつけるんだよ。ん、これから雨降りそうだね」

 お父さんは空を見上げると言った。

「傘はもった?」

「えー、持ってきてないです」

 お父さんの天気予報は実によく当たる。

「私は、はい」

 レイさんは黄色い雨傘を手にしていた。

「マーちゃん、ちょっと待ってて」

 お父さんは奥に入ると黒い雨傘を手に戻って来る。

「これを使うといいよ。あ・・・余計なことしちゃったかな」

 彼女を見ると言った。

「え?」

 少し困ったような顔を浮かべている。

「ごめんさない気が利かなくて」

「いえいえ、いいんですお父さん、ありがとうございます!」

「悪いね。あれかな、今でも相合傘とかするのかね?」

「いやー・・・どうでしょうか」

 彼女は黙って照れくさそうに笑った。


 黄色い傘と黒い傘。

 触れそうで触れない距離。

 彼女は時折熱い視線で僕を見る。

 僕は照れくさくて直視出来ない。

「レイさん・・・甘いもの好きかな?」

「うん。好き」

「僕が払うから行かない?先生との行きつけがあるんだ」

「行く!でも、自分で払うから。アルバイトさせてもらっているし」

「いや、今日は奢らせてよ」

「・・・わかった」

「じゃないと先生に僕が怒られるから」

 笑うレイさん。

 釣られて笑う僕。

 こんなに幸せな気持ちがあったなんて。

 今まで経験したことが無かった。

最終回後のエピローグとなります。

次回「あとがき」を別途投稿し本連載を終了。締めたいと思います。


今まで短編以外で1つの物語を完結させたことがなく書き散らしては放置するという悪癖があり、自分の中で永い課題でした。ある調子を得て「なんでもいいから自分が最も書きやすい素材を使い、現在の抱えるテーマから1つの物語を連載で完結させてみよう」と決め書きだした次第です。


主人公と共に歩み、「好きな癖にコイツこのままじゃ告白しそうにないぞ、どうしよう」と頭を悩ませたり、「あ~こんな調子じゃレイちゃん彼を好きになりようがないな・・・」と頭を抱え。いよいよ詰まった時、「ま~ダメならダメで『ダメでした』でもいいか・・・」と開き直ったところで動き出したり。また暗に週ごとの連載という形をとったお陰で、現実の自分の心身の状態が物語に反映されていたりで面白い経験も出来ました。


1年と7ヶ月に及ぶ連載となりました。

お付き合い頂けた方がおりますれば、大変嬉しいです。


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