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黄色いレインコート麗子  作者: ジュゲ
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第五話 先生

 日常とは実に変化しないものだ。


 僕は相も変わらす挨拶はするけど無視されている。目線すら合わない。流石に二週間もすると「なんなんだろう」と思ったりもしたが、大概そういう時は自分の機嫌が悪くこっち側に原因がある。そう思えるようになったのは先生に言われたからだ。先生といっても習字。最初は友達が通っていて楽しそうだったから始めたけど、彼はもう来ていない。

「相手は自分の鏡だよ。腹がたったとしたら、腹が立つ原因がこっちにある」

 そう言われてハッとした。心当たりがある。何せ彼女は返事をしてくれない。最初はそれでも良かったはずなのに何時の間にかそうじゃなくなっていた。

 更に数日が過ぎ、今度は彼女に挨拶し無視されるのが日課になった。半ばカモフラージュの為に始めた皆への挨拶が自分の中で定着して来ている。これがきっかけでか、前から気になっていた滑川さんにも声をかけられた。

「最近なんか変わったね」

 だそうで、こういうことを怪我の巧妙と言うのだろうか。何せ言葉はおろか目線も合わない人に声をかけ続けることを思えば、目線が合うだけでも嬉しいのに、ニコなんて返ってくるのはご褒美以外の何ものでもない。あれだけ声かけたいなーと思っていた時にはかけられなかったのに、全く関係ないことでキッカケが生まれるなんて、わからないものだ。


 いつしか僕は彼女に返事をかえしてもらうことが目的になっていた。


 あれから雨は降らない。全くというわけじゃないけど。そういえば小雨程度でも彼女はあの格好で来るけど、雨が止んだら二時間と言わず帰るということが分かった。逆に午前中は晴れていても午後に雨が降ったらあの場所にいる。あれには驚いた。まさかと思い行ってみると彼女はいたんだから。これも気づいたんだけど、そういう時のレインコートは汚れていて彼女も平常運転。そのせいか、どことなく気まずそうに見える。単なる気のせいだろうか?

 もうこの頃になるとすっかり開き直ってしまい、彼女に見つかったらこの探偵ごっこをやめようと決めていた。

(そう。これは探偵遊びであって断じてストーカーじゃない)

 と思うことにした。

 あの日以来、あの表情はお目にかかれない。見間違いだったのかもと思うようになって来ている。彼女が揺れている様子をただ眺め、その不釣り合いな光景になんとも言えない不思議な思いを抱いている。果たしてあの娘は実在するのか。ひょっとしたら、見えているのは自分だけなんじゃないか。

(なーんてね)

 読んだばかりのカフカの影響をモロに受けすぎでしょ自分。厨ニ病とは言わないけど。


「何か気になることがあるみたいだね」


 僕が書いている様子を見た習字の先生が聞いてきた。

 この先生は普段はほとんど喋らないのに、いつもここぞという時で声をかけてくるような気がする。なんでわかるのだろうか。不思議な人だ。うちの親も聞いてくれる方だと思うけどこの先生はどこか次元が違うように感じる。不思議と何でも話せる。

「なるほどね」

 彼女のことを話した。

「思いを巡らせても自分で出来ないことは思うだけ無駄だし、出来ることなら行動した方がいい。出来るのに行動しないのは勇気がないんだろうと諦める。そんなに気になるなら声をかけちゃえばいいのに。私ならそうするよ」

「えー?先生が」

「私にだって君ぐらいの時代はあったよ」

 先生は豪快に笑っている。

「想像できないです。あ、ごめんなさい」

「いやいや無理もないよ自分でも忘れていたぐらいだから」

 二人して腹を抱えて笑った。

「でもね」

 いつになく神妙な顔で僕を見た。この先生は他の大人が自分には見せない顔を見せてくれる。

「思いってのは残さない方がいいよ。思う存分にやりな。結果はどうあれ、そこで感じた様々なヒダが折り重なって後々に無意識下で豊かな味わいになる。それは顔に出る。それらがいい人生にもつながる」

「そうなんですか」

「湯葉って食べたことある?」

「えっと、多分あります」

「あれって一枚だったら味気ないでしょ」

「ペラペラですもんね」

「あれは沢山折り重なって更に出汁が効いているから美味しい。出汁に一枚だけつけても出汁の味しかしないよね」

「すいません、よく思い出せないです」

「そういう食べ物なんだ。幾重にも折り重なって独特な食感を生み出し、出汁と絡み更に旨味をます。何をするにも心のヒダは一杯あった方がいいよ。でも無理に作ることもない。人にはそれぞれ受けられる容量があるから。キャパ・・・なんとかっていうんでしょ。外国語とかわからないんだけど」

「キャパシティですか?」

「さすがだね。それだ。だから無理をする必要もない。逆に自分の心を無視して無理をして出来た傷は生涯残るから気をつけた方がいいよ」

「それは・・どこでわかるんですか?」

「自分の心に聞いてみるしかない。そればっかりは貴方自身にしかわからない。考えちゃ駄目だよ。最近の人は大人も子供もすぐ考えて決めようとする。そういうのは打算であって自分じゃない。肉体に聞くんだ。こうしたいってことを思い浮かべてごらん。その瞬間に抵抗感のようなもの ”あっ、無理だ” って感じが湧いたら今は止めた方がいい。いずれだよ。でも、”あっ、やりたい” という軽い感じが浮かんだら即行動だよ。時が経てばまた変化するしね」

「そうですか・・・わかりました」

 僕は何か頭の中のモヤモヤとした気分が一瞬で晴れたような気がした。

「君ならうまくいきそうな気がするけどね」

「え?何がですか」

「何がって・・いずれわかるよ」

「どうしてそんなことがわかるんですか」

「感だよ」

 先生は胸の辺りに手を当てると笑みを浮かべている。


(声をかけよう)


 帰り道、そんな思いが不意に湧く。これが先生の言うやつなんだろうか。

 それは自分でも驚くほど迷いがないものだった。

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